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2023年8月27日〜31日の3泊5日のダナン旅行記です!【4日目】↓前記事はこちら『2023/8【ダナン】⑩ホイアン〜その3〜小舟に乗って灯籠流し体験&カオラウを食べる!』2023年8月27日〜31日の3泊5日のダナン旅行記です!【3日目】続き↓前記事はこちら『2023/8【ダナン】⑧ホイアン〜その2〜街歩き&チケットで見学…ameblo.jp3泊5日なので、この日が最終日です。朝食後、荷物をまとめて、チェックアウト。お世話になりました〜成田行きの飛行機の時間は、23:1
見取図です。これまで4つの砲座と地下弾薬庫Aを見てきましたので、続いては「地下弾薬庫B」を見ていきます。連絡通路を下りていきます。階段を下りてすぐ左手に「地下弾薬庫B」の入口がありますので中に入ります。作りはAと同じですが、内部にいい感じで明かりが灯っています。奥の天井に揚弾井の丸い穴が見えますね。3つ並んだ窓のうちの一つ。灯り置きです。次に「地下弾薬庫C」に行ってみます。AとBはまったく同型で階段の配置も一緒ですが、Cは若干異なります。前方に見えるのは第
ヒスイまるごとガイドブックには記載されていませんが、三条市下田郷史料館に行ってきました。ここにヒスイ大珠の展示があることは、出土したヒスイ⑥で紹介した三条市歴史民俗産業史料館を訪れた際にパネルの展示で知りました。実は、昨年訪れたのですが、目的のヒスイは何処かに出張展示中ということで、係の人は何処に出張しているのか、何時まで出張してているのか、分からないということでした。あれから暫く経ったので、里帰り展示されているかなと、先日のドライブの帰りに立ち寄りました。で、ありました。
※2023年12月1日書き直し後編では大石浦第一砲台を見に行きます。見取図です。第二砲台は2砲座2門でしたが、こちらは4砲座4門です。しばし歩くと切通しが現れますが、ここが第一砲台の入口となります。切通しを抜けると第2砲座と第3砲座が見えます。第3砲座です。大石浦にある6つの砲座には、いずれも弾室が設けられていません。第2砲座です。あいかわらず胸墻が低いですね。第2砲座後方にコンクリート製のスロープが残っています。このスロープは第2砲座しか確認できません
まずは見取図を掲載します。9㎝加農砲が2門配備された「砲座A」です。左側の加農砲据付部分です。床面には方形や弓型の凹みが見られます。なお胸墻の凹みは即用弾丸置場です。右側の加農砲据付部分を見ろしています。据付部分の用途を記してみました。ココに置かれたのは9㎝加農砲。こんなヤツです(お粗末w明治20年代半ばに制定された加農砲ですが、この火砲には駐退機が付いていなかったので、砲弾を発射するとその反動で砲ごと後ろに下がってしまい、次に撃つ時にまた元の位置に戻してやらないと
[国立公園鉄道の探索]上野原縄文の森地層観察館鹿児島県・錦江湾北岸のシラス台地上にある霧島市国分上野原では、1986年、工業団地を造成中に埋蔵物が発見され、その後の調査により、縄文時代前期から中世にかけての複合遺跡であることが確認されました。上野原の遺跡は「上野原縄文の森」と名付けられたられた歴史自然公園として整備されています。展示館では、発掘された土器なども展示されています。上野原遺跡では、縄文時代早期に造られたとみられる、貝殻で文様をつけ
佐瀬川堡塁は、東南方向から迫る敵上陸兵に対して防御陣地の拠点となるべく築城された堡塁でした。地図で場所を示します。佐瀬川堡塁の履歴です。◆起工:明治36年(1903年)5月7日◆竣工:明治37年(1904年)5月18日◆備砲:(低地)九糎加農砲6門、(高地)三十一式速射野砲4門◆設置標高:(低地)139.60m、(高地)152.50m◆廃止:大正3年(1912年)備砲全部撤去→昭和7年(1932年)3月・全部除籍◆参考リンク:「由良要塞の概略」はこちら→→→
