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入院から一週間、住み慣れた?ICUを出る日がやってきました。この日の朝にやっとICU内のトイレへ歩いて行く許可を得られました。看護師さんと点滴の台に支えられて久しぶりの歩行、一週間ぶりに便座に座って用を足すことができて涙が出そうに嬉しかったですよ。入院してからずっと、寝たきり老人のように看護師さんのお世話になっていましたから…この日のお昼過ぎに私はベッドに乗せられ、一般病棟へと移動しました。監視されていることや閉鎖感が嫌で仕方がなかったICUを出る時、嬉しいような寂しいような、何とも言えない
はじめに抗がん剤は、作用の仕方などによって、いくつかの種類に分類されています。化学物質によってがんの増殖を抑え、がん細胞を破壊する治療を「化学療法」と呼びます。一方、がん細胞だけが持つ特徴を分子レベルでとらえ、それを標的にした薬である「分子標的薬」を用いて行う治療を「分子標的治療」と呼びます。また、がん細胞の増殖にかかわる体内のホルモンを調節して、がん細胞がふえるのを抑える「ホルモン剤」を用いた治療を「ホルモン療法(内分泌療法)」と呼んでいます。国立がん研究センターがん情報サービスより
2015年3月24日肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症、いわゆるエコノミークラス症候群で緊急入院した私。訳もわからぬままICUに入り、血栓溶解の処置などを受け入院すること二週間。流れた血栓をキャッチするフィルターの取り外しも終わり、治療も終盤に入りました。翌週に再度CTと心エコー検査を受け、問題がなければ退院となります。この頃にはすっかり入院生活に順応し、食事も普通に食べていましたし、病院一階のコンビニへもたまに買い物に行っていました。仕事を辞める決心もして精神的にもスッキリしていたように思
私が患っている病気の病名は「本態性血小板血症」10万人に1〜2人が発症する稀な病気です。血液を作る上で必要不可欠な遺伝子の一部に異常があり、血小板が増え続ける病気です。ちなみに、この病気は突然変異的な感じで遺伝性は無いと言われてます。血小板が増えると血液が固まり易くなります。したがって、この病気の気をつけるところは「血栓症」になります。しかし不思議な事に、血小板の数が130万を超えると逆に血液が固まり難くなります。(個人差あり)その為、血小板が増え過ぎるとちょっとしたケガでも血が止
肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)で入院した私。ICUにいた際はずっと「ヘパリン」という血液凝固を防ぐための点滴を受けていました。一般病棟に移動した際に点滴の投与は終わりましたが、太い点滴の針を一週間も刺していたので、注射針の跡が腕に残り、それは数ヶ月間消えませんでした一般病棟ではこれといった治療は無く、朝晩の服薬のみ。血栓症の治療の薬は「ワーファリン」という物を飲んでいました。抗凝固薬、つまり血液が固まるのを防ぐ作用がある薬で、心臓疾患のあるお年寄りなどがよ
重粒子線治療後、約2年半経過の現在…門脈血栓症になりました原因は、肝臓の繊維化重粒子線治療の弊害です一生付き合っていかないといけない。。でもでもでも、、さすが再生の臓器「肝臓」です。繊維化によって、狭窄は徐々に起こったので、周りの血管がめっちゃ発達してるらしい普通の人なら門脈が詰まったら即アウトだけど旦那の肝臓は逃げ道がたくさん作られてから、セーフなんだって人間の体はホント素晴らしい
肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)で緊急入院した私。入院初日にICUに入り、翌日にカテーテル処置を受け、全力で体内の血栓(血の塊)を溶かす治療を受けていました。万が一の出血の際は助からないほど血液をサラサラにする薬が投入されており、ベッドから降りられない日々が続きます。入院5日目、この日は土曜日で外来や手術がないせいか、ICU内はいつもより落ち着いていました。この頃の私は諦めの境地に達し、お風呂に入れないこともトイレの世話をしてもらうことも慣れつつあり
