ブログ記事6,329件
まずはこちらの写真をご覧ください↓お股が腫れているのがわかりますか?これは鼠径ヘルニア(そけいへるにあ)という病気です。老若男女(老若雌雄)問わず発生し、場合によっては緊急性のある病気です。ワンちゃんの飼い主さんは覚えておきましょう<鼠径ヘルニアって?>動物のお股には、「鼠径輪」という穴があります。この穴はイラストにある通り、大事な血管や神経の通り道になっています。この穴が、生まれつき大きかったり、何らかの理由で大きくなることがあります。そう
ジョフレ君、お江戸の病院で、脾臓の破裂で緊急手術でした。取り合えず、無事終わり、現在ICUに入り、経過観察&治療で入院で、20時過ぎに私だけ帰宅しました。昨日の朝、空嘔吐があったのですが、その後は元気で、空嘔吐は忘れていました。夕方のお散歩は行きは物凄く元気、帰りは辛そうだった。時々お散歩が最近凄くつらそうでも、こちらの獣医さんでは、もうピレの9歳と言えばかなりの年ですからと言われてたりしてはいたのですが、それでもなんか、ちょっとつらそう過ぎな日が多いなとは思っていたが。。。まさか今朝4時
【長文及び一部閲覧注意画像あり苦手な方はスルーしてくださいませ】SNSにも書いてますが…日曜(5/26)から急に調子ガタ落ちだった雫さん。(元気なく、食欲も落ち、パンディング止まらず…)月曜にかかりつけ病院でエコー撮って、腸の隔壁怪しいぞって医療センターに先生自ら予約入れてくれて、昨日(5/30)朝イチで受診してきました。14時お迎え予定で検査。でも、昼前にパパさんのとこに「思ったより良くないので13時に話を聞きにきて」と連絡入り予定を早めて病院へ。診断
乳癌で左胸全摘後、1週間で再手術!!!なぜ???いつもありがとうございます。今ようれい菌が流行している話題を良く耳にします。菌って身近にあっていつ感染するかはわからないですよね。でも基礎体力があれば軽い菌にはかからないで済むはずが・・・私は・・・なんと一瞬で・・・手術した後から菌が見られ、緊急手術
主人の「スキルス胃癌」の「治療方法の研究発表」がもっと早かったらと…嘆いた私でした2016年大阪市立大学で「スキルス胃癌」の治療方法の研究発表がありました。私の主人は.2007年10月に「スキルス胃癌」と判明してそこからは怒涛の闘病と一緒に夫婦で抱きしめ合いながら「命と向き合う」時間が始まりました。2ヶ月前の「胃ガン検診」の結果では「異常なし」なのに…どうして?主人が、ひとこと私に言った言葉で、直ぐに嫌な予感が
朝は熱もないけど、顔色悪く、ぐったりとしていて、身体は、しっとりとして歩ける状態ではない様子。昨日から、殆ど食べてないから多分、脱水症起こしてるかもと思う。めいは、「気持ち悪いから吐きたい」私「わかった、ビニール袋持ってくるから」と急いだ。沢山、胃液みたいな吐物が出てきた。もう自力で着替えられない様子だから私が着替えさせて抱っこして車へ、今日も近くの小児科へ朝いちで見てもらい、直ぐ血液検査の後点滴で吐き気止めも入れてもらう。いつもだったら点滴なんか嫌いで
緊急手術をすることになりました。看護師さんに病室へ案内され準備にとりかかりました。看護師さんから歯の治療やら変な靴下をはかされたり、手術着に着替え紙オムツをはいたり。準備をしてる間に妻が両親に電話して緊急手術することを伝えてくれました。30分後に開始するけど間に合うんだろうか。準備を終えて呼ばれるのを待っていると不安な気持ちが出てきました。もし何かあった時のために子供に手紙を書いておきたいな。妻に紙と書くものあるかと聞くと持ってませんでした。「手術終わってから話せばいいんじゃけ
2024年3月21日暑さ寒さも彼岸までお彼岸中日なのに外は大雪☃️子宮頚がんの手術の時みたいに手術室の看護師さんが来たり、麻酔科の方が来る事もなく1時間程で終わるからこんなもんかぁ(*´-`)とのんびり時が来るのを待っていました。13時25分からの予定だったので、付き添いの長女も13時に病院に到着。でも、10分前、5分前になっても声がかからない。担当看護師さんも「なかなか声がかかりませんね💦」と困惑顔。ナースステーション近くの談話室で待っていた長女から「なんか14時
未だ、高熱が続いている。もしかして肺炎か?レントゲン撮ったり血液培養したり髄膜炎など色んな検査をしているらしい。二日ぶりに行ったけど今日は私の事分かったらしい。部屋に入るなり、洗面台を指差して何か話してるから「何?手を洗って来いって?」って聞いたら、めっちゃ頷いた。そして洗った私更に、テレビの上の物を目で合図する。何か取って欲しいものがあるのかと思って写真やら、時計やら、何やらかんやら渡したけど、どれも
