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【質問】手羽院さん、覚醒剤と上手に付き合っていく事は本当に出来るんでしょうか。抜けのキツさで楽しみにしてた事を楽しめなくなったりと最近良くないなと感じ始めています。手羽院さんはやめようと思った事とかありますか?【手羽院の回答】「上手い付き合い方」は人の数だけあります、難しい問題ですよね。誰か(何か)と上手く付き合うためには自分と相手(ネタ)の事を深く理解してないといけません。そして深い理解を得るためには勉強したり、調べたり、実践したり、失敗したり、相応の労力が必要になりま
夫のおばあちゃんは、脳梗塞を起こした後遺症で、子供に戻っていました。お世話をしていたのは、独身で一緒に暮らす長男。(私の夫の父の兄、夫の叔父にあたります。)夫の叔父いわく、介護は辛いそうです。夫の叔父は、「深夜にお母さんが嫌がらせで、僕の名前を呼ぶ、何時間も。オムツをしているのだから、そこでしてほしいのに、深夜に何回も『トイレに連れて行け』と。この前は、あまりに腹がたったので、お母さんを突き飛ばして、朝までトイレに放置した。」悲しく、辛いです。私は祖父母が大好きだったので、こう
精神科のグラッド先生との通院は、すっかり私の楽しみになりました。同世代の女性、同じ3歳児の母親、カウンセリングとはいいますが、40分間、頼りになる、気の合う女友達と会話ができる、という感じでした。しかし本当の女友達には絶対に話せない、夫が薬物依存症であること。唯一、グラッド先生には話せました。いつも泣いていたわけではなく、楽しい子育て話もしました。夫もグラッド先生の元に通院を始めました。精神科のお医者様の元に通えば、よくなるはず…お医者様がガンを治すように、精神科の
夫の違和感の始まり②突然、電池切れになる夫夫は基本、平日は午後9時就寝でしたが、金土の夜は子供が寝た後にリビングで大好きなゲームをしていました。私はゲームをしないので、子供たちと先に寝るか、リビングの夫の近くで読書をしたりしていました。そんな夫の金土の夜の過ごし方に、何となく違和感が始まりました。目がガンガンに冴えて、大好きなゲームを翌朝までやる日があったり…。逆に、夜8時に子供たちが寝た後、「よし、金土の楽しみであるゲームをしよう!」とさっきまで喜んでいたかと思えば、気づいたらパッ
前回のブログでは大久保公園で行われている売春について、私が援助交際をしていたころは可視化されていなかっただけで、やっていることは今も昔も変わらないと書きました。初犯の若者拘置所に収監されている初犯の男性へ、初めての手紙を出します。赤落ちしたことは親御さんから聞いていました。(赤落ちは刑が確定し受刑者になることを指します)試験勉強に集中していたため、試験後に一気に予定を詰め込み返信が遅くなり、3月28日に投函しました。翌日に親御さんから刑務所へ移送されたと連絡がありま
以前インターネットで覚醒剤について調べたとき、警察の科学捜査研究所では、押収した覚醒剤の成分を分析することで、その覚醒剤の原材料からどういう精製過程を経て市場に流れたかと、生産地と原材料、用いられた試薬や溶媒といった製造過程の完全分析ができるという記載を確か科捜研の論文で読んだ。そうした分析技術の凄さを違う視点から解析してもらえれば、よくポン中の言う『十年前のネタは良かった』がどの程度真実か、或いは単なる思い込みか分かるんだろう。僕がシャブにハマった十五年ほど前は、シャブはガンコロしか
夫の記憶力…日本で出会った当時23歳の夫は高校以前の記憶がありませんでした。しかしアメリカに転勤で戻り、両親と交流をする中で、夫は突然、昔の話をするようになりました。その中でも強烈だった話は、「小学生だった時に死体を見た。」夫の小学校時代に、一度、離婚をしていた夫の両親。父親の家に泊まる週末は憂鬱だったそうです。何故なら週末の父親の自宅はいつも大人が溢れ、バーベキュー、酒、おそらくドラッグ三昧。小学生の男の子に構う大人はいなかったそうです…悪い人以外。思えば夫の父は、当