MTFの女性化=女性ホルモン治療は、3種類の投与経路があります。【塗り薬】ル・エストロジェルは、1日に4プッシュで、1本(4,400円・内税)で、3週間使用できますから、12週間(3か月)で、4,400×4=18,400円【注射薬】プロギノンデポー20mg(2,500円・内税)を2週間に1回注射が一般的です。12週間(3か月)で、2,500×6=15,000円【内服薬】プレマリン(0.625)は、1日に4錠が標準的です。1シート=28錠:1,100円に値上げしました。12週間(
皆様のコメントやいいねに励まされております。ありがとうございます。医師からの説明血栓症マーカーDダイナー高値深部静脈血栓症肺塞栓症のリスク腎機能透析胸水貯留無気肺CD腸炎腹部の壊死物質治療タイミングを検討中また前回の説明にはなかった症状がわかってきて、今後も急変してしまう可能性、検査出来ない箇所もあり3ヶ月で退院の目標でしたが全身状態はスタートラインに戻ってしまいました。退院目標未定、年単位かも。呼吸器は手術後9日目に外せて少しなら会話もできるようになりました。
こんばんは見に来て下さりありがとうございます本日、無事に、正期産に突入しました先日してもらったエコーでは既に3000g越えという事で、予定帝王切開を待たず、早く出ておいでーって感じです張りどめのウテメリンも中止となりましまがしかし。。。ここに来て、新たな問題が下肢静脈血栓症私は、高齢妊婦だし、肥満まではいかないけど、ぽっちゃり体型。。。血栓は、帝王切開後の発症が多いみたいですが、既に、今日したエコー検査で、下腿に血栓を確認出来ましたちょっと、検索したら帝王切開後血
2023/10/16術後1週間本当なら退院予定朝から熱っぽくて入院中に体温計は37度超えることもしばしばあったのだけど冷えピタくださいとナースステーションに行くと氷枕ならありますと貸してくれたそのままウトウトして夕方には38度になっていたどうしちゃったの?私の体術後4日目から全く食べ物を受け付けなくなったばかりかシャンプーや柔軟剤の匂いもつらくおまけに発熱…不安でたまらない夕方から急遽、感染症の疑いもあるので造影剤CTを撮った夜ご飯は、お粥なら食べられ
今日は、皆さんから「早期に医療機関へ受診した方がよい」とアドバイスをいただきましたので、行ってきました。バファリンAを服用してからは痛みはひいていました。お医者さんの問診の結果…特に問題無しとのことでした💦血栓ができてる様子とは全く違うので、心配しなくて大丈夫だとのことでした。まだ後遺症が続く可能性もあるので、様子は見ていきたいと思います。医療機関を受診して問題無しだったので、とりあえずは一安心かな。今日は妻は仕事なので、LINEで伝えておきました。さて、昨日、が届きました。
想定外のサラサラ度退院後もワーファリンを飲み続けているので、効き具合を確認するために定期的に採血をしています。退院後、ワーファリンは6錠飲んでいました。が、前回の外来の採血で、inrが1.8ほどあり、このまま効きすぎても怖いから!ということで、5錠に減らしていました。そして今回の採血。。。まさかのinrが2.8!!!(私の目標値:1.6〜2.0!)診察室のドアを開けた瞬間の先生の一言が「効きすぎちゃってるね!!!」でした笑。inrが延長してるので、2日ほど休薬してか
2023/10/25今日は、手術で切除した卵巣の組織検査結果と血栓のその後の状態を聞きに外来へ来た血栓については、点滴から飲み薬に変えても数値が上がっていないとのこと血栓が落ち着いた状態で再度リンパ節も含めての手術を11月中に実施予定2日後から抗がん剤治療副作用は、脱毛と痺れと説明を受けた3週間毎に合計6回の抗がん剤治療そこまでが一段落のよう何もかも未知の世界どれだけしんどいのかどれだけ辛いのかグレードなど告げられなかったけど初期の段階と言われた先生の
こんにちはブログ訪問して頂きありがとうございます本日ホワイトデー判定日です昨日の夜は夢ばかり見て寝た気がしない…朝からドッキドキ移植してから早く判定日になれーーってずっと思ってました待ってる時間ってほんと、身体に悪いわ…KLCへ向かいます移植から1週間ついについに、この日が!!採血してから5階に呼ばれるまで1時間20分ぐらい
