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11月9日から抗がん剤治療のため一週間入院前日深夜、彼が突然会いに来てくれた。そして、彼の家に連れて行かれてしまった🤣「今日はどうしても、一緒に眠りたかった」「明日からの治療で絶対に不安になってるから、少しでも安心して眠れるように」朝、6時に起き、1時間かけて私を自宅に送り、彼はまた1時間かけて職場に出かけて行った私は、午後からの入院の準備をし、娘二人とわんこ二匹を残し病院に向かった。抗がん剤が効いて、癌が小さくなりますように🙏手術適応になりますように夕方、彼が来てくれて主治医
入院期間中の子供のお世話と退院後の生活について、夫と何度か話あっています。夫は双方の親や兄弟の手は借りたくないようです。先月、私が総胆管結石で5日間入院した時も一時保育を利用しつつ、仕事も行ってワンオペ育児を乗り切ってくれたので(↑めっちゃすごいと思います!感謝してます)今回も俺一人で大丈夫、と思ってるのだと思います。前回は大した手術でなかったので退院後にすぐ日常生活に戻れたのですが胃切除となると、ぜんぜん違うと思います。普段は夫は朝のオムツ替えと朝ごはんの準備をしてくれ
人間ドックは、毎年欠かさず受けていた旦那は10年前に事故で他界し、両親も兄も亡くした娘たちには私しかいない。そう思って、元気でいなくては、娘達を守っていかなくちゃと毎年健診を受けてきた。なのに、現実は胆嚢がんステージ4数年前から胆石があると言われ、少し壁が厚いかも?と人間ドックの診察時に言われたが、検診で定期的に観察しましょうと言われていた。だから、再検査を受けてなかった。あの時再検査を進めてくれたら。と、どうしても考えてしまう、、、再検査に行っていたら、、、手術できたのではないか
11月25日金曜日、2回目の抗がん剤治療初回はあまり感じなかったのに、抗がん剤の点滴の翌日から動き過ぎたせいか、日曜日の夕方からだるくて身体が動かない、、、😭身体の調子が悪いと、メンタルも落ちていき、日曜日からボロボロ涙が出て仕方なくなった。娘たちに病気を内緒にしているので、娘の前で泣くわけにもいかず、お風呂や夜中に一人で泣いていた。耐えられなくなって、日曜日の夜、彼のお母さんにラインを送ってしまった💦「辛くて仕方ない」、、、そんな事言われても、困ってしまうよね😅しかも、間が悪いことに
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
今まで3回アメトピに掲載していただきました。たくさんの方に読んでいただき感謝です。ブログ初心者なので、まだまだアメブロ覚えるところ色々あります。9月から始めて、まだ進歩はあまりありませんが、これからも宜しくお願いします。(多分、これからもメモ書きみたいなブログだと思う笑笑)『進行がんⅢ期って』1週間後から、抗がん剤の治療が始まる。未知の世界だよ~。私、どうなるのかな?まっ、なるようになるさ。昨日の投稿に病理検査の結果を書きました。…am
急遽決まった検査入院。審査腹腔鏡手術の説明を聞いて入院手続きをして合間に一時保育の空き状況の問い合わせをしてバタバタしていると全く悲しい気持ちにはなりませんでした。病院を出て、子どもを迎えに行って家に帰って、ご飯食べさせたりオムツを変えたりしていると涙があふれて止まらなくなってしまいました。私の予後は悪いかもしれない…腹膜播種かもしれない…この子が大人になるのを見届けられない…急な入院で夫にすごく迷惑をかけてる…親にすごく心配をかけてる…こんな私でごめんなさい…