実は体調に異変が起きたのは2年前。原因不明の下痢がひどくなり内科に掛かったことに始まる。いろいろ検査し、造影剤を使ったレントゲンを撮ったところ大腸に何かあることが判明。良からぬものである可能性があるのでということで、大腸内視鏡による腫瘍切除が行われた。その後再発もないので内科医はそれで完了!という感じだったのだが、下痢の症状はそれから2年間治らなかった。他の医者にも掛かっていたが、結局は下痢止めと整腸剤をくれるだけで、そのままの状態で騙しだまし過ごしてきたのでした。ところが忘れもしな
この記事のつづきです『「髪型の相談乗りますから!」』この記事のつづきです『「取れましたよー」としれっと』この記事『緊急手術は10時間に及ぶ!!』この記事『手術前、トンチキ会話で盛り上がる』この記事『手術のリスク…ameblo.jp翌朝(翌々朝?)目覚めたのは午前中でした。清潔な部屋はとても広く木目の家具がセンスよく配置されていました。起こされたような気がするのだけどどっちだったかな。4日間意識もうろうだったんだもんね、まさに「ここはどこ?わたしは誰?」状態でした。これは夢
成田到着後、日本のパスポート所持者の列は短く、外国人は長い長ーい列私と子どもたちはささっと終了旦那は一人かなり並んでましたターンテーブルで荷物を待っている間に、やっと旦那も合流荷物出てくるまで結構待ちました荷物を受け取り、事前に税関申告してQRコードを作成していたので、それを読み取り出口へ…今回、成田まで私の兄家族が迎えに来てくれましたZIPAIR、何もイレギュラーがなことが起きなければ、とても良かったです今回、アメリカに帰る時は、フライトの2日前にJALで成田入りして、NRT-LA
おはようございます母から電話あり父が緊急手術を受けたようです父は前から体調悪いと訴えていて早く施設に入るようにずっと説得を続けていましたが頑固に二世帯住宅が売却できるまでは入所しないと話していました母も2月に施設入り私も二世帯住宅を出て来てしまいもうすぐ87歳の父は自立してきましたが限界がきていたようです入院の数日前も気絶してトイレで倒れたそうです自分で体調がおかしいと思い病院へ行ったところ緊急入院、緊急手術叔父が母に付き添ってくれていて助かりました母はコロ
まさかの…でした…3回目の移植がダメで…このクリニックに不安を覚えて不育症とかヘパリンでダブルでクリニック通いも大変なので1個の胚盤胞3BBを残し採卵からスタートすることにしました。3年前のAMHは2.77ロング法でHMG225×9日間14個採卵で12個受精Cがつく胚盤胞は破棄だったので6個胚盤胞凍結という結果でした。今回はアンタゴニストでHMG300×9日間17個採卵できましたほぼ3年前と成績は変わらず安心してたのですが採卵後痛みが前回より引かずじんじん。それで
「この手術の安全確率は83.5%です。」医師にそう言われたとしたら、あなたはその手術を受けるでしょうか?よく"十中八九は間違いない"とか"十中八九はいけそうだ"という言葉のように、83.5%はまさに八割強の確率。まず大丈夫と思う人も多いでしょう。一方で、六つの弾倉がある回転式けん銃(レボルバー)に実弾1つを入れて、自分の頭に向けて無作為に引き金を引くロシアンルーレットも同じ確率。8割強の確率で実弾が発射されることはないが、そんな危ないことはできないという人が大半では
目が覚めると病室にいた。ママ、父、主治医、看護師さん、みんないた。手術は予定としては3時間位、でも6時間の枠を抑えてました。しかし実際は、9時〜16時。そう、7時間かかりました。手術中に出血が止まらず、手間取ったそう。目が覚めてきているが、麻酔で酔っ払いのようにほわんほわん、そして先生に絡む(笑)でも、あれ?痛いだけじゃない、苦しい!!!後から聞いた話だと、「痛い、苦しい」と言っていたそう。そして。出血が止まらない。血抜きの管、ドレーンが入っているんだけど、どんどん
娘は、視神経膠腫疑いにて生検を受け、組織型が毛様細胞性星細胞腫と確定診断を受けました。2023年5月1日より、寛解導入療法として、カルボプラチンとオンコビンの化学療法全10週の治療を受けました。途中、生検後に硬膜下水腫を発症し、緊急手術を行い、VPシャントを造設しました。手術の準備のため、治療が延期となり、当初の予定より遅れましたが、2023年7月18日に、寛解導入療法を終えました。そして、2023年7月25日MRIにて、治療の効果が得られているかを調べる日がやってきました。娘の病気
おはようございます。昨日、急遽緊急手術になりました。血中hCGが150000を超えたともう薬では無理だと。旦那に大至急来てもらって緊急手術赤ちゃん小さかったほんの数時間眠ってるあいだに卵管切除と胎嚢取られてた頑張って育とうとしてくれてたのにね頑張ってくれてたのにねごめんね。こんな小さいんだ…子宮内にいてくれたらちゃんと育ててあげられたのに写真載せるので見たくない方はここで閉じてください閲覧注意です