心拍停止という事実が受け入れられなくて、誤診何じゃないかと疑ったりして、(成育が誤診なんてあるわけないだろうけど。。)今日再度、いつもの不妊治療のクリニックへ行ってきました。先生がえ?なんで?卒業したんじゃ??と。そりゃそうだよね。2週間くらい前に、無事卒業を言い渡され、送り出してもらったばかりなのに。事情を話して、エコー。丁寧にみてくれたけど、やっぱり心拍は動いてなかった。大きさも7/2から止まっていて、赤ちゃんが死んじゃったことは明らかだった。もう受け入れるしかないね。先
昨日は多くの方々からコメントやメッセージをいただきました。ありがとうございました。まだまだ月1程度の頻度で沈んでしまう日があります。以前に比べたらかなり減りましたけどね💦でもそういう日は、何でもかんでもネガティブに考えてしまいます。みなさんから色々とアドバイスや厳しいご意見をいただき、自分なりに考えてみました。温かいお言葉をかけてくれた方もいました。読みながら涙が出ました。まだ頑張ろうと思いました。自分も妻もサレラリ・シタラリ状態から完全には抜けていないなと感じています。自覚
こんにちは、ぽこみです☆昨日まで春みたいな気温だったのに、また寒くなりましたねみなさん、身体を冷やさないように気をつけてくださいね!本日はD5でレトロゾールをもらいに&ついでに今わかる諸検査の結果を聞きに。(子宮内膜炎の検査結果は来週です)ビタミンDの検査免疫機能血栓症素因甲状腺機能あと、よくわからない難しい項目っていうか、40L倍って何!笑結果は『特に基準内で問題なし』と言われましたビタミンDに関しては1年前は欠乏していましたが、ビタミンDのサプリを毎日飲ん
ひとつ前の記事に書いたが、先週末に美容室でカラーをした後にパニック発作が起き、私は現在絶不調。落ち着いたかと思ったのに、仕事から帰宅後にまた具合が悪くなってしまった。一度発作が起きるとこうしてしばらく不調が続く。この前のはかなり大きな発作だったから、その苦しい感覚が残ってしまっており、夜になると落ち着いていられない。発作が起きそうな気がして頓服薬を飲むというのが何日も続いている。私は以前から生理前に不調になりやすい。今回もそうだった。昨日休みを取って婦人科に行き、生理前や排卵日の自律神経系不
ICU生活4日目。この日も早朝に採血がありました。夫は仕事に戻り、母は家に戻ったので朝の面会には誰もきません。夜は急患が入ってきたりして相変わらず深く眠れませんが、それにも慣れつつありました。相変わらず食欲はなく、朝食は牛乳や汁物などを少々。固形物が食べられないならと「メイバランス」という栄養補助食品のドリンクが出されたのでそれは飲みましたが、美味しくなくて飲み切るのに必死でした。健康な時は食べることだけが楽しみなのに…ここでの食事時間はある意味苦行です。入院した日から血液が
2014年の暮れに尋常ではない体調不良に襲われ、生命の危機を感じる思いをした私。翌日医者でパニック障害ではないかと診断されたものの、体調がだいぶ元に戻ったからと年末年始に予定していた台湾旅行を決行しました。旅行の途中から右足に違和感とつるような痛みがあり、帰国後もそれは続きました。激痛ではないからとそのまま放置して生活していた…というのがここまでの流れ。何となく胸のあたりが変だなと思う日もあり、そういう日は医者で処方された「胸がドキドキした時用の薬」を飲んでいました。この時自分は「パ
ピルを服用し、苦痛だった生理痛から緩和されて約二年。三ヶ月に一度クリニックでピルを処方してもらい、たまに診察、年に一度血液検査を受けていました。これと言った不調もなく極めて普通でした。ピルのおかげで好きな旅行の日程管理がしやすくなり、台湾や国内等あちこちに出歩いていたのを覚えています。2014年の12月。昔一緒に働いていた女の子と台湾へ旅行に行きました。この日はたまたまANAの台湾就航20周年記念フライトで、空港で記念撮影をして盛り上がりました。台北、台南、台中を二泊三日で周遊するとい
低容量ピルの副作用で血栓症になった時の記録。ここまでの流れをざっくり振り返り。ある日の帰社時に突然死にそうに苦しい思いをした私。その翌日に行った近所のクリニックで本当の病気を見つけてもらえず、パニック障害との誤診をされました。そのため両足に血栓がぎっしり詰まっているという事に気づかず、年末年始に予定通り台湾旅行を決行してしまいます。その数ヶ月後、再びすごい頻脈が起こり、必死の思いで総合病院へ。そこの駆け出しのような若い先生の診察で病気が見つかり、何とか命拾い。治療は早くて一週間、長くて一
