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お泊り2泊明けての朝です。朝、6時の、検温、その後処置、チューブからのお薬が入り、ちょっと、直接、胃に入るせいか、ゲップが出るような、昨日の朝と同じような、事が起こった後は、お腹に薬でも、物が入ったからか、ぐっすりと寝てます。この施設は、まだ開設から1,2年しか経っておらず、とてもきれいです。主人はその点、今までの入院生活の中で、恵まれてました。事故を起こした後、搬送された病院も、その後、摘出手術受けた病院も、有名病院も、その他、小さな、胆嚢取ったりした病院も、全てキレイなところばかり。
45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年2ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこども>
ゴーグルマスクビニールエプロン手袋をして旦那の病室に向かう部屋に入るとベットに横になっていた旦那は頭だけを上げおっ(ºロº*)✋という顔をして微笑んだ看護師さんが奥さんが見えましたよー!良かったですねー!というとん?•́ω•̀)?ちがうよ…と首を横に振りか細い声で呟く…まぁ…仕方ない(´・_・`)💧4ヶ月口から食べ物を食べれてないその姿はだいぶ痩せて目が大きくなってでもその目はどこか生命力を感じる強さを感じたガムガムガム……
仕事が終わり買い物をしている時主治医から電話がきた今週鼻の管を抜こうと思ってたんですけど管を抜いてすぐ病院食を食べたとしてもしもその段階で窒息とか肺炎とかなることをこちらとしては避けたいところであってまずは家族さんの方でご本人が好きだったものを食べさせてあげたらどうか…とうちの看護師達と話し合いまして…今までお義母さんが面会に来てくれた時色んな差し入れを持参してくれてたにも関わらずもしもの事があったら…という観点からお持ち帰りし
こんばんは。←おはようございます。昨夜途中で寝落ちしてしまいました。なので昨日の内容のままです。27日月曜日、本日から本来は通所生活介護施設へ行くはずだったけど、まだ本決まりではないと言われ、25日土曜日には、顧問医の先生の診察を受けました。先生はまぁ良いでしょう。ここの施設が合う合わないはあるかもしれないけれど、気に入って貰えたなら、事務方と話してどーぞ。と言ってくれた。もう1人のお試しの人が来るらしく、今日は難しいと言われていたけれど、今日から本格通所で話が進んでるからなぁ今回は完全
先週、旦那が実家に滞在し、約1週間の母子生活。それが終わり、義理家に旦那を迎えに行ってきました。義理家に行くの嫌だったけど、なんとかやり過ごしてきましたしかも、行くの嫌すぎて、行く前に寝たりして現実逃避したから遅い時間になり、結局泊まらせてもらうことにまでなりました久しぶりの旦那は時間感覚は余計狂ってたけど、大人数の家族の中だったから日中も誰かしらと出かけたりして、良い時間になってたと思う泊まってみてやっぱり実感したんだけど。お義姉ちゃんはやっぱりしっかりしててすごい。早くに結婚・
昨日のぶっかけうどん弁当は大好評でしたー味玉を割る時周りの友から歓声が上がって盛り上がったらしいこの夏活躍間違いナシだわさぁ!お弁当作り行ってみよーチリコンカンズッキーニソテーキャロットラペ金時豆を入れすぎたチリコンカンです一袋ザバーッと茹でてしまってたっぷり出来た金時豆をえいっ!と全部入れちゃって案の定私はお豆🫘好きなんでま、いっか今日も朝から頑張りました私
昨晩は21時~朝5時まで寝てくれた本人も久しぶりにぐっすり身体を休めたし、私も久しぶりに眠れた。この時期は新生児を育てているような生活だなと感じていた。昨日経管栄養を抜去してから、食事の量が心配されたけど、食欲もあり持ち込みのものを食べている。この頃はとにかくいちごが食べたいと言っていて家族やお友達からいちごの差し入れをいただいたな。私も病院を抜け出して、近所のスーパーまで車で走って買いに行ったな。休日でリハビリが休みだったので脳トレやアプリで学校の勉強をした。ちゃんはビノバ
