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術後2日目お腹は空いてるのに食べる気がしない。早くお家に帰るんだ!と根性で完食。朝の診察はいつもと違うの先生だったんだけど、「結構切ってるからね〜」って言ってた。初期の癌と信じて疑わなかったけど、結構切る部類なのね。傷気になる〜病室に帰って術後初めて口の中を鏡で見てみる。うえ〜!切り刻まれてるよ〜!そのままだよ〜!凹むだけっていってたじゃん!!気持ち悪くて3秒凝視でギブ笑。取った箇所を埋めることも出来るけど、再発がわかりやすいようにそのままにしてあると言われていました
手術5日目。担当の先生に退院予定を聞いてみた。「◯◯先生に聞いてみる。近日中かな⁈」だって。昨日若い先生に聞いたら担当の先生と相談してと言われたから聞いたのに〜。担当医2人いるからやっぱり偉い方に聞かないとダメだったか‥‥。相変わらず食べると痛いし、そろそろやる事もなくなってきたし、モチベーション低下中。そうそう。退院予定を聞いた時に「まだ病理の結果も出てないし」って言ってて。え⁈手術中に残った所の細胞を病理検査して、癌を全部取り切ったって聞いたけど⁈ヤフー先生に聞いて
まさか癌告知されるとは思わず、うっかりひとりで聞いてしまった私。「ご家族を呼んでください」なんて言われるのドラマだけなんだね。せっかくこの日、待合室に癌サバイバーの父がいたのに。せめて一緒に来た人の有無くらい聞いて欲しかった。ひとまずその場で父に報告。そのあと夫に電話。うちは平日ワンオペ育児で夫に会うことすらないので。癌告知を受けたのは月曜日、流石に土曜日まで言わないのもね。家に帰ってから子守をしてもらっていた母に報告。一番動揺してたのは夫でした。しばらくご飯ほとんど残して
すでに癌告知を一人で受けたものの、検査の2週間後は結果説明の日で旦那さん同伴で病院へ行ったのです。主治医の女医先生は、ハニスケさんの癌は左乳房の小葉癌です!!と言いました。小葉癌は少し珍しい癌で、乳癌の約5%くらいらしい。大学病院で小葉癌を研究していた主治医の女医先生は、首を傾げていたのです🤔というのも、ハニスケさんの癌は進行が速く、珍しいんだよね…って小葉癌は普通、進行が遅い癌らしい。そうでしょう、そうでしょう
子宮体癌の告知を受けて、下腹部痛と腰痛、動悸、食欲不振、お腹の膨満感が内膜掻爬術から10日後は2カ月続いた出血とまり、腰椎もなくなり、お股の痛みもなくなり、病院から電話もないし体調すごく良くて「もしかして健康?もしかしたら異型細胞くらいでガンではないとかもあるのか?」という気持ちがちょーっぴり湧いてたのですがやっぱり、子宮体癌です、って告知受けて後から後からどんどんメンタルやられて体調悪くなってきました告知の後で内膜掻爬術後の内診をしていただいたのですが翌日出血、腰痛で気持ちさらに
(記事タイトルですが…今回から令和→西暦表示にしました🙇♀️)※2年前の癌告知までの備忘録です【2021年】9月血尿も無く受診もせず10月職場の健康診断で再検査を指摘され「大腸検査」(ついでに胃カメラも)…異常無し※初めて静脈麻酔しての検査で寝ている💤間にいつのまにか終わってました11月インフルエンザワクチン接種12月初旬薄い血尿あり12月6日◯◯市立病院受診(当日は血尿無し)単純CT(下腹部、骨盤部)…異常なし尿細胞診(後日結果…たぶん1か2)次の予
術後3日目点滴の針も外れてご飯も5分粥食♪着実に退院に近づいてるよね、私。昨夜、初めての5倍粥う、うまい〜!私お粥嫌いなんだけど、流動食に比べたら何倍も美味しい。でも食べると喉が痛くて。休みながら少しずつ。お腹は空いてるのに美味しく食べれない。食事のたびにテンション下がる。看護師さんの勧めで明日の朝食から痛み止めを飲むことにしました。ロキソニンかな⁈外来で腫瘍を切った時に出してもらって、全然効果なかったけどね汗。咽頭の疾患は食べること、喋ること、息を吸うこと。生き
癌告知と言えば、一昔前は家族呼んで…家族に本人に告知しますかとか?家族に説明していたようなイメージ娘には、常に病院行くねぇもしかしたら悪性かもと、タイムリーに報告大事な旦那には、精神的に弱く言えずにいた。さすがに5月8日に大学病院の紹介された時に報告。旦那は、『まだ、これから検査するんでしょ。義母には言ったの?』私、「ラインで報告したけど」旦那は、『先に俺に言って欲しかったなぁ〜』精神的にショックを受けると思って、後回しにした配慮だったんだけどなぁ〜結果的
