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不妊治療や不育症検査など本当にお金がかかりますよね・・・不育症検査も項目を追加するとその分お金がかさみますが先生にススメられた検査項目でいいのではないかと夫婦で話して決めました。ちなみに今回の不育症の検査費用は、約6万くらいかかりました。病院によって金額は変わると思いますが私にとっては高いなぁ…と思いました。最近政府も不妊治療の費用を2022年春に保険適用にするなど動き出していますよね。あと不育症支援も盛り込むよう要望してくれたり子供が欲しい人や悲し
ブログの読者様へ私のブログを読んで頂き本当にありがとうございます!!先日までに書かせて頂きました≪火葬・・・6~娘が天国に逝くまで~≫までのブログに様々な方がコメントして下さりました。いろんな方々からのコメント頂きまして本当に有難く思っております!このブログは私の体験記ですので現在は過去に起きた娘の死産について過去を思い返しながら書かせて頂いております。あの時は・・・この様に思ったな。本当に悲しく辛かったな・・・思い返しながら書いております。
朝になった。。。起きて自然とお腹を触ってしまう。。。Mariaおはよう。。。大きくなったお腹は何も変わっていない。ないのはMariaの胎動。。。昨晩はあまり眠れなかった。。。泣きすぎだろう。。。瞼が重い夢であって欲しいと願ってもやっぱり現実だ。。。旦那:「おはよう」Mariaママ:「おはよう」旦那:「今日は必要な物取りに行ってくる。。。あと、色紙とかスタンプ台とか買いに行ってくる。」Mariaママ:「分かった。何か必要なものあれば連絡する」お別れ前の大切な時間の為に
菊田さんに案内され診察室へ向かった。Mariaの心臓が動いてないと言われたあの診察室だった菊田さん:「まずはエコーでお腹を見ますので、お腹を出して横になってください。」Mariaママ「はい」もしかしたら。。。っと思ってしまった。。。お願いMaria。。。そんな気持ちで待っていたら先生が来た加藤先生:「失礼します。宮内も昨晩見させて頂きましたが、私の方でもう一度確認致します。」お腹にエコーをあてる。。。加藤先生:「心臓ここですがやはり動いてないです。子宮内胎児死亡です。」
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。妊娠周期38週2日救急車で日赤病院に運ばれ、緊急の入口から搬送される。名前と生年月日を伝え、救急の先生から改めて状況を確認される。「マタニティ病院でお伝えがあったように、もう赤ちゃんは助かりません。このままだとお母さんの身体が危なくなるかもしれません。輸血も必要になるかもしれません。ですが、今既に陣痛の間隔も短い状態なので、帝王切開はリスクが大きいのでお母さんの身体を一番に考
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。暫くパパとママ、くぅちゃんの3人で過ごして、15時頃やっと病室の準備が出来たと、婦人科の個室を用意してもらった。赤ちゃんの産声が聞こえるこの分娩室に12時間以上、、早く出たかった。産科の大部屋とかじゃなくて本当に助かった。個室に移動すると同時に、私の母(父は他界)、兄家族、姉家族がくぅちゃんに会いたいとお見舞いに来てくれた。九州にいる義理父と母も飛んで来てくれたけど
母のお弁当を食べ終え、ベッドに横になった。なんとなく少しお腹張るかなーって感じはあったが痛くはない。。。旦那:「ただいま」母、Mariaママ「おかえり」旦那:「もう少し早く戻ってこようと思ってたんだけど。。。ごめん。。。」Mariaママ:「大丈夫だよ」旦那:「どぉ?」Mariaママ:「少し張るかなっていうのはたまにあるけど、痛くないんだよね。。。」旦那:「そっか。。。今日もMariaに会えないかなーそう言えば検査の事先生にあとで話さないとね」Mariaママ:「分かった。」