今日はホルモン補充周期D18の通院日です11:35受付11:45採血12:25診察6番13:20処置室13:45お会計本日は内診なしの採血のみでした!診察は6番診察室の女医さんです結果、移植は予定通り4日後のD22に行う段取り。だけど、黄体ホルモンの値が少し高めだから、移植日当日の採血結果ではキャンセルになる可能性もあります、とのこと。【採血結果】E2/86LH/3.4P4/0.33FSH/8.8ホルモン補充周期なのでお薬を使ってコントロールしているのですが
2020年12月6日深部下大静脈血栓症で緊急入院前日に主人の実家に来ていたんだよねー。朝起きたら左脚がfootマッサージが膨らんでいる時の感覚。まずいと思い大急ぎで、自宅に帰り休日診療の病院を探したんだけど、コロナが蔓延してたから、何処の病院もなかなか受けつけてくれない。9件目でやっとJ病院が見てくれることに。胃の後ろの静脈に大きな血栓が寝かされたまま入院という事になりましたが、満床のため受け入れ先を探してもらいT病院に救急車で搬送され入院しました。
私がピルを服用し始めたのは32歳ごろ。元々婦人科系が不調で、26歳の時には卵巣嚢腫の腹腔鏡手術を受けました。卵巣嚢腫はたまたま見つかり、特に症状もなく数年間経過観察が続き放置しても消えることはないからという医師の判断で腫瘍のみの摘出でした。術後は普通に生活していたのですが、年齢のせいか、仕事が多忙なせいか生理と排卵期の腹痛がきつくなり、それを少しでも楽にしたい一心で婦人科のクリニックで低容量ピルを処方してもらい服用を開始。トリキュラーというピルでした。当時は既婚でした
2014年12月12日から二泊三日で友人と台湾旅行に行き、その翌週の帰宅時に人生で一度も体験したことがないような苦しさの体調不良に襲われました。翌日に近所の内科を受診し、パニック障害だろうと診断された私はそこで処方された「胸がドキドキした時用の薬」を服用し、仕事や家事をこなして生活していました。薬を飲んでいれば安心と思っていたせいかあの悪夢のような発作は起きず、とりあえずは平和を取り戻したような気持ちでした。この当時私は小さな設計事務所の社員で、担当物件の事務所へ出向して勤務していま
この情報は2022年のものです。(2022年12月の記事を再投稿!)その頃は、まだまだ、世間の認識は「政府が国民に危ないものを奨めるわけがない!」「ワクチン危険は陰謀論だ!」「反ワクチンは、頭がおかしい!」という状態でしたが、今は、2024年!!オセロがゆっくりひっくり返されるように何か潮目が変わって来たような気がします!!「パンデミック条約反対」のデモで、約2万人もの人が結集したり、4/15【生配信】国民大集結!パンデミック条約反対集会&デモ行進先日のパンデミッ
ある日、職場で疾病情報のメールが届いた。◯月◯日、某支店の某現場で勤務していた◯◯歳の方が突然倒れ、救急搬送されました。搬送時はすでに意識不明、一時間半ほど蘇生措置を行いましたが亡くなりました。死因は肺塞栓血栓症で、当日倒れるまで体調に問題はなく、既往症等もなかったとのことです。少し変えているが、概ねこの内容だった。死因を見て私はえっと声が出た。自分がかつて患ったのと同じ、肺塞栓血栓症だったから。おそらくこのメールを読んだ人の多くがこの病名をよく理解していない気がする。自分も病気になるま
深部静脈血栓症及び肺塞栓血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)のカテーテル治療の処置を終え、再びICUに戻りました。処置が終わったのは夕方頃。点滴、検温等で看護師さんたちが入れ替わり立ち替わりやってきて、バタバタとしていました。この日の夕食は食べたかどうか覚えていません。消灯前に歯磨きをしたり、熱いタオルで軽く体を拭いて着替えた事は記憶しています。あちこちに管があるので看護師さんに着替えを手伝ってもらいました。着替えといえばこの日の朝、前日夫にお願いしておいた下着や寝巻などの荷物を