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こんばんは。最近の母ですが、手術から一週間ほど経過し、リハビリが始まりました。動かなくなっていた脚の調子もよく、月曜に面会へいくと自分の脚で歩いて面会場所まで来てくれたのでとっても嬉しかったのです。母の言動の調子もよく、手術したおかげだね〜〜なんて言っていたのですが……。ここ数日、医師の口から不穏な言葉が出ている模様……。摘出した部分の腫瘍が「再発したものだった」と言われたそうです。医師が多忙のため、詳細はまだ説明いただけていません。また、摘出したのは腫瘍の9割ほどのようなのですが
今日は午前中手術の説明があった今日まで散々色んなこと調べてたくさんのブログ記事も読んでいたので先生が話すことは自分が何度も見た内容とあまり変わらなかった。夫の腫瘍は6センチで左前頭葉にある言語や認知力の低下、性格が変わったりする介護が必要になる可能性もあるそうならないようできる限り最善をつくすつもりだけどどうなるかはわからない今後の放射線治療の過程で悪くなる可能性もあるし術後リハビリで今くらいの状態に戻れるかもわからないみたいな感じだったかな左前にあるのは紹介
4/27(土)旦那、一時退院。また5/1には入院だけどね前日に退院は手続き諸々含めて11時頃になると言われたらしい。しかし一分一秒でも早く家に帰りたい夫は「早まる可能性もあるから10時15分くらいにはきて!!」と私に何度も言っていたよ当日の朝旦那からのLINE↓なんかいつの間に15分早まってるしなんなら旦那は9時前からスタンバってた。笑家までの帰り道は本当に嬉しそうでテンション高くしゃべってて元気そうだったでもやっぱ家だと病院より刺激が多いのか寝てる時間多
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを書き留めておきます。最近、毎月このフリですね。苦笑●お義母さん(奥さんのお母さん)は5年前に亡くなられているのですが、コロナ禍もあって納骨が出来ず、遺骨はお寺でずっと保管してもらっていまし
午前中に主治医から電話夫手術前から熱があって術後もずーっと熱が続いてるんだけど原因がはっきりしないからそれは様子見とのこと。感染症じゃないといいけど、、最短で水曜日予定だった退院は伸びるみたい(病院嫌いの旦那は今ごろ萎えてるだろうなぁ)それとオプチューンのこと。一度私も同席で話すことになった先生がどういう伝え方するかはわからないけど、病気のことや予後にも踏み込んだ話になるかもしんない。先生も医者としてできる治療を説明して薦めることが自分の仕事だからと。旦那が即
夫の脳腫瘍発覚前主な症状は寝てばかりってことと頭痛だったんだけど時々変な発言があってそれも気になってた夫の変な発言(これがせん妄というのは最近知った)1️⃣息子はいつ○○に転校すんだっけ?○○は夫の職場の最寄駅。転校の予定はないし急にそんなこと聞かれて「何言ってんの?」と答えたふざけてんのかなと。2️⃣今日は息子の学校に行くんだっけ?これは病院に連れてく日の朝。「何言ってるの。病院に行くんでしょ。」って答えたらそっかーと。布団から起き上がらせるのも大変でスイッ
こんにちは。みそしるです。一か月も更新しないなんて・・・タイトルに書きましたが、今日は前々から思っていたことを書いていこうと思います。私は今でこそおっぱい揉みたいとか言ってる変態オヤジですが、末期がんを宣告されたとき。余命半年と宣告されたとき。流石に凹みました。末期がんで余命〇〇日文字にしてみれば、ドラマや知り合いの知り合いの噂とかで耳にする言葉だと思いますが、当の本人においては青天の霹靂と言いますか、「えっ?もう助からないの?」と落ち込み
久しぶりのブログ更新。年が明けてから、身辺がバタバタしていたのでブログを放置していたところ、3ヶ月以上も更新していなかった。てへへ。私が髄膜腫の手術をしたのは2023年2月だから、“2024年2月には、術後1年の所感をブログに書こう”なんて思っていたのに、このありさま。所感というほどの感想も特にないので、3月のMRI&脳神経外科の受診について。術後1年のMRI前回、2023年の8月の術後半年のMRIでは、造影剤を入れたところ、痛みで数日腕が上がらなくなり、先生にぶつぶつと不満を
夫が食べず、話さなくなってから、27〜38日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月11〜16日手術から10〜15日後オンライン面会はできないので、基本的に何か用事があった時に病院から電話がかかってくるのを待つだけしかできない。夫の様子は全くわからない病院のスタッフさんたちと何か会話をしているのだろうか?ほんの1ヶ月前までは、普通に日常を過ごし、家族と話し、テレビを見て携帯を触って過ごしていた日々を今は一日中何をやって過ごしているの
