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ちょっと待って。。。頭の中が真っ白だ。。。状況が理解できない。。。Mariaがいつもと違うのは分かっていた。。。でも。。。心臓が動いてない。。。状況が理解出来ていない私に先生がエコー画面を見せてくれた。。。いつもピコピコと動いていた心臓キックしたり手を伸ばしたり動いていた手足画面に映るMariaは何一つ動いていなかった。。。涙が溢れ出てくる。。。先生:「ご主人お呼びしても宜しいでしょうか?」返事をしたくても出来ずただ頷いた。。。旦那が診察室に入ってきた。。。溢れる
菊田さんに案内され診察室へ向かった。Mariaの心臓が動いてないと言われたあの診察室だった菊田さん:「まずはエコーでお腹を見ますので、お腹を出して横になってください。」Mariaママ「はい」もしかしたら。。。っと思ってしまった。。。お願いMaria。。。そんな気持ちで待っていたら先生が来た加藤先生:「失礼します。宮内も昨晩見させて頂きましたが、私の方でもう一度確認致します。」お腹にエコーをあてる。。。加藤先生:「心臓ここですがやはり動いてないです。子宮内胎児死亡です。」
朝になった。。。起きて自然とお腹を触ってしまう。。。Mariaおはよう。。。大きくなったお腹は何も変わっていない。ないのはMariaの胎動。。。昨晩はあまり眠れなかった。。。泣きすぎだろう。。。瞼が重い夢であって欲しいと願ってもやっぱり現実だ。。。旦那:「おはよう」Mariaママ:「おはよう」旦那:「今日は必要な物取りに行ってくる。。。あと、色紙とかスタンプ台とか買いに行ってくる。」Mariaママ:「分かった。何か必要なものあれば連絡する」お別れ前の大切な時間の為に
SNSに興味が無い私めんどくさがりで飽き性でやりっぱなしでも全然きにならない。そんな私が自分自身が納得いく最後まで書き上げることが出来ました。娘を失い悲しくて辛くて苦しくて絶望で自分を責めて生きているのも辛かった毎日そんな日々に天使ママさんのブログを見つけました。亡くなった時期が近いのにブログに書ける精神力すごいと思いました。そして『こんな悲しい思いを他の誰かがしないように』と、ブログに残すことで情報提供をしている所に感心しました。人に話
娘を出産後謎な体の変化が二つありました。一つは娘を出産し会陰裂創縫合術で縫合した部分が痛くなったこと。ヒリヒリして座るのも痛かったです。会社の先輩から円座クッションをお下がりでもらったのですがそれを使っても座るのが痛くて触れるたびに痛かったです。とりあえず我慢していたのですが・・・普通の自然分娩なら5泊するところを2泊で退院したことそして夫や両親が異常に心配したので痛くてどうしようもなくなった時深夜ですが病院に行くことにしました。火葬が終わって
検診が終わり、旦那の会社へ向かった。。。私の旦那は47歳自営業だ。。。私の年齢は33歳。一回り以上歳が離れている。何事にも一生懸命取り組む旦那が私は大好きだ(旦那との事は機会があればまた書きます)事務事などは手伝っているが今日来た理由は仕事ではない喪中ハガキを作りに来た私は旦那と旦那の母と旦那の父と4人で旦那の実家で同居していた。実は。。。脳出血で寝たきりだった義父が11/5にこの世を去った。74歳だった。。。義父は3年半前に脳出血で倒れ寝たきり状態自宅介護になり
最近どうしようか考えていることがあります。それは、≪喪中はがきをどうするか≫です。娘を亡くしてから死産だったとしても戸籍に載っていなかったとしても亡くなった方がいる家族は喪中ハガキを出すのが一般的だと思っていて娘も同様に例えお腹の中で亡くなったとしても40週6日までは元気に生きていて命があったことには変わりないと、思っているので喪中はがきを出そうと思っていました。なので問題は≪文章をどうするか≫でした。ネットで色々調べると誰が亡くなったか書かないタイ
