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2019年10月4日2回目のフォルフィリノックス療法が延期になった日の夜12時前ころ、ダンナが「腹がドクドクするんだけど」っと不安げな顔で私に訴えてきた。少し様子をみていたけど、布団に入ってしばらくしてもドクドクが続き、腰まで痛くなってきたと。相談を兼ねて夜間ではあったけど、病院に電話をしてみた。内心、こんなことで電話していいのかな?明日の朝まで待った方がいいのかな?でも万が一、ナニだとしたら、早めに診てもらった方がいいのかな?激痛ならまだしも、判断に迷う~
ブログを見ていただき有り難うございます。久々の投稿です。皆様」お元気でしょうか?丸4年を迎え、5年目に突入します。7月には、娘が入籍するにあたり両家の顔合わせがあり、コロナ過ということで両家の顔合わせ後の入籍となりました。2人とも幸せになって欲しい。これで、見届けることは無理だと、発症時思ってた願いが一つ叶いました。子供たちが家庭を持つこと現在の治療の状況はTS-1を2週間投薬、2週間休薬のサイクルです。3か月に1度位、CTの検査をしています。TS-1
成人型顆粒膜細胞腫について調べたことを書き連ねてみました。調べれば調べるほど怖くなりますが、前向きに、受け止めていきます!顆粒膜細胞腫は境界悪性腫瘍に分類される。発症は閉経前後の50-55歳が多い。腫瘍の多くはI期で95%が片側性と報告されている。5年生存率はI期II期で95%III期IV期で60%以下早期の診断が必要である。晩期再発が多いことが特徴。晩期再発は10-50%に認められ、再発までの平均期間は4-6年。なかには20年以上も経て
癌の進行状況はステージ3でした。余命については、ステージ3は個人差が大きいので決めにくいとのことでしたが、強いて中央値を言うと、1年半。この時点で、私は自分でも意外なほどすんなりと「長くは生きられない」ということを受け入れてしまいました。5年生存率は10%未満。私はくじ運が強い方でもないし、この10%に入るとはとても思えません。私は持病もなく高齢の方でもないので、ちょっとオマケして2年かな、と自分で決めました。ドクターは統計的な情報をくれただけです。本当に、自分で勝手に
早速、今後、面倒を見てもらえるか、病院を受診したカフティポンプで点滴をしている姿に興味津々になってくれるナースさん「初めて見るので、どんな感じか見せてもらっても良いですか???」と中を見てくれて「これはどうなってるの???」といろいろ聞いてくれましたそして、お腹のポートを見て、「初めてみたーっ!!!!」と言っていましたそして、お医者さんも腹腔内投与はできないけどパクリタキセルとTS1だけならうちでもできるし、物品系も面倒を見てくれる。。。とまたひとつ、青森で子どもたちと一緒に過ごして
私の病気治療を心配してweb検索しまくる娘に「これだけネットで情報共有出来てる時代なんだからさぁ。治療するなら自宅近くの今の総合病院が良いよ」「とりあえず🅱️先生と合うかどうか見極めてから考えようよ」「私、福岡の会社辞めて家に戻る」「だってお母さんスキルス胃がんなんだよ」「もう離れて暮らすなんて出来ない、スキルス胃がんなんだもん」スキルス胃がんは5年生存率16%腹膜播種は14ヶ月後には半数が亡くなるという予後が悪すぎる病気「仕事辞めるのはもったいないよ。お母さん
4月19日予定通り消化器内科の病棟に入院しました。この日はこれまでに受けた検査の結果を踏まえて確定診断の話になる為家族同席という事になっていたので妹にお願いして病院まで来てもらう事になっていた。私ががんになってステージ的にも進んでいる事を真っ先に話したのは市内にいる妹だった。妹は2つ違い。だけど性格は全く正反対で周りをよく見ていて気遣いはできるけど話す言葉に冷たさを感じる独身。50歳を過ぎて更年期になりその神経質な性格に拍車がかかり鬱のような症状や不安障害に悩まさ
