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年末年始から2カ月間ばぁば休業した後、孫娘の自宅に戻ると家がまあまあ大変なことになっていて…まあ、それはとりあえず置いといて…孫娘、ばぁばが休業中の1月下旬に今まで全くなかった意識のある短い新しい発作が出現し、2月にも数回、孫娘の元に戻った3月の初旬には学校や自宅で毎日のように起こる『いきなり怯えた顔で強ばったままこちらにしがみついて来る』その発作に初めて遭遇した時には、ばぁばも本当に驚きました大体は意識もあり短いのでそのまま何事もなかったかのように直前の動作に戻りますが、
入院した頃ちょうど満開だった桜はすっかり青葉🌿になり、入院期間もサクッとひと月が過ぎGWは4日間自宅へ外泊し家族と過ごしましたが別に何処へ行く訳でもなく、病院で引きこもるか自宅リビングで引きこもるかの違いぐらいであっという間に過ぎ去りましたGWが明けて暫くしてから学校の転籍手続きも完了し、毎日院内学級に通っています地元の同級生から「孫娘ちゃんの名前が名簿から消えててビックリしたよぉー」と連絡が来たので、本格的に転校になったようです孫娘、4月から新しく始めた4剤目の【フィンテプラ
実は、R病院を退院する時にもらった書類を全てコピーさせてもらいました(R病院を全く信用していないので、そっと開けて勝手にコピーしちゃいました)そしたら、知らない情報がズラリ。説明されてないことが載ってて驚きですそのままPDFにして載せたいけど、見にくさ満点なので書き写しました。(重複してるところもあります)【入院時診断名】①重症新生児仮死②新生児呼吸障害【退院時診断名】①重症新生児仮死②新生児痙攣③痙攣重積発作④低酸素性脳症⑤てんかん⑥鉄欠乏性貧血【入院時問診】出
血液・MRI・MRA・脳波の結果を聞きに行ってきました。ぴくつきどうなんて。結果は特に気になる所もないらしい。てんかんも大丈夫そう原因不明てやつね「健康な方もなるしホルモンバランスとかも関係してるかも。あまり気になるならばお薬もあるけど依存になりやすいから辞め時は徐々に~」お薬もらっておいた方がいいか?とも考えたがぴくつきは寝入りの時になるからお薬飲んでも寝入りする時に起こったら一緒かと問題ないならもう少し様子みようか~結果だけなんで安い
2018年『平成』最後の年昭和人間の自分が新たな年号によりさらに歳を取ったと思い知らされる昭和→平成→◯◯を生きた女になるね気づけば明日(いや今日)で今年も終わるどうしましょう年末とは関係ない家事にここ数日大忙しで私、朝からあちこち行きまくり帰宅は深夜になっておりましたチーン(我が家に起きるドラマの様な出来事)本気でテレビ化出来るよ…私の人生ブログで吐き出そうかとも思うが笑えなさすぎてブラックすぎて書けやしないそんなこんなで年越しまでにしなきゃいけないことがまー
チャオーーーーーー!!!本日二本目。ゆいたんの検査のお話の続き。一話目はこちら。急遽、国立病院に向かうことになった私たち。「脳波検査を受けてください」その決め手となったのは、熱がないのに痙攣した事。3回繰り返した事。これにより、と言われました。熱性痙攣のときも、今回の無熱時の痙攣のときも、聞かれる事はだいたい一緒。初めて痙攣を起こした時にはテンパってしまうのは仕方がないことだし、焦ってしまってそれどころじゃないと思うけれど、とにかく落ち着いて。むしろ、痙攣してる
釣りばっかりのライスボールですブログ訪問ありがとうございます今朝の釣行でアウトバックビヨンドウロコ付けできたロッドが手元に届いておよそ1か月そして2ヶ月ぶりの釣果ヒットルアーは中華バックテールスピン10gこのタイミング実は2ヶ月前の釣果の記憶が無い釣りに行ったのは覚えているが釣行の途中からその日の記憶がほとんどない翌日、家族からも”ちょっと様子がおかしかったけど大丈夫?”と心配されたただ、携帯に釣果写真が残っていた写真データに日時、位
