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ついに自殺未遂を起こし、措置入院となったほたて。措置入院とは、自分を傷つけてしまう可能性がある為、都道府県知人の権限による法的な入院です。旦那は泣いていました。旦那はほたてがこうなってから、何度も泣いている所を見ました。辛かったんだと思います。しかし感情が麻痺しているほたて。旦那の愛情を受け取る事が出来ず、何も感じない自分にまた、自責の念が湧くのでした病棟へ移動しました。精神科の病棟は閉鎖病棟となっており、病院内を自由に行き来出来ないよう病棟の入口に鍵がかけられます。その病棟の奥、保護室
過日、手土産の和菓子を買いに赤坂見附へ…自分用にも草餅を1つたまには甘やかす。不思議なもので、甘味をとると満足ではなくまた食べたい…食べたい…となってしまう栄養学的にはなんら不思議ではないのですが。私みたいな依存っぽい人は①ナイアシン(ビタミンB3)が枯渇している②ミトコンドリア(体を動かすガソリン的なもの)が足りない③腸が悪いビタミンB3は体内で作り出すことができるので、ナイアシンの呼び名があるのだけれど、そもそも腸が悪くカンジダ菌が繁殖していると糖質を餌に更に繁
「精神科の薬がわかる本」2008年から発行を定期的に重ね、今回は最新版の2024年2月出版本です。第三章は「抗うつ薬」がわかる。ちなみに、この本の筆者であり精神科医の姫井昭氏は「うつ」の原因は未解明。薬による治療は対症療法と言ってます。しかし、メンタル不調の多くが、シナプス間の信号が外界からの刺激に対して強すぎたり弱すぎたりして不適切な信号伝達となることで引き起こされることが、数多くの脳科学の研究結果からわかってきました。と書かれてます。いやいや、これ、ずっーと以前
辛かった過去の日記を読み返して、泣いてしまいました。現在、回復してきて元気になった事実だけを喜べばいいと自分に言い聞かせてます。それでもやはり心の傷になってるのでしょう。嫌な記憶は蓋をして忘れて、日常を楽しいこと興味あることでなるべく満たして回復を図るのがいいのか、こうしてブログなどに整理して書いていくことが心の傷の癒しになるのか、どちらがいいのか正直わかりません。とりあえず今日は、私が何故向精神薬の断薬する決意に至ったかを書いていこうと思います。こ
なし崩しに悪化の一途を辿るほたてこの頃、産後の脱毛が始まっており、髪の毛がごっそり抜けて恐怖でした骨盤はまだグラグラで足の痺れも出て、血圧も高く体も心もガタガタですこの頃、服が選べなくなる、という症状も出てきたほたて。たくさん服はあるのに、頭が回らずどう組み合わせるのか分かりません家では同じ部屋着をずっと着続け、外出着は服の組合せが考えられず、家に引き篭もるように旦那には友達を家に呼んだら?人と会った方がいいよと!言われましたが、こんな状態で誰にも会いたくありませんこの頃はもう、一生
大学病院病院の精神科を遂に受診旦那や助産師さんに引っ張られて行き、服もおかしな格好でサンダルのまま診察は初診の為、診察前に問診があり、その後診察です。言葉の抑揚もなく、ロボットのようでうまく喋れないほたて先生の質問は全て旦那に代弁してもらいました思えば症状が出て来てから4ヶ月も経過しています‥相当にこじらせてしまったほたて結果は重度のうつ産後5ヶ月、3件目の受診にて、ようやく診断が下されました薬でしっかり治療して行きましょうとなり、家では常に私を見守るように言われ、入院も勧められま
入院して翌日は一日中拘束されてました。保護室は、廊下を入るとちょっとした空間があり、更に鍵のついた引き戸の扉があり、その奥にベッドとトイレだけがある部屋がある。そんな部屋でした。鍵のかかった扉には、小さな窓がついており、時々看護師さんが覗いてるのがわかりました。扉に小さな窓がついている、まさに刑務所みたいな部屋だな、と思いました。入院した夜から、私は諦めの境地に達してたので大人しくじっと横になってました。食事は看護師さんが来て、ベッドを起こしてくれ