精神科の予約は、2週間に一度。3回ほど通い、もともと温暖な地域だった州は、春になりました。私は焦っていました。何故なら、本当のことを話せていないからです。グラッド先生にとっては、私は”海外赴任妻あるあるのホームシック”や、“乳幼児のママあるあるの子育ての悩み”など、「大丈夫だよ、みんな一緒だから。」みたいなノリでした。確か3回目の診察が終わる5分前、私は賭けに出ました。グラッド先生は、軍医さんではありませんが、米軍病院のお医者様。私が夫の薬物依存症の話をすれば、グラ
療育の待合室で。いつも1時間くらい早めに来ている母子がいました。お母さんは、一生懸命、3歳児の子どもに、アルファベットの書き方を教え、おはじきのようなもので、足し算、引き算を教えていました。お母さんは熱心に、「あ、hのここは長くしないと、これじゃnよ。違う違う。はい、最初からやり直し。よく聞いて。ほら、この違いを見て。」「おはじきを数えて、引き算よ。いくつ余った?数えればわかるでしょう。」熱心なお母さんだな、すごいな、と思う同時に、子供が辛そうだな…と感じました
拘置所から出て…私はこう思っていました。さすがに夫はこりただろう。薬物乱用をやめてくれるはず。バカだと思われるかもしれませんが、これがキッカケになれば…とその思いにすがっていました。それに私は希望がありました。来月(8月)か、遅くとも再来月(9月)には、日本へ帰れるはず。夫はまた日本の基地への転勤を希望し、承認が下りていました。そういえばアメリカに来る前に、夫の上司や同僚にこう言われました。「楽しい3年間のアメリカ生活になるよ。3年間はあっという間だ。」夫の母にこ
夫の父の逮捕の翌日…。夫は超元気でした。仕事から帰ってきて嬉しそうに、「突然だけど、来週に休暇申請してきたよ!10日間。君の行きたがっていたニューオーリンズに旅行に行こう!」「え?本当に?」「…僕にも休みが必要だ。」「…そうだよね。」ニューオーリンズに行く途中は、夫の故郷を通る為、夫の母の家に2泊しました。初めて夫の母の家に泊まりました。夫の弟が滞在していたゲストルームに泊まりました。夫は夫の母と夜遅くまで、テラスで話し込む為、私と私の子供たちは先に寝ました。子供たちは
12月のある日、児童相談所の職員キャリッサから…「凜、あなたのご主人に何度かお会いしたんだけど、あなたのご主人…双極性障害ではないかしら?」「双極性障害?躁鬱の?…うーん、いや、一見、夫が躁鬱状態に見えるのは、双極性障害ではなく、薬物乱用のせいだと思うけど…。」しかしプロのキャリッサから見たら、夫は双極性障害に見えるらしいです。プロから見た方が正しいのかな…?いや、私は夫とほぼ毎日一緒におり、夫の薬物依存性ビフォー・アフターを真隣で見てきました。私が知る夫は、双極性障害
子供たちを連れて歯医者へ。ちょっと遅れてしまい、慌てて駆け込みました。アメリカの歯医者さんは予約時間に遅れたら容赦なくキャンセルされ、キャンセル料も請求されます。女性の歯医者さんに、「では、お子さんたちを預かります。お母さんは待合室でお待ちください。」「え…。いや、うちの第1子はジッと待てないので、私が付き添います。」「…もう5歳でしょ?大丈夫よ。」「いや、うちの5歳児は大丈夫ではないと思うので…。」「私たちはプロフェッショナルよ。私に任せて。」「…わかりました。」不安
2つ目の違和感、それは…夫の自尊心が低かったこと。夫はハンサムでした。高校ではイケメンコンテストに選ばれたらしいです。しかし夫は自分が不細工だと本気で思い込んでいました。私はそんな夫を「謙虚な人」と思い込んでいました。しかし謙虚と、自尊心は違いますね。逆に私は、母や祖父母から「美人だ、美人だ」と言われて育ちましたが、中学生になり、私の親友が美人でとてもモテて、「あれ、私は美人じゃなかったのか(笑)」とがっかりしました。私の祖母は、「私の孫息子(私の兄)はとてもハンサムで、反町隆
夫が突然、「僕は薬物依存症だ。」薬物依存症は否認の病といわれ、「絶対に自分は依存性ではない。」と死ぬまで言い続ける人もいます。夫もずっとそうでした。私は夫の口から、夫が薬物依存依存症であることを認めた発言を聞き、驚きました。しかし夫の話を聞いてあげたいと思い、冷静に相槌を打ちました。私は、車を運転しながら、「うん…。」と答えると、夫はもう一度、「僕は薬物依存症だ。しかもかなり重度の。」(Veryveryheavyone.)Veryを二度と、ゆっくり言いま
