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この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
長男が3歳位の時のことです。小さい時から、すぐ体調が悪くなり入退院を繰り返していたのですが💦その時も夜中から嘔吐と下痢を繰り返し、顔は真っ青😢便はちょっとすっぱい匂いがして(お食事中の人ごめんなさい🙏🙇♀️)時期的にもノロウィルスなどが考えられた時期なのと異常なほどの暴れ💦朝になるのをまって病院にはしりました🏥長男
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました
子宮筋腫についてのお話。筋腫分娩も子宮鏡手術も、あまりブログで見かけなかったので、珍しく詳しく書いてみます。長文です。《前説》婦人科系の病気で何年も苦しんできているし、それが不妊にもつながっている、それがずっと悩みのタネ。2009年には、子宮筋腫、子宮内膜症、チョコレート嚢腫、卵巣嚢腫、の腹腔鏡手術をしたけど、術後がひどく辛かった。不妊治療していると手術した事がネックになったりして(卵巣に負担かかってしまったことや、卵管の癒着など)手術したことを後悔してきた。最近は閉経気味のため、子
入院しておりました。まずは、救急車までの事です。1月26日朝から何となく体調がすぐれず8時半ごろ、出かける前の大学生の子どもに「寒いから洗濯干すの嫌だな・・手首痛いし」と話しながら手首と胸が痛いなぁ~風邪でも引いたのか、インフルエンザの前兆なのかと思いつつ小学校の授業参観へ。授業参観から帰宅した後も体調治らないので、これは風邪引いたんだと思い込んで岩盤浴へ〈この時点で、胸の辺りと背中が痛い)入浴し始めて目を瞑るとギザギザした赤茶色い光が見えて、何
*2015年10月22日*0歳3ヶ月*MRI検査から戻って来たりーたんは、また診察室へと連れて行かれる。そしてすぐに、私も中に入るように促される。今度はMRIの画像をパソコンに映し出し、再びS先生より説明を受ける。先程のCT画像よりも鮮明に映し出されたりーたんの脳。当たり前だが、MRIで見ても腫瘍は間違いなくりーたんの頭の中にある。そして改めて、S先生からりーたんの現状を伝えられる。「先程も説明しましたが、MRIで見てもこの腫瘍がね、、かなり大きくて。脳幹と小脳の間に、中脳水道と
救急車で病院まで行き、心筋梗塞だったようで緊急手術が始まりました。前回の血液検査の結果が出た事を書いたもの↓http://ameblo.jp/carrot4337/entry-12245925143.html手術が決まり2番目の子どもに出張中への夫への連絡、一番上の子どもへの連絡、そして私の母と姉に連絡を頼んでいると看護師さんが数人来て、座っていたベッドを寝させ、私の着ていた上着とめがねを子どもに渡し、手術への移動が始まりました。寒い病院の廊下をベッドのまま
直腸がんの診断から三年放置してましたほんとに検査にも行かず…ついに来た!腸閉塞からの緊急手術入院6月6日のことでした~今日は朝からイベントてんこ盛りほんとは先生との面談の予定だけで平和な一日になる予定でした朝から情報伝達不足か?予定が錯綜看護師さんから『14時から先生と面談ですね?』『昨夜の先生のお話だと15時からですけど?』そして先生が覗きにきた!『面談15時ですよね?よろしくお願いします』『そうですね~その前にねぇ、午前中にもう一度内視鏡やります!一度
今後誰かの参考になれば~今回は心筋梗塞、緊急手術になるまで自分で救急車を呼んだ話しはこちらからhttp://ameblo.jp/carrot4337/entry-12245758588.html病院に着いたのが18時過ぎすぐに血液検査のための採血をされ、心電図を装着。血液検査の結果が出るまで救急の診察室なのか一時待合なのかわかりませんが、寝ながら待つことに~高校生の子どもが、家で待っているチビと大学生の子どもに連絡をいれてくれました。するとご飯を食べたのでチビ
主人の「スキルス胃癌」の「治療方法の研究発表」がもっと早かったらと…嘆いた私でした2016年大阪市立大学で「スキルス胃癌」の治療方法の研究発表がありました。私の主人は.2007年10月に「スキルス胃癌」と判明してそこからは怒涛の闘病と一緒に夫婦で抱きしめ合いながら「命と向き合う」時間が始まりました。2ヶ月前の「胃ガン検診」の結果では「異常なし」なのに…どうして?主人が、ひとこと私に言った言葉で、直ぐに嫌な予感が