▼自己紹介はこちら★1ペソ=約10円(当時)2005/2/23初遺跡ティオティワカンさてさて、今日はメインイベント。メキシコ最大の都市遺跡ティオティワカンへ行ってきた。シティからバスで1時間くらいのところにある。最初、日曜日は無料ときいてたのだが、それはメキシコ市民だけらしい。訂正しましょう、「歩き方」。ツアー客が来て混む前に見たいので、早朝6時半時に出発。2回地下鉄を乗り換え、バスターミナルでチケットを買ってバスに乗り、8時過ぎには着いた。
先月1年ぶりに友ヶ島を訪れましたが、新たに確認した遺構がありましたのでレポートします。友ヶ島第三砲台左翼観測所の東方150m地点に観測所と思しき遺構があります。史料で確認が取れませんでしたが立地的に第三砲台の関連施設と思われますので、「第三砲台の補助観測所」として書いていきます。なお第三砲台は4回に亘ってレポートしましたので下記をご覧下さい。==============・その1(地下弾薬庫)・その2(砲座)・その3(地下弾薬庫、掩蔽部)・その4(地上施設)・友ヶ島の施設概
[マッド・フラッドとタルタリア帝国]200年前に起きた「滅亡の洪水」地球上の人類が洪水により滅亡したという話は、旧約聖書の創世記に記述されてる。「ノアの大洪水」からしることが出来る。これが、教訓や作り話ではない証拠に、世界中に洪水伝説が伝えられていて、また先日のパキスタンを襲った大洪水で国土の1/3が水に覆われた事を思うと、天変地異により世界中でこのようなことが起これば、私たちの住む陸上は水に覆われるのだと痛感する出来事になった。ただ、「ノアの大洪水」に関して言うと、いつ起きたかは
佐伯海軍防備隊は呉鎮守府指揮下の呉防備戦隊の一員として、昭和14年(1939年)に開隊されました。大分県佐伯市に本隊を置いて特設駆潜艇などの特務艇を保有するとともに、島嶼部には防備衛所や見張所、海面砲台を配し、豊後水道の対潜哨戒・撃退を任務としました。◆昭和17年1月1日時点の編成防備衛所(甲):鶴見崎、高茂崎防備衛所(乙):大島、由良崎、芹崎、日振島、高島、鵜来島(工事中)、保戸島(工事中)海面砲台:芹崎、鵜来島機銃砲台:野岡山(濃霞山)仮設見張所:高島、水ノ子、深島、沖ノ島
この日は向かいの山、ワイナピチュへ登ります。あ、ワイナピチュはこの山のことです。笑ここへは約往復2時間程の登山。午前中しか入場がありません。私たちは7時からの入場の為、朝の5:30のバスに乗車しかし、5時10分くらいにバス停に着いたのですが、やはりもうたくさんの人が並んでいました😂恐るべしマチュピチュ。笑それでも、2台目のバスには乗車でき、昨日とは違うルートからワイナピチュの入り口まで歩いて向かいます♪今日も晴れてるなぁーーー😂☀️しかし、ここの天気ホンッッッットにコロコロ変
■今週の【NHKのど自慢】は北海道遠軽町【芸術文化交流プラザ】から御送り致します。遠軽町の人口は約Ⅰ8,000人…"あなたの街のみんなのステージ"【NHKのど自慢】…司会の二宮直輝アナウンサーです。■本日のゲスト御紹介します。■ビタミンボイス三山ひろし君です。■初登場❗北海道出身★半崎美子さんです。盛り上がって参りましょう❗■ではトップバッターから…①合②不③不④不⑤合⑥合⑦合⑧不⑨不⑩不⑪不⑫不⑬合⑭不⑮不⑯不⑰不⑱不⑲不⑳合20人中…6名の合格です。■此処で遠軽
フェリンヌのブログへようこそ!こちらでは『海外のユニークな旅先ばかり』をご紹介しています。『私の旅づくりへの思い』はこちらへペルーといえば、行ってみたい世界遺産ランキングでは常に上位にランキングする“マチュピチュ(MachuPicchu)”で有名な国。そして“マチュピチュ”といえば「インカ文明」ですね。その担い手は、13~16世紀にかけて南米アンデス地方に栄えたインカ帝国です。特に“石造建築”に優れていたインカ帝国、あの“カミソリの刃一枚通さぬ”と称される精巧
4/14(日)日曜日今日は車で40分くらいのワーテルローの丘にある遺跡を見に行きます菜の花の元気色が広がる道やのどかな畑の風景の中をドライブやってきましたVillersAbbey広大な敷地には教会や宿泊施設、工場や牢獄など多くの建築物が点在していますがほとんどの屋根は抜け落ち崩れかけた壁や石塀が残るだけ気持ちのいい風が吹き抜けていきます12〜13世紀の最盛期には400人もの修道士が暮らしていたそうですが戦争やフランス革命の後に廃止となってから放置されて廃墟
