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なぜ家族皆が若年性認知症を疑ったかというと父家系の祖父が80歳の頃にアルツハイマー型認知症を発症をしており祖父の兄妹も認知症を発症していたから・・・アルツハイマー型認知症は遺伝子要素も高いと聞くため父もいつかはなってしまうのかな・・・それまでに特効薬が出来ていてくれ~!と以前から願っていたこともあり父の異変に気付いた日からネットで若年性認知症について調べまくりましたネットの記事や動画やらをそりゃーもう血眼になって
意味性認知症の夫との生活をつぶやいています。精神科の皆さんが夫の病室に来られました。まず、看護師さんが夫の様子が思っていたより、しっかりしていて驚きましたと話始めました。認知症診断から10年、しかも今回の入院は慢性硬膜下血腫です、もう少しぐったりした感じを想像されていたそうですが、実際の夫は自分で座ったり立ったり、お腹が空いているため「私のやつは?」を言い続けているので、びっくりされたようでした。そして、その看護師さんが「10年前にここを受診されていますよね?」と発言、、ひぇ〜っと思っ
超久々の更新です。旦那さんも特養入所して9ヶ月になりました。面会に行っても殆ど目を合わすことも無く、寝たきり状態です。声掛けしても全く反応がありません。身体の方も固縮が酷く、自分では体位を変えられないので、介護士さんが定期的に体位を変えてくれるので床擦れなどはないようです。特養に入所してからは、体重の方も落ち着いていて毎回食事は完食してるようです。ただ、好物じゃないと口の開けが悪いようです(笑)ただ、面会に行く度に歯ぎしりが酷くて歯がすり減ってしまうのではと思うぐらいです。まだ口か
結婚3年目に男の子をさずかりました。ヨメが初めての子供なので、”一”が付く名前が良いとの事で、”幸一”と名付けました。そう往年の大打者、まんがにもなった”田淵幸一”と同じ名前です。少年野球から高校1年まで野球少年でもあり、大阪なので、もちろんタイガースファンの私も納得の名前です。野球は怪我のため、高1の夏でやめてしましましたが。大きくなったら、キャッチボールから始めて、リトルリーグに入れようとハイハイも出来ない頃から、グローブを枕元に置きました。ヨメは冷静に”あほやなぁ”と笑ってい
こどもの日、血管性認知症の母が転倒し、額近くを打ったとの連絡が入った。瘤になった程度で済んだようだ。折しもその前日、劇作家の唐十郎氏が84歳で亡くなった。原因は転倒による急性硬膜下血腫だった。高齢になると、様々なリスクが高くなる。認知症の人の場合は、そのリスクは一層高まってしまう。ことに認知症が重度になると、転倒や骨折、嚥下障害、肺炎の頻度が増す。公益財団法人長寿科学振興財団が発行する『Aging&Health』No.87(2018年秋)に掲載された「認
意味性認知症の夫との生活をつぶやいています。何とかCTが取れた時に、画像をみた技師さん達が「あー、溜まっているね」と。色々と調べていたので…夫の頭には血が溜まっているのだと分かりました。待てない夫はまた車🚗に戻り(診察室から見える所に駐車できました)、私と子供は少し待ってから診察室に呼ばれました。院長先生「頭に血が溜まってるね。これは手術しないといけないね」と話し始めました。「慢性硬膜下血腫」という診断でした。傾眠も失禁も意識障害のひとつになる。夫は言えないけど、頭が痛いと思う。
今日は🚗往復1時間の場所で若年性認知症の集まりがありました私は一人で参加しました当事者の方のテーブルと家族のテーブルに別れましたテーブルには可愛いお花が何個も飾られ美味しそうなお菓子🧁🤍飲み物のカップもオシャレ✨ランチョンマットも春の明るい色で主催者の方の心遣いを感じました🥲約1年前に参加した若年性の集まりはもっと遠かったのですが主催者の方の「皆さん大変なご苦労をされて来ている方々なので💦」という言葉に、お心遣いを感じましたしやはりそういうことなのかと