がん保険入ってますか⁈30代で入ってる人って少ないのかな。幸い私は入ってました。2年前母が乳癌になった時、癌が怖くなっちゃって。遺伝性の乳癌じゃないから大丈夫だよとは言ってくれてたんですが。医療保険には入ってるし贅沢かな?って思ったけど、どうしても今絶対入らなきゃ!と思って申し込みしました。私、今まで全然気になってなかったことが突然「やらなきゃ」とひらめく事があって。神のお告げ的な⁈オンナの勘的な⁈やって失敗した事がないんです。今まで外していた最先端医療特約を医療保険に追
本日は10時に入院。希望通り個室に入れたけど、今後移動もありうるみたい。このまま個室にいたいよ〜。予定では手術日から1週間で退院だそう。ご飯は手術日夜から。そんな早く食べれちゃうの⁈⁈本当に⁈⁈「経口的咽喉頭腫瘍切除術」という手術方法らしい。そして入院計画表には「沈黙療法」の文字が。主人が毎日お見舞いに来てくれる予定だったんだけど、筆談になっちゃうのかな。今日、娘達に電話しとかなきゃ!午前中に肺機能検査。午後に麻酔科の説明。全身麻酔は3回目なのでサックと終了。そして
当たり前だけど癌なのにいつもと同じ生活。急に娘たちが良い子になるわけでもなく、主人が早く帰ってくるわけでも家事を手伝ってくれるわけでもなく汗。いつもと同じだけど、頭から「癌」が離れない。2018年1月下旬PET検査へ。安静室がまー寒いこと寒いこと。寝れやしない。昔、別の病院で受けたPETでは安静室にテレビがあったけど、今回はなし。テレビゆっくり見るの楽しみにしてたのにな。検査終了後はしばらくは放射能が体から出るので、2歳以下の子と妊婦さんには接触禁止。11時半からの予約の
術後4日目。本日の朝ごはん。パ、パン〜!!!強敵現る。今朝から全粥食になったらしい。先生明日からって言ってたような。まあ、いいや。パン食べたかったし。真ん中の白い部分は意外と食べれました!いい大人が耳だけ残しちゃった。下膳しに行ったら他にも何人か耳だけを残してる人がいてホッとしました。昼ご飯も順調に食べれたから調子に乗ってコンビニでアイス調達。冷たさが喉に染みるけど美味しい!刺激になってしまったようで、夕食を食べる時はまた痛みが出てしまった。アイスはまだ早かったか。口
2023/9/30今年3月の振り返りの内容です。今の大学病院で本格的に治療を始める前に、癌告知されてすぐにセカンドオピニオンとして、膵臓がんの名医に相談に行った時に頂いた言葉です。「あなたに関わらず誰でも明日どうなるかわからない。でも人って病気だと言われた瞬間に、今生きてることのありがたみに気づくんだよ。本当は健康な時にそれに気づいて、毎日に感謝しなきゃいけないのにできないんだよね。毎日を大切にしながら10年生きてください。10年前なかった治療が今あるように、10年経つと必ず違う
2023/11/6(月)本人へ膵臓がん告知の日、主治医は急遽病欠になってしまいました。主治医の他にサブ担当医がいて、そのサブ担当医から朝方、本人に少し深刻な病状であることを、それとなく伝えてもらえたようです。■午後15時頃、私と本人と(主治医が病欠のため)サブ担当医と、その上司の医師の合計4名で別室にて話をしました。・検査結果から現状報告◇膵臓がん告知・今後の治療方針◇「十二指腸ステント」又は「胃と腸のバイパス手術」の後に、抗がん剤治療。◇カンファレンスの結果「胃と腸のバ
ブログへのご来訪ありがとうございますお仕事中、農家のおばちゃんにキャベツを頂いてしまいました!!!以前に癌告知の衝撃度について書きました家族が癌だと判った時その衝撃とはどのくらいだったのか?その大きさを比較できるように数値化してみましたが、今回新たに再発が判った時に初発と再発ではどのくらいの衝撃を受けたのか?数値化して示しますと、、、初発を10だとした場合私の場合、再発は2くらいですね初発の5分の1程度でした完治できないと聞いていたので再発は免れないことは
癌を告知されてから人前で泣いたこと。2回。もともと珍しい病気ばかりかかっていて、病気に免疫ができてた。そのお陰でメンタルが強くなった。告知された時も「癌か〜。今度はそうきたか‥‥」って思った。涙は出なかった。告知された次の日、仲良く遊ぶ娘たちを見て声をあげて泣いた。子供達は急に泣き出したママにキョトン。1番やっちゃいけないやつ汗。あとは一度だけ主人の胸をかりてワンワン泣いた。もちろん泣きたい事もあったけど、人前では泣かないように心がけた。だって手術前の貴重なとき、笑顔で
本日は術後4ヶ月のCT検査でした。記事にはしていませんでしたが、1ヶ月ごとに診察を受けています。私は造影剤アレルギーがあるため、単純CTでした。10年前に膵臓腫瘍の手術をして、経過観察中は造影CTができずその代わりにMRIをしていた私。先生に聞いたら、CT検査と超音波エコーで見るから問題ないと言われました。不安〜!!なんで私アレルギーなの!!!結果も今日聞けて‥‥異常なしでした涙涙涙ほんと良かった!行きに見た病院の外の景色が、帰りは輝いて見えた笑ということで、しばしご褒
