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2月24日に発熱。頭痛も咳も鼻水も喉の痛みも何もなかったけれど、念のために26日に検査をするとコロナ陽性。そのため、受け入れの病室を準備するのに時間がかかった。入院時の書類には(十二指腸潰瘍の疑い)とあった。病室に入り、朝まで点滴で様子を見ることになり、お腹を空にするために水分の摂取も禁止。部屋の空調が調子の悪い部屋だったみたいで、やたら暑い。喉がカラカラ。何度も看護師を呼び、ガーゼを湿らせてもらって口の中を拭って朝まで凌いだ。お腹の痛みは変わらない。眠れたのか眠れなかったのか
そんなわけで入院しております。もう二度と腸閉塞での入院はないと思っていた....んですがの。まさかの術後2ヶ月で腸閉塞になるとは思いませんでしたなあ。先週の土曜日あたりにお腹が痛くなって、まさか腸閉塞?と心配していたんですが、その後痛みも治まりガスもお通じもきちんとあったので安心していたら、コノザマデス。ほぉおおお~深い溜息(笑)月曜日の夜8時半頃からお腹がシクシクし始めまして。ワシの腸閉塞って直前までガスもお通じもあるんです。何日もお腹がシクシク痛いとか、お通じが最近ないわ~と
さて。今回は月曜日の夜から土曜日までの入院で。今までで一番短いものでした。絞扼性イレウスの疑いで緊急手術になるところでしたが、回避。では一体何だったのか?入院してすぐにガスもあったので、お腹の張りもなく、順調でした。外科での入院は初めてでしたが、婦人科と比べるとペースが早く。ガスを確認したら次の日から食事が始まりました。・・・重湯からだと思うじゃん?いきなりうどん(笑)←昼全粥←夕食次の日もう常食!びっくりでした(笑)肝心の腸閉塞ですが。閉塞の原因が三つ考えられると。
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました
今回は和笑が生まれたときのママのことをお伝えします【和笑日記】和笑が生まれた日の朝https://ameblo.jp/lealea753/entry-12345510576.htmlでお伝えした様に和笑が生まれる前のママの最後の記憶は通っていた産婦人科でお産用の服に着替えてベッドに横になって大きなお腹にエコーを当てて「あれっ?ドクドクドク…って聞こえない」と思ったら、院長先生が「救急車呼んで!日赤に連絡してー」と叫んでいたような…といった感じです。その出来事が1月2日
皆様こんにちは。今夜から天気が荒れるようなのでお気をつけください。さて、今回の入院、手術などについて続きを書いていきます。よければこちらもご覧ください。『初めに〜今回の病気のこと〜』皆様おはようございます。11月8日に救急搬送され、そこから緊急入院、手術を経て11月27日に退院した訳ですが、落ち着いてきたので少しずつ闘病記を書き始めること…ameblo.jp『①救急搬送されました』※生理の事や出血の表現があります。苦手な方はここで退場される事をお勧めします。皆様おはようございます。今回、子
この記事のつづきです『覚えていないし思い出せないという悲劇』この記事のつづきです『「こんなモノ食えるかっ!!」』この記事のつづきです『簡単な算数を間違えちゃう!』この記事の『あぁ面倒くさいなぁ!!』この記事の『まさに「…ameblo.jp娘「ってか、本当にお母さんなにも覚えてないの?あんなにつらい目に遭ったのに。いやむしろ覚えていなくて良かったか。それなら私でも耐えられるかも知れない」なんのこっちゃ?どういうことにゃ??恐ろしい言われようだけど全く意味がわからない。あの日、
6月17日(金)今日は、主人や私が娘の近況をSNS投稿したきっかけで沢山のメッセージが届きました。とても、心強かった。私たちは、この事をきっかけに少しでも多くの方へ、この病気以外でも苦しんでいらっしゃる方やその周りの方、普通に風邪と思っていて、その後、急変するかもしれない事や体験談等の生の声を発信していきたいと思った。めいの2人の姉と息子は、心配で宿泊施設へ待機した。学校へはお休みの連絡をした。家族で自分達に出来る事を話し合った。「そうだ、ボイスレコーダーで歌を
小児慢性特定疾患の認定証がやーーーーっと届いたので色々計算しなきゃなと思いやっと開いた申請書類たち。高度療養費の申請やら小児慢性の適用前の入院は限度額認定証を使ったりしていて…その前の骨折の時の入院などで2回入院していて今回6月で4回目の限度額だから多数該当?になるのかならないのか。文字で説明してあっても全然理解出来ず…。また緊急手術をした5月は外来で他の病院にもかかっていてそれが21000円以上だと合算できるとか。なんかもうパニック!!!私が頭悪いのいけないんだけども
緊急手術が終わり、目が覚めると。なんと、目の前には医師が5人も!!!※呼吸器外科医4人、整形外科の主治医私の隣にはママがいてボロボロ泣いている。「なんで泣いてるの?」と言ったけど、声が出づらい。私、肺をひとつ取ったのか?何があったんだ?ママの話を聞くと、肺は取っていないらしい。が…。輸血をしたとのこと。血腫はゼリー状になって、出血量はトータル2リットル。輸血は800mlしたそう。献血できなくなっちゃったな。手術は21時〜0時半、3時間半かかったそう。この日はママが病院に泊
この記事のつづきです『大きな塊は取り除かなければならなかった』この記事のつづきです『ひん曲がった脳は緊急を要する状態でした』この記事のつづきです『更に開いたバンビちゃんの目!』この記事の続きです。『#朝に思うこと「今日も…ameblo.jp先生は続けました。「手術はうまくいき画像上の全摘出ができており、(当然、浸潤する腫瘍なので腫瘍細胞がゼロではない)本人の調子もいい。手術の内容の記事『緊急手術は10時間に及ぶ』この記事のつづきです『手術前、トンチキ会話で盛り上がる』この記事のつ
妊娠してますねー…この報告から、わずか6時間後には手術台の上とかなんの冗談だよ!と、今なら突っ込み出来るくらいのメンタルです夫に電話で手術の連絡をした後、歩くことも禁止され(いつ破裂してもおかしくない状態だったみたい)車椅子に乗り、手術に向けての説明を受けたり、同意書を書いたり、色々な検査を受けました。今更ながら、その時の診療明細を初めてじっくり見て、あぁ、こんなのやったな…とかしみじみしてしまったまずは、子宮内のどこに胎嚢が着床しているか調べるために、造影剤を使ったMRI検査。
お腹の痛みが落ち着き、手術回避。保存治療となったワシは一晩集中治療室に入れられておりました。これからの記憶はわりとある(笑)痛みがモヤモヤ程度になったワシでしたが、今度は膨隆疹のために、ボリボリ全身を掻きまくっておりました。いやあもう痒いのなんのって!ベッドの上でのたうちまわっておりました。痛いのも地獄ですが、全身痒いのも地獄でござる。掻きすぎてあちこち血だらけで。それはもう看護師さんも不憫がって、皮膚科の先生に談判してくださいました。「明日でいい?」という先生に、「ダメです
今日初めて聞いたんだけども。ワシの痛がり方は尋常じゃなかったので。絞扼性イレウスの疑いで緊急手術になるところだったわけなんだが。救急外来では使用しない強い痛み止めを落としたら、ワシ、寝始めたんだって。で、手術着にまで着替えさせられたんだけど。外科の先生が来て。あれ?寝てるじゃん?と、お腹を押してみても痛がらなかったので。あれれ?今一番痛いときと比べるとどのくらいの痛さ?と聞いたんですって。したら、寝ていたワシが蚊の鳴くような声で。「4~っ」て言ったんだって(笑)それで、こり
※自然排出待ちの方、手術予定の方のために流産当日のことを書きますが、グロい表現あると思うので閲覧注意です。月曜日に病院へ行って稽留流産の手術の日をその週の土曜日にしてきました。土曜日までに自然排出が始まってしまわないよう祈るばかりです。その月曜の夜から、生理の最後の方のような赤黒い出血はあったのですが、特にお腹も痛くなかったので、火曜、水曜と普通に仕事に行きました。出血はその間も続いて、だんだん赤黒さはなくなり、鮮血に近い色になっていました。ですが、とくに自然排出の兆候とは思わず、木曜日