今日の仕事中母から何度か電話がかかってきたのですが仕事が忙しくて電話に出れませんでした。少し時間が経ってスマホを見たら母からライン入っていました。元夫が救急搬送されたという連絡でした。母にすぐに折り返しの電話をかけました。誰から連絡きたん?リオのオカンからや。心筋梗塞って…お父さんと同じやな…どんな状態か聞いた?今は術後で意識まだ回復してないって命に関わる?詳しくはわからんけど…運ばれた時は危なかったらしい。合併症起こしてるとかなんとか言うてたし…だから緊急手術
暗い日記ですみません。夫が脊髄梗塞になりました。。。毎日、お見舞いに行っていますが、歩けるようになるのか?わかりません。息子は「親両とも障がい者?」って言っています。夫は突然歩けなくなり、携帯電話にたどり着くまで、何と8時間もかかったそうです。。。緊急手術は成功し、医師からも歩けようになるだろうと言われています。初日にお見舞いに行った時「ざまーみろ、いつも私に向かって怒鳴っているからだ!身体障害者を馬鹿にしているからだ!」と笑いたかったのですが。。。思い出が走馬灯(こんな
7月16日朝10時に病院に来るように言われていたけれど、駐車場の事を考えて早めに病院に着くように家を出た駐車場に着いたのは9時過ぎ最初に向かったのは感染症チェック息子と私2人分の問診票を記入し12番目に当番医から呼ばれますとの事で外来の診察室の前で待った待って待って待って…緊急入院で今日処置というか手術の割にのんびりだなーと思っていたそして診察室に呼ばれたのは11時過ぎ「最近風邪の症状は無いですか?」「無いです」「はい、いいですよー」息子や私に触れる事なくリアル15秒で
前日にまさかの麻酔科で帝王切開の予定日を教えられるという珍事件が起こりつつも今日のカンファレンスで正式に帝王切開の日が決まります。朝からドキドキするようなソワソワしているような。いつ先生が説明に来るんだろうと。先生が説明に来てくれたのは16:00すぎ。予定日は昨日聞いていた通り3月18日(月)になりましたちょうど、28wにのった日になります。先生たちは限界までお腹で育てるつもり満々ですね28週には1000gぐらいになっていて、今の羊水量では限界になるだろうという判断らし
昨日決まった緊急手術早くても手術は午後になると言われたが11:30まで病院に来てくださいと言われ時間通りに到着。19歳なので面会禁止なのですが手術の前後は本人に会わせてもらえると聞き、待合室でずーっと待っているがなかなか声が掛からずやっと呼ばれたのが14時50分でした。ナースがドアを少し開けてくれて、本人と話すことが出来ました。今日は朝から何も食べていないのでお腹が空いてるとの事。食べたい物を差し入れするから、頑張ってと送り出す。病名を知り、緊急入院に緊急手術親も
2024年3月21日暑さ寒さも彼岸までお彼岸中日なのに外は大雪☃️子宮頚がんの手術の時みたいに手術室の看護師さんが来たり、麻酔科の方が来る事もなく1時間程で終わるからこんなもんかぁ(*´-`)とのんびり時が来るのを待っていました。13時25分からの予定だったので、付き添いの長女も13時に病院に到着。でも、10分前、5分前になっても声がかからない。担当看護師さんも「なかなか声がかかりませんね💦」と困惑顔。ナースステーション近くの談話室で待っていた長女から「なんか14時
昨日、また嘔吐を繰り返し、病院ハシゴで、緊急手術を受けて、そのまま入院しています。虫垂炎です。退院したらまた更新します
11月1日手術から3週間が経ちましたそして退院して初めての外来診察です退院の日に主治医のY先生から癒合した部分が「ズレている」と伝えられて今日まで不安な日を送りました朝8:30が診察の予約時間でしたがその前にレントゲンがありそこでちょっと失敗しましたジーパンを履いてきてしまったのですジーパンのボタンが映り込んでしまうので着替えることになりましたが脱ぎ履きに時間がかかる何てこったですでも技師さん優しい方で「焦らずゆっくりでいいです」と若い方でしたが作業も丁寧で安