通信制高校の授業は週3日程度。1日2、3時間。内気になってしまったみいは、なかなか周りの子に゙しゃべりかけられないと落ち込んでいます。登校するたびに、今日も話かけられなかった、と聞くたびに、気持ちが落ち込む私。うーん、代わりに行って誰彼となく話かけてライン交換でもしてあげたい気分一緒に過ごす時間が極端に少ないクラスメートと、なかなかお友達にはなれないのはわかります。授業や部活、課外活動など、膨大な時間を一緒にいて、なんとなく仲良くなり、お友達ってできていくものだよねえ。そういう意味
2017/10/20主人が入院して翌日ICUの面会は時間帯が決められているそれなので一番最後の17時からの時間で行った会社に休みをもらう主人の郷里に連絡する主人の友人に連絡する各保険会社へ連絡する諸々しなくてはならなかったからその時間になってしまった何事もなくするすると入れ主人のそばに行くと意外にもただフツーに寝ている主人がいた顔つきもフツーホッとした声かけて昨日のことを聞いてみると「俺なんにも覚えていないんだ」という「え?長男と買い物行
この日精神科へ転院になった隣の病院なので精神科の方で車を手配してくれ無事に戻ることができた。仕事が終わってから精神科の主治医と面談『転院先主治医との会話【全文】』※長文です💧※診察室にて。娘同席。(先生)肺の方はだいぶ良くなったんですよね…それで…今後どうしようかなーと思って。きっとまた繰り返すんじゃないかなー…ameblo.jp内科の主治医が精神科の主治医へ病状や家族の思いをお手紙を書いて頂き伝わってるようだったが今一度…伝える。胃ろうや延命治療は希望
片麻痺の皆さん、ボトックスが世界最強猛毒である事は、完全に誰しもがお分かりだと思います。その猛毒は3ヶ月ほどで効果が切れるという事で、無傷で、リスクが無いと、思われてるのでしょうか?確かに生命の直接的なリスク、生活が失われるような直接的、瞬間的なリスクは無いかもしれません。そもそも片麻痺によって、生活の直接、瞬間的なリスクには既にさらされていて、そこから脱却するためにボトックスに賭けているわけですし、では、リスクは無いから、やれるだけやりまくれば良いという事なのでしょう。か?しかし、それで、
昨日の夜は今までで一番まとまって眠れた(3時間くらい?)定期で鎮痛剤を入れてもらうようになってから痛みの訴え、発熱が落ち着いて本人も少し楽に見える。感情失禁なのかちょっとしたことですぐ泣いてしまう。易疲労性もあり、少し何かすると疲れてしまうよう。今日は本人リクエストのいちごを2粒食べた。2粒を8等分にしてちょっとずつ。体動は激しく時折柵に足を打ち付けたりするので声掛けは必要。リハビリでは今日はリクライニング車椅子で離床したこともあり少し長めに乗れた。でも、本人は号泣…。
信じたくない自分とどこかものすごく冷静な自分がいて、すぐに119番通報をした。消防指令室の方から聞かれる質問にも冷静に受け答えをしていた記憶がある。「今から10分かからず到着します」と言われ、救急車を待つ間、仕事道具から血圧計やパルスオキシメーターを取り出して血圧を測ったり、パルスオキシメーターで酸素濃度を測定し、恐怖で泣いている息子に「大丈夫だからね」と声をかけ続けた。10分もしないで救急隊が到着。自分が測定したバイタルを書いたメモを渡し、今までの状況について説明をする。すぐに救急車