今年1月20日(日)休みだったので、目覚ましもつけず、携帯電話は音を切り寝室には置かなかった。朝までぐっすり寝て、8時ごろ起きた。寝室をでて、すぐ携帯電話の光に気付く。手にとってすぐに胸騒ぎがした。着信件数とLINE件数の多さに心臓の音が早く大きくなった。母からのLINE内容にはお父さんが意識不明で倒れた。朝方救急車で救命センターに運ばれたという。最初の着信やLINEから既に1時間30分がたっていた…。身体が震えた…声を震わせ母に電話した。生きてる、父は生きてる、とにかく急いで
2023年5月9日先生の口から「手術」という言葉が出てきました。先生「つい先ほど、外科の方から手術しようと話が来ました。」先生の説明では、・このまま食道の治療を進めても治る際に患部が固まってまた同じ詰まる症状になる可能性がある。・転移先の肝臓の腫瘍も抗がん剤が効いて不明瞭になっている。・今のタイミングなら食道の破れた部分と原発巣の胃食道部分の腫瘍を手術で摘出できる。と説明を受けました。この後、外科の先生が来るので詳しくはその先生から聞いてほしいとのことでした。数
2人目を妊娠して産まれる10日前までなんとか働いた私。その後娘と実家にお世話になりました。次の日に帝王切開手術を控えた夜、破水。たまたま夫も泊まりに来ていたので車で病院まで送ってもらいます。破水する前に夫の無駄遣いで揉めていたので車の中の雰囲気は最悪でしたが、でもこちらは痛くて夫にかまってられません。うめき声をあげて苦しむ私の様子にさすがに夫も心配してくれました。そのまま緊急手術になり、無事息子が産まれました。しかし私は手術の際に子宮と一緒に別の臓器も切られてしまい、1ヶ月その
夜中にかけて残された家族は、主人の車の中で待機した。6月16日(木曜日)救命ICUの中にいるめいは、今日は、14時頃から足の手術をするそうだ。先生から手術や麻酔の説明、同意書を書いて待合室で待つ。今回は整形外科の先生。やはり、昨日の心臓のダメージで右足も非常に危険な状態です。悪いところ、筋肉が広範囲に壊死しています。このままだと最悪、身体全身に悪いものがまわって敗血症などで死にいたるケースがありますので直ぐ手術した方が良いと言う説明だった。足の手術は
今日の仕事中母から何度か電話がかかってきたのですが仕事が忙しくて電話に出れませんでした。少し時間が経ってスマホを見たら母からライン入っていました。元夫が救急搬送されたという連絡でした。母にすぐに折り返しの電話をかけました。誰から連絡きたん?リオのオカンからや。心筋梗塞って…お父さんと同じやな…どんな状態か聞いた?今は術後で意識まだ回復してないって命に関わる?詳しくはわからんけど…運ばれた時は危なかったらしい。合併症起こしてるとかなんとか言うてたし…だから緊急手術
この記事のつづきです『先を見据えることができる疾患群』この記事のつづきです『10年前から悪性腫瘍を育てていた。』この記事のつづきです『過去に受けた手術も1%の症例数でした』この記事のつづきです『グリオーマという脳…ameblo.jp私は答えました。「命を助けていただきこんなに元気にしていただき心からありがとうございます。大変な状態だったことが信じられないほど私は今まで通りです。本当に感謝しかありません」うっかりすると涙が出そうでした。「5年後も元気でいられるよう治療を頑張り
医師になって3年目から4年目にかけて、北の方の農村部に勤めていた事があります。その時に、医師として様々な経験が出来ました。交通外傷、肝破裂で大量の輸血が必要な時に輸血が間に合わず、病院職員から急遽有志を募り、適合者の全血輸血を行って、緊急手術して無事に助ける事が出来たり、重症糖尿病により、下肢を切断しなければならないと判断された方の執刀をさせていただいたり、蝮(マムシ)咬傷やパラコート中毒の緊急処置をしたり、今では考えられませんが、当時その病院には、麻酔科の常勤医師がおらず、上司と2人