こんばんは♡今日、ふうちゃん、6歳のお誕生日を迎えました昨年も、こうやってお誕生日の投稿させてもらったなぁ〜なんて思いながら…今年も元気でお誕生日を迎える事ができて全てに感謝!の一言ですママは朝から色々思い出して泣きそうになってましたょ…色々あったなぁ。…大変だったなぁ。。まだまだこれからですが6歳はどんな年になるかなぁ昨年のふうちゃんの大きな出来事は、泣けるようになった事脳症後すぐは、寝てるか、泣いてるか…って感じホルモン治療とかも始まり、余計、チーン…でも、こ
『レット症候群』という病気を知ってから毎日毎日ネット検索する日々。先生と話をする時をどれだけ待ってただろう。ドキドキしながら診察室へ入り先生はいつも通り、穏やかだった。私はまず、療育に通う施設で、担当の方から『震え』の原因がわかった方がいいから、と言われた事を伝えた。そして、言うことを忘れないように前日にありさの現在の気になる動作、癖を記入してきた紙を先生に見せて、自分なりにネットで検索してたら、ありさがレット症候群というものの特徴と一致する、という話をした。先生は『レット症候群』
前に精神科の先生に言われたこと「この子はいずれてんかんを発症するでしょう」昔息子が通院していた大学病院にはフォローアップ外来はありましたが児童精神科はなく精神科医しか扱えない薬は処方出来ないと言われそこから半年待ってようやく辿り着いた児童精神科で言われた事です知的障害の方の中でも重度の方さらに自閉症スペクトラムもある方はいずれてんかんを発症する方が多くいますおそらくこの子も10歳を過ぎた辺りからてんかんを発症する可能性は絶対ではありませんが十分に考え
前回の診断結果から思うこと。まず、発達遅滞の伴うてんかんだと知ってガッカリした…それと同時に今まで薬が合わず苦労したこと、薬剤抵抗性があることの原因を理解した。いまだ発作が改善されない状況で10歳過ぎたらほんとうに発作消失するのか…現時点では発作のない生活が想像が出来ない。発達遅滞はどれほど影響しているんだろうか…どのくらい改善するのだろうか…将来の見通しが立たないことへの不安。今出来ることはなんだろう…発達を促すにはどう接してあげたらいいのだろう…と毎日考える。今まで何で
先日、静岡てんかんセンターでの検査入院が無事に終わったので、短く動画にしました。昔は電極つける時に大泣きしてたのに、今ではパックのジュース飲みながら余裕そうな顔でつけれるようになりました。ホント感慨深い。動画の最後、マイマイに「当時の自分になんて声をかけたい?」と聞いたら「大丈夫だよ、頑張って!」と言ってくれました。むしろ、へこたれそうになってた昔の私に聞かせてあげたいお言葉でした。
緊急入院翌日、ウエスト症候群の診断を受けデパケンの内服を始めたぶどう。一旦、外泊許可をもらって帰宅しました。残念ながら、その翌日に麦が風邪を発症。ぶどうに移ってしまうと、ACTH療法をスタートできなくなってしまうためぶどうと私は、外泊を終了して病院へ戻ることになりました。風邪をひき、甘えたい時に病院へ戻り麦を父親と祖母に任せてしまうことが、とても辛かったです。麦は泣きながら、窓の外をみて我慢していました。それを見守る祖母(私の母)も泣いていました。病院へ戻って
ど~も~でっかいおっさんです。入学式を遅刻した我が家の四男と妻『入学式でまさかの失態をしてしまった家族』ど~も~でっかいおっさんです。今週は入学式ラッシュの我が家『長女の入学式で感じたこと』いつも見ていただいてありがとございます夫のブログ私…ameblo.jp彼らを送って家に帰ったら携帯置きっぱなしだったんだけど大丈夫なのか?まさか四男の入学式の写真がこれだけ
長男は小2の夏に突如てんかんを発症しました。ベビーの時に一度熱性痙攣を起こした事はあるのですがそれとは別物です。息子のてんかんはローランドてんかんで、寝入りバナや起床直前に発作がおきます。一番ひどい時は小4の頃で月に一回は発作があり毎晩ドキドキしていました。だいたい発作がおきた翌日は吐き気がすごくて学校にはいけません。コロナで野外学習は日帰りになりましたが、修学旅行は帰宅するまでドキドキでした。毎年脳波検査に、三か月に一度診察があります。発作は高学年にはかなり落ち着いていた
しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も少し食べれるようになり、一番酷かったメンタルの状態からだいぶ落ち着いたように思いました。ある日、娘の顔を見ると気になる事に気付きました。右の唇横がずっとピクピクしていました。主治医の先生にも見て貰いましたが、多分ストレスではないかな?と言う事で様子を見る事になりました。しかし、そのピクピクは次第に酷くなりました。右顔面全体が、引き攣るように激しく痙攣する様になった
27日(水)に友達とランチして気持ちも少し前向きになって、その日のうちに令和4年春から開業した夫婦でやっている小児科に予約しました。なぜ、いつもの小児科じゃなくて新しく出来たばかりの小児科を選んだ理由は夫婦ともにてんかんの専門医だったからです。昨日初診をして、良いのか悪いのかわからないけど、今日の8時からしか脳波の検査枠が空いてなく連日にはなるけど、8時から受診して検査しました。頭に装置をつけて光の検査、わざと過呼吸を誘発するように3分間機械に合わせて呼吸を
ウエスト症候群の治療のためにした入院。その期間は6週間に及びました。ぶどうは哺乳瓶拒否の完全母乳でまだ離乳食を受け付けなかったため私はぶどうの食糧庫(?)として6週間24時間付き添っていました。その時の私の生活について、記憶をたぐって書いてみようと思います。①親の食事はどうしたか?病院に付き添い食はなかったため、病院の売店で弁当を買うか夫や友人が持ってきてくれる差し入れ弁当を食べました。②親はどこで寝たか?ぶどうの寝ているベビーベッドで添い寝をしました。
cswsてんかんの娘の成長記録です。緘黙あり、発達グレーのため支援級(小学3年生)在籍中。脳波の結果ですが、その前に前置きとして3月末~5月中旬までの発作は1分以上の発作が1回と10秒前後の発作が2回。ベンザリンを2mgにしてから週に一度あった発作が3週間も空き、喜んでいた。その後朝方に発作あり、デパケンを50mg増やすことになったが、それから1分以上の発作はなく受診日を迎えることとなった。なので順調に改善しているかのように思い、脳波の結果もあまり心配せず聞
痙攣の原因がわからないまま退院することになったので毎日また痙攣を起こすのではないかと不安で堪らない日々を過ごした。初めての痙攣が午睡中だったので寝てる間、目を離すことが出来ず脳波検査までの1ヶ月、毎日寝不足だった。初めて痙攣を起こした時、救急隊員に体温を測られ37.3℃あったことから熱性痙攣を保育園からは疑われていた。そのため、退院後の保育園では毎日頻繁に体温を測られており、37.0℃を超える度に電話が掛かってくるようになった。(通常は子どもの体温がやや高めなため明らかに発熱してるときの
小平にあるてんかんセンターに電話して3週間程で初診の予約を取れた。脳波検査をする度に紙で結果を貰えていたのでその結果と母子手帳を持って来院した。今までの生育歴なども含めて一時間程の診察だった。娘は診察室の中をウロウロしたり、ベッドからジャンプしたりと忙しなかったが、やさしい先生だった。そして脳波を見て、てんかん波出てるけど悪い波形ではない良性小児てんかんとして薬剤調整をする方向性で良いと思うと言われた。次はラミクタールを始めてみてはと言われ主治医からも次はラミクタールと言われ
『入院前に』検査入院が近づいてきたので、今日は髪をカットしてもらってくる髪を短くしてさっぱりしてから入院したいのと、数日間に及び脳波検査も受けるので技師さんが電極を付けやすいかもしれないしね
今日は気分が落ちてます。咳もなかなかにひどい状況。考え事しながら歩いていたらつい9000歩いってました。まあヨシ!月曜日の楽しみは、大好きなラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聞くこと。ひたすら笑いました。気分転換気分転換。脳波の検査をしました。イメージ的に、昔の美容院にあった被るタイプのパーマの機械的なもので計測するのかしらと思っていたら、頭(後頭部から額まで一周)にビタビタ、耳にもビタビタ、ちっこい端子をクリームで貼り付けていくという。手首もソフトクリップ状のもので挟んだのは、