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大学病院病院の精神科を遂に受診旦那や助産師さんに引っ張られて行き、服もおかしな格好でサンダルのまま診察は初診の為、診察前に問診があり、その後診察です。言葉の抑揚もなく、ロボットのようでうまく喋れないほたて先生の質問は全て旦那に代弁してもらいました思えば症状が出て来てから4ヶ月も経過しています‥相当にこじらせてしまったほたて結果は重度のうつ産後5ヶ月、3件目の受診にて、ようやく診断が下されました薬でしっかり治療して行きましょうとなり、家では常に私を見守るように言われ、入院も勧められま
こんにちは(^o^)/皆様素敵なクリスマスをお過ごしですか?私はクリスマスも年末年始も通常運行です。もちろん独りですよん(。-∀-)ヒトリズキバンザイ!ただ、少しメンタルの具合が悪く落ち込みと希死念慮があります。一度未遂を経験すると死へのハードルが低くなってしまうので、正直私も全く怖くないです。そのメンタルで下手に動くと危ないので希死念慮が出た時はなるべく動かないようにしています。去年の今頃はというと、リハビリ病院に転院したばかりで目新しいことだらけでバタバタし
おはようございます😊🍄キノコ中心メニューを初めて2日半年後の検診が楽しみであります┏●いつも温かいメッセージ温かいコメントを本当にありがとうございます┏●短い記事となります我が家高機能自閉症息子の事を書かせて頂いておりますが現在を少し書かせて下さい1つ病院へ1人で行くようになった2つ役場事も1人でこなせるようになった3つ自分の炊事洗濯を出来るようになった4つメンタルコントロールが出来て来た5つ【癇癪】が全く出ない………。ここまでどれだけも頭を悩まして来ま
1年間、重症の躁鬱を繰り返しこのたびやっと、病院にいきました。これまでの状態や今日の診察で即、ダンナの強制入院がきまりました。ダンナが病棟に入ってから先生から話しがある。と言われました。入院についての説明と、深刻な病状についてでした。躁鬱病に間違いありません。このまま家に返しても、また命に関わる事をします。閉鎖病棟の個室で24時間体制で看護します。自殺未遂をして、まだ死にたいという意志が強いです。だから、監視が必要!!そして、非常に言いにくいのですが…薬を飲ん
ついに自殺未遂を起こし、措置入院となったほたて。措置入院とは、自分を傷つけてしまう可能性がある為、都道府県知人の権限による法的な入院です。旦那は泣いていました。旦那はほたてがこうなってから、何度も泣いている所を見ました。辛かったんだと思います。しかし感情が麻痺しているほたて。旦那の愛情を受け取る事が出来ず、何も感じない自分にまた、自責の念が湧くのでした病棟へ移動しました。精神科の病棟は閉鎖病棟となっており、病院内を自由に行き来出来ないよう病棟の入口に鍵がかけられます。その病棟の奥、保護室
今日、リチウムボタン電池を飲み込んでの入院に終止符が打たれた。食道に形成されていた潰瘍が治癒してきたためだ。昨晩準夜だった担当看護師さんが、とてもよく話を聞いてくれる人だった。たくさん話聞いてギューして頭なでなでして背中さすってくれて、涙が勝手にポロポロ。昨日、最後の準夜帯、寝る時そっとオーバーテーブルの角にありがとうの手紙を置いておいた。朝起きたらお返事が置かれていて、本当に優しい看護師さんでした。この看護師さん、私が入院して母親に会った時すぐ、「娘さんが今こうやって苦しんでるのは
去年、私は深い深い悲しみの中にいました。それは時として怒りとなり現れ、また悲しみの中に包まれる。そしていまもなお怒りは現れ、悲しみの感情へと変わる…私には頼りとなる女性が数人いました。彼女達は精神薬の怖さを知っていた。それは、私にとっては心強い事でした。しかし、少しずつ本当に少しずつ何かが変わっていった。変わっていったのではなく、本当は最初から違っていたのかもしれません。それが表面化しただけ…10年前、私は離脱症状の辛さに耐えられず自殺未遂騒動を起こしました。本当に死ぬつもり