娘が天国にいってしまって考え方とかいろんな事が変わった気がします。夫との考え方もたまに違うと感じることがありました。夫は、娘を失って5日目には会社に出勤しました。自分だけでもしっかりして妻を支えなければと、思ったのもありますが夫の両親も『いつまでも休んでられない。会社に甘えてばかりいられない』と、いう考え方なので・・・私達家族的にはもっとゆっくり休んでも・・・と、思ってましたが出勤を決めました。『夫婦二人で落ち込み沈んではいけない!自分だけでも頑張らな
あまり多く語られることのない赤ちゃんを亡くした夫婦の旦那側の気持ち…数日前、次女ひすいちゃんについて夫と話す機会がありました🌸私は毎日とはいかずとも、ちょこちょこ娘の写真をみては「可愛いなぁ🥹」って言っています。一方旦那は写真を見ませんし、私のように骨壷を抱いたり話しかけたりすることはあまりない。なんでー?と聞いてみると「まだ娘が亡くなったことを受け入れられてない。あの日で全てが変わった。」と。旦那「多分⚪︎⚪︎(私)より、娘が生まれてくるの楽しみにしてた。妊娠が分かってから
2023年4月1日見事に出産予定日を過ぎてしまい身体のキツさから赤ちゃん帰りからか長女の我儘に拍車がかかり実母がゴロゴロして娘をみてくれない事などをいちいちストレスに感じてしまいどんどんイライラする私「色々お世話になってるくせにこんなんじゃダメだ…最低だ…」そう思いながら"これはマタニティブルーなのか?""ホルモンのせい?"と感じていましたきっとお腹の中にいた赤ちゃんには良くない影響でしたごめんねちなみにこの日が出産予定日で丁度妊婦検診でした。赤ちゃんは特に問題は指
母のお弁当を食べ終え、ベッドに横になった。なんとなく少しお腹張るかなーって感じはあったが痛くはない。。。旦那:「ただいま」母、Mariaママ「おかえり」旦那:「もう少し早く戻ってこようと思ってたんだけど。。。ごめん。。。」Mariaママ:「大丈夫だよ」旦那:「どぉ?」Mariaママ:「少し張るかなっていうのはたまにあるけど、痛くないんだよね。。。」旦那:「そっか。。。今日もMariaに会えないかなーそう言えば検査の事先生にあとで話さないとね」Mariaママ:「分かった。」
2021.12.16いつもと変わらない少し肌寒い朝、ゴミ捨てに行ってお腹を撫でる。車に乗ってお腹を撫でる。今寝てるなら、検診の時にちょうど起きるかな。そう思っていた39週2日だった。診察でエコーを見ながら「いつ産まれてもおかしくないね」「体調どうかな?」って話してたけど、カーテンの向こうで他の先生を呼ばれる。どうしたんだろう?とエコーを見なおして、心拍がないことに自分でも気づいた。「最初に気づけなかった、ごめん」と言ってくれたのが遠くで聞こえた。私がしっかりしなければならないと、
2020年もこの時期になるとあっという間に感じます。私にとっての2020年は待望の娘を失い最悪な年でした。12月で月命日も10回目を過ごし当初は毎日大号泣をしていた私も落ち着いて、のんびり暮らしてます。娘を思い出して後悔したり悲しくなる時ももちろんありますが月日が経つにつれ自分を責めていた負の感情が薄れていった気がします。思菜について書くのもこの記事を入れてあと一つ!年内には書き上げるぞ!と、いう目標も今のところ達成できそうです。ラストスパート!思
宮内先生:「内診は夕方頃を予定しています。」Mariaママ「分かりました。」宮内先生:「失礼します。」一通り説明をし先生は病室を出た。。。菊田さん:「こちらをお読み頂けますか?」菊田さんは〜赤ちゃんを亡くされたご両親へ〜というプリントを私と旦那に渡してきた。菊田さん:「この中でも構いませんが、赤ちゃんとしたい事などあれば教えてください。」そこには、赤ちゃんと出来る事、赤ちゃんにしてあげたい事、赤ちゃんの産まれた証、葬儀について書かれていた。ーーーーーーーーーー赤ちゃんと出来