今日は身体障害者になって、両親と初めて近所の牛丼屋に行った。こないだ、コーシー屋に行けたから、1人で行ける牛丼屋無いかな?って思って両親に付いてきてもらった。外から見てたら、1人で入れそうだったけど、1人で車椅子だと、牛丼屋の扉にゴンゴン事件して、店に迷惑になるな。って思った。自動ドアと引き戸?スライド扉?との二重だったんだけどね。押しど引き戸だと不可能だな。でも、店員さんは、行きも帰りも外まで見送ってくれた、スーパー丁寧な店員さんだった。牛丼は、ひさびさに食べた。店屋では10年
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
あまりにも、気分の悪い話で書くの嫌だなぁ〜と思ってひと晩たったんだけどやっぱり、記録にしとこう先日の脳外科の請求書と一緒に、届いたのかbooさんの給与明細書ずっと自営業のbooさんいまは、震災、病気、コロナと打撃が続き、ほんと、仕事がなくなりずっと家で寝てるで、とーきどき、なにか呼ばれ月に、4.5万入れてくるかこないか、のbooさんもうこれも、病気だからしょうがないよねーとあてにせず私が、wワークし息子ふたりが、バイトしてくれて自分たちの小遣いは、ちょ
『脳卒中はある日突然に起こる』ということはわかりきっているつもりだった。かくいう私は総合病院に15年以上勤務したリハビリ職。それこそ脳外科病棟を中心にやってきて、今も脳卒中後のリハビリに携わっている。でも。まさか我が子が。である。その日は日曜日で、コロナ禍があけて5年ぶりの家族旅行を1週間後に控えていて旅行に着ていく服や靴を買いにショッピングモールに日中出かけた。帰ってきてからもSwitchをして盛り上がり、宿題に大苦戦しと変わらぬ日常だった。夕飯の準備の間にお風呂に入ってもらい
前回の続きです↓『義理家へお迎え①』先週、旦那が実家に滞在し、約1週間の母子生活。それが終わり、義理家に旦那を迎えに行ってきました。義理家に行くの嫌だったけど、なんとかやり過ごしてきましたしかも…ameblo.jp義姉からされた提案。。『今すぐ、、ってわけじゃないけどさぁ、、』。。キットクル!!嫌な提案が。『今回〇〇(旦那)見てて、私たちに何が出来るんだろうって、すごくすごく考えてさ。そしたら、やっぱり近くに住んだらもっと私たちも預かったり出来るんじゃないかって思って。。』ほらき
もしかしたらの話ですが主人はたった一年間のオプチューン生活があったから今も存命なのかなー、と思います(勝手な自己解釈であることを、ご容赦を)摘出手術放射線治療抗がん剤テモダール1年間(これはオプチューンと並行してやりしました)は他の方もほとんどやられてると思います違いはオプチューン治療かと有名病院で摘出したものを病理検査に出し余命1.2年と告知されたのは2018/1月頭でしたもう生存率5年は5%の中にしっかりと入っています6年目ですホント本当に
ここの所、夜は冬の布団が恋しくなりました。寒暖差が激しいですが、元気にお過ごしでしょうか?私は仕事に行きながら夫の介護も。昨日も職場で強力な蚊に靴下の上から刺されました。笑夫は昨日と今日は職場の都合で仕事はお休みです。今週は2日しか出勤しません。障害者雇用なので不定期に休みになります。そんな感じで、夫の見守り介護の場所探しも続いています。うちは娘(長女・次女共)と夫の折り合いが昔から良くないので、子供と夫を一緒にすると必ずと言っていいほど揉めます。これは何十年間の夫と子供達との
27歳、脳みそがちょっとなくなって記憶の障害のある私です。今日は「コロナ後遺症」について書いてみようかな、と思います。このブログを読んでくださる方の中にも「それって、コロナ後遺症じゃないの?」と思っている方がいるかもしれません。実際に、「コロナ後遺症じゃない?」「ワクチンの影響じゃない?」と言われること、結構あります💦テレビのニュースでもよく取り上げられている話題ですが、今のところ、コロナ後遺症とお医者さんからは言われたことがありません。記憶障害の