意味性認知症の夫との生活をつぶやいています。夫が洗面所で倒れた日から傾眠が始まり、1週間後から失禁が始まりまりました。あまりに急な変化でしたが、頭をぶつけたのか、夫の認知症が進んだのか…病気になる前から病院嫌いだった夫を、検査に連れて病院に行くのがとても難しく、悩んでいました。施設の方から、頭を抱えて傾眠してたと教えてもらったこと。どんなに長時間、車に乗っても居眠りをしなかった夫が2、30分の施設からの帰りの車🚗で、寝ていたこと。寝言が急に増えたこと。細かいことですが…気になることが、ど
まずは3月の主人の入院費などのお話です。入院費37,370円歯科検診1,760円レンタルセット56,854円合計95,984円難病指定のお陰で入院費がすごく下がりました。1月分と2月分も市に請求を出したので、返ってくると思います。レンタルセットだけはどうにもならないので、これが何ともですが💦4月の入院費は18,415円だったのですが、3月の入院費と併せて保証金から差し引いて清算済みです。(もちろんレンタルセットは後で請求が来ます)4月はデイサー
いつもご覧いただきありがとうございます!毎週土曜は私の実父との思い出話を載せていきます。40歳で若年性認知症になり、63歳で亡くなるまでの話を娘目線で綴っていきますのでよろしければお付き合いくださいね。今までの話はこちら若年性認知症の父親と私まとめここまでお読みいただきありがとうございました。不快な思いをされた方には本当に申し訳ございません。もし私がこのまま何もなく健康で生きていて次に介護をすることになるとした
アメンバー申請くださる皆様へ最近またアメンバー申請いただくことが増えてきていますこと大変有り難く思います☆アメンバー申請いただく前に、是非アメンバー申請についての記事をご一読いただきご理解賜りますれば幸いです☆特にご自身でブログを書かず読み専門の方はメッセージに一言自己紹介記載いただければ有り難いです☺️何卒宜しくお願い申し上げます。『【改訂版】アメンバーさん認定条件』いつも私のブログをお読みいただき心から感謝申し上げます☺️いきなりですが・・・アメンバー認定方法を見直しました🌟コレ
久しぶりに地域包括支援センター(長い!)にヨメと一緒に訪問した。いつもの元気なケアマネさんが、対応してくれた。近況を報告すると、”ご主人、大変でしたね。ご苦労様。”う~ん、別にご苦労とは思っていないんだけどな。とは口に出さず。ケアマネさんから、”現在、介護サービスの利用を考えてらっしゃらないみたいですが、今度、近くの老人ホームでファミリーコンサートがあって、私も行きますので、一度見に来られませんか?”との事。その日は、予定もなかったので、行ってみる事にした。ファミリーコンサート
週末、妻の友人たちと再会した。うち二人は妻と同じ会社で、そのうえかつて同じ寮に住んでいたので、勤務先が変わっても繋がりが強かった。一人は妻と同じ県の出身、もう一人は先輩にあたるが、同郷の友人は寮を出たあと、妻と同じ駅を使っていたので、引っ越すまではときどき妻と会っていた。妻が信頼する先輩はご主人と一緒だったが、僕もサッカーの試合観戦や、温泉旅行を共にしたことがあった。ご主人は中東出身の方で、軍医として兵役を務めたこともあるが、いまは医療とは全く関係ない仕事をし
おばさん宅の母親さんは、80歳を超えています。戦後すぐに生まれたたくましい人です。体は小さくても、認知症もなく自分の事はほとんど難なくこなす人。歳相応の物忘れと耳が遠いくらいでね!その母親さんが夜中に電話してきました!動けない!っておばさん宅は母親おばさん宅姉さん宅と全て別棟です。母親宅の鍵を握りしめ母親の家に行くとベットの脇でうずくまる母親の姿がありました。トイレに起きる時背中に痛みが走って動けなくなったらしい。トイレにも行きたいしで、パニックになっていました。
ケアマネが来訪すると聞き、朝から大忙し。私には、掃除とお茶菓子の買い出しを命じられ、朝からバタバタ。ふと気づくとヨメは久方ぶりのばっちりメーク。手ぐすね引いてケアマネさんを待ち受けた。インターホンが鳴ると、いそいそとヨメが玄関へ。二人で出迎えると、ケアマネさんが元気よく入ってきました。ケアマネさんは、開口一番、”奥様はエレクトーンの教室を開いてらっしゃるのね。私も習いに来ようかしら”と。そこから、他愛も無いような話をしながら、ヨメの様子を観察してらっしゃった。帰り際、大通りまで見