先日のブログ中でチラッと出てきた、タイでの出来事。せっかくなので記事にしておこう。以前、仕事でタイに3週間程度滞在した事がありました。その時に滞在したホテルがリゾート地にあり、色々楽しめた訳です。日中は仕事ですが、夕方以降は自由時間。海外滞在中は給料とは別に何やら手当も支給される。ただでさえ南国リゾートで浮かれているのに、お金の心配もしなくていい、となると多くの人は遊びたくなるのではないだろうか。と言うか、遊べと言われているような環境でした。当然私も周りの人達も、夜の街
THEDARKPICTURESシリーズ3作目となるHOUSEOFASHES(ハウスオブアッシュ)、プレイしました〜だいたいプレイ時間は6時間くらいかな?※ネタバレ注意↓↓↓今作の物語のあらすじ!舞台となるのは2003年のイラク。ザグロス山脈の影に隠れた地下化学兵器施設の疑いのある建物の調査を命じられるCIAエリート部隊。そしてそれを待ち伏せをするサリム・オスマン軍曹率いる現地パトロール隊。双方の争いの最中、突如地震が発生し地面が陥没、彼らは地下深くに埋もれたシュメール神殿
こんにちは!2023年8月に親子でハンガリー🇭🇺に移住した、まじゃるはなですブダペストにある、ローマ史跡Aquincumかつてのローマ帝国の州都がここブダペストにもあったそう。2年前にトルコのアルタルヤでローマ遺跡の魅力に取り憑かれ…ここハンガリーでも当時の街の遺跡がかなり完全な状態で残っていると聞いて行ってきました教会や浴場、水道設備や市場など、所々に解説があってわかりやすいです。確かに、広くて、よく形が残っている…古代都市ミュージアムもありますhttp://www
オフ会の常連様から興味深い動画を教えていただきました。熊本にあるトンカラリンという遺跡についての動画です。https://www.youtube.com/watch?v=dcDYPUH-AtM【謎の遺跡トンカラリンの正体を調査せよ!】トンカラリン遺跡は、熊本県和水町にあるトンネル型遺構です。江田船山古墳がある清原台地に位置し、全長は464.6メートル、自然の地割れや人工の石組暗渠で構成されています。「トンカラリン」という不思議な響きの名称は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」
アメリカのテキサス州ダラスから直行便の飛行機3時間で行けちゃう、メキシコのビーチリゾート…カンクン!!予想通り最高だったので、必ずリピートしようと企み中です今回は、今後の滞在のための下見として、2つのビーチリゾートエリアに宿泊しました。カンクンホテルゾーンとプラヤデルカルメンどちらも素晴らしいのですが、目的や状況に合わせて選ぶことで、より楽しみ尽くすことができると思ったので、違いをまとめてみました。⬛︎カンクン国際空港からのアクセスカンクンの方が高いけど、差は20分程度。カンク
昨年の11月に地鎮祭を行った時の事です。祈願の途中で東側から人が数人いらっしゃいました。姿ははっきりしませんでしたが、数人が一例になって来るのは、分かりました。「屋敷墓地でも東側にあるのかな?でも、東側だしな?」と思いつつ、災いをもたらす方たちだとまずいので、故人を鎮める真言やもう一度結界を引き締めました。地鎮祭が終わって地鎮祭を依頼してきた信者の大工Aさんに見えたものの話しをして「東側の工事は特に気をつけください。」とお願いしてきました。最近、この地鎮祭で家を建てたBさんがいらっしゃ
※2023年12月21日に書き直し上見坂(かみざか)堡塁は、対馬中部の厳原町上見坂の標高390mピーク周辺に構築された陸正面防御の堡塁です。「佐須阿連、小茂田及び厳原方面より侵入せんとする敵を防止し、根緒堡塁と相待って鶏知平原を援護」することが任務とされ、明治37-38年の日露戦争では戦闘配置に就きました。◆起工:明治34年(1901)8月1日◆竣工:明治35年(1902)11月30日◆備砲:九糎加農4門、三十一年式速射野砲(※諸説あり)4門◆設置標高:390m/386m