こちらの記事にいただいたコメントで精神科入院中に同室だった女性を思い出したDango屋です。いつも、いただくコメントには私の心に響くことばがたくさんあります。ありがとうございます。そしてその中の「私の生きる力は猫8匹」というワンフレーズからその方を思い出したのです。入院中、6人部屋のベッドまわりのカーテンはみんないつも閉ざされたまま。それでも、他の部屋の人とも交流し、仲良しグループみたいになってる方達もいたけれど私は交流をさけるタイプ。だけど大部屋生活看
「もう警察に連絡してください。こっちから連絡しましょうか。」と夫の母は怒りながら言った。初めの不倫がバレた時も夫は自殺未遂をしている。それは夫が本当は離婚したいからじゃないのかと夫の両親はわたしに言ってきたことがある。だから今回も嫌がっているのに離婚してくれないから息子はおかしくなってしまったんだとむしろわたしを責めているようだった。そして孫がどうしているかは一言も聞かなかった。「男の子で良かったわねえ」と喜んでいた孫の存在なのに、名付けにも意見してきたのに心配はしないん
こんにちは。私の体調は、少しですが良くなりました。明日から勤務です。私は過去に自殺未遂を何回もして入退院を繰り返しています。しかし、ここ何十年かは、そんな事もなくなり落ち着いています。いつもオーバードーズ。今考えると、安易に大量に薬を飲む行為が出来たのは、やはり、かなり病んでいて一線を超える、怖さを知らず??いつも救急に運ばれていました。リストカットもしていたし、今思い出すと、具合が悪くなります今、働けているのが、夢のようで仕事に行こうという、やる気と皆と仲良く出
ごめんなさい…ご心配おかけしました…。書いてるということは生きてますね…はい…。失敗したというかやり切れませんでした。書かなくなってから今までの経緯を細かく説明するのはダルいので、とりあえず今回は省きますが。いつから書いてないか忘れた。確認したら2/15以来投稿してなかった。てか前回のブログAmebaさんに消された。いろいろあったけど、うーんもうとりあえず今回は省略します。ブログの書き方も忘れたー。どんなふうに書いてたっけ?とりあえず今の状況説明…。調子上がらないまま
さて、私は保護室から出られましたが、相変わらずの措置入院状態でした。措置入院って何かというと…「2名以上の精神保健指定医の診察により、自分を傷つけたり他人に危害を加えようとするおそれがあると判断された場合、都道府県知事の権限により措置入院となります。」(厚生労働省知ることからはじめようみんなのメンタルヘルスHPより抜粋)つまりなかなか退院できない上、わたしには色々な制限がついてました。もともと恋人との間で揉めた上自殺未遂をし、家族から警察を呼ばれての措置入院でしたので…恋人その他友人は
※今回のお話は、人物が特定されない為に年齢も時期も全てフェイクで書いてゆきます。過去のお話です。登場人物琴美ちゃん・・今回の主人公。30歳のヘアメイクアーティスト。浩二・・・30代のお笑い芸人で、琴美ちゃんの彼氏。最近売れてきた。浩二の妻・・浩二の携帯から、琴美ちゃんの他に2名の浮気相手を見つけ、いても経ってもいられない。現在妊娠中。エイジ・・パンダの20年来の友人。女優・モデルさんを手がけるヘアメイクアーティスト。琴美ちゃんが所属する美容室のオーナー。ヒゲマッチョな男性と猫っぽい
こんにちは。体調悪くblogがなかなか書けませんでした。記録だけになります…月曜日の体重は+0.5kgstage2今日の体重は-0.8kgstage1減ったのは嘔吐を繰り返してしまったからです。今日の夕方、未遂しました。希死念慮強すぎて手洗いせっけんを飲みました。もちろんシャンプー類は預かりのため、トイレに備えつけのせっけんです。もう、どうでもいい…私の人生。30歳で終わりにすると決めてるから…あと1ヶ月ちょっと。でも、それすらもしんどいです。今すぐに死にたい。せっ