2018.1.22〜24セカンドオピニオンを受けてから、手術予定日まで一週間!入院までは5日間!ばったばたな日々でした1日目はセカンドオピニオンでのお話と簡単な検査だけして帰宅しました(超音波だったかな??)前のブログに書いた日です2日目、また病院へ昨日の大雪が残る中、足元かなり悪い中、いつもの仕事の時間より早起きしてめちゃ眠い中…まず一度目の手術をした病院へ立ち寄り、プレパラートを受け取りましたこれがあると次の手術の判断がしやすいそう病理検査ももう一度見直してくれるみた
4月5日末娘の中学校入学式でした。私の母校の中学校へ入学。現在の校長先生は私が中2の時の担任の先生です。7年年の差の長女と年子の次女も当時お世話になっておりましたが、まだ在任されていて嬉しかったです。次女の中2の時の担任の先生に校舎で会ってびっくりされたりしました。我が家の末娘で残念ながら子供は最後です(笑)太ってどうなるか不明だった入学式のスーツ無事着れました。購入して13年目クリア。次はいつ着れるのか?末娘の高校入学式に着れたらいいなあ。その前にそれまで生きていられる
こんにちはいつもいいねフォローありがとうございます♡生きる希望人それぞれだと思いますあの告知の日地獄に落とされ未来など全て崩れ落ちた日老後の予定など全て消えた日手術は出来ない完治は無い延命の為の幸願剤のみただ絶望感しか無かった1年目ただただ生きる事に必死だったどんな本を読んでも余命長くて1年としか書いてなかった私は死ぬんだと鬼のように断捨離をした仕事も辞めた
ひと段落したので日記がてらに書いてみる先月に自分が上顎洞の癌だということが判明ステージは4...以前から鼻の奥に違和感があって町医者に診てもらったのは今年の頭その時は鼻茸と言われポリープもできているということでアレルギー系の薬をもらってまた2週間後に...とのことだったがなんとなく何か違うと思って少し大きな耳鼻科にすぐに行ってみたそこでは鼻茸はできているがポリープはうちでは対処できないといわれ紹介状を書いてもらい総合病院へどんどんこと
先週の金曜日に放射線治療専門の病院を紹介してもらいました。2年前にできたこの病院、全体事業費が59億近くかかったそうです放射時間も従来の半分ででき、10分程度だそうです。それを3日連続して治療しにいく予定です。私が使う機械はTrueBeam(トゥルビーム)という高精度放射線治療装置です。そして本日も、患者さんはかなり少なめ金曜日に診察と、脳腫瘍の放射線治療で必要になる枕、お面を作ってもらいました。(脳腫瘍をピンポイントで攻撃するために誤差が出ないよう、患者さんそれぞれに枕とお面を作るらしい)
身体が炎症を起こして入院。4日で炎症の値も下がり退院。退院して、抗生剤を出していただいたのに、飲み忘れて、また炎症を起こす。2日で再入院。もう炎症の値も下がったから、退院したいと言ったら、ドクターに笑われた。これは、あきれられたということかな?深く考えなおした。ドクターやパートナーは、私の病気のことをなんとか治そう心配してくださっているのに、私は仕事や趣味のことばかり優先して、キチンと治療に向き合ってなかった。生き方を変えなきゃと思います。これからは、治療が第一。もうすぐがんが
今日は抗がん剤の日でした先週は血液検査に問題ありでしたが、今回は何の問題もなく無事に点滴出来、ロンサーフを処方してもらい帰ってきました今日も点滴している間にソーシャルワーカーさんが来てくれて、話を聞いてくれました正直何も解決はしないんですが、気にかけてもらえるだけで有り難いです2月になってから、ブログをフォローさせて頂いていた方が3人もこの世を去ってしまいましたずっと更新がなくて心配な方や、とても辛そうな日々を送っている方もいます闘病のブログなので、お別れの時がきてしまうのは覚悟の上
お盆休みで、検査、治療が進まず、1週間以上、悶々とした気持ちで自宅で過ごす。滅入っているせいか、じっとしていても胸と背中に痛みを感じるようになった。風邪でもないのに鼻水が出て、鼻をかむ。声に力が入らず、時々かすれるようになった。じっとしていられなくなって、気晴らしに外に出てみるが、気が晴れることもなく、すぐに帰宅し、ダラダラとスマホを眺める。何も手につかない…そして食道がんのことをつい調べてしまう。難治がんのひとつ…5年生存率がよくない…手術は、大変恐ろしい内容で、考えたくもない…
