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2017.3.10午前セカンドオピニオンとして、県内の大きい病院へ行くため妻と一緒に自家用車で高速を走る。道を間違え、高速を出てUターンして、また高速にのったりと、車内の雰囲気は暗く、無言で運転する。朝から暗い!病院に到着。予約の時間には、間に合うが、30分ぐらい待たされ、ようやく個室にて、病状の説明がはじまる。50才前後の落ち着いた男性医師が、淡々と、骨髄異形成症候群、いわゆるMDSであることを説明。生存率(余命)は、2~3年造血幹細胞移植という治療が必要。
病気のこと忘れて日常を過ごす日もあれば、急に不安に襲われて何も出来なくなる日もある。何を恐れているんだろう。歩けなくなること?痛みが強くなること?食べられなくなること?生活が変わること?骨転移は命を脅かさない。肝転移は命にかかわる。そう言われて、私に残されている時間は短いと知りました。悔いのないように生きる。そう思っていても悔いなんて残るに決まってる。足が痛い。身体が重苦しい。薬を飲めば楽になるけど、切れるとまた辛くなる。薬無しで生きられない。薬の効果がなく
初めての抗がん剤治療で、しゃっくりに悩まされ、なんとなく体調が悪かった日々を過ぎたころ、2回目のフォルフィリノックス。ダンナを朝8時過ぎに病院へ送り届けてから、用事があった私はダンナを一人置いて、早めに病院を後にした。11時頃、ダンナから電話が。「抗がん剤できないから、迎えに来て!」ダンナの要領を得ない説明。コイツ、また私に怒られたいんかい。。。とりあえず、モーレツな速さで用事を済ませ、ダンナを迎えに行く。私が聞きたいことを詰めてダンナに吐き出させる方式で、抗が
乳がん骨転移5年生存率は8%とかいう記事をみたけどあと5年も生きられないのかもしれないでも、そんなにショックでもないまあ、人生はどうなるかわからないし、いつ事故や事件に巻き込まれて死んじゃうかもしれないある意味、死期がわかっているのは人生を思いっきり謳歌できるものかもしれないただ、やりたいことは死ぬまでやり続けたい精神や発達障害の人たちの就労支援大好きなミュージシャンのライブネットの友達と会う仕事恋愛(尽くすタイプw)死ぬまでやりてぇなあところで、今は桜の開花の時期だ
早速、今後、面倒を見てもらえるか、病院を受診したカフティポンプで点滴をしている姿に興味津々になってくれるナースさん「初めて見るので、どんな感じか見せてもらっても良いですか???」と中を見てくれて「これはどうなってるの???」といろいろ聞いてくれましたそして、お腹のポートを見て、「初めてみたーっ!!!!」と言っていましたそして、お医者さんも腹腔内投与はできないけどパクリタキセルとTS1だけならうちでもできるし、物品系も面倒を見てくれる。。。とまたひとつ、青森で子どもたちと一緒に過ごして
本日、無事に1歳レベルアップしXにも風船が飛んできました!肺がんの5年生存率は、50%。先月で肺がんになってから丸5年経ち、6年目に突入しました。と言う事は、生存率49%以下になりこれから、どんどん減る一方。毎日をハッピーに過ごします!多くの友人、フォロワーさんからお祝いの言葉を頂きました。ありがたい事です。感謝致します。矢沢永ちゃんからもメッセージを頂きました!肺がん歴のおさらい。↓2019年3月左大腿骨骨折で緊急入院左大腿骨に髄内釘(ずいないてい)挿入手術し
術前、小細胞癌と言われたときまず初めにしたこと。レッツ検索小細胞癌とうつだけで小細胞癌予後小細胞癌生存率小細胞癌悪性度Googleさんは、勝手に予測変換してくれちゃうから・・なんだろう、この不吉なワード達は・・・検索をかけている指がどんどん重くなっていく・・でもこれは、肺がんのことかな・・?そうだ子宮頸癌ってワードを足してみよう!とさらに検索をかけてみると・・2b期の5年生存率0〜16%なんて文字が目に入ってきて・・その瞬間に携帯の画面を消しましたもうこれ以