近況のこと。現在術後9ヶ月。長かったリハビリも、ようやく先月終了。診察は月1〜2薬はリリカ25mg×4Tノイロトロピン4T握力問題なし術前よりはだいぶ症状が落ち着いたものの、まだ天気や波で痛みや痺れが出る。そういう時は痛み止めを飲むけど、安定してきた。緊急手術は大変だったけど、いい経験になったし、生かされている、命の大切さを学べた。病気になってマイナスなことばかりでない、手術の創も悪くない、頑張った証。まだ薬が減らしてはいけないままだし、これからもまだ痛みはあるかもしれない
水曜の夜、タール便直らず、夜中にすごい激痛。救急車呼んで緊急手術でした。自分はまだ説明受けてないですが、家族が説明受けたところによると、胃と腸の吻合部辺りにいくつか癌があって、そのうち一つが穴空いて汚いものが流れだし腹膜炎起こしたそうです。とりあえず腸の穴をふさいでお腹を閉じたということらしい。開腹して分かったことだから、癌は外側に出てるってことか。応急処置みたい。やっぱり11月から3回あったタール便は癌だったのか。穴空いて流れたなら、がん細胞もお腹に流れちゃったかな?なんか急な
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
双子じゃなくても子育てで疲弊してるママに対してのNGワードは「過ぎてしまえばあっという間よ」だと思うのね。過ぎてねーよ!!「やっぱり不妊治療なの?」とか「(子どもに向かって)愛情半分で大変ね~」とか「小さく生んで大きく育てるのよ(ドヤ顔)」とか色々言ってくる近所のおば様に「私の母の両親が両方双子でwww」とか「あ、人一倍愛情深いんで大丈夫っすwww」「いやー両方3000超えだったんすよーwww」とか大嘘つくのがマイブームです。さて、息子の話の続きです。腸回転異常症の今までの経過について。
本論文は、vNOTES(経膣自然開口部経腔的内視鏡手術)の新しい簡便な方法を示したビデオ論文です。FertilSteril2020;114:665(トルコ)doi:10.1016/j.fertnstert.2020.05.002FertilSteril2020;114:522(米国)コメントdoi:10.1016/j.fertnstert.2020.05.018要約:vNOTESの新しい簡便な方法をご紹介します。ステップ①診断用のvNOTES:ダグラス窩に小さな
お迎えに行ったとり松君術後の状態もとっても元気一週間後に抜糸だよウンチもキレイに出るし問題ないはい帰ってダイジョウブ先生スタッフのみなさんお世話になりましたで・・・とり松ジャンプで載れるはずの荷台のクレート勢いよくいつもの調子で伸ばした体ですが・・・お腹は手術していて引き攣れる感じひゃんひゃんパニックごめん・・・わざとじゃないんだごめんねとり松・・・ちょっと可愛いさて犬舎
この記事のつづきです『10年前から悪性腫瘍を育てていた。』この記事のつづきです『過去に受けた手術も1%の症例数でした』この記事のつづきです『グリオーマという脳原発悪性腫瘍』この記事のつづきです『画像上の全摘出ができた…ameblo.jp「ここまで聞いてどう?あきさん、今どんな気持ち?どう思ってる?」先生はのぞき込むように私の目を見て聞きました。「いやぁ、びっくりしました。本当にびっくりしました」思わず大きな声が出てしまいます。だってめっちゃスケールが大きくて、私のような平凡
長男が3歳位の時のことです。小さい時から、すぐ体調が悪くなり入退院を繰り返していたのですが💦その時も夜中から嘔吐と下痢を繰り返し、顔は真っ青😢便はちょっとすっぱい匂いがして(お食事中の人ごめんなさい🙏🙇♀️)時期的にもノロウィルスなどが考えられた時期なのと異常なほどの暴れ💦朝になるのをまって病院にはしりました🏥長男