ブログを見ていただき有り難うございます。がんの告知から5年目を迎えるにあたって心境の変化が色々あったような気がします。誰でもがんといわれると強い衝撃を受けると思います。「頭が真っ白になった」「病院でがんと告げられた後に、どうやって帰ったのか覚えていない」状態でした。また「がんであるのは何かの間違いだ」という否定の気持ちでいっぱいでした「何をやっても無駄だ」という絶望もしました。次に困難を乗り越えることができるか。ネットかじりつき、何とかならないか必死に検索しました
ブログを見ていただき有り難うございます。丸三年を迎え、4年目に突入しました。3年前の絶望の淵から、今では考えられない状況です。5年生存率が5-6%と言われた事に愕然としました。現在の治療の状況はTS-1を2週間投薬、2週間休薬のサイクルです。3か月に1度位、CTの検査をしています。特に肺、副腎とも腫瘍の増大は確認できず1年間、現状維持が続いており、日本の医学に感謝、感謝です。プライベートでは、結婚し、私の中では今年最大のニュースでした(笑)長くは生きれな
(ボランティアの『にこにこトマト』さんの手品)2月5日は余程落ち着いていたのか記録がありませんでした。なので整理の意味も込めて病気を発見した直後の検査の状態を書き記しておきます。この広い袋のようなものが憎き「骨肉腫」という悪性腫瘍です。縦の直径は12~13cmの大きさ大人のこぶしぐらいの塊が左骨盤の内部に入り込んでいます。ただでさえ骨肉腫は若年者に発生することが多く骨に発生する肉腫は非常に数の少ない希少がんの代表だそうです。しかも、来望の
私がイメージする抗がん剤の副作用は、髪の毛が抜けることはもちろんだけど、吐き気、食欲不振、痩せていく。他にもいろいろあるけど、ダンナの副作用にはビックリよ。検査の画像と数字の結果だけで「すい臓がんステージ4」と言われたダンナ。当然、いまだすい臓がんの自覚症状は全くない。今まで健康だと思って過ごしていた人が、急に抗がん剤を投薬されるわけよ。もちろん、この治療はダンナが自分で選んだこと。初回のフォルフィリノックス(FOLFIRINOX)療法の二日目から副作用が始まった。
今年も残すところ、あと3日になりました思い返してみると、去年の年末はもう来年は自分はいないんだろうなーと思いながら過ごしていたのを思い出しますスキルス胃がんステージ4が発覚して、早1年4ヶ月…💦ネットで検索すると5年生存率4%とか出てくるものとかまであるしなー今年は抗がん剤が効かなくなって変えたり、卵巣取ったり、人工肛門にしたり…腫瘍マーカーも上がったり下がったり。CTも良くなったり悪くなったり…。一つ言えることは少しずつ悪化してるってこと…でもねまだ、使える抗がん剤がある仕事楽し
外はあいにくの雨。仕方が無いので室内で筋トレをする。トレーニングを終え、着替えとシャワーを済ませた後に、しまってあったノートPCを引っ張り出して、データの書き出しを行う。前から行っていたデータ整理がひと息着いたので、今日から書き出しでBlu-rayDiscへ焼いて行く。しかし、データの量が多いので書き出しが全然終わらない。11時ごろから始めて、最初の一枚を書き出しているのにこの日記を書いている時点でまだ終わらない。一昔前のDVDの書き出しや、最近なら動作の早いSSDへの書き出しに慣れる
私は理系。高校の時も数学は得意だったし、大学生のときバイトで塾で教えてたこともある。確率の問題も好きでした。でも今はどうなんだろうと思っています。確率はただの数字で、なってしまえば本人にとっては100%なわけです。35〜39歳で癌になる確率900人に1人=0.11%大腸SMがんでリンパ節転移している確率10%以下ステージ3a直腸S状部がんの5年相対生存率85%→亡くなっている確率15%(私の場合、もう少し悪くない確率だとは主治医も言いますし、文献読んでもn数少ないながらもそ