大腸がん(結腸がん、直腸がん)の告知を受けた二児の母(私)主人娘12歳息子10歳認知症の義母一連の流れ、戸惑い、葛藤など書き留めます。大腸がん宣告後振り返り💩自覚症状💩検診で要精検の連絡が来た💌便潜血反応↓大腸内視鏡検査大腸がん進行がんの診断モニターにびらん状のガン出血あり🩸↓造影剤CT検査T2固有筋層にとどまる今ここ振り返ってみて毎年大腸(便の)検査は、陰性もちろん、去年も陰性私は、週に5.6回排便があります。旅行や朝バタバタすると4.5日
11月6日、今日が旅行最終日琵琶湖が見たくて、我儘を言って連れて行ってもらった。湖畔を少し散歩して湖を眺めて写真も撮った📷その後、神戸のアウトレットへ行き、入院中に羽織るカーディガンを買ってもらった💞9日から入院し、10日には第1回目の抗がん剤治療楽しかった旅行が終わり、現実に向き合う時間がやってくる。
突然のMRIの後、これでも確定できなかったので針生検も次の週にしてました。最初に異変を感じて50日目ついに結果が出ます針生検の時に貰った抗生物質を飲み改善した気がしてた私は、主治医の「具合どうかな?」という質問に元気よく「薬が効いたみたいです!」って答えたらみるみる表情が曇っていって「よくない結果が出てしまいました」「え」「………」「がん、ですか?」「…そうだね」意外にもその瞬間はあ、ガン。そっか。マジかぁ。みたいなただ、そこからの話聞いてはいたけどステージは?余命は?ばか
10月に総胆管結石になって完治はしたのですが、退院時に医師からは「hanamamaさんは胆嚢に小さい石がたくさんあるから、またいずれ再発する可能性ありますよ。根本的に解決するためには胆嚢摘出した方がいいですよ。消化器外科を紹介しますよ。」と言われました。2人目も欲しいし、もし妊娠中に再発したらまずいな〜仕事復帰してから再発して入院するのはまずいな〜でも腹腔鏡手術とは言えお腹切って胆嚢とるのは痛そうだし嫌だなぁ…乗り気にはなれませんでしたが、とりあえず、術
夫と子供と合流して外科医の診察を待ちました。私、先月で医療保険のガン特約をはずしてしまったよ〜失敗したなぁ〜とかくだらない話をしてました。少し待って呼ばれました。医師「断定はできませんが胃がんの可能性が高いです。CTの結果を見る限りは転移はなさそうです。結果が出るまでにご主人やご両親ともよく話しておいてください。胃を全摘すると生活は大きく変わると思っておいてください。お子さんも小さいので入院中のサポートをどうするか考えておいてください。2週間後に手術予約をしておき
悪魔の花嫁、という漫画をご存じであろうか。私が小学生だったジュラ紀、貪るように読んでいた不朽の名作悪魔と一人の美少女のエピソードを軸にそれぞれ悪魔と関わる不幸で悲しい人たちの話内容詳細は各自確認していただくとしてその中でどうしても忘れられない話がある。舞台はサーカスの一座美しい空中ブランコ乗りの男がいて老座長の孫娘は彼に夢中だけれど彼はとても悪い男老座長は孫娘にはサーカスをさせず町の学校に行かせて良い暮らしをさせたいと願っている孫娘はどうしても男に振り向いてほしくて
来週の検査までの気分転換にクリスマス飾りのワークショップに参加してきました。生の木を束ねたスワッグという壁飾りです。初挑戦なのにうまくできて大満足の自画自賛。最近は時間があれば胃がんのことばかり調べていて検索履歴は[胃がん]ばっかり小林麻央さんもブログでがんに捉われずに生きる、というような事を書いてらっしゃいましたし、私も一日中がんの事ばかり考えるのは良くないなぁと思います。32歳で胃がんで亡くなった黒木奈々さんの本↓を読みました。未来のことは未来の私にまかせよう