意味性認知症になって毎日続けていた散歩🚶時間にして30分コース気候のいい春や秋頃は、同じコースを(多い日は)5回くらい歩いてた。さっき帰って来たかと思うとまた出かけたりとか…私が「また行くの❓」って言うとハハッって笑って…なのに…去年の12月頃から全く歩かなくなったこれって意欲の低下ってやつ59歳でこの認知症になってからまだ3年も経たないのに…早くないなので、最近は、私の時間のある時に誘って歩いてる。誘うと嫌がらずに歩いてくれるからひなさんがいる時は、親子3人で…ふと、
意味性認知症の夫との生活をつぶやいています。その日予定されている手術が全て終わってから、夫の手術になるとは聞いていたものの、時間の分からない長い待ち時間、なかなか大変でした。今から思い返すと、夫がよく待てたなぁと思います。結局18時近くになり、もう少しで呼ばれと思うので準備していきますね、と看護師さんが来られました。夫はそれまで散々「あそこに行こう(車もしくは家に行こうという意味合いで言います)」と言っていましたが、壁掛け時計は外していたのに、何となく時間が分かって諦めたのか「ずっとここ
月末近くなってきて、仕事が繁忙に入りだした今日この頃です。主人が入院して家にいないことをいいことに、最近はいつも22時、23時まで仕事してしまっているのですが、退院してきたらそうはいかないな、と思っています。と言っても仕事量が変わるわけではないので、ちょっとどうしたものかな・・・。主人が退院してデイサービスやデイケアに通うようになると、私の生活サイクルもそれに合わせて変える必要があります。朝は今よりも早くなりますし(フルリモートで通勤がないので、朝はちょっとゆっくりめなのです)昼
特養の面談に行って来ました。一部屋空きが出たのでほぼ決まりな感じでした。来週判定会議があり、早ければ今月末か、来月の頭かと。旦那さんが入所予定の特養は、小規模特養と従来型の特養があり、小規模特養は若干高めです。空きがあるのは従来型特養のユニット型個室です。今年中に入所出来ればいいかなあと呑気に構えてたのですが、持ち物リストを渡され、もう徐々に用意してもいいですよと言われ、今日下着やらパジャマ、普段着上下、靴下や帽子、タオル類、日用品等々など揃えて来ました。それと夏用のタオルケットや毛
意味性認知症の夫との生活をつぶやいています。全ての検査が終わり、脳神経外科の外来に戻ってきました。窓口で名前を伝えると、送り出してくれた看護師さんとは別の方が、引き継ぎましたと出迎えくれました。が、夫は警戒して先程の待たせてもらったスペースには、入ろうとしません。しばらく通路で、外に出ようとする夫と格闘していましたが、ようやく中に入ってくれました。そして最大の難関、採血💉です。以前の骨折入院の際には大人5人で押さえた記憶があります。でも夫の扱いに家族も少しは慣れてきているので、家族3
主人が入院してからの初の面会日です。やっと・・・会えました。髪と髭が伸びて、病院の衣服のせいか何だかちょっとみすぼらしい感じが・・・。会った途端に「あ、良かった迎えにきてくれて。一緒に帰ろう」と言われました予想はしてたんです。帰りたがるな、と。「昨日も車で迎えに来てもらおうと思って電話しようとしたのに、電話はできないって言われてさ」「今日は一緒に帰れるんでしょ」と。入院していること、脳の病気だということを話しましたが「そうなんだ、ヤバいんだ」と言うものの、すぐに「もうこ
その日の夜母「お父さん、タッパを取って」父「・・・タッパって何?」母が驚愕しつつタッパを取って見せても父は分かっていない様子今度は母「お父さん、ラップを取って」とお願いすると父はラップが収納されている戸棚ではなくまずはトースターを開け続けて電子レンジを開けた父「あれ〜?」家族(やばいやばいやばいやばい)警戒アラート発令!背筋がぞわっとする感じ今でも忘れません・・・家族はすぐさま「若年性認知症」を疑いました
再入院の週、妻は「どうにも止まらない」状態になった。自宅で一昼夜、行ったり来たりの室内徘徊劇を繰り広げた。常に話しながら、ときには声を荒げたり、喜んで拍手をしたり……。僕が横になっているときは独り語りだったが、たまらず起きてからは「keroぴょん」と語りかけてきた。一連のパターンを無限ループのように何度も繰り返した。50代はタフである、24時間以上寝ていない。睡眠導入薬も何のその、駆り立てられるように歩き回った。さらに困ったことに、ここが苦しい、あちらが痛いと訴え、着て