「リーバイスのGジャンが欲しいので、アウトレット行かない?」って、一昨日誘われて、一時退院中の彼と昨日デート♥♥知ってるよ、今日が私の誕生日だから、誘ってくれたんだね(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾Wacoalで、下着をプレゼントに買ってもらったよ。お昼もごちそうしてもらったけど、向こうは食道狭窄で食べれないし、私も食欲ないしで、大量に残しちゃった( ̄▽ ̄;)でも、楽しかったよ、優しかったよ👩❤️💋👨時間が永遠に止まれと思ったよ。大昔、20代前半の頃、彼に腕枕して貰って寝て、遠恋だから
検診は大切でした。2年以上、様子見をしていたら大変なことになっていました。嫌なことには、目をそむけるのは駄目ですね。大きく後悔、反省しています検便で2回のうち1回が陽性。これを2年連続。さすがに2回とも陽性なら再検査に行ったでしょうが。タラレバが得意な私。あの時に再検査に行っていたら、行っていればまさかの5年生存率2割位?未だに夢かと思ってます。目をそむけたい
私は、ダンナがすい臓がんになってから、なんでもいいから記録として残すため、無印のフリースケジュール帳、ノート・ウィークリーに書き込んでいる。自分で日付を書き込んで、いつからでも使い始められるフリータイプなスケジュール帳。A5の大きさで、邪魔にならない。自分で日付を書き込むので、途中で書かなくなっても、無駄な空白ページを作らずに済む。もちろん表紙に題名なんか付けていない。事務仕事の合間に、前の日の出来事をちょろちょろっと書く。そう長くはないこの生活、忘れないように書き留めておこう
こちらも→すい臓がんの夫をもつ妻第一話ダンナの朝は忙しい。まずは洗濯機をまわす。家じゅうのごみを集めてまとめる。ごみ捨てついでに朝のウォーキング。ちなみに私と子供たちは、これを徘徊と言ってる。用意してあるおかずを自分のお弁当箱に詰める。洗濯物を干す。お風呂を洗う。食べ終わった家族の食器を洗う。ちなみに夜も食器を洗う。寝る前に米を研いでタイマー掛ける。私はダンナより遅く起きてから、お弁当のおかずを作って自分の支度。念入りにヘアアイロンをする。厚化粧に見えないように
こんにちは先日、5回目のTC療法を受けてまいりました。前回より減量になっていましたが、きっとできないに違いないに違いないという勝手な確固たる自信を持って挑んだところ。「貧血傾向ですが今回問題なく打てますね。次回診察までに貧血が改善していなければ、輸血をしなければなりません」「ゑ。先生、今日、絶対にできないと思って今週めちゃくちゃ予定ぶっこんじゃったんですけど」「大変ですね〜、でも打てるんで大丈夫ですよ〜。お引っ越し楽しみですね〜」☜絶対思っていない声でしたそう、実は私、引っ越しを
夫が亡くなったことを伝えるとき、私はほとんどの人に、肺の病気で……と言ってきました。おそらく大半の方は、肺がんを患っていたと思われたことでしょう。夫は2012年の秋、肺アスペルギルス症と診断されました。(他界する約10年前のことです。)このブログは闘病ブログのつもりでもなく、夫が亡くなっている今、今さらながら病気の詳細について綴ることはやめようと思います。なので、簡単に……肺アスペルギルス症は、アスペルギルスというカビによる肺の感染症で、5年生存率は約50%と言われる、予後不良な病
術前、小細胞癌と言われたときまず初めにしたこと。レッツ検索小細胞癌とうつだけで小細胞癌予後小細胞癌生存率小細胞癌悪性度Googleさんは、勝手に予測変換してくれちゃうから・・なんだろう、この不吉なワード達は・・・検索をかけている指がどんどん重くなっていく・・でもこれは、肺がんのことかな・・?そうだ子宮頸癌ってワードを足してみよう!とさらに検索をかけてみると・・2b期の5年生存率0〜16%なんて文字が目に入ってきて・・その瞬間に携帯の画面を消しましたもうこれ以
2022年9月5日(続き)さて、私は仕事中に母から「父が胆管がんの疑いあり」とのLINEを受け取った。“がんって言っても、最近は治ることも多いよねえ。でも、胆管がんって聞いたことないなあ。”と思いながらネットでググると、5年生存率20%の厳しい癌という情報が出てきた。(今はもう少し確率が上がってると思います。)”あっ、これは絶望的だ!“母に詳細を聞くために電話したんだけど、ボロボロ泣けてきた。母のほうは、父の兄が胆管がんで亡くなったことを知っていたので、先生に説明