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。夜はパパと手を繋ぎながら眠った。ここに長男もいてくれたらと思ったけど、私も旦那ちゃんも、一緒に寝れることが救いだった。夜中、私も旦那ちゃんも寝ては起きての繰り返しだった。起きる度にギュっと手を握ると強く握り返してくれた。浅い眠りのまま迎える毎日、入院生活は物凄く長い時間が経ってるような気がした。1日が長い。会陰切開したところが痛いし、お尻が痛い。点滴の針が痛い。両腕
11/15AM:0:30妊娠後期からトイレが近くなった。。。大体2〜3時間おきにトイレで目がさめるこの日も0:30頃起きてトイレに向かった。。。「あ〜〜〜眠い〜〜〜」用を済ませベッドに入る旦那は隣で気持ちよさそうに寝ている。。。「Mariaおやすみ〜」お腹を撫でながら呟いた。。。そう言えば。。。Maria動いてない????気のせいかな。。。寝てるのかな。。。臨月は胎動が少ないってネットにも書いてあったっけ。。。こんな時間だし。。。しばらく寝て様子見てみよ。。。
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。妊娠周期38週1日22:00先生が超音波の機械を持ってやってくる。私のお腹に機器をあて、赤ちゃんの心臓を確認する。「お母さん、見てのとおり、赤ちゃんの心臓がもう止まっちゃってるんだよね」妊婦検診のときに何度もみてきた、あの心臓のトクトクとした動きは全く見えず、エコー写真のような静止画な映像がわたしの目の前に映し出された。「でも、おかしいな。こんな出血があるなら胎盤剥離の
夫と結婚して今年で10年。私たち夫婦の元には、ふたりの男の子とふたりの女の子が来てくれました。正直、本格的に産み分けをしたことはなく。みんな、自然と来てくれた。妊娠できるだけでも幸せなことなのに。本当にありがたいことでした。4人目にやってきてくれたのが、よんちゃんでした。1人目である長男は、男の子と知った瞬間大喜び。妊婦健診に行ったこともある。先生がいつもより分かりやすくエコーをしてくれて、長男はとてもニコニコとして話を聞いていた。毎日お腹に話しかけ、一緒に遊べる日を楽しみに
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。「もう、赤ちゃんは助からないんですよね?」わたしの問いに、先生はこう答える。「少しでも脈があれば今すぐ緊急帝王切開をするんだけどね、、。でももう心臓が動いてないからね、、。」助産師さんが悲しそうな顔でわたしを見つめる。やっぱりもう、赤ちゃんは助からないんだ。。まさか、、こんなことが。。呆然として、涙を流す暇もなく、陣痛の痛みがやってくる。何で、どうして?何がいけなか
朝になった。。。今日から入院3日目だ。。。旦那も私も瞼がパンパンに腫れている。7:30血圧と体温チェックがあった。朝から旦那が色んな所に電話をしバタバタしていた。。。旦那:「優希、俺今日はお昼過ぎまで仕事あるんだ。。。こんな時に本当ごめん。。。」Mariaママ:「大丈夫だよ。今日はお母さんも来るから。」旦那:「出来るだけ早く戻ってくるから。。。」そう言うと着替えを済まし仕事へ向かった。旦那は自営業だから調整できる時は仕事を調整してくれ出来るだけ側に居てくれた。。。本当に心
※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。思い出しながら書いてます。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。くぅちゃんが亡くなった日まで一緒にランチしていた地元の仲良しメンバーは、週明けにまたお茶の約束もしていたから、出産後入院中にLINEで報告しました。その他出産までに会おうと言っていたお友達、地元に帰って会ったお友達は出産したら病院まで赤ちゃんに会いにいくね、と言われていたのでLINEで報告。大阪に地震があったことで大丈夫