CT検査の日。朝から子供を一時保育に連れて行ってバタバタと病院に向かいました。CTの造影剤は何度目かですが特に気分悪くなることもなくあっという間に検査終了。あとは、午後の診察を待つばかりでした。リンパ転移が無ければいいな…噴門側切除ができればいいな…と考えてました。夫も病院に到着して診察室へ。先生が説明のためにまずはじめに見せてくれた画面はバリウム検査のものでした。主治医「胃の上部から下部にかけて膨らみが足りないんですよね。あと粘膜がギザギザに写っていて全体的
熱田神宮を参拝後、彼の職場のオーナーさんおすすめのお店で味噌カツを食べた😋🐷キャベツもりもり、美味しかった〜😋😋😋その後、デパートに彼の時計を見に行った私の病気がわかった後、やりたい事リストを作った。その中の一つ「機械式の腕時計⌚️を買う」を実行するためだ。機械式なら、メンテナンスをしていけば、ずっと使い続けていける。私を忘れないでいて、、、なんて、言ってはいけないのかもしれない。彼を縛るようなこと、してはいけないのかもしれない。なのに、私は、、、。彼を縛ろうとしてるのかいな
11月3日朝、彼が迎えにきてくれてまずは結婚指輪💍を取りに行った。その後、伊勢へ私の体調を気にしてくれて、のんびり休みながらのドライブ🚙今日の目的地は、夫婦岩🪨夕方、ホテルに着いて二人で歩いて夫婦岩へ。日本海とは違う、穏やかな海二人でこんなふうに旅行できるのは、もしかしたら最後かもしれない、、、と、つい考えてしまう。夕焼けの空を見ながら、涙がでてくる今回の旅行は、二人にとって特別。たくさん写真を撮って、たくさん想い出をつくるずっと忘れないように。ずっと一緒に頑張って生き
今から。10年以上前の当院での診療のことですある女性、当時70歳くらいだったか??記憶が定かでなくてすいません・・初診で来院されて、いきなり「胸がこんな感じで・・・においが気になります。周囲の人に迷惑になるのでは・・・どうにかしてください」という感じの訴えだったような記憶です。早速、拝見してビックリ!!左乳房がほぼありません。えぐられたように皮膚潰瘍になっていました。そしてほぼ腐っている(壊死)状況で悪臭を伴っていました。乳がん(進行がん)と一瞬で判断で
11月5日、今日はドクターおすすめの熱田神宮へお参りです。七五三シーズンのため、可愛らしい着物姿のお子さんがたくさん☺️履きなれない草履を履いてちょこちょこ歩く姿に癒されます💖二人でたくさんお祈りし、信長塀にもたくさんお願いしました。娘の合格祈願の絵馬を私が、私の病気平癒祈願の絵馬を彼が書いてくれて奉納しました。彼の真剣な姿と彼の書いてくれる言葉を見ながら涙が出てきて、彼に笑われてしまいました🤭きっと、神様は私たちの願いを聞いてくれるそう信じています。
無理を言った形での2度目の胃カメラ検査では、ヨード染色(通常は茶色く染まりますが、がん細胞はヨードに染まらないため病変として認識しやすくなります)をしながら、3箇所の生検を実施。生検の結果は2週間後にわかるとのことでした。不安な気持ちを抱えつつ、「考えても結果は変わらない」という気持ちと、「とは言え、がんであった時の準備はしっかりしておかなければ・・・」との気持ちも湧き、がんの診断がされた時に診てもらう病院探しを本格的に実施。妻が、かなりの時間をかけて、食道がんの
副院長先生と主治医の許可がおり、11月3日からの旅行に無事に行けることになりました🤩🙌腹痛や発熱があれば直ぐに病院を受診してくださいねと、重々念を押されてしまいましたが😅ひとまず、クリアです(^_^)v6日に旅行から帰り、9日から1回目の抗がん剤治療のための入院です。タイトなスケジュールですが、頑張らないとなー、、、病気の話、全部、夢だったら良かったのになーこれは、現実なんだ1ヶ月前には考えたこともなかった。今までと同じ毎日が、ずっと続いていくと思っていた。いつか子供の手が離れ、彼