ブログはパソコンで打ってるので、ついまとめ書きになってしまいます。我が家のパソコンは壊れてました。夫も子供達も自分のノートパソコンを持ってるので、家にはパソコンは必要ないと言われてました。でもパソコン欲しい!欲しい!と訴えてましたが、向精神薬で認知機能がやられ、離脱症状で更に悪化して、とても新しいパソコン使えないし仕方ないなと諦めてました。ちょうど認知機能がマシになってきた!と自覚できた頃にコロナの給付金!息子が俺の分も使っていいよと言ってくれたので、iM
ラミクタールを減量し始めても、相変わらず調子が悪いままの私でした。両親はいよいよ確信を抱いたらしく「精神科のお薬はやめた方が健康になる!」と言い始めました。私も薄々と向精神薬で悪化の一途を辿ってると気づいてはいるものの、まだどこかで、自分は双極性障害であり、治療が必要なのかもしれないと思い込まされてました。もしくは、やはりうつ病なのかもしれないとも思ってました。そんな時、科学的にうつ病なのか双極性障害なのか、統合失調症なのか判別できるとされてる光トポグラ
今回は、私が入院していた時に親しくなった人や印象深かった人達について書いていこうと思います。入院期間中にいろんな人と出逢いました。もう誰とも連絡を取ってませんが、みんな元気なのでしょうか。回復して精神科を卒業できてるといいのですが。ちなみに名前は仮名です。優子さん優子さんは私が保護室に入ってた時に、隣の保護室に入院していた女性です。最初の頃2人で一緒にお風呂にいれられることがあり、入浴中や入浴後にお話することがありました。彼女はどう見ても私より年上にしか見え
今朝6時前に水やりをしに庭に出たら、なんとなく空気に秋の気配を感じました。猛暑と騒いでますが、あっという間に夏が過ぎ去っていくような気もして少し寂しいです。いつも何故か夏の終わりには寂しさを感じます。よく人生は四季に例えられますが、アラフィフの私は夏はとっくに過ぎ、晩秋といった人生の時期にいるのでしょうか。実家から自宅に戻りましたので、また昔の日記を読みながら、自分の記録としてブログを書いていこうと思います。精神科に入院していた記録の続きを書いていき
入院も2週間くらい経つと慣れてきて、毎日の生活の基本スケジュールみたいなものがわかってきました。この精神科病院は、患者は3色に分かれた手帳なる物を渡されます。皆はそれをパスポートと呼んでました。パスポートは3色ありました(3種類)最初に入院した時は皆ピンク色のパスポート。そして病状や状態が良くなるにつれ、黄色パスポート、緑パスポートと出世していきます。上の階級のパスポートになるにつれ、できること、許可されることが増えていきます。私はピンクパスポートから始まり
こんにちは、さくらです。私は今、抗うつ剤を飲んでいないのですが、薬を飲まずに治った方はいらっしゃいますか?どのように過ごしていらっしゃいますか?宜しくお願いいたします。睡眠導入剤のデェビコを飲んでいます。
夫とわたし、ともにうつ病になり、(2016年〜2017年)長く勤めた職場を退職。無職。ニート。アルバイト。契約社員に業務委託。正社員だった過去の安定とは異なる、経済的不安定。それでも2人で力を合わせればなんとかなったし。以前より疲れないから、お休みの日を充実させられる。それもいい。わたしはまた看護師に戻り、低め安定の落ち着いた日々を送って。夫も夜勤(17時〜翌朝)なのが気になるけど、以前のような重労働でもなく。年をとっても続けられそうな仕事だし。このままい
便検査で知らされたカンジダ大量繁殖。(膣カンジダが20年以上なかったので、問題ないと思っていました。えぇー、大便ですよ)常在菌なので、疲れると増える菌ですね前述したピラミッドの下段:炎症の一つリーキーガット症候群腸もれ症候群によりウイルスや細菌(歯周病とか…)、水銀など(歯のアマルガムね!)、化学物質、農薬、添加物、未消化の食べ物、腸内微生物が産生する毒素などを取り込んでしまいます。私の失敗例ですが、かつて溝口医師の指示で飲んでいたプロテインで体調回復したのをいいことに、タン
