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私と夫は当初新年宮中一般参賀に参列する予定だったので、1月2日は妹に母のナーシングホームに行ってもらうよう、頼んでいました。能登地震で一般参賀は急遽中止となりましたが、予定通り妹は母のナーシングホームに行ってくれました私は風邪を引いた夫から風邪をもらわないように距離を取りつつ夫と次男とあらためてお正月を迎えましたおせち料理を3人でいただき届いた年賀状を見たりテレビで格付けを観たりして、家で和やかにゆっくりと1日過ごす事が出来ました「今日はママどんな
癌と闘ってる人………ホンマに多すぎるほど多いよね環境も年齢も部位もまちまち………ステージも体調もまちまち………今日の体調は良くても明日の体調は判らない…。世間からの情報も溢れてて…たぶん💦正解らしき情報も有るけど💦情報は一般的なモノで、自分に当てはめても結果良しとならない事も多いから💦またまた不安が大きくなる。。まぁ💦癌に限らず人生の歩みに正解なんて無いし、人それぞれ自分を信じる!が大事だと思う。。けど💦………ぜーったいにムリしないこと!( ̄- ̄)ゞ私のように癌
居原田麗さんが亡くなられた。まだ40代で、4人のお子さんのママですよ。早すぎます。しかし、その旅立ちを早すぎるで済ませてはいけない。余命1年と言われてから居原田さんは丸4年闘病されました。すごいことです。その4年間はご家族にとってかけがえのない、素晴らしいときだったと思います。実はインスタで居原田麗さんに一度メッセージを送ったことがあります。父は標準治療をしていましたがそろそろ終わりが見えてきた頃でそのときの私は必死で免疫療法を含め治療法を探していました。居原田さ
お雑煮の大根や人参をすり潰しておだしで伸ばしたものでしたが、母はストレッチャーを少し起こしてみんなと食事を摂り、家族で無事お正月を迎える事が出来ましたホームでは母はいつも緑茶はいらないと言っていたのに、この日は「飲みたいな」と珍しく母が言ったので私はひと匙ずつ母に緑茶をあげて、母はなん匙か飲む事が出来ました私は甥っ子達にお年玉をあげたり、次男はいとこ達と喋ったりみんなでおせちを囲んで和やかなお正月を過ごす事が出来ましたこれが母と過ごせる最後のお正
今日は去年から始めている抗がん剤点滴の16回目でした。今はペメトレキセド、テセントリクと吐き気止めのデキサートを点滴しています。点滴治療を始めた頃はカルボプラチンもあったので、点滴に時間が掛かりましたが、今はカルボプラチンがなくなったので、点滴も1時間と少しと早く終わるようになりました。がんで治療を開始するまで、あまり病院にお世話になることはなかったので、注射は平気な方だと思っていましたが、血液検査や点滴で注射をする機会が増え、注射は好きじゃないなと思うようになりました。最近は注射をし
たくさんの不安がありましたが一番は顔面神経麻痺術後で極端に唾液が少なくなるためこまめに歯磨きをするのですがその度に鏡の前まで行って座りまじまじと自分の顔を覗き込むわけです一部、つないで頂けたということでしたがやはり患側の顔半分が全く動かない・・・顔はパンパンに腫れあがっているのでまだ、あまり実感はありませんが口元もがガーゼの下の目元も下がり顔面神経麻痺の影響はすさまじく気持ちは落ち込んでいました耳は全く感じず、ついているか不安なほど患側
12月24日は私は家で夫と次男とクリスマスパーティーをいたしましたよって、この日は妹が母の所へ行きました。前日の私と同じく母はベッドの位置がどうしても気に入らず、ずっと妹に指示して上げたり下げたりとずいぶん苦労したようです中腰での作業で妹も腰を傷めてしまい、これは母のアパートからリクライニングチェアを絶対持って来ないとと2人で意見が一致しましたナーシングホームではこの日クリスマスイベントがあり徒歩や車椅子で4階へ行ける方は参加していたようですが、母
病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
毎日毎日ほとんどベッドの上で過ごしていると、昨日と今日の境目が曖昧です。薬も飲むものがたくさんあるのに、ぼんやり片手間に飲んでいると、飲んだのか飲んでないのか忘れてしまいます。一日分の薬💊やサプリは、1つのタッパーにまとめているのですが、私はかなりいい加減な性格なので、その時の体調に合わせて1日3回の薬も2回しか飲まなかったり、1回1錠の薬を、時によっては2錠飲むので、なんだか本当にわやわや…何を飲んでいるのかちょっとここで整理してみたいと思います。●オキシコ