こちらも→すい臓がんの夫をもつ妻第一話すい臓がんの告知をされ、そのまま1回目の抗がん剤治療(フォルフィリノックス(FOLFIRINOX)療法)をする前に、病院から自宅へ一時外泊することにしたダンナ。私は、前夜に帰ってきた息子と一緒にダンナを迎えに行った。まさか東京から息子が来ているなんて知らないダンナは、驚いていた。→前回の話はこちらです。すい臓がんの告知を受けてから2日後の土曜日。久しぶりに家族4人でドライブへ。元気なうちに、家族でこうして出掛けられる機会
いつも元気を頂いていたブロ友さんから教えて頂いた「サバイバー生存率」俗に言う「5年生存率」のほかに「サバイバー生存率」があるそうで、不安の中でとても希望が持てました例えば上のグラフの場合、診断時の平均5年生存率が63%ですが1年後には80%と、時間が経つほどに5年生存率も高くなっていくのです年数を重ねるごとに再発の可能性が下がり、診断から5年経過するとその後の5年生存率は100%に近づき、余命は癌でない人とほぼ同じであることを意味します。前向きになれる新指標です目
残念ながら悪性でした。右乳癌、大きさは1.8センチステージ1エストロゲン100%プロゲステロン95%細胞増殖Ki6723.1%HER2陰性サブタイプはルミナールA又はルミナールBKi67値が少し高いのでAかBか微妙なところですと…全て初めて聞く言葉でいいのか悪いのかよくわからなくて…ただステージ1の5年生存率が99%というのを聞いて、すぐに死ぬことは無いんだなと少しホッと…手術と補助療法すればきっ大丈夫…告知されて落ち込むかと思いきや、新しい扉🚪が自分の前にあって、扉が
検診は大切でした。2年以上、様子見をしていたら大変なことになっていました。嫌なことには、目をそむけるのは駄目ですね。大きく後悔、反省しています検便で2回のうち1回が陽性。これを2年連続。さすがに2回とも陽性なら再検査に行ったでしょうが。タラレバが得意な私。あの時に再検査に行っていたら、行っていればまさかの5年生存率2割位?未だに夢かと思ってます。目をそむけたい
4月19日予定通り消化器内科の病棟に入院しました。この日はこれまでに受けた検査の結果を踏まえて確定診断の話になる為家族同席という事になっていたので妹にお願いして病院まで来てもらう事になっていた。私ががんになってステージ的にも進んでいる事を真っ先に話したのは市内にいる妹だった。妹は2つ違い。だけど性格は全く正反対で周りをよく見ていて気遣いはできるけど話す言葉に冷たさを感じる独身。50歳を過ぎて更年期になりその神経質な性格に拍車がかかり鬱のような症状や不安障害に悩まさ
子宮体癌だと思い込んでいた。子宮摘出だけで何とかならないかと祈ってた。まだ一歳の娘がいるのに、現実は残酷。細胞検査とMRIが終わり、タチ悪な肉腫はほぼ確定。1月26日にPETCTを撮る予定→転移がなければ子宮、卵巣、リンパの摘出手術ができて、その後抗がん剤治療に進めるらしい。転移があったら、きっと死ぬ(Ⅳ期の5年生存率は3%)。Ⅱ期、Ⅲ期でも10%前後。Ⅰ期であれば25〜55%(この時点でもかなり残酷だが)。5年生きて、娘のランドセル姿が見たい。その想いを込めて、基本3日坊主の私
ちょっと興味深い論文が紹介されていたので。誤嚥性肺炎で入院した患者の退院後の予後とその予測因子に関する研究の論文がDysphagia誌に掲載されました!|聖隷浜松病院総合診療内科要点は下記です。・対象は聖隷浜松病院に入院した65歳以上の誤嚥性肺炎患者のうち、生存退院した209名、研究デザインはretrospectivecohort・年齢中央値85歳、BMI中央値16.0、男性58%、入院前PS433%・退院後の生存時間中央値は約1年で、退院5年後の生存割合は13%・退
私がイメージする抗がん剤の副作用は、髪の毛が抜けることはもちろんだけど、吐き気、食欲不振、痩せていく。他にもいろいろあるけど、ダンナの副作用にはビックリよ。検査の画像と数字の結果だけで「すい臓がんステージ4」と言われたダンナ。当然、いまだすい臓がんの自覚症状は全くない。今まで健康だと思って過ごしていた人が、急に抗がん剤を投薬されるわけよ。もちろん、この治療はダンナが自分で選んだこと。初回のフォルフィリノックス(FOLFIRINOX)療法の二日目から副作用が始まった。