『病気と治療の経緯まとめ』https://profile.ameba.jp/me?frm_id=v.jpameblo&device_id=4b649cad749449f58d4f8af…ameblo.jp今日は2週間に一度のアバスチン点滴の日。採血、診察、ここまでは良いのですが、治療は始まるまで、すごい待つので、嫌だなーなんて思いながら、通院、治療できることを感謝にかえねばと転換!先日オプチューンの会社の人と電話で話していたのですが、先月200回も高温アラームなっていたらしい。。私
4/16(火)夫は和田テストと呼ばれるいわゆるきき脳を確定させる検査を受けたブログ色々見てきたけどあんまりこの検査してる人いないような、、右利きの人の95%は左半球が優位なので夫もそうだろうなあと思ったけどまぁやっぱそうだった。もし右だったら結構攻めて腫瘍と取れるかもと言う話なんだろうけどそんなうまいこと行かないのはわかってた。夫の腫瘍は左前頭葉、言語機能も左で確定ということでより慎重な治療が必要ってことでしたあと脳の血管の流れ?を見る検査もやってあと
今日は変な天気☀陽が出たと思えば雨降ったり、かと思えばまた陽が出たり…ムム(˘•ω•˘)昨夜から恐怖の低気圧襲来でしたがとっても落ち着いていてレメディー効果を実感昼からもちょっと怖い気圧の変化があるので気を抜けないけど…初めての発作以降、30分~1時間起きに相棒ちゃんの様子を見ていたので落ち着き始めた最近でも必ず2時か3時に目が覚めるそして疲労蓄積なのか、小走り徘徊があっても起きれず寝たまま様子
こんばんは今日は少し性的な内容があるので、苦手な方はスルーしてねん。今日はね、昨日とは打ってかわって一日体調良く過ごせました抗がん剤も三日目。新しく追加でアバスチンもはじまったけど、副作用もなく過ごせてよかったよかった本日の家族からの忍ばせものは【黄桃の缶詰】でした美味しかった~子供の頃熱を出すとお母さんがいつも出してくれてたなー、あとはゼリーとかつるって食べられるもの。私今も大好物がゼリーとかババロアとかムースとかつるっと、ふわって固まってるもの入院してから子供の時以来、
娘の日🌷1ヶ月が早すぎますどうしてもどうしてもぶり返しますいったりきたりいまでもときには勢いで娘のところへといこうとする気持ちあの娘がいまも元気なら苦しくせつない涙を流し『愛でる』『愛おしい』って知らなかったこと『祥月命日』『葬儀や法要』外側からしか知らなかったこと当たり前の幸せが近くにあり過ぎて気付かなかった今月の月命日はとてもソワソワウロウロしてる来月は娘の誕生日と祥月命日だからザワザワが止まらない何をしても何を見ても涙してし
昨年10月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆最近気になった記事・ツイートをいくつか貼らせていただきます。【製薬会社に乗っ取られていく行政】製薬会社に乗っ取られていく行政。https://t.co/ZAgG5y0X3Ypic.twitter.com/dZPW2yJU8s—LaughingMan(@jhmdrei)September30,2023【米都市圏の乳児突然死症候群の50%
2022年4月5日みくは夜間ちゃんと眠れている。夜間、麻痺側の腕でママの首に腕をかけて抱きついてきてくれて麻痺側なのに、たまたまなのか、できたのかわからないけどもうこんな風にしてもらえるのがこれが最後なのでは...と思い胸が苦しい。夜中で起こしちゃいけないから迷ったけどこれをきちんと残したくて写真を撮った。めちゃくちゃ複雑。眠れない。疲れてるのに、眠れない。朝、脳外科T先生が来た時CT画像を全部写メさせてもらい昨日連絡したAドクターにすぐ転送。T先生と少しお話し。・前
『あっち側の人間って』ゴールデンウィーク最終日長女を車で駅まで送って行く時のこと夫が後部座席から助手席の長女に仕切に話しかけていました。俺はあっち側の人間になりたかった。今は頑張っ…ameblo.jp前回のブログでがっかりする発言をした夫。ゴールデンウィーク明けも仕事に行ってます。ただ職場が忙しい様で残業をしました。連休明け初日の火曜日に2時間。元々7時間半勤務なので、9時間半の勤務になります。健康な男性なら全然大丈夫だと思いますが、脳腫瘍で高次脳機能障害の夫。9時間労働でヘロヘロ