うちの娘には精神的な疾患があります。リスカ、OD、病院や救急隊、時には警察から連絡があって慌てて駆けつける。昨日は6回目の救急搬送。着の身着のままで上着だけ着て娘の元へ。3年前にODで集中治療室から精神科病棟に入院して、そこからは摂食障害が出てしまったものの自殺未遂みたいな事がなくて完全に油断してました。心配で不安でどうしようもなくて結局、昨日は入院も何もなく済んだのですが娘から「私の事恥ずかしい娘だと思ってるんでしょ!」って怒鳴られて1度だってそんな事思っ
救助されて救急車で救急病院に行ったが、意識回復してからは叫びや暴れが凄く、警察署で保護されたとの連絡が来た。急いで、お義父さんの車で保護された警察署に向かう。警察署に着いてから、署内に入ってすぐに夫の叫び声が聞こえた。怖かった。きっと助けたことを怒ってるに違いない。警察や保健所からの取り調べがあり、一旦車の中で待つことになった。車の中でお義父さんがお義母さんに電話をした。お義母さんがお義父さんにこういった。「(夫に対して)死ねばよかったのに。こんな状態で助けて後どうするの!二人
手足が不自由で、口にくわえた筆で詩や絵画を創作する星野富弘(ほしの・とみひろ)さんが今週日曜日の4月28日、呼吸不全のため死去。78歳。中学校の教諭だった1970年、クラブ活動の指導中の跳び箱で宙返りした時に、首の骨を折る大事故をし、頸髄損傷で、肩から下が麻痺し、身体機能を失いました。国内外で多数の個展を開いた。二か所の美術館があり、2006年に群馬県の名誉県民となりました。人生に絶望していた時に、大学の友人でクリスチャンの米谷さんが病院に星野さんを見舞いに聖書を持ってきま
母は早朝のパート勤務があるのでだいたい4時過ぎにはいつも起きている。電話にもすぐ気づいてくれた。事情を話すとすぐ父が家に来てくれることになった。実家からは30分ほど。窓の外も明るくなっていて助かった。どんな夜も朝は来るんだと思った。母が夫の実家にも連絡すると言い「わたしは働きに行くからね。」と出かけて行った。娘が殺されかけても働きに行く母。薄情にも思えるのだが実はわたしもこの3時間後にそのまま自宅でテレワークをしている。長男も予定通りに電車を見に行った。(鉄オタ)
ここまでの記事は、過去の『はてなブログ』での投稿をコピーして、こちらに移行してきています。1年半くらい前の状況です。今現在はというと、深い深い水面下で、よりお互いの意志を強めて不倫を続けています。その間、今までにとんでもない事件が起こり、4度に及ぶ私から奥へのバラし、警察沙汰、消防沙汰、奥の自殺未遂、俊は会社からの懲戒解雇宣告、壮絶な修羅場を繰り広げてきました。一旦は別れて、それでもまた二人は復縁して、月に一度の水面下デートを重ねています。ワンピース
おはようございます😊肝臓の数値はいきなりの上昇でどうりで疲れやすい。と思っていた私です┏●温かいメッセージ温かいコメントを本当にありがとうございます┏●今回も赤裸々に書かせて頂きます少し描写が【リアル】過ぎる所は避けられず苦手な方はスルーして下さいm(__)mまずは私がブログを始めた【キッカケ】ですが赤裸々に知りたい事を書かれている人がいない事が【キッカケ】でしたその先が知りたいのに………止めてしまっている方ばかりでした確かに理路整然と書かれていらっしゃ
20221030、午前2:20頃、タイトルの通りリチウムボタン電池を飲み込んだ。とても死にたかった。数時間前にコンビニにふたつ買いに行ったのだけれど、口に入れるのは大きい方1個にしておいた。飲み込んだ時から食道に詰まった感じはあった。そこから5-10分後、胸の痛みが広がっていく感じがあり、ネットで調べていると、リチウムボタン電池は効くのが早いしヤバいということを知った。食道に詰まると穴が空くらしい。え、どうしよう。一人暮らし。。怖くなった。仕方ない、申し訳ないけれど救急車を呼ばせて