ごめんなさい。順番を追って書きたいのですが、モーテルの件は辛くて書けそうにありません。更新が続かないので、家に戻ってからのことを書きます。夫は、私がモーテルから帰ったのを機に、カトリックの神父様に助けを求めました。神父様は、「信仰を持ちなさい。苦しい時は神様に助けを求めなさい。医者は薬物依存を治せません。本当に苦しい時、闇の中にいる時、あなたのそばにいるのは神です。医者ではありません。」夫のカトリックへの改宗は、あっさり決まりました。改宗には毎週、教会の勉強会に通う必要
夫の弟が逮捕されて1週間後、1本の電話が鳴りました。(思えば、ロクな電話がかかってきませんね特にあれから11年も経った2023年、今年は特に酷かったです。おかげで電話が大嫌いになりました)さて、電話をかけてきたのは、夫の父のガールフレンドのマリーさん。「助けて。あなたのお父さんが私のテレビや家電を勝手に売ってドラッグに換えたので、私は、彼を追い出したの。そしたらあなたのお父さんが家の前で、『扉を開けろ!』と暴れている!」デジャヴだいい加減にしろ。まだ「あれから1週間」
湖のほとりで、私は夫の父に、「お義父さん、夫の薬物依存性は重度です。廃人の一歩手前です。」と話し始めました。1から10まで説明をし、「お義父さん、夫は過去に消化しきれない苦しみがあります。夫と話してくれませんか?」「…ルークはオーバーだからな。」「いえ、妻の私から見た夫は、オーバーではありません。むしろ夫は、我慢強い人でした。その我慢強さが災いしたのかな、と思っています。お願いします。」私の内心=父親のアルコール依存性と薬物依存性で、不安定な子供時代を送った子
お誕生日パーティーを主催した3歳の女の子のお母さん。ヒスパニック系のご夫婦で、これまたお母さんが美人、少し小林麻央さんに似ていました。その方も、3歳のお嬢様の言葉遅れと、自閉症や多動性障害を心配されていました。しかし…私に言わせると、私の3歳児より一ヶ月遅れのお誕生日でしたが、私の子供より、あちらのお嬢様は、ずっと会話ができるし、仲良く一階でお友達と遊べるし、比べてはいけませんが、全然ご心配されなくてもいいのでは…と心の中で思っていました。3歳児健診で、お医者様に「療育に
夫の薬物依存症を止める方法③子供をダシにする「ダシにする」という表現に心が痛いですが、夫が一番大切なものは、子供たちでした。え?薬物なんか乱用している奴の、どこが子供を大事にしているんだ?全くその通りです。しかし信じられないかもしれませんが、何故か、こんなめちゃくちゃな状況で、子供たちをとても大事にしていました。ところで、アメリカのドキュメンタリー番組で、薬物依存性の特集をやっていました。質問者が、Q.「あなたは子供とドラッグ、どちらが大切ですか?」薬物依存性の方は
私は家を出ました。(※一部、過去の投稿と一部、重複します。)タクシーを呼び、子供たち3歳、2歳、1歳を連れて、3人分の大量の3種類のオムツを箱ごと、離乳食を箱ごと、そして3人乗りベビーカーをタクシーの運転手さんに積んでもらって。モーテル暮らし。モーテルの部屋に、乳幼児の子供3人を一日中過ごさせるのは本当に大変でしたが、他に行くところがありませんでした。それに何より食事が大変でした。モーテルにキッチンはない為、1歳児には市販のレトルトの離乳食を食べさせました。大変だったのは3
8年間別居していた夫の両親。「お母さんが…今夜、お父さんを、お母さん家に泊めるって。」…ふーん私と夫は、ホテルへ退散しました。とても複雑そうな夫。別のある日、夫とアメリカ映画「恋するベーカリー」を観ていたら、『離婚したお父さんとお母さんが、実はデートをしていた…』という展開が映画でありました。3人の成人した子供たちは、普段からお父さんともお母さんとも仲良しで、お父さんが今の奥さんに追い出された時は、「お母さん、お父さんがかわいそうだから、うちに泊めてあげて。僕の部屋で