今朝の夢おはようございます。今朝の夢に息子が出てきました。二度寝してよかった!息子と私が地球滅亡を救うメンバーに選ばれた。苦労して、何とか逃れる事ができ、会議室のような所で休んでいる。そこの大きなスクリーンにまた地球が危ないと映し出される。メンバーとして、また息子と私が選ばれたと書かれている。すぐ近くにお父さんと小さな娘さんの親子もいて、選ばれている。息子と「またーーーー。もう救ったしーーーー」と言い合う。「もうみんな死んじゃうんなら良くな〜い?」と言いながら、床に大の字にな
5/8(水)旦那38℃の熱とのこと実は息子も昨日から熱があって休んでる。今日も熱があって休んだんだけどこの前の尿検査が引っかかったらしく朝学校に二次検査用の尿届けに行った尿蛋白+で💧息子さん、よく熱出すんだよねぇ過去には川崎病で入院もしたし弱視とか反対咬合で眼科だの歯科だの定期的に病院かかってる、、ああ、そういえばすっかり息子の矯正記録書いてないな。実はこの前の検診でもしかしたら2個目の装置が必要かもと言われてまたお金、、かかるネ、、ってなってます。(至って良心
これを書くとああの人かとわかる方もいるだろう気づいてくれる人がいるならよりオッケーあの時書いていた時まだ全然良い人だったから主人前のブログを、一旦、やめてしまったのも、そんだけ順調だったからこの人このままずっと愛する人まともなお父さんでいるかもと思ったから書くネタなくなるほど良い状態だったから表題に戻ろう私は初めてじゃない初めてじゃないんだ愛する人が脳の病気になることはもう、とうの35年前....,私は主人の前に
私とオーナーは物凄く長い付き合い。私が10代のぱーちくりんでギャル全開の時からの知り合いです。その頃からオーナーは風俗業界やお水の世界にいるのだけど、見た目はいかにもそっち系とはかけ離れた冴えないおじさんです(笑)因みに四大卒です。今のお店の立ち上げから私は関わってるのだけど、というか半ば無理矢理オーナーにしました。自分が働きやすいお店が欲しくてちょうど無職で私の言うことを聞いてくれそうな人がたまたまいて、そそのかしてお店を立ち上げました(笑)今でもその時の事を笑い話でしますが「俺
主治医からの電話の時『主治医から電話』午前中に主治医から電話夫手術前から熱があって術後もずーっと熱が続いてるんだけど原因がはっきりしないからそれは様子見とのこと。感染症じゃないといいけど、、最短で…ameblo.jp「一時退院の時は熱ありました?」って先生から聞かれたんで熱っぽかったのであると思いますーって言ったんだけどさそれを知った旦那にキレられました「おまえ余計なこと言うな💢」「まじでさぁ、空気読めよ💢」ってガチギレですよ私のせいでなかなか退院できない仕事にならないと八
最近は検索することが病気のことばっかりなせいかYouTubeで「癌が治る人の特徴5選」みたいなサムネがオススメに上がってたよくポジティブがいいとか笑うことがいいとか聞くけどそんな感じかなー?って開いてみたら第一に鈍感力とあった癌になると体調の変化一つ一つに一喜一憂しがちだけどあんまり気にしないことが大事なんだよねーみたいな内容だった他にも腸内環境とか色々言ってたけどよく覚えてないや。鈍感力っていうかはわからんけど旦那は繊細なタイプではないと思う細かいこと、考えても
旅立ちから“1年”過ぎゆく日々はあっという間でした。今でも信じられない気持ちとあの子がいた日々は本当にここにあったのか不思議な、そんな、気持ち。未だに直視することができないアルバムや動画もありでも会いたい気持ちもありでも会えなくて。全然違う世界を歩きだしてるよ。ただ、ひとつ変わらなかったものはあの子への愛。愛は不変。ずっとずっと想っているよ。
おはようございます、ちょろママです。記憶が新しいうちに、倒れた日の事を。メモみたいなもんです。てんかん発作の描写がございますのでご容赦ください。先月16日、40歳になった夫。家族で誕生祝いをし、写真を撮って、翌日は家族でお出掛けしてお祝い。ありふれた家族の幸せを堪能したのち、和気あいあいと2/18-19で義父の70歳を祝った旅行に行ったりして、お祝いから日常に戻った2/20、それは突然に訪れました。20時に吉村屋のラーメンを食べるまで、異変はなかった、そう思います。
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
ドラマ「アンメット〜ある脳外科医の日記」アンメットある脳外科医の日記|関西テレビ放送カンテレ杉咲花が、“記憶障害の脳外科医”に!前代未聞の医療ドラマで、フジ系連ドラ初主演&初の医師役。過去2年間の記憶を失ったうえに今日のことも明日には全て忘れてしまう…“私はまだ医者なのだろうか—”葛藤を抱えながらも患者を救う脳外科医を演じるwww.ktv.jp今回はリアルタイムで見ましたすごくよかったです手術室のシーンでは号泣結局さみぃんないい人なんだもん雄大くんはママ大好きだし綾野先生