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デザイナー・前田誠氏が最初のデザイナーだった、「BARREAUX」ブランドについての続き。1982年頃~1984年頃が前田さんの関わった時期と思われます。当時の特徴としては、色彩の美しいカジュアルと、英国調の確かな仕立てのテーラード。「BERGMAN」のスーツでも見られた、「ノッチドラペルのダブル」のコートがありました。「INCENSE」の物に近い、ブラウンのヘリンボーンの、細身のシングル3ボタンスーツも記憶にあります。創成期の「GALAMOND」に通じる、やや固めですが高い技
昨日の晩ご飯の件。子どもに「ほっといたったら良かったのに」と言われました「一応、パパのお金で生活出来てるわけやしさー」って言うてあと「ママって昔からそうやってお世話してたから」ってことを言いました。子どもは納得いかんって感じやったけどお世話してた・・で思い出したんやけど、付き合っている時から私は夫によく「○○ちゃん(夫)は、私の言うことだけ聞いてたらいいの」と言っていた。そうすると夫も、コクリとう
…良いのかこんなタイトルで。「BARREAUX」と言うのは「BIGI」から独立したデザイナー・前田誠氏が「BERGMAN」を設立、その後「BERGMAN」を離脱して後にデザインを担当したブランドです。「ニコル」系のレディースブランド「スクープ」から派生したメンズブランド「スクープマン」の、恐らくは上級ブランドとして企画されたものと思われます。設立年が曖昧ですが、1981年頃は「BERGMAN」だったと思いますし、1985年頃が「GALAMOND」の創成期だと思いますので、前田さんの
先日最終回を迎えたドラマ「不適切にもほどがある」の最終話の中で純子のスケバン仲間だった明美が突如イメチェンして登場した。男勝りのスケバンとは真逆なガーリッシュで可愛らしい赤いワンピース姿をパッと見た瞬間それは80年代のDCブランド全盛期にファッションデザイナーの金子功さんが手掛け女の子に大人気だったピンクハウスの服だと思った。ピンクハウスと言えば赤やピンク、白を基調としたカラーにフリルやリボン、レースなどのディテールを施したガーリーで女の子の夢がつまったような一種独特なデザ
こんにちは。こんまり®流片づけコンサルタントの金田ちづるです。あなたには「ときめくけど着ない服」はありますか?たぶんもう着ることはないけど‥捨てられない服。わたしにもありますそれは『I.S.』というブランドの夏物の巻きスカート。ツモリチサトが手掛けた懐かしのDCブランド全盛期のもの。そおいう時代があったのですよーだいぶ時代を経ていますがアシンメトリーのデザインや色合いが好みで気に入ってました当時にしては斬新過
【バブルファッション!】昭和60年以降に青春真っ盛りを過ごした世代の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?黒髪ワンレン、ソバージュ、太眉、ボディコン、トサカ前髪、バブル、ディスコ、W浅野…今の美的感覚から当時のメイクや髪型をあらためて見るとちょっと痛い感じもしますね。今や懐かしいあの時代のファッションや流行モノについて、皆さんも語ることが沢山あるでしょうね?ご一読ありがとうございました!←励ましのclickを是非お願い致します!m(..)m
学生の頃から暇を見つけては、今は無き梅田花月や心斎橋2丁目劇場に通い、一時はNSCに入ろうかと思っていたほどお笑い好きの私、鹿岡(かのおか)が崇拝するお笑い芸人を紹介するコーナーです。まず記念すべき第一回に選んだのは…メンバメイコボルスミ11です。当時流行の髪型にファッションで、一切笑わず淡々とネタをする芸風。当時流行ったDCブランドのハウスマヌカンと呼ばれた販売員ネタや戎橋でdeadoraliveの音楽に合わせて踊るネタなんかもあり、大笑いはしないけどなんかおもろいという芸人さんで
A君の高校に、無事着きました🏫私は、DCブランドの服を着て、A君の彼女として…ステージの1番後ろに立ち彼のバンド彼の歌声を聴きました♪ロックでしたので、あまりよくわからなかったけど、カッコよかったです。A君が、歌い終わり、私のところへ来ました。バンドのメンバーと、私、校舎内の廊下を歩いていました。???コーラを持った女生徒が、私の彼氏A君に、そのコーラを手渡しました。え?何?誰?その後、男子トイレの個室に連れて行かれ、🤫!キスをし、抱き合いました。つづく