怒涛の検査ラッシュそして仕事や様々な手続き・・・落ち着かない中で「やっておけばよかった」と反省したことがいくつかあります。まず、一番は歯科治療私は歯が弱く、かぶせてある歯、いわゆる「銀歯」が多いまた、虫歯の治療がそのままになっていたこともすっかり忘れていましたしかし、挿管することもあり術後に放射線治療をすることも想定され開口障害のことも考えると・・・時間のかかる治療を断念しリスクを伴う歯と判断された歯を半分抜歯することになってしまいました(泣)
【中古】家族が自殺に追い込まれるとき/鎌田慧/講談社[単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】楽天市場272円「自殺」軽々しく口にだすものじゃないことは分かっていますが、今回、彼の癌の発覚で、中学時代に自殺した親友を思い出しました。(彼にも中学1年の娘がいます)その子は、小学5、6年と同じクラスで、お互いの家に泊まりあったりするほどの親友でした。父親の職場も知っており、ある日「昨日○○のお父さんの仕事場の近く通ったよ!」と言うと「元仕事場ね。もう戻れない」
こころの開放私と今後の治療を引き受けてくれる病院と何より大切な主治医が決まった。有難い。手術に向かって3週間・・・この期間に仕事の対応や職務の配分をしなければもしかしたら、1日も早く手術ができるようにあの先生なら掛け合ってくれるかもしれない1週間早くなっても良いように動いていこうこうなってみて初めて自身の身体の悲鳴が聞こえるようになった「もう、これ以
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
コロナ禍に重なり始まった、私の闘病少しずつ思い起こしながら、書いていきたいと思いますリンパの腫れに気付いてから宣告を受けるまでの期間が約3か月宣告から手術までの期間が約10日余りある朝いつものように起きて洗面所に向かい歯磨きをしながらふと鏡を見ると・・・「あれ?首筋のリンパが腫れている。何これ??昨日はなかったのに」枝豆大の腫れを見て直観的に「これは・・・」と思った、忘れられないあの朝でも、もしかしたら感染症や炎症による一時的なものかもしれないそう信じたかった私は
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
私の身近には今まで癌の人が少なかった。唯一、身近で癌になったのは母方の祖母ですが脳腫瘍により告知から7ヶ月で亡くなりました。だからこそ、癌=死というイメージが強かったのかもしれません。祖母の異変に気づいたのは、高校生だった私でした。過去にミス〇〇にも選ばれた美人でおしゃれなおばあちゃんでした。(私は父方に似ていますが..)おばあちゃんとデパートでご飯を食べる約束をしていたので、待ち合わせをするとそこに現れたおばあちゃんは服を後ろと前反対に着ていました。一緒に歩いているとどんどん私の方
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
手術を受けるためにはたくさんの検査や説明を受けたり、同意書のサインなどなど事前にすることがたくさんあるんですね~💦今までありがたいことに病気知らずでインフルエンザにかかったこともありませんでした。それがいかに奇跡みたいなことかがんになって初めて知りましたさて。手術前に受けた検査の数々。血液検査造影CTMRI心電図レントゲン肺活量(尿検査もしたかな?)あとアレルギーとかせき喘息があるから、呼吸器内科の診察を受けたり。MRIは工事みたいな大きい音がする
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
彼の病状への皆さまからのたくさんの応援メッセージを本当にありがとうございました。私にまでお気遣いのメッセージをくださってお会いしたこともない方がほとんどなのに優しく慈悲に満ちたお言葉をいただきまして感動し感謝でいっぱいです。全てにお返事ができていなくて申し訳ありません。中には、涙したという方々もいらっしゃったり…日本から世界からいつもお二人のことを毎日祈っています。神社にお参りに行くので、願ってきます。パワースポットのお写真送ってくださったり今の私たちに必要そうな
すでに満足しているお腹にメインを投入していきますメインはこの4品から1品選んで♪○牛フィレ肉のグリエ○真鯛のロティ○フォアグラ牛フィレトリュフソース+1500円オマール海老と真鯛のポワレ+1200円(真鯛のロティとポワレっておんなじじゃないの?)調べたわ?フライパン(ポワレ)で焼くかオーブン(ロティ)で焼くかの違いだってソテーやムニエル、ピカタだの色々あるわね貧乏根性丸出しおたまですもの、1200円追加のこれにするわよね~お肉は消化悪そうで今は食べていない
普通に暮らしてる時は………、全く気にもせず💦なんとなく💦ふぅーん…そうなんだ程度に軽く見たり聞いたりしてた事が、、いざ!自分に振りかかってくると…、まーったく!何の知識も無い事にオロオロネット検索したり…人に聞いたり…問い合わせをしたり…1年前、夫が癌と告知された時は………、なにかとバタバタしたなぁ夫は在職中、それなりの給料だったので高額医療費の区分も(;´゚д゚`)ビックリ。ほぼ毎月実費今は退職してるので、毎月の負担は44,000円+立て替え分で済んでるけど、それでも無収
先日、ガン闘病中だった夫が旅立ちました。今までブログを読んでいてくださってた方はえ?どういうこと?と思われると思います。あえて夫の事は書いてきませんでした。その話はまた追々と…最期は自宅で家族に見守られながら静かに息を引きとりました。穏やかな、笑っているようにさえ見える顔でした。遺影の写真は息子くんのウエディングフォトで撮影したものの中から子ども達が選びました。葬儀社の方がいい写真だと褒めてくださいました。今まで30年。いろんな事があったけどありがと
おはようございます。お読みいただき感謝しております。昨日はヘルパーさんが初めてのお掃除に来てくれました。毎週月曜11時に来てくれるそうです。時間は1時間。テキパキと掃除機をかけてくれていましたが、ダイソンコードレス掃除機、バッテリーが切れました(笑)来週はコード式の掃除機を出しておいた方が良いのかな😓来てくれた方は契約に来てくれた方。スタッフさんは数人いるらしいのですが、今日来たのは経営者の女性です。自ら現場で率先して働く。偉いと思いますが中々大変なんだな~本やブログを読んでイメー
2020年から2024年初春約丸3年本当に色々ありすぎました。2019.7父の癌が発覚し2020に私は1人目を出産この頃、父は病状が悪化し腹膜播種に。2022に一度職場復帰。その夏に第二子懐妊と切迫早産のため産休入り。この頃から父の体調が転げ落ちるように悪化。2022年秋、祖父が他界しその2ヶ月後に父は旅立ちました。妊娠中2回も身内の通夜葬儀に参加することに。1人目の育休中は祖父の介護ケア、父の病院付き添いや治療法を調べたり段取りしたりととにかく忙しかったです。そ
りこ母の直腸がん闘病年表はじめに日付序章■ブログを書き綴るにあたって■癌が分かるまでの母の私生活直腸がん闘病年表【要約】2017年5月4日~2017年5月16日■母が倒れるなんておかしい!セカンドオピニオンへ!2017年5月23日~2017年5月31日■セカンドオピニオンの結果直腸がん闘病年表【詳細】2017年5月4日火祭りの日の夜中12:30頃、倒れる。後に貧血だったと分かる。■真夜中に倒れた母2017年5月5日【中央病院】CTとレントゲン検査をす
中路正恒も末期です【肝不全・末期】金バエ「静脈瘤もヤバい」・石川典行の糖尿・七原君の透析
たくさんの方に読んで頂いてありがとうございます困っている仲間にどうか届きますように。。。情報を集めようと思った時、どこに行っても誰に聞いても、欲しい情報に出会えずに彷徨いました自身の異変に気付き、検査を重ね、結果が出るまで私には、この期間が一番苦しかったです手術という一筋の光、可能性を信じて現実と向き合い、手術をするという選択をし病院と未来を託す医師を決めて歩み出すまでが二番目に苦しかったです「宣告」を受けたその日、私はその場で決意し、手術の承諾書を書き、前
彼氏食道癌ステージIV大好きな彼氏の癌を受け止めきれずに、日々更新してしまうことを、お許し下さい🙇昨日、大学病院から電話がきて、血液検査の結果3月1日からの抗がん剤確定。それはいいのですが、3クール目も確定したとの事。最初の話では、まず2クールしてみて、そのあとCTなどを撮って判断し、それ以降の治療を決めましょうって話だったんだけどな意外な展開に彼もびっくりしています。これって、良い事なんでしょうか?それともあまり良くないことなんでしょうか?今回、コメント欄を初めて解放さ
母の元日の一時帰宅では数々のアクシデントが発生しました福祉タクシーさんは朝9時にナーシングホームに母のお迎えに来てくれましたが、看護師さんが一時帰宅前に色々と見てくれた結果、元日の当日になって母が鼻から自発呼吸が既に出来なくなっている事が判明したのですレンタルしていた酸素ボンベは自発呼吸が出来れば7〜8時間もつけれど、自発呼吸が出来ない場合は1〜2時間しかもたないと看護師さんから言われました酸素ボンベのレンタル会社に問い合わせると、元日だから届けてくれるの