お昼過ぎに母が来た母:「遅くなっちゃったけど具合どぉ?」Mariaママ:「うーん。。。特に変わらずかな」促進剤の量も増えているが、特に体調は変わらない。。。横を向いたり、座ったりして体制を変えてみたが投与前と変わらない。。。これ本当に効くのかなーなんて旦那や母と話していたーーーーーーーーーーーーーーー旦那:「ちょっとお手洗い行ってくる。」Mariaママ:「行ってらっしゃい。」旦那がトイレに行ったその時。。。うん!?うううん!?!?!?何かお腹が張ってきたような。。。ぐ
久々の投稿になってしまいました。実はずっと記録して保存していた記事が全て消えてしまっていて復旧作業をお願いしていますが出来ていなくて。。いつになるかわからないので、もぅ半分諦めました、、。※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。思い出しながら書いてます。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。■2018年6月24日(日)くぅちゃんがお骨になってからお経をあげたりできていなかったので、実家で祖父、祖母と父の月命日に来て貰ってい
色々と準備をし久々に私服に着替えた。入院してから病院の入院着だったので何か変な感じがした。そうこうしていると、母も到着した。旦那:「そろそろ行こうか。」Mariaママ:「うん。。。」ナースステーションで挨拶をし、エレベーターで1階へ。土曜日だったこともあり、病院内は静かだった。休日診療の入り口を出て、久々の外だ。4日間しか経っていないのに、すごく新鮮な気分だった。見知らぬ土地に来たようなそんな気分だった。車に乗り、病院を出発した。。。車の中から見た景色は、今までとは180度
「では次にモニター検査です。少々お待ちください。」しばらくすると看護師さんにお腹に2本のベルトを巻かれ、バスタオルを被せられた。。。ゴワァンゴワァンゴワァンゴワァン、、、、、元気なMariaの心音が聞こえる看護師:「赤ちゃんが動いたらボタンを押してくださいっ」Mariaママ:「は〜い」「Mariaの心音早いなぁ〜」「あ!今蹴った!!!!」「ぐねぐね動きすぎ〜」「もうすぐMariaに会えるな〜」そんな事を考えていたら。。。。診察室の扉が開き、看護師さんが入ってきた。
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。暫くして先生が入ってきて改めて今回の死因について説明された。【胎盤】・目視できる限りでの損傷はなし・その為常位胎盤早期剥離の可能性はなし・へその緒の位置も正常【その他】・へその緒が巻き付いていることもなし・胎児自体の染色体異常もなし【考えられること】・胎盤の血管が詰まり、栄養が送れなくなったという可能性があるが、目視では確認できない為病理で検査へ。結果が出るのに2
死産宣告された日のことを書いていきます。2019.09.09予定日から3日朝7時夫は予定日付近の仕事を何日か休んでくれていたこの日は私の母が朝から来てくれる予定になっていたので、夫は久しぶりの出勤予定だった朝ごはんを夫と食べた私はロールパン2つとヨーグルトにブルーベリージャムを少し乗せたもの前駆陣痛っぽいものを4時前までアプリでカウントしてたから、寝不足で辛い臨月付近になってから妊婦湿疹みたいなのに悩んでて痒みでまともに寝れない日も続いてたいつもご飯を食べてたら胎動があるのにな
最近どうしようか考えていることがあります。それは、≪喪中はがきをどうするか≫です。娘を亡くしてから死産だったとしても戸籍に載っていなかったとしても亡くなった方がいる家族は喪中ハガキを出すのが一般的だと思っていて娘も同様に例えお腹の中で亡くなったとしても40週6日までは元気に生きていて命があったことには変わりないと、思っているので喪中はがきを出そうと思っていました。なので問題は≪文章をどうするか≫でした。ネットで色々調べると誰が亡くなったか書かないタイ
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。くぅちゃんと一緒に過ごせる最後の夜は、朝までお部屋で一緒に過ごした。退院の日。そして火葬の日。最後のお別れの日。桐箱が部屋に届き、最後のお別れの準備。この可愛い可愛い、寝んねのくぅちゃんを見るのもあと数時間。最後にまた二人で、パパとママで、これでもかっていうくらい写真を撮った。そして小さな身体を抱っこしてぎゅっと抱き締めた。本当ならまだブカブカのお洋服を着せて、こ