「では次にモニター検査です。少々お待ちください。」しばらくすると看護師さんにお腹に2本のベルトを巻かれ、バスタオルを被せられた。。。ゴワァンゴワァンゴワァンゴワァン、、、、、元気なMariaの心音が聞こえる看護師:「赤ちゃんが動いたらボタンを押してくださいっ」Mariaママ:「は〜い」「Mariaの心音早いなぁ〜」「あ!今蹴った!!!!」「ぐねぐね動きすぎ〜」「もうすぐMariaに会えるな〜」そんな事を考えていたら。。。。診察室の扉が開き、看護師さんが入ってきた。
死産宣告された日のことを書いていきます。2019.09.09予定日から3日朝7時夫は予定日付近の仕事を何日か休んでくれていたこの日は私の母が朝から来てくれる予定になっていたので、夫は久しぶりの出勤予定だった朝ごはんを夫と食べた私はロールパン2つとヨーグルトにブルーベリージャムを少し乗せたもの前駆陣痛っぽいものを4時前までアプリでカウントしてたから、寝不足で辛い臨月付近になってから妊婦湿疹みたいなのに悩んでて痒みでまともに寝れない日も続いてたいつもご飯を食べてたら胎動があるのにな
お昼過ぎに母が来た母:「遅くなっちゃったけど具合どぉ?」Mariaママ:「うーん。。。特に変わらずかな」促進剤の量も増えているが、特に体調は変わらない。。。横を向いたり、座ったりして体制を変えてみたが投与前と変わらない。。。これ本当に効くのかなーなんて旦那や母と話していたーーーーーーーーーーーーーーー旦那:「ちょっとお手洗い行ってくる。」Mariaママ:「行ってらっしゃい。」旦那がトイレに行ったその時。。。うん!?うううん!?!?!?何かお腹が張ってきたような。。。ぐ
私は、娘を正常分娩で産むことが出来ました。医療行為は、会陰裂創縫合術くらいで陣痛促進剤なども打ちませんでした。娘が出てきたときに自然に裂けたようで、そこを縫ったくらいでした。私の体は、無駄にピンピンしていました。分娩室から病室に戻る時も車椅子を進められましたが、普通にスタスタ歩けました。本当に私は赤ちゃんを産んだのか・・・夢だったのかな・・・って思うほどに。トイレだけが物凄く緊張しました。色々と慎重に・・・力を入れ
菊田さん:「今すぐに決めなくても大丈夫です。落ち着いてからまた聞きますから。お母さんとお父さんでゆっくり話して決めて下さい」そう言って菊田さんは一旦ナースステーションに戻った。その後、お昼ご飯が運ばれてきたが食欲などあるはずもなく全て残した。。。旦那と母にお昼ご飯食べてっと声をかけたが、2人とも食べなかった。。。しばらくして旦那が病室を出て行った。きっとトイレにでも行ったのだろう。。。そう思っていた。。。病室のドアが開いた。。。きっと旦那が戻って来たんだろう。。。Maria
「お名前はゆうこですか?ひろこですか?」妊娠37週、臨月に入った私は入院していた病院で大出血をし、救急車で大学病院に転院させられた。救急車からストレッチャーで下ろされた私に、ある看護師がそう叫ぶように声をかけてきた。さらに「保険証はありますか?」と続いて聞いてきたのだった。息も絶え絶えに私は「ゆうこです」と答えた。大出血し、お腹の子どもの心拍も聞こえなくなってしまっているというのに、こんな私に保険証のことなんか聞くなんて、と私は比較的しっかりとした頭でそう思っていた。今
子ども達4人を乗せた賑やかな車が、我が家に到着しました。よんちゃんのお骨が眠る、我が家に。夫が、赤ちゃんを連れて自宅に入りました。その周りを3人の子ども達がまとわりついていました。私は、少しの荷物を抱えてゆっくりと自宅に入りました。久しぶりの自宅。10日前に、大きなお腹で自宅を出た。あの時、お腹の中にいた赤ちゃんは、今、私たち家族に抱かれている。よんちゃんの時は、妊娠37週でお別れしたから。最後の最後まで、不安で不安でたまらなかった。だから、本当に、良かった。そう思い、久し