2023年夏のヨーロッパ旅行記の続きです。ザルツブルグからウィーンに戻りオーストリア航空でローマへ移動してきました。『⑪ザルツブルク最終昼のラウンジのヌシ~ローマへ移動』長く続きましたザルツブルク旅行記も今回で最後となります。激寒でもとってもいい所だったザルツブルクの雰囲気が少しでも伝わりましたら嬉しいです…ameblo.jpローマ着が深夜になるので危険と言われるテルミニ駅は回避ファウミチーノ空港から市内のホテルまでタクシー定額で50€
先週末、タイは3連休でした。せっかくなら観光に行きたいと息巻いてアユタヤ半日観光ツアーに申し込んだのですがいざアユタヤのことを調べてみると行くときはティッシュなど持参で行くのが良い、という記事を見つけてそうか、トイレ事情・・・まったく考えていませんでした。バンコクにいる限りは日本と同じように暮らせると思っていたのですっかり。アユタヤはバンコクから北へ車で1時間ちょっとかかる場所でアユタヤの遺跡がある以外はショッピングモールだとか商店街なんか
<先史の巨石文明遺構多し>ミステリアス・シリーズ第5弾は四国を中心に、岡山、広島、三重県の巨石を紹介する。今まで同様、直近2年間に当ブログで紹介したものは除く。また、「ミステリアス」を冠しているように、大きいだけの巨石は取り上げない。(1)巫女岩(徳島県牟岐町)人食いヒヒや鬼の伝説のある「鬼ヶ岩屋」(岩名兼、山名)について以前、触れたかも知れないが、この山は兎に角、登山コース沿いに割れ目のある岩石や巨石が多い。その中の「巫女岩」というものは、形状的には古墳の石室の組み石。しかし古
ごきげんようキラキラしていない海外生活を全力で楽しんでいる主婦なんしーよお見知りおきを>>>はじめまして最初に言わせて頂戴ねうちの娘はコミュ力が高くてね、小さい子から大人までいろんな人に好かれるわ人あたりも柔らかくとても優しいわ父譲りの天然が少し入っちゃってるけど、それが余計にうまく作用して可愛らしいわどこに行っても物怖じせず、プラス思考で明朗快活日本人として持っていて欲しい感性もちゃんと持ち合わせていて、と
阿武山地震観測所も見えます今回はこういうお題でいきます。かなり地味な内容になるので、スルーされたほうがいいかもしれません。さて、阿武山古墳は「あぶやまこふん」と読み、大阪市高槻市と茨木市にかけて存在します。阿武山の中腹にあり、阿武山自体は標高300mもない街中の低山です。この古墳、じつは様々な事情から、十分調査されないまま埋め戻されてるんですね。ですから、調査報告書なども出されてはおらず、詳細ははっきりしません。ある意味、不幸な経歴をたどったと言っていいかもしれません。まず
<1万年以上前の太陽信仰祭祀遺跡か>徳島県阿南市と美波町界に紀伊水道等の展望が優れた、車道化された明神山(441.6m)があるが、その西方の標高390mピーク付近、尾根上から阿南市側にかけて、先史の磐座があり、「天の磐座の峯」と呼ばれている。ここには数トンから100トン以上の巨石群があり、垂直の立石や、以前紹介した三重県御在所岳の負れ石のような巨大カロリーメイト風石、亀頭石(下の写真)等が確認できる。中には、大月町にある月山神社の御神体である月石に酷似した石(下の写真)もある。これは「岩船
※2023年11月27日書き直し芋崎砲台は浅茅湾南部の芋崎に構築された砲台です。湾口および湾内一帯を射撃して敵艦の侵入と碇泊を阻止することを任務としました。明治27-28年(1894-95)の日清戦争で戦闘配置に就いた後、明治30年(1897)から明治33年(1900)にかけて大改築を行いました。さらに明治35年(1902)にも改築されたのち、明治37-38年(1904-05)の日露戦争で動員されました。日露戦勝後の要塞整理議論において廃止砲台の部類となり、大正6年(1917)に防
我が教室の太極拳海外研修は“やまだトラブル”(トラブルはトラベルの語源らしいが)という呼び名が定着しているほどあれこれ起きます。でもトラブルが起こるたび思うのは宇宙が決めたスケジュールに合わせられただけなのではないかということ。その調整の中でもダントツトップに来るエピソードが、ヘイユマルカの巨石スターゲートに連れていかれたこと。ヘイユマルカのことはこちらで詳しく説明されてます↓謎過ぎる巨石遺跡ヘイユマルカの正体が判明しました...人類が知らない宇宙文明の存在と隠されていた地球外文明