いつもご覧いただきありがとうございます!毎週土曜は私の実父との思い出話を載せていきます。40歳で若年性認知症になり、63歳で亡くなるまでの話を娘目線で綴っていきますのでよろしければお付き合いくださいね。今までの話はこちら若年性認知症の父親と私まとめ20代半ばの頃の話。結婚を決めた彼のお母さんが難色を示していた。ご覧の通り、本人たちは何にもしてない。他人任せ。初めはまさか自分自身以外のことが理由で反対されるなんて!とショックを受けたけど子どもを持ち、
最近、観始めたドラマです。暗い内容のようなので、なかなか一気に観る気にはなれません。間に他の映画を挟みながら観ています。『連続ドラマW正体』ある夫婦が殺された殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑を宣告された鏑木慶一(⻲梨和也)が、移送中に刑務官の隙をつき脱獄する。テレビなどマスメディアでは鏑木の脱獄が大きく報じられ、警察が全力で行方を追うも、鏑木を捕まえられずにいた。一方、事件の被害者夫婦の夫の母親である井尾由子(黒木瞳)は若年性認知症を患っており、事件のトラウマを抱えながら介護
役職定年を迎え、少し時間と心に余裕が生まれた。就職した頃は、土曜日は半ドンと言って、午前中(忙しい時は、3時頃まで)の就業で、その後にたまに呑みにケーションを開いたりと、それなりに楽しかったが、現在は、完全週休2日制である。付き合いゴルフも免除されることが多くなったので、土曜日の晩御飯は、私が作る事とした。ヨメには、時間的に余裕が出来たので、趣味として、料理を始めたいと伝え、出来れば負担を減らしたいという意図もあった。しかし、調味料がどこにあるのか、わからず、結局は横について貰って、ご
昨日は仕事が超絶忙しくてブログの更新をする気力がありませんでした22時頃まで仕事していたのですがそれでも終わらず、今日の午前中も出勤する羽目に。フルリモートなので通勤がない点は楽ですが、業務量は決して楽ではないのです。それでも仕事をしていれば、主人がいない家に独りでいる辛い気持ちが少しだけ紛れるのでかえって良いのかもです。ただ本当に家から出ない日が多くなってしまいました。独りだと消耗品も食品も減らないから買い物もないので外に行かないのです。今週は月曜日に母の通院付き添いに行っ
地域包括支援センター(長い)へ出向くと、ケアマネージャーが元気に出てこられた。”おはようございます””その後奥様のご様子はどうですか?”勢いに負けないよう、少し大き目な声で、なるべく詳細に日常の様子やいろいろな失敗を説明した。ふんふんとケアマネさんが話しを聞いて、”かかりつけ医は居ますか?””介護保険認定を受けられますか?”と、即答するには、困難な話題となってきた。”いろいろと補助する制度がありますので、よく考えて下さいね”少し考える時間を貰い、後日、また相談する旨を伝えた。
いつもご覧いただきありがとうございます!毎週土曜は私の実父との思い出話を載せていきます。40歳で若年性認知症になり、63歳で亡くなるまでの話を娘目線で綴っていきますのでよろしければお付き合いくださいね。今までの話はこちら若年性認知症の父親と私まとめ何もしなかったのでいくらでも悲しみに浸っている。たまにいるでしょ、全然介護に関わってなかったのに葬式で派手に泣いてるおばさん。あれが私。自分のことが気持ち悪い。ただ叔母
今朝10時、約束通り病院から電話がありました。昨日の薬の取り違えの件です。経過観察の結果と今回のミスに対しての対策を教えて欲しいと依頼していて、10時に電話をくれることになっていました。電話をくれたのは昨日の看護師。主人の体調には大きな変化はなく、転倒もなかったとのことで一安心しました。ただ眠剤が違ったせいか、いつもは22時頃まで起きているのが昨晩は19時過ぎには寝てしまったそうです。は、早い・・・。2時間おきにトイレに起きるので、その都度に付き添いをしてくれたそうですがふらつ