連れ去り暴行殺人未遂離婚に倒産夜逃げに詐欺に自殺未遂etc...書ききれないほどに本当に色々なことがあった人生だったけれどどんなに辛く苦しい過去もどれ一つ欠けても今の私は存在しない人間は体験がすべて苦しみや悲しみはいつかどこかの誰かの生きる力に必ずつながる必ずに命さえあれば人はいつでもどこからでもやり直すことができるどんな夢も希望も叶えていくことができる
夫の自殺未遂から5ヶ月が経ったある日。夫を信じたくて、車にGPSを付けていた。信じたくて。信じたくて。これで大丈夫だったら、もう大丈夫‼って思えるんじゃないかと。信じれるんじゃないかと。でも、駄目だった。夫は私に黙ってパチンコに行っていた。「行かない」てあれだけ約束したのに。バレなければいいやと思ってるんだろうな。辛くて辛くて悲しくなった。慌てて母に車を借り、パチンコ屋に向かった。夫はすごい顔をしていた。私「やっぱり離婚して」と伝える。夫「じゃあ死ぬから」と言われた
飛び降り自殺未遂した経験のある私が語ってみる②コトの敬意前回に引き続き…呟いていこうと思います。まずは目次的に、端的にまとめから。◾️日時2007年5月27日AM2:00頃◾️場所奄美大島の名瀬市のとある建物3階◾️当時の年齢27歳◾️なんで飛び降りたのか?6〜7年前から長年彼の二股事件と別れの後から人間不信・自信喪失・男性不信・自己嫌悪・自己否定をして生きて限界。特にこの当時付き合っていた彼に過去の出来事を否定されたことがキッカケで、自己否定MAXで自分が嫌いで仕
今日、やっと足の固定が取れましたただし、まだ未完成な骨があるので、左足は踵のみの荷重です👣いやー、だんだん治って来ているのが分かる一方で、右足のしびれが残っているのが気になります。どうも、骨折していないのに、感覚に異常があるんですよね…。まあ、仕方ない部分なんですができる範囲まででいいので、元に戻って欲しい所ですさあ、この外からは異常が分かりにくい足たちよ。頑張ってくれたまえ何気に初写真。
このシリーズは今回で最後になる。最後まで読んで頂ければ幸いだ。帰り道、母が「お茶でも飲んでいく?」と話しかけて来たが無視して途中から母と別れて帰った。(ちなみに母が私を気に掛けるのはすごく珍しい事だ)絶望のあと怒りが湧いた。本当に困っている人間をあっさり切り捨てた判定員にもだが母にも失望した。子供時代の事聞かれた時に、母は私が中学時代いじめに遭っていたことを知っていたそうだ。私は中学時代それはひどいいじめに遭っていた。たぶん私でなければ不登校になっていたと思う。うちは機能不全家族
元彼にまた何かあったらLINEで話し聞くよと返信してからは毎日のようにメッセージがきたおはよう☺️今日も一日頑張るぞ頑張ってね☺️と他愛もないやりとりをしたり始めはなんか楽しかった変な下心とかなく純粋に懐かしい!!この20数年間どうしてたの?という好奇心もあり色々教えてもらった鬱になり離婚に至った経緯も教えてもらった断片的にしか覚えてないけど自殺未遂して入院してたとかギャンブル依存症になり借金してたとか‥家に入ろうとしたら鍵が閉められてて暴れたら嫁に警察呼
前回まで、飛び降り未遂までの経緯を書きましたので、今日は手術までの経緯を書いていこうと思います。さて、救急車に乗って、病院にたどり着いた私。出血がないかの確認や(幸い、命に関わる部分については問題ありませんでした)、MRIやらレントゲンやらを取り、腰骨と足の骨折が判明しました。そこから手術まで10日くらいかかったわけなんですが、それまでの間大激痛でなかなかしんどい日々を過ごしました。もうね、痛みで眠れないんですよ、これが。マジでシャレになんないくらい痛い。当然寝たきり、起き上がったら
「まだこの世界ですか?」初めの記憶は、自らが放ったこの言葉だった。目の前のご年配の看護師さんが、同情したような、困ったような笑顔を浮かべながら答えた。「この世界が嫌ですか?」私はまた気を失い、暗闇すらない「無」の世界へ落ちていった。ヘリウムガスをタンクからチューブで袋に繋げて無酸素状態で吸うと、一瞬で意識を失う。そしてしばらくは記憶が断片的になるらしい。次の記憶は20代の学生みたいな医師に「死にたい気持ちはありますか?」と聞かれて「はい」と答えたことだ。死にたい気