夜は何やら「こわい、こわい…」となかなか眠れず。朝しっかり目が覚めたら「○○ちゃん(近所の6年生)春休みが終わったらもういないの?」「○○(旅行先)に行きたかった」と泣いている。発症当初、目が覚めてからしばらくぼんやりしていたけど、少し顔つきもはっきりしてきているように見える。まだ経鼻チューブ中だけど、本人リクエストのおにぎり、マーボー豆腐、いちごを少しずつ食べた。嚥下障害は喉の症状というよりは認知期の問題が大きそう(ボッーとしてるのに口に入れてむせる、麻痺側からこぼれでるなど)今日
先週日曜日のことですが次女と出掛けて来ました。夫は施設へデイサービスをお願いしました。肌掛け布団と食料品です仕事守も持って行きました次女に持っていく荷物を抱えて、電車に乗り次女のアパートへ。暑くなってくると思い、夏の肌掛け布団やリクエストの素麺、煮卵を作ったので保冷バッグに入れて持っていきました。次女のアパートに着いて、持ってきた荷物をしまってから次女おすすめのトンカツを食べに行って来ました。トンカツのお店に着いたら16組待ちだったので、順番待ちの予約をして近くのスタバで時
泊まり2泊目です。なんだか、主人はスッキリした顔。痩せ細ったせいか、それとも、少しよくなったのか、ほんとに小さかった目が、パッチリ開いてます(笑)翌日2023/11/15会えないことになるのは、承知の上で、息子ふたりと、有名病院に行きました。有名病院に転院になったってことは...、わかります。再発したってこと...その有名病院には、ガン患者しか、いないのだから。これまで、伴走してきたのだから、そのぐらいわかります。でも、まだ生きてはいるのだろうと、動けるのだろうと思ってました。
ウチの主人がオプチューン始めたのは2018/03の末のこと身体が、ガタイがいいので機械を每日持ち歩くことも出来るのではないかとのことでやってみると勧められ始めました有名病院で主人が初めてでしたなので、皆が、興味深々でしたねそれからいろいろな事を試行錯誤しながらやりました困ったことは、髪が2.3ミリでも伸びると頭皮とアレイの間に隙間が出来ることでショートし「痛って!」と本人なることに苦戦私も夜中に隣に寝ていてその「バチッ!」って音で起きるほどでした。あ
翌日一睡もできないまま朝を迎えた。ひたすら病院からの電話を待つ。午前中、主治医の先生より電話があった。脳圧は昨日より低下している。脳室ドレナージは不要。午前中のCTで血腫はほとんど残っているが、それは想定内。麻痺は重度とまではいかないのではないかと思っている。午後より原因探索のために血管造影を行うことを告げられた。午後より面会。人工呼吸器に繋がれ、鎮静がかけられているため眠っている息子。看護師さんから目が覚めた時不安にならないように家で使っていたもの、好きなもの、写真など
十二日目夜久しぶりによく眠れた。ただ大失禁で夜中看護師さんと全て交換でしたが日中はリハビリが二回に増え、しかも泣かずに車椅子乗車ができた午前中は装具をつけて歩行練習も3回頑張りました。午後からは作業療法士さんのリハビリ。補助手以上を目指して頑張ろうねと言ってもらえてもすこし気持ちが前向きになれた。少しでも何かすると耐久性もなくうつらうつら寝てばかりいたけど、この頃から起きている時間が長くなってきた。その分注意障害っぽい空気感も漂っている…十二日目朝の回診で先生と相談して鼻の管
こんばんは今日のお風呂はイヤイヤ文句タラタラでしたがなんとか入った主人です先日はノリノリでもっと長く入りたいと言っていたのに…このグズグズのお天気のせいかな高次脳機能障害…過去にはお天気に振り回されていました「雨ならデイケア行かない!」ってね今はどこにも行かない、行かれる状況ではないですが…さてさて主人は後遺症により歩けない、食べられない(嚥下、摂食障害)失調、感覚障害、胃ろう要介護5、高次脳機能障害、短期記憶障害構音障害、全介助の主人を在宅で妻がみていますなのに