こ5月には、仕事復帰はかなわなくなるなんてこの時点では知らないし自分の病気で迷惑をかけたくないと言う気持ちから、病院の受診日以外は休まず仕事に行っていました。休職するという事で、業務の引継ぎ切りのいいところまでは取りかかりの案件を片づけるということでめちゃめちゃ忙しかったのです。ただ、2月末頃はさらに体調が悪化。倒れたりしないだろうかという不安がいつもありました。血栓による息切れ、少し動いただけでもはぁはぁしてしまう。食欲不振で食べ物を食べていない事によ
1週間後、生検結果を聞きに行きました。夫は休みを取ってくれて、家族3人で病院へ。診察室に呼ばれたあと医師の説明の前に、iPhoneで録音していいですか?と確認しました。まずは、生検結果。「hanamamaさんの癌は印環細胞癌といって進行が早いタイプのものです。今すぐ手術を勧めます。内視鏡の画像で判断する限り粘膜下層もしくは、筋層に及んでいそうです。CT画像ではリンパ節は1番2番あたりが腫れているように見えるのでリンパ節に入っている可能性もあります。」治療について
セカンドオピニオン行ってきました。がん研有明病院に着いてまずびっくりしたのが、来院者の多さ!!世の中にはこんなにたくさんがんの人がいるのね…と驚きとともに、心強く感じました。比企先生はクールな印象ではじめはちょっと怖く感じました。(威圧的とかでなく、私が緊張してただけです)今の病院で撮った検査データを見ながら「内視鏡とCTの画像が、判断するには不十分で断言できないが、可能性としては噴門側切除2割全摘8割かな」と言われました。画像については*内視鏡(胃カメラ)
審査腹腔鏡は絆創膏1枚の傷とはいえ手術当日はやっぱり痛かったです。術後の経過がどんなだったか、備忘録として記します。退院日、気持ちいい冬晴れでした術後2日目(退院日)歩くとつっぱり感があって痛いので小股、ゆっくり歩けば大丈夫くしゃみと咳は痛くて恐怖術後3日目痛みはだいぶ治まってきた。小股でゆっくり歩けば大丈夫。朝と夕方を比べても全然違う。日にち薬とはよく言ったものです子供を抱っこしてお風呂に入れることもできた。術後4日目ヘソのつっぱり感がある。大股で歩
セカンドオピニオンの翌日はまる一日、検査でした。10時採血、採尿10時半レントゲン、負荷心電図11時半内視鏡14時リハビリ説明15時半バリウム検査16時半肺機能検査合間に受付で保険証の登録行ったり、検査の同意書の説明受けたりと休む間は無しでした。朝から禁食でしたので、全てのが終わった時には検査疲れとお腹も空いてヘトヘトになりました。驚いたのは検査内容の細やかさとリハビリの細やかさ。前の病院との違いを大きく感じました。負荷心電図は3分間、ランニングマシ
大腸がん(結腸がん、直腸がん)の告知を受けた二児の母(私専業主婦)主人娘12歳息子10歳認知症の義母一連の流れ、戸惑い、葛藤など書き留めます。(どうでもいい事など)子どもが可愛すぎてウザいぐらい愛情表現するお母さんになる私は、我が子を過保護に育てています。専業主婦だから出来ることばかり少しずつでも出来る事を増やさなければと掃除、洗濯は、子供達の長期休みに協力しながら練習子供の自立を促すとか寂しい😞子供達が産まれた時に決めた私の勝手な子育て方針子供達がが、可愛すぎる
がん宣告を受けて変わったことがあります。一つは、ブログを始めたこと。私は、自分の気持ちを話すことが苦手で、究極の天邪鬼だと彼から言われています😅でも、今の思いを書き留めておきたくて、ブログを始めました。記録として始めたので、こうして、多くの皆さんに読んでいただけて、フォローや、いいねをいただけるなんて考えてもいませんでした。読んでくだっている皆さん、ありがとうございます💖もう一つは、身体の不調に敏感になったこと。今までなら、痛くても気のせいだと思ってやり過ごしていましたが、宣告を