8月31日救急車で運ばれるとき、意識が無くなりそうになると「生年月日教えて下さ〜い」「携帯電話教えて下さ〜い」と質問されて、病院へ到着するまでどの位の時間が経っているかも分からず。「御家族は?」の問いに「犬が2匹」と答えて会社のメンバーを朝になったら呼んでくれとうわ言の様に言っていたらしい。意識が朦朧とする中、考えていたのはお盆休みに両親に紹介した彼との結婚の約束も、新婚旅行の予約もキャンセルしなきゃいけないの?と言う事。手足は全く動かない。硬いストレッチャーの上に首を固定され、眠り
ブログへのご来訪ありがとうございます。ホワイティです(^.^)クリスマスに飾るの忘れてました↓長女が耳下腺炎に。夜に右耳の下が痛いと言うので見たら腫れていたのでビックリ!自分の癌より衝撃が。家族の病気にめっちゃ弱いです。義母が胃癌で亡くなってから半年です。振り返ってみますと2015年6月に、お腹の強い痛みで緊急手術検査の結果、胃癌と判明2ヶ月後の8月に、胃を全摘手術2016年6月に再発。腸の手術2017年6月6日亡くなりました義母は腹膜播種のある胃癌だったのですが、抗がん
妊娠後期に痔で緊急手術したお話し6はじめに妊娠後期に痔で手術をし今回は術後の経過、退院に向けてを日数ごとにまとめてみました。前回は術後に再び脱肛、腫脹、疼痛、その際の心情を記載しています。興味ある方はシーズン5をご覧ください。現在臨月に突入し保存療法で生活しています。幸いな事に症状悪化せず経過し、慎重に日々生活を送っています出産による(経膣の場合いきみ)と排便コントロールが心配な点ですが、追々経過をお知らせいたします。⚠︎一部に排便に対する内容がございますので、抵抗ある方
この記事のつづきです『「取れましたよー」としれっと』この記事『緊急手術は10時間に及ぶ!!』この記事『手術前、トンチキ会話で盛り上がる』この記事『手術のリスク、大変な決断』この記事『やらないとお母さんすぐ死んじ…ameblo.jp緊急の開頭手術、10時間の予定が8時間で無事終了し娘夫婦は4時に就寝したそうです。本当に遅くまでありがとう。そして翌朝娘は私を救ってくれた美容師さんのところにお支払いをしに行ってくれました。最初の病院の先生が、私がどうやって送られて来たのか教えて
画像見たとき、知識のない私が見ても驚くほどの出血量だった。左被殻出血。さらに、右被殻出血…。高血圧によるものだと言う。出血量で脳が圧迫され脳の中心がずれていた。今回の開頭手術後、1ヶ月後に、左頭蓋骨を戻す手術を行うとのこと。それまで頭蓋骨は、お腹の脂肪のなかに入れていると。手術はあくまでも救命のため。予後のことを不安に感じていた私たち家族に、医師は、まずは意識回復すること、それが目標です。と…。
2月24日に発熱。頭痛も咳も鼻水も喉の痛みも何もなかったけれど、念のために26日に検査をするとコロナ陽性。そのため、受け入れの病室を準備するのに時間がかかった。入院時の書類には(十二指腸潰瘍の疑い)とあった。病室に入り、朝まで点滴で様子を見ることになり、お腹を空にするために水分の摂取も禁止。部屋の空調が調子の悪い部屋だったみたいで、やたら暑い。喉がカラカラ。何度も看護師を呼び、ガーゼを湿らせてもらって口の中を拭って朝まで凌いだ。お腹の痛みは変わらない。眠れたのか眠れなかったのか
そんなわけで入院しております。もう二度と腸閉塞での入院はないと思っていた....んですがの。まさかの術後2ヶ月で腸閉塞になるとは思いませんでしたなあ。先週の土曜日あたりにお腹が痛くなって、まさか腸閉塞?と心配していたんですが、その後痛みも治まりガスもお通じもきちんとあったので安心していたら、コノザマデス。ほぉおおお~深い溜息(笑)月曜日の夜8時半頃からお腹がシクシクし始めまして。ワシの腸閉塞って直前までガスもお通じもあるんです。何日もお腹がシクシク痛いとか、お通じが最近ないわ~と
さて。今回は月曜日の夜から土曜日までの入院で。今までで一番短いものでした。絞扼性イレウスの疑いで緊急手術になるところでしたが、回避。では一体何だったのか?入院してすぐにガスもあったので、お腹の張りもなく、順調でした。外科での入院は初めてでしたが、婦人科と比べるとペースが早く。ガスを確認したら次の日から食事が始まりました。・・・重湯からだと思うじゃん?いきなりうどん(笑)←昼全粥←夕食次の日もう常食!びっくりでした(笑)肝心の腸閉塞ですが。閉塞の原因が三つ考えられると。
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました