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10日間ほどの一時退院を終え手術の為再入院長男には前回の退院時、主治医から「明日からお家帰ってもいいけどまた病院へ来て入院してもらわなアカンから嫌がらんと来てや~」と言ってもらっていた何故か主治医の言う事は守らなアカンと思っている様で今回は思いのほかすんなり戻れたその日、術前のMRI、CT、レントゲン、心電図、麻酔科医の話、同意書にサインそして腫瘍摘出の執刀医、脳外科の先生から今回の手術の説明をしてもらう日主治医は血液腫瘍科の先生手術は脳神経外科の先生となる約束の時間に先生が
こんばんは今日は少し性的な内容があるので、苦手な方はスルーしてねん。今日はね、昨日とは打ってかわって一日体調良く過ごせました抗がん剤も三日目。新しく追加でアバスチンもはじまったけど、副作用もなく過ごせてよかったよかった本日の家族からの忍ばせものは【黄桃の缶詰】でした美味しかった~子供の頃熱を出すとお母さんがいつも出してくれてたなー、あとはゼリーとかつるって食べられるもの。私今も大好物がゼリーとかババロアとかムースとかつるっと、ふわって固まってるもの入院してから子供の時以来、
おはようございます、ちょろママです!ついにやってきてしまいました。意識的に毎日アメブロ更新してたら、自然と頭も心も整理されてきて、不意にめっちゃ泣くのは変わらないけど告知内容、書いてもいいなと思えるようになってきました。そこまで来るのに半月かかったし、全然受け入れられてもいないけど、最近は事務処理系も進められてるし、人に会おうと言う気持ちも復活してるし、子供の誕生日に向けて母業頑張ってるしビールも美味しいし(笑)少しずつ、下じゃなくて前を向けている。そんな気がしてます
このブログもいっそカテゴリ変えたほうがいいかな、、今日も記録と気持ちの吐き出し。今日会いに行ったら体調良さそうでたくさんおしゃべりした夫は「1%も心配してない」「俺は自信しかない。」って相変わらずで笑ったよね調子も良さそうでコンビニで買ったお団子も一本食べてたからほんとに大した事なくて夫だけは特別でなんとかなるのかもしれないとか思ってたら着替えてる途中に発作。ズボンに温かいのを感じて夫が失禁してることに気づくナースコールを押した。来てくれるまで不安で仕方
午前中に主治医から電話夫手術前から熱があって術後もずーっと熱が続いてるんだけど原因がはっきりしないからそれは様子見とのこと。感染症じゃないといいけど、、最短で水曜日予定だった退院は伸びるみたい(病院嫌いの旦那は今ごろ萎えてるだろうなぁ)それとオプチューンのこと。一度私も同席で話すことになった先生がどういう伝え方するかはわからないけど、病気のことや予後にも踏み込んだ話になるかもしんない。先生も医者としてできる治療を説明して薦めることが自分の仕事だからと。旦那が即
母がここまで体調悪くても鬱病だと思い込んでたのには理由があってそもそも最初の不調は不眠と食欲不振だったってのが大きかったぽい。『次は母。』自分の記録用。書き殴り。旦那が先月脳腫瘍と診断された病院に今日は母と行ってきました。『夫、脳腫瘍だった。』鬱病か、ひたまた甲状腺機能異常かと思ってたのに脳腫瘍…ameblo.jp普通あんな状態だったら心療内科より先に身体に異常がないか調べるよね。なのに思い浮かんでなかったらしいよでも自分の身体がやばいとは思ってたと。病院の待合室でぽつりぽつり
この記事のつづきです『「強く生きられるのはこれがあるから」って言えたらいいな』私は10年くらい前まで「カウンセリング」についてけっこう熱心に勉強していました離婚問題を乗り越えるのに必要だったからですっかりのめり込んでしまいスクールにも長…ameblo.jp「カウンセリング」を勉強し始めるまで私は気持ちを管理する方法がわからなかったのじゃないかな、と思いますいつも心の内側に熱く燃える感情があってそれがふとした瞬間にどんどん溢れ出てしまうのですそれは本当に本当に自分のためで
2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。◇経緯に関する記事のリンク◇・病院からの呼び出し・恐れていた(てんかん発作)・脳腫瘍が自然に小さくなった!・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍)・手術の日(前編)・手術の日(後編)・病理の結果。悪性度の高さに絶望・余命宣告・放射線治療・明らかに小さくなっていた腫瘍・ごく薄く写る程度に縮小した
6月になってしまいました…娘の誕生日も祥月命日も6月…色々準備しなければならないのにケーキのデザインを考えたりお花のアレンジを考えたりディナーのお店を探したり誕生日プレゼントを選んだり誕生日の予定祥月命日の予定どう過ごすかそれぞれ私が出来る精一杯をしてあげたい年月と共に薄れさせたくないなんだか私の意地みたいなもの私は突然のことや物音や色々を『きっと娘が忘れないでって言ってるんだ』って思うそれに対して主人は『長女が言ってるかのようにして自分が忘れ
動画↓(表示されない場合は再表示して下さい)#パンデミック条約反対#IHR改悪反対生物兵器を作る世界の常識国会議員で7~8回接種した議員が脳腫瘍になったり、男性なのに乳癌、スポーツ選手だったのに走れなくなるなど、著しい弊害が人工的にできたウイルスなら、他国では何故発生前からコロナパンデミックが予想され対策が施されてるのか?pic.twitter.com/Q5pGgy8t3m—くにもり情報室(@kunimorijyouhou)May31,2024あ
夫が食べず、話さなくなってから、48日目。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年3月29日手術から28日後手術を終え、1ヶ月。総合病院で過ごしていましたが、抗がん剤治療をするため、がんセンターへ転院が決まりました。夫の場合はこれから初期治療として、テモゾロミド(テモダール)
次男の大学の合格発表が来月にはわかる、と書いた2023/10/26の頃。ポツポツと心境を書いていましたが、合格が取れたら、次は主人のことを解決せねばと、策を練ってました。でも、すぐ合格取れるとは限らなし、受験シーズンの最後までかかるかもしれないし、でもなにしろ、次男の合格取れるが、今は一番大事!と、家族で頑張ってました。家が競売にかかって、大変な状態になってたことも、長男と、次男には、合格が取れるまでは、聞かせるのをやめようねと、隠し、何しろ、次男には万全な受験体制で挑めるよう、励んでもら
こんばんは。今日もお疲れさまです。今週もあと少しですね!前回のお話しに続いて総合病院での検査について書き留めたいと思います。クリニックから総合病院へ緊急搬送されたのは金曜日の夕方でした。緊急手術が必要か取り急ぎ造影剤を入れてCT撮影をしました。その結果、すぐの手術は必要なし。ただ、金曜夕方の搬送だったため病院は診療時間外で週明けでないと検査ができないと。この状況で自宅に帰って何かあっては困るから入院してね。とのこでそのまま入院しました。月曜日に造影剤を入れて、M
私とオーナーは物凄く長い付き合い。私が10代のぱーちくりんでギャル全開の時からの知り合いです。その頃からオーナーは風俗業界やお水の世界にいるのだけど、見た目はいかにもそっち系とはかけ離れた冴えないおじさんです(笑)因みに四大卒です。今のお店の立ち上げから私は関わってるのだけど、というか半ば無理矢理オーナーにしました。自分が働きやすいお店が欲しくてちょうど無職で私の言うことを聞いてくれそうな人がたまたまいて、そそのかしてお店を立ち上げました(笑)今でもその時の事を笑い話でしますが「俺
前回の記事では色んな視点からのアドバイスをありがとうございました。感謝です。5/17(金)5/2から始まった放射線治療は今日で11回目だった。過程の1/3を終えたところで調子を本人に聞いてみた!⭐︎寝起きと放射線終わった後は少しフワッとする⭐︎便秘は今はそんなにひどくない⭐︎吐き気はないし食欲もある⭐︎倦怠感はもうずっとだからよくわからない⭐︎放射線当ててるところの髪が薄くなってきてテンションが下がるとのこと。吐き気止めに関しては夫はテモゾロミドの服用が始まって
こんばんは!今日もお疲れさまです。今日は、なぜ脳腫瘍が見つかったのか書き留めたいと思います。一言で言うと『転職し働き方が変わっていなければ見つかっていなかった』です。脳腫瘍が見つかったのは2023年11月転職したのは2023年10月です。前職では、人材業界で営業職として企業に出向いて商談するのが仕事で一日中PCと向き合っているのは週に1回程度あるくらい。という働き方でした。社会人6年目になり、違う業務も経験したいと思い2023年9月に前職を退職し2023年10月か
こんばんは、ちょろママです。日曜の夜にこんな話する?って内容ですが愚痴ですwwwもう愚痴ですwww育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない~♪セロリでも謳ってますが育ってきた環境が違うと人の感覚は違うじゃないですか。夫の家族は全員O型。本当に自由ですwww『気にしなくていいわよ』とかいいながら完全にお客様です。退院前日(2/27)に義母が泊まって、その日の夜にテレビ電話で家族を繋ぎ夫の病状について説明しました。そもそも、私はこの説明も必要なのか疑問で、何を手伝
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
5/8(水)旦那38℃の熱とのこと実は息子も昨日から熱があって休んでる。今日も熱があって休んだんだけどこの前の尿検査が引っかかったらしく朝学校に二次検査用の尿届けに行った尿蛋白+で💧息子さん、よく熱出すんだよねぇ過去には川崎病で入院もしたし弱視とか反対咬合で眼科だの歯科だの定期的に病院かかってる、、ああ、そういえばすっかり息子の矯正記録書いてないな。実はこの前の検診でもしかしたら2個目の装置が必要かもと言われてまたお金、、かかるネ、、ってなってます。(至って良心
ちょっと前のことになりますが…5月30日に第3子が誕生しました。落ち着いてからこちらでご報告しようと思っていたら時間がたってしまい…ご報告遅くなりすみませんでした。ブログや各SNSを見ていて感じたことですが病児を持つ親や天使ママの場合、新しい命に関して悩むことが多い印象を受けました。かく言う私も、悩んだうちの1人です。もし参考になればと思い、ここまでの思いの経緯を記します。私たち夫婦は子供とワチャワチャ過ごすことが大好きでしたが・高齢であること・医学的に体外受精でないと妊娠が
5/11(土)夫、念願の退院。大体みんな10時とか11時退院らしいけど9時15分には来てと言われる。\この前より更に1時間早いヨ❗️/『4日間の一時退院』4/27(土)旦那、一時退院。また5/1には入院だけどね前日に退院は手続き諸々含めて11時頃になると言われたらしい。しかし一分一秒でも早く家に帰りたい夫…ameblo.jp遅れたら何言われるかわからんのでしっかり間に合うように行った当日のこのLINEを見ても彼が一分一秒でも早く病院から出たい気持ちが伝わるかと思います
45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年2ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこども>
これを書いてる現在時刻深夜2時退院してから概ね良好な旦那だけど私はこの2日でHPが削られてる、。なぜか?夫のいびきがうるさすぎる前からいびきはうるさいタイプだから寝る時は横向きをお願いしてたんだけど開頭手術を受けてからの彼は一切寝返りもしない仰向けスタイルもうね、、まじで爆音。横向いて寝れない?ってお願いしてみたら「傷が治るまでは無理‼️」って言われた手術から3週間以上経つし瘡蓋もびろびろと剥がれてきてるけど彼の言う傷の完治っていつなんだろう?痛いの?って聞いたら
5/10夫、今日は熱が下がって血液検査も問題なしB型肝炎のウイルスもなし感染症の可能性は未だあるもののとりあえず抗生剤をもらい明日退院ってことになった!それでさ病棟受付に聞きたいことがあったので旦那と行ったら、、なんか、、受付の人にめちゃくちゃ詰めるような言い方してて気になる...まぁまぁと口挟んだら「お前は黙ってろ!」って、なんかキレてるし。嫌だなぁ。これも前頭葉とったせい??ギリギリ素の旦那でもあり得そうだけど人前でもこんなすぐ怒る人だったっけ?
私は10年くらい前まで「カウンセリング」についてけっこう熱心に勉強していました離婚問題を乗り越えるのに必要だったからですっかりのめり込んでしまいスクールにも長く通いました20年かけて勉強したことは大きな病気と向き合っている今ものすごく助けてくれていると思いますPT10倍キャンペーン開催中!30日23:59分まで★Re:getA-リゲッタ-3200お試し版バックベルト付きオフィスサンダルレディース歩きやすい履きやすい疲れにくいオフィス楽天市場${EVENT_
「あなたのために~希少がん闘病者と妻の歩んだ1年9ヵ月~」(ギャラクシー賞奨励賞受賞作品)【第61回ギャラクシー賞奨励賞受賞作品】あなたのために~希少がん闘病者と妻の歩んだ1年9ヵ月~山形市に住む熊谷誠司さんが患うのは、がんの中でも最も治療困難とされる「膠芽腫(こうがしゅ)」。進行スピードが速く、再発リスクも高いことから〝心が失われる病気〟とも言われる。苦しい闘病生活の中でも、カメラを前メッ...youtu.be夫と同じ病気。膠芽腫。夫の最後もきっと、、って考えたら涙を我慢できま
2019年8月26日、84歳の母に悪性脳腫瘍(膠芽腫)がみつかり、治療しても翌年夏までもつかどうか、このままなら余命3ヶ月程と告げられましたが、超高齢の母にとってあらゆることを考え悩んだ結果、母には余命を告げず、積極的な治療をしない自宅療養(緩和ケア)を選びました。〔前編〕発覚から入院中の話です。『膠芽腫発覚から旅立ちまで(前編)』2年前の今日(2019年8月26日)、母に脳腫瘍がみつかり、「おそらく悪性脳腫瘍(膠芽腫)で余命は3ヶ月程」と言われた日。衝撃すぎたあの日から2年が経ち、当時
病院の前に着きこういうときは救急受付入り口と過去の経験から入り名前を告げると2階のICUの前で待てと言われるわあー処置してんのー!まいったどうなっているんだと3人で長椅子にお互いに無言でいると二人の制服警察官が来たえーとbooさんのご家族ですか?ご主人はどうですか?とまだ会えてませんここで待てと言われてますとつたえると・病気はなかったか・どんな仕事をしていたか・今日の様子はどうだったetc...闇雲に質問攻めははーそう来たか
生後半年の頃、脳腫瘍による水頭症を発症その後、脳腫瘍の摘出手術を経て、現在は抗がん剤治療中の生後9ヶ月の赤ちゃん次女のおはなしです。脳腫瘍/水頭症/抗がん剤治療付き添い入院/赤ちゃん/生後9ヶ月長期入院/成長ゆっくりベビーあれから2日後にお熱は下がりましたが、予定していた抗がん剤治療は全ては実施できず。初めは「熱が下がったらできなかった分をやりましょう」という話でしたが、採血の結果、好血球がかなり少なくなっていたため結局中止になりました。延期ではなく、中止。それで