反跳性不眠について、少々おまけ的な記事になりますが、2019年4月にベンゾ全断薬後、離脱症状の反跳性不眠になりました。回復期に現れると言われてる悪夢期が私にも見事に現れました。不眠が始まり8ヶ月後くらいの11月の晩秋の頃に5週間くらい毎日のように悪夢を見るようになったのです。大体寝れる日は寝ついて1時間後くらいに悪夢を見て飛び起きて、汗だくになるみたいな状態でした。一番多かった悪夢は虫系の夢。身体中がゴキブリに覆われる夢。毛虫が全身に張り付いて叫んでる夢。
梅雨明けした8月1日、全向精神薬を断薬して丸1年経ちました。長かったようで、過ぎるとあっという間の1年間でした。酷い離脱症状に苦しみ、泣いた日々も数え切れないぐらいありました。精神症状も出たので、かなりヤバかった日も数え切れないくらいあります。まだ身体に症状は残ってますが、なんといっても1番嬉しいのは、精神的に落ち着いてることです。今月1日から、上高地白骨温泉旅行に来てます。そこそこ重いリュックを担いで、昨日も今日も歩きまくりました!平地を歩く分にはかなり歩ける
前回に続き入院中に出会った人達です。みさえさんみさえさんは30代前半くらい。拒食症の産後うつのママさんでした。本当に出産直後?と目を疑うくらいガリガリに痩せてました。常に手に点滴を打っていて、点滴スタンドを押しながら歩いてました。何度か優しそうな旦那さんがお見舞いに来てました。何度かみさえさんが産んだ赤ちゃんも一緒に連れてきてました。まだ赤ちゃんは首が座ってないようなホニャホニャの小さな赤ちゃんでした。人生で一番幸せな時期だろうに不思議です。みさえさんの食事は
入院6日目9月5日私は入院してから、いたって大人しく落ち着いてたので、5日目に拘束も完全に解かれました。閉鎖病棟の私が入院してるフロアーに限りフリーとなりました。とりあえず少し出世です!この日までオムツをはかされ(拘束は解かれる時間ができ、保護室内でトイレにいくことができるようになってもオムツでした)、病院が用意した囚人服のような服を着てました。囚人服と言ったら悪いでしょうか?上下青色のスエットみたいのを着てました。そしてこの日から、オムツは外してもらい
今回は私が向精神薬を飲んできて、しみじみと感じたことです向精神薬は女をダメにする!!女としての魅力をほぼ大半失います。その理由を列挙していきます(笑)・まずは性格が悪くなる。穏やかなゆったりとした気持ちはなくなります・便秘と下痢などでお通じが乱れます・肌荒れします・生理が乱れます(私はメジャー飲んでる時止まりました)・目が虚になり生気がなくなります(魅力ある女は瞳が生き生きとしてなくてはいけません)・薬によっては太ります(私はオランザピンで16kg以上
見に来て下さってありがとうございます(o^^o)7月は私にとって、特別な月でというのも、うつの診断書をもらった日が7月10日でした。だから、毎年7月10日が来ると、「あぁ~!あれから○年経ったのか…」と感慨深いやら、ちょっぴり悲しい気分になるうつハッピーバースデーを迎えます。今年は6歳になりました。人間だと小学1年生って感じかな!?(笑)でも、確実に1年1年元気になっているので、きっとだいじょうぶ初めてブログを読んでく
結局、主治医の指示通りに治療を続けることになりました。おそらく抗精神薬セロクエルが原因で数ヶ月間のアカシジア、バリズム、手の酷い振戦などに苦しみました。副作用と認めてくれないのに、副作用を抑える抗パーキンソンの薬が処方されました。(矛盾してますよね)抗うつ薬SSRIのジェイゾロフトもMAX処方になりました。ちょうど4年前の夏頃です。私は妙にイライラするようになっていきます。当時のミニ日記にも「どうして何故こんなにイライラするのだろう?」と書かれてます