また今回もダメだった。そう思い、早めに見切りをつけて気持ちを切り替えたものの、なかなか生理は始まりませんでした。トイレに行く度、トイレットペーパーとにらめっこ。なんとなく、薄く茶色のおりものが混じっているような、いないような…そんな日が2、3日続きます。その他に体調の変化もなく。これまでの私は、基礎体温こそ微妙だったものの、生理周期はずっと規則的でした。生理予定日から4日程過ぎたとき、ようやく、これは、ついに!!!!!!と、いう思いが湧き上がってきました。夫に報告すると、「仕
※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。思い出しながら書いてます。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。■2018年7月18日(水)この日は本当なら我が子と一緒に迎える一ヶ月検診の日でした。一日に平均何グラム増えているかな、どれくらい順調に大きくなったりしてるのかな、とかドキドキしながら迎えてたはずのこの日。でもこの検診はわたしだけ。くぅちゃんはこの世にいないのだから。でも同じように出産した身体、ハイリスク外来だけど産科
昨日は娘がお空に行ってしまって三回目の月誕生日≪三ヶ月経ったんだ≫と、思う気持ちとまだ三ヶ月長かったような時が止まっていたようなそんな気分です。私達は、娘を手元供養しています。娘を出産した時は里帰り出産でした。実家から住んでいる家へ戻る時に自宅でどうゆう風に手元供養しようか悩みました。実家は仏壇が無い家なので仏壇を置くことを考えられなかったのですがお線香とお水とミルクはお供えしようと思っていたので少し仏具を買って思い出コーナー
死産を経験した今娘のことを思い出して泣く日々ですが・・・お腹の中だけど娘と一緒に過ごした日々を思い返すことで娘がいた証をブログで残すこともいいなぁなんて思えてきました。いろんなことを振り返ったりすることで自分の気持ちの整理にもなるかな・・・私は27歳で結婚しました。変なこと言いますがこの歳での結婚を予想していたみたいです。高校生の時に友達となぜだか覚えてないけど人生の未来予想図を書いて遊んだことがあります。私「勉強は嫌いだから大学には行かないかな。」(結果、高
自分用の記録でもある為長くなります…いつも、いいねありがとうございます◡̈⃝メッセージも嬉しいです!ありがとうございます。夫は何度もなんでこんな事になったんや…こんな事ってある?と大泣きしながら言っていたそれでも私の事を1番に心配してくれていた「お前あんなに頑張ってくれてたのに…」彼は何度も言っていた元々、私の母がうちに来てくれる予定だった日すでに電車でこちらに向かってくれている母に夫が連絡してくれた。電車なのはわかってたけど内容が内容なだけに電話してくれた(電車での通
第二子の娘が産まれた日から入院していた2日間色んな助産師さんや院長先生師長さん第一子と第二子取り上げてくれた先生がなん度も会いにきてくれたついに私の涙腺が崩壊して泣き出した際にはたくさん泣いていいんだよ!!!辛かったよね大変だったね無理しなくていいんだよぽんださんは十分に頑張ったよー頑張り過ぎたよーって言ってくれて産まれた娘を綺麗な赤ちゃんと褒めてくれて命名用紙も書いてくれた臍の緒もくれて手形足形もとってくれて可愛い天パも少しだけ切って残してくれた棺もお花も用
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。入院生活は出産と同じ一週間だったけど、赤ちゃんのお世話がないからか、何もすることがなかった。その分、くぅちゃんと居たいだけ一緒に過ごすことができた。解剖は悩んだ結果、くぅちゃんの身体を傷つけてしまうのが辛くて断った。でも、お別れはしなくてはならない。入院中は赤ちゃんのお世話はなかったけど、くぅちゃんとのお別れの手続きをしなければならなかった。助産師さんから必要な手続