夫と私と子供の3人暮らし2024年2月7日43歳で突然の癌告知中咽頭癌と私、家族のことを書いていきます。今は心配と不安でいっぱいいっぱいですがこの記録がいつかどなたかの参考になれば嬉しいです。2月25日PET検査先日のMRIは怖くなって中止してしまったこともあって、今回のPET検査は初めに検査機器を見せてくれて、足から入るという対策をとってくれた。私は最初から目を閉じて、とにかく心を落ち着かせようと大丈夫。大丈夫。と繰り返した。体が何度も震えてしまったけれど、涙も流れていた
にんじんジュース生活始めました!まずはスロージューサー購入。高いんですね、これ。めんどくさがりな性格なので続けられる自信がない。色々迷って結局アマゾンで見つけた7000円代のものに。実家で育てた超苦いはっさくと人参を投入!美味しい〜^^これなら続けられそう。にんじんだけだと生臭い?感じがして少し苦手な味。はっさくだけだと苦くてとても飲めやしない。2つを合わせるとこんなに美味しくなるなんて!続けられそうなので無農薬人参をポチ。いっぱい来た!えっ!要冷蔵だってよ!!入ら
実は父も母も癌患者です。父は大腸癌母は乳癌2人とも相当進行していましたが、奇跡的に転移なし。母に至っては転移前提で脇のほとんどのリンパを切除したのにひとつも転移がなくて先生が謝ったそう。父は10年の癌サバイバー。母は3年でホルモン治療中。2人とも私以上に元気です。父なんて酒に飲まれる生活をしています笑。そんな我が家では転移の有無が超重要課題になっております。PETの検査結果が出るまで、不安すぎて私、お腹下し気味です汗。
癌告知されてから怖くて怖くて。何が怖いんだろう?1年前、次女妊娠時に切迫早産で2ヶ月半入院しました。突然入院と告げられて、その時もお腹の中の子を失うかもと思うと怖くて怖くて。でも今回の方が何倍も、何十倍も怖い。親になっても結局は自分の命の方が大事。自分が1番可愛いってことかな‥‥気づいてしまって嫌になる。怖い。娘たちの成長を見守れないかもしれない。怖い。これから痛い我慢しなきゃいけない治療が待ってる。怖い。怖い。先がわからない事が1番怖いのかもしれない。自分の
癌の告知を受け、その日のうちに夫に連絡しました。現在、夫は単身赴任中で4月から別々に暮らしています。電話だとうまく話せない気がして、LINEで連絡することにしました。健康診断で、甲状腺の精密検査を受けるよう言われたことはすでに伝えていました。「いま病院で検査の結果を聞いてきたんだけど、悪性の可能性が高いって。私、癌みたい」「マジ…?」細胞診が12月までできないことも伝えると、「セカンドオピニオンはした方がいいよ」と。いくら進行が遅い癌とは言え、年齢が高いほど予後が悪くなるようだし、
癌だとわかって一番辛かった事は、癌になった事より、大切な人が悲しむ姿を私が原因で作ってしまっていることだった。家族や友人が泣くこと、悲しんでくれている気持ちは伝わり、ものすごくありがたい気持ちが大きいのだが、悲しませてしまっていることも、苦しく辛かった父は、4年前肝胆管癌が原因で他界している。父が、以前癌を告知された時、父より先に私や家族が泣いてしまった事を思い出し、父に癌告知の時まで強い父を強いてしまっていたようで、あの時気が付がなかった事に、ものすごく後悔した。泣いても良い結果は出て
ガン告知を受けて気分はジェットコースターです急に怖くなって涙でてきたり主人の為に、心配させないようにがんばるぞ!と思ったりもう先がない夢みて恐怖で泣いたりもー、現実逃避してしばらくシャットアウトしとこうと思います(Leiさんを見習う)大学病院に行く1カ月先まで(長いな)今まで大きな手術は4回しました現在56歳14歳のときに卵巣破裂で除去急にお腹痛くなって盲腸かと思って手術したら卵巣破裂って19歳で脊髄内腫瘍で原因がわかるまでの1カ月が激痛で寝たきりに3ヶ月入院46歳で締
2022年11月2日、細胞診の結果を聞きに行った。🧑⚕️子宮体癌です。え?癌?本当に?ガーン🧑⚕️それ言われたの、本日、二人目ですね。(え?まだ午前早い時間なのに二人目なんだ。)←ソコが問題じゃないぞ癌?うちは癌家系じゃないし、私は今、ジムでパーソナルトレーニングで筋トレするくらい元気なんですけど。🧑⚕️……。今日お呼びしたのは、検査の結果、癌の顔つきが悪いものであることがわかり、早く治療を始めたかったからなんです。(顔つきが悪い?癌って顔があるの?)どんな顔つきなんですか
術後7日目。昨日無事退院出来ました!娘たちもお昼前には来てくれて一緒の生活が始まりました。体調が戻るまで母にいてもらいます。ごっこ遊びが大好きな3歳児のお相手に母の質問攻め。喋りすぎて夕方には喉死亡汗。痛すぎる。無理は禁物ですね。滑舌悪いから余計声を張って