早いもので8月も終わろうとしてます。夏の終わりはいつも寂しさを感じます。昨年の夏は離脱症状真っ盛り。それでも、早春からの離脱症状なので、夏の終わりには急性期は過ぎたと言えるのでしょうが、日記を読むとまだまだかなり不調でした。昨年の今頃の日記を読むと、・朝の不穏、不安が強くかなり不調。不安発作のようになる。・ウツな気分に襲われ寝込む・動悸と息苦しさで辛い・全身の筋肉の強張りがすごく、特に肩の凝りが強烈。体が痛い・手足の痺れ、肌に電流が流れるような感覚。
入院10日目9月10日閉鎖病棟内のフロアー内では自由な身になりました。この日初めて、看護師さんと一緒に病院内の敷地内にあるショップ「Daily山崎」に買い物に行くことができました。閉鎖病棟なので、フロアーから外に出るには扉が2箇所あり、2箇所のロックを職員さんが解除してくれないと出ることはできません。病院の食事はあまり美味しくなく、なんとなくずっとひもじい気持ちでした。なので、このDaily山崎でお菓子を買うのが、すごく楽しみになりました。ちょうど
最近、散歩しながらの花見にハマっています。春は花粉大丈夫なのよね。秋がダメ🙅♀最近の写真たちをどうぞ!大好きな龍上海🍜綺麗な花たちもっとかわいっく写せ!!(モモンガ節)フゥン…(うさぎ)プルャッペロッ今年はたくさん花見できて嬉しい🌸昨日(16日)は診察でした。気分の落ち込みはほぼなくて、最近は散歩やジムに行って体力作りをしています。むくみが気になりますって伝えたら新しい漢方が処方されました。良くなるといいなやっぱり朝起きるのが辛くて、、午前中は布団に潜ってるこ
みんなの回答を見る▼ニックネームは?雅子▼ブログを始めたきっかけは?4年近くうつ病、双極性障害との診断で精神科に通院して治療してきました。悪化する一方なので減薬断薬して精神科卒業しようと決意しました。激しい離脱症状で半病人生活してましたが、やっと回復してきたので記録代わりにブログ始めました。文才がないので自信ありませんが
「日本の精神医療には光がない」これは30年間以上も精神科医をしてきた女医さんの言葉です。お名前はここに書きませんが、減薬断薬をしてくれる精神科医がいないかと、全国の精神科医を調べた人ならご存知かもしれません。M先生とここでは呼ばせていただきます。私の最後の主治医は、日本の精神科医の中ではいい先生の部類でした。でも減薬断薬・離脱症状に関しては知識がありませんでした。離脱症状でフラフラになり、身体だけでなく精神状態も悪化した私は(突然劇鬱発作に襲
私は、子供2人と夫と4人家族で関東で暮らしていました。うつ病の治療を始めて、闘病生活に突入したわけですが、次第に料理や家事ができなくなり、日中も不安定なことが増え、昼間に1人で家で過ごすことができなくなり、夫に実家に行くように言われました。そして関西の実家で療養することになりました。幸い母親はちょうど68歳まで働いてましたが退職した後で、父親も退職生活しており両親も健在だったこともあり、そのような恵まれた環境で治療することができました。大阪の個人の心療内科で、
関東の家族の元に戻っての生活も1ヶ月ちょっとしか持たず、またしても関西の実家に愛犬マロンと一緒に戻ることになりました。私が不調すぎて、夫も子供達もお手上げになったようです。結局ジェイゾロフト・セロクエル・メイラックス・レキソタン・ユーロジンでの治療が続きました。抗うつ剤SSRIを飲むようになってから、早朝に目覚めるようになり睡眠薬が処方されました。当時は不安と焦燥感が強く、動悸にも苦しんでました。とにかく気持ちが滅入り、やる気が起きない。特に午前中
「アルシンドになっちゃうよー」って古すぎて知らない人の方が多いですよね😅ザビエルハゲも古い?教科書に載ってるから知ってる人多いかな?って何の話しかというと、、、、私、この度円形脱毛症が頭頂部にできました!という報告です。実は5日前に京都に行った日に、鏡を見て??なんか頭頂部が薄い。。。気のせいか?とは思ってはいたんです。変だな??とも。そして昨日娘に指摘されました。「お母さん、頭のてっぺんに円形脱毛症ができてる。。。」って。私は強いストレスかかると、円形脱