夫の両親は、夫が小さい時に一度、離婚しました。そこから夫は、平日は母親の家、週末は父親の家で過ごしたそうです。父親の家は離れていた為、お友達とも遊べず、ひたすら父親の家で、週末に行われる大人のバーベキューの中、子供ひとり、とてもつまらなかったそうです。母親は、息子である私の夫に「私たちがどこに住んでいるか、パパとパパの家族には絶対に行っちゃダメ。」と口止めをするほど、関わりたくなかっだそうです。しかし…夫が小学生だった頃のある日、家族みんなで海沿いのレストランに行ったそうです
太宰治とは1909年生まれの青森出身の作家。東京大学仏文科に入学し井伏鱒二に師事。卒業後に執筆した「走れメロス」「斜陽」「人間失格」があまりにも有名。妻がいたが、1948年に愛人と一緒に玉川に入水自殺している。芸人で初めて芥川賞を受賞した、ピースの又吉直樹が敬愛する作家でもある。【ヤクに溺れた太宰治氏】急性盲腸炎で入院した時に、鎮痛剤としてパビナールを使用したことで、彼は重度のパビナール中毒になってしまう。パビナールとは、戦前に麻酔など、治療目的で医療用に使われていた薬品である。現在は麻
仕事から帰ってきた夫に、夫のポケットの中から見つけたレシートを見せました。「こんなに沢山、ブロンを飲んでるけど、依存してるの?」単刀直入に聞きました。同じく、ご主人がブロン依存性で、奥様が問い詰めるブログを読み、奥様は一生懸命、言葉を選んでいましたが、私にはできませんでした。超どストレートに聞きました。夫は、キョトンとした顔で、「え?風邪をひいたから飲んでいただけだよ?」「風邪…ひいてなかったよね。」「実はひいてたよ、君を心配させたくなかっただけ。」「風邪薬や咳止めって、依存
はじめての自助グループから帰ってきた夫。瞳孔が開いて震えていました。今までで一番大きなオーバードーズでした。「え!?な、なんで!?」私の落胆と動揺は大きなものでした。何故なら、「自助グループに行けば、きっと良い方向に変わる」と思いたかったからです。しかし夫は、何もしていないとまた言い張りました。そして自助グループの感想は、「あそこにいた人たち、みんな人間のクズみたいな人たちだったよ。」「人間のクズ?」「だってあそこにいる人たちほぼ全員、アルコールがやめられなくて、
こんにちは^^依存症家族を幸せにするスペシャリスト心理カウンセラーらいくみです株式会社LikeMeホームページができましたらいくみ【公式ホームページ】依存症支援ギャンブル依存症回復依存症家族を幸せにするスペシャリスト心理カウンセラーらいくみの公式ホームぺージですギャンブル依存、アルコール依存に悩むご家族延べ2,500名を笑顔にしてきた「らいくみメソッド」各種講座や書籍のご案内など最新情報が確認できますlikeme.hp.peraichi.com登
夫に単刀直入に聞き、夫が「本当に風邪をひいていたから、薬を飲んでいただけ。風邪薬や咳止めに依存性があるなんて知らなかった。もう飲まないよ。」と答えてから…。私は不安な日々を…過ごし…ませんでした本当に風邪をひいていたのだろう。風邪薬や咳止めに依存性があることを知らなかったのだろう。もうやらないと言ったから、やらないだろう。本当にそう思っていました。おそらく99%信じて、残りの1%を消していた感じです。ある日、夫が仕事中にネットで「風邪薬・咳止め依存性」を検索しまし
夫と別れた歴史地区から、自宅までは約60キロ。ほぼ一本道ですが、そのうちの半分、約30キロは、海沿いの一本道。そこは富裕層のお城みたいな別荘がひたすら30キロも並んでいます。サマーハウスと呼ばれる、富裕層が夏休みだけ過ごす別荘です。私はこの海岸通りをドライブするのが大好きでした。日本では見たことがない、学校のような大きさの大豪邸がひたすら並び、眺めているだけでワクワクします。本当に眺めているだけですが…しかしこちらは、富裕層が夏休みの間だけ住む、サマーハウス。冬の時
『私の息子は薬物依存症でした①』私の息子は「薬物依存症」でした「薬物」と言っても、覚醒剤や大麻を使っていたわけではありません。最初は、ごく普通に薬局で市販されている薬を本来の目的や方法から逸…ameblo.jp『私の息子は薬物依存症でした②』『私の息子は薬物依存症でした①』私の息子は「薬物依存症」でした「薬物」と言っても、覚醒剤や大麻を使っていたわけではありません。最初は、ごく普通に薬局で市販…ameblo.jp私の息子は「薬物依存症」でした誰でも簡単に手に入る市販薬と精神科で