連休の狭間では、流石に一応平日だけあって救急外来も意外なほど静かだった。が、思いも寄らない怪我が多いのは事実。庭樹木の剪定作業をしていて、丸鋸で自分の手をざっくり切ってしまった高齢者。自転車で転倒して右前腕の骨折で緊急手術となった中学生。自転車で坂道を兄弟で走っていてスピードが出すぎて投げ出されるように転んで頭を打った小学生。などなど、いかにも連休中(といっても学校は授業があるので放課後の出来事だ)に校長から戒められているのに、といった不慮の事故が目立った。その中で、自
2月24日に発熱。頭痛も咳も鼻水も喉の痛みも何もなかったけれど、念のために26日に検査をするとコロナ陽性。そのため、受け入れの病室を準備するのに時間がかかった。入院時の書類には(十二指腸潰瘍の疑い)とあった。病室に入り、朝まで点滴で様子を見ることになり、お腹を空にするために水分の摂取も禁止。部屋の空調が調子の悪い部屋だったみたいで、やたら暑い。喉がカラカラ。何度も看護師を呼び、ガーゼを湿らせてもらって口の中を拭って朝まで凌いだ。お腹の痛みは変わらない。眠れたのか眠れなかったのか
「kumiさん、終わりましたよ」という、手術室の看護師の声で目を覚ました。「病室に戻りますね。」私の「人工肛門」の知識は、子どもの頃に【俳優の渡哲也さんが大腸がんの治療のために人工肛門になった】というワイドショーで聞いたものでストップしている。当時は、インターネットもないし、人工肛門って何?と思っても簡単に調べることもできないし、子どもだったので「何?」とも思わなかった。「人工」という言葉の響きで、「お腹に機械をつけたんだ!」と思っていた。何十年もそのイメージで、麻酔から覚めた私のお腹に
最近は医師の働き方改革と言うものが語られ、残業時間の制限や有給休暇を取れるなど良い時代になってきました。私が若手の頃はそんな考え全くなく、そもそもタイムカードでの勤務管理も残業代もありませんでした。夜間も休日も緊急手術があれば呼ばれ、患者が急変したら呼ばれと全てを診療に費やしてまともに休めるのは夏休みの数日だけでした。しかしそのおかげで多くの経験を積むことが出来て今に生きているので良かったと思っています。今までの医療はある意味私のような医者の犠牲を元に成り立っていた側面は否定できないのでこれか
私たち夫婦…旦那の方が1学年上だけど私が4月生まれで旦那が7月生まれだから実質的には同い年みたいなもの。それでも表面上の主導権は旦那で私は基本的に《ついて行く》スタンスで30年以上過ごして来たんだけど…昨年末の旦那の緊急手術以降はなんとなく変わってきてるもともと《根拠のない自信》が持ち味だった旦那が思いがけずに大病を患ってちょっと弱気になった感じちょこちょこ体調を崩すのは今まで私の方が多かったのにこの頃は旦那の方がすぐに体調崩してナーバスになる昨日からノドが痛い
月曜日、仕事を終えて病院へ来ました。営業の仕事をしているので、外出して歩くお仕事が中心ですが、この日は普通に仕事できました。お客さんの所に訪問して、電車も乗れたし、沢山歩いていました。胃が張る右卵管がチクチクするお腹と腰が痛い。ですが、そんなにひどくない症状だったのでいつも通り仕事をして、病院に向かいました。病院に行くと福院長先生がいました。お会いするのは退院の時以来で、久しぶりに話が聞けるので安心していたところ…福院長先生に会うなり。少し違う怖い表情で『金曜日、なんで流産
これは私の卵巣癌、再発予防、闘病日記です。1話から読みたい方はこちらから↓【1日目】Hello,CANCER!!!~癌さんこんにちは!前回の記事はこちらです。↓【18日目】Hello,CANCER!!!~卵巣凍結。------------------こんにちは。大人女子の月曜日がワクワクする毎日をつくる大人女子食堂「ミタスkitchen」代表の松村杏奈です。------------------結論から言うと、卵巣凍結はできませんでした。でも、手術はしました。
緊急手術が終わり、目が覚めると。なんと、目の前には医師が5人も!!!※呼吸器外科医4人、整形外科の主治医私の隣にはママがいてボロボロ泣いている。「なんで泣いてるの?」と言ったけど、声が出づらい。私、肺をひとつ取ったのか?何があったんだ?ママの話を聞くと、肺は取っていないらしい。が…。輸血をしたとのこと。血腫はゼリー状になって、出血量はトータル2リットル。輸血は800mlしたそう。献血できなくなっちゃったな。手術は21時〜0時半、3時間半かかったそう。この日はママが病院に泊