ご覧いただきありがとうございます3度の流産高度不妊治療を経て授かった赤ちゃんは16週での破水それから5ヶ月続く切迫流産&切迫早産を乗り越えて明日会える!という日に臨月で子宮内胎児死亡となりました2回目の流産▶︎読んでみる不妊治療▶︎読んでみる16週で破水した話▶︎読んでみる死産宣告▶︎読んでみる不妊治療中も死産後もたくさんのブログを拝見しました。私の体験もどなたかのお役に立てれば、と思って記録を残しています。四十九日四十九日は、特別
病院の配慮で旦那が泊まれる手配をしてくれた。夜が来るのが不安だったのと、少しでもMariaと3人で過ごしたかったので、病院に感謝しないとねっと旦那と話していた。トントン「。。。。。」Mariaママ:「お父さん!?」父:「お母さん迎えがてら様子見に来たよ。」Mariaママ:「ありがとう」父:「正直びっくりしてる。。。何て言ったらいいか。。。」父のこの一言、何て言ったらいいか。。。言葉が見つからないのだろう。私は下手に励まされたりするよりもよっぽど良いと思った。(次があ
不妊治療や不育症検査など本当にお金がかかりますよね・・・不育症検査も項目を追加するとその分お金がかさみますが先生にススメられた検査項目でいいのではないかと夫婦で話して決めました。ちなみに今回の不育症の検査費用は、約6万くらいかかりました。病院によって金額は変わると思いますが私にとっては高いなぁ…と思いました。最近政府も不妊治療の費用を2022年春に保険適用にするなど動き出していますよね。あと不育症支援も盛り込むよう要望してくれたり子供が欲しい人や悲し
入院中私の体温や部屋の温度で娘の体が悪くなるのが怖いからと抱っこをしていいのか・・・抱っこをしたとしてもアイスノンごと抱っこしました。ひんやりしている娘思菜は冷たいねママ体温高いから大丈夫かな・・・娘の寝顔を見るたびに可愛くて可愛くて本当に可愛くて涙が溢れました。アイスノンが温くなったら、何度でも取り替えてもらいました。悪露の具合
私のブログをご覧頂きありがとうございます。またフォロー申請して頂いた方ありがとうございます。承認が遅くなってしまい、また更新も出来ず申し訳ございませんでした。死産から約一年と三カ月経ち、私の中で気持ちが少し落ち着いてきたのと、色々とありました。また自分のペースですが少しずつ更新していこうと思っています。これからも宜しくお願いします!
ツイッターやアメブロで次々と新たな天使ママさんからフォローをいただきます。死産や流産がなくならないことに胸が痛みます。まだ赤ちゃんを失って間もない天使ママさんに伝えたいことは悲しみの形は変わっていくよって事です。とてもまだそんなこと思えないかもしれません。でも、本当です。そして、あなたは決して1人じゃありません。SNSでたくさんの天使ママさんがいます。私もそこで救われた者の1人です。声をかけてくれて、寄り添ってくれて本当に嬉しかった。孤独な気がしていたけれど、同じような
ご覧いただきありがとうございます3度の流産高度不妊治療を経て授かった赤ちゃんは16週での破水それから5ヶ月続く切迫流産&切迫早産を乗り越えて明日会える!という日に臨月で子宮内胎児死亡となりました2回目の流産▶︎読んでみる不妊治療▶︎読んでみる16週で破水した話▶︎読んでみる死産宣告▶︎読んでみる不妊治療中も死産後もたくさんのブログを拝見しました。私の体験もどなたかのお役に立てれば、と思って記録を残しています。※過去の記録ですリアルタイ
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
明日は娘の月命日です。私達は娘を手元供養にしています。娘のお骨も私達のそばにいます。朝に花の水を変えて、ミルクとお水を取り替え夫婦一緒に毎日お線香をあげて手を合わせます。おはよう。おやすみなど挨拶はもちろんのこと、娘に声を掛けています。手元供養にして、お骨を見ることで悲しい気持ちにもなりますが苦しく辛い時は娘のお骨を抱っこすると気持ちが落ち着く時もあります。娘の名前は季節の花から取って付けました。私は花が好きで女の子には花の漢字を使った名前にしたいと思っ