大腸がんは胃がんを抜いて「日本人が最も患うがん」「肺がんに次いで2番目に多くの命を奪うがん」となりました。歌手の山本譲二さん(73)は2019年5月に「ステージ2aの大腸がん」が判明し、7時間に及ぶ手術を受け、寛解。まもなく「5年生存期間」を通過するため、ほぼ「生還」できたといえそうです。ただステージ4に至ると、平均の5年生存率は約20%と、依然、低いままの難治がんです。---------------------------------------------本年(2023年)7月31日に
2019年10月4日2回目のフォルフィリノックス療法が延期になった日の夜12時前ころ、ダンナが「腹がドクドクするんだけど」っと不安げな顔で私に訴えてきた。少し様子をみていたけど、布団に入ってしばらくしてもドクドクが続き、腰まで痛くなってきたと。相談を兼ねて夜間ではあったけど、病院に電話をしてみた。内心、こんなことで電話していいのかな?明日の朝まで待った方がいいのかな?でも万が一、ナニだとしたら、早めに診てもらった方がいいのかな?激痛ならまだしも、判断に迷う~
後もう少しで癌宣告から5年ですなので自ら5年生存のお祝いの計画を立てていますwネットで集めてきた情報なんかいつのどんな情報だったのか忘れちゃったんですが、大腸がんステージⅣの5年生存率29%ってずっと思い込んでて??実際は多分もっと低いのですねどの情報が正しいのかよくわかりませんが、とにかく5/10を無事に迎えられたら、その狭き生存率の中の1人になれたことになりますこれはやっぱりお祝いでしょうでもいくら親子でも姉弟でも友達でも、その癌宣告された正しい日にちを覚えててくれてる人はいな
昨日の朝、急にアクセス数が前日の200倍以上になっており…何かの間違いか、何かいけないことでも書いて炎上してるのかと心臓がバクバクしましたが…どうやらアメトピでご紹介いただいたみたいです。ほっ…フォローしてくださった皆さま、ありがとうございます!前回の続きです↓診察室から出て、私たちは待合ロビーに向かいました。私の心は完全にフリーズしていて、ショックとか、悲しいとか、何も感情が湧き上がりませんでした。あまりにも衝撃が強すぎて心が受け止めきれなかったんだと思い
20年前の日記です19日に21日に帝王切開の話しが出たみたいですねあの時は自分の闘病記で記録していました.小さな手帳にプレドニンが手術当日20→10mgに一気に下げた時です。次の日から発熱2日後には抗生物質処方。など汚い字で書いてました。まさか20年後に読むことになるとは・・その週の締めくくりは今週は一生で一番の思い出になりました。母になるって大変だとつくづく感じ、これからの不安と期待して複雑です。自分に自信をつけて新たにがんばるぞーー名前を
【リンク↓】配信:北日本新聞https://webun.jp/item/7880482新しい話題、というわけではないのですが、また地方新聞が取り上げています。個人的には、すごいな、と思っています。ざっと言うとこのような感じです↓・抗がん剤で病巣部を縮小→放射線治療→切除手術・2014-2020年、患者125名に適用、うち41名のがんを切除手術→41人の5年生存率は予測を含めた解析で58.6%
そりゃ、病気になってしまった今よりは病気じゃないほうが絶対にいい。泣きはらして仕事中もふとした時に涙が出たりなんで〇〇君がすい臓がんなの・・・?と納得できなかったり。でも、そんなことを思ってもすい臓癌は無くなるわけはなく。でもね、思うんですよ。中学校の時、同級生の妹さんがある朝、起きて来なくて起こしに行ったら無くなっていたことがありました。わたしもよく遊んでいてよく笑う、とても可愛い子でした。親御さん
ブログを見ていただき有り難うございます。先週CTと血液検査をしましたが、特に変化なくTS-1続投となり、1年の服用を終え2年目を迎えています。特段、副作用は口内炎程度でやり過ごせていますが背中の痛みと、胸の痛みに悩まされています。CTでも特に異常ないし、整形外科にもかかりましたがこちらも特に異常なしとのことなので、整体に行っていますがなかなか、肩甲骨周辺の違和感が取れません。TS-1投薬は2週投薬2週休薬の、4週サイクルです。月イチの通院です。先週の土曜日に、息子の結
私は理系。高校の時も数学は得意だったし、大学生のときバイトで塾で教えてたこともある。確率の問題も好きでした。でも今はどうなんだろうと思っています。確率はただの数字で、なってしまえば本人にとっては100%なわけです。35〜39歳で癌になる確率900人に1人=0.11%大腸SMがんでリンパ節転移している確率10%以下ステージ3a直腸S状部がんの5年相対生存率85%→亡くなっている確率15%(私の場合、もう少し悪くない確率だとは主治医も言いますし、文献読んでもn数少ないながらもそ
最初にトリプルネガティブと言われた時はすごく怖くてショックでしたが、これまで色々自分なりに調べた結果そこまで怖くはないのかなと。ネットで調べるとトリネガ=再発確定みたいな印象を受けますが、今や乳がん全体の2割ほどだろうと言われるトリネガのほとんどが再発するなら、全体の生存率も相当下がりますし、医療現場も大変な事になっているはずですただ、トリネガの中には早い段階で再発転移して、あっという間に…という厳しいケースもあるようです。私も何人かの方の経緯をブログやSNSで見守っていましたが、辛い結
告知から1週間。子宮頸がんの告知を受けて、1週間が経ちました。年明けに子宮頚部円錐切除術のため、2泊3日で入院。切除部位を病理検査に出していて結果を聞きに一人病院へ行ったのが先週のこと。先生はもう告知慣れているのか、先生「えーっと、結果なんだけど、癌の細胞が出ました。ステージは1A2ですね、基本は摘出になります。」・・・・わたし「え?はい?」たぶん相当あほみたいな顔してたと思います。2日後、家族で再度病院へ。先生「どうしてもま
こちらも→すい臓がんの夫をもつ妻第一話ダンナの朝は忙しい。まずは洗濯機をまわす。家じゅうのごみを集めてまとめる。ごみ捨てついでに朝のウォーキング。ちなみに私と子供たちは、これを徘徊と言ってる。用意してあるおかずを自分のお弁当箱に詰める。洗濯物を干す。お風呂を洗う。食べ終わった家族の食器を洗う。ちなみに夜も食器を洗う。寝る前に米を研いでタイマー掛ける。私はダンナより遅く起きてから、お弁当のおかずを作って自分の支度。念入りにヘアアイロンをする。厚化粧に見えないように
治療できることになり、癌判明からようやく少しほっと出来ましたBNCT受診1回目BNCTの説明、合併症など。そして重粒子線治療も可能ではとのコメントを頂きました。そして、検査を予約し、後日治療方針を決めましょうとなった。翌日重粒子線センターへ最初に行った手術を多数しているハイボリュームセンターでは重粒子線治療も困難ではと言われたが、重粒子線治療は出来るとのこと。ただBNCT後の追加治療の経験はないので、(やんわりと)BNCTをするなら重粒子線治療はしませんと
癌の進行状況はステージ3でした。余命については、ステージ3は個人差が大きいので決めにくいとのことでしたが、強いて中央値を言うと、1年半。この時点で、私は自分でも意外なほどすんなりと「長くは生きられない」ということを受け入れてしまいました。5年生存率は10%未満。私はくじ運が強い方でもないし、この10%に入るとはとても思えません。私は持病もなく高齢の方でもないので、ちょっとオマケして2年かな、と自分で決めました。ドクターは統計的な情報をくれただけです。本当に、自分で勝手に
こんにちは。寒い日が続いていますが、皆さま、お変わりありませんか。昨日は私の住む地域で、初雪が観測されました。寒さが身に沁みます。年をとって、筋肉が減ってきたせいか体の冷えが気になります。今冬初めて、毛糸のパンツを履いてみたのですが、ぬくぬくして、なかなかい感じです。先ほど、家事をしながら日テレの深層ニュースの過去の放送を流していたところ菅谷大介アナと中川恵一先生(東大病院)が、がんの経験をお話されていました。菅谷アナはすい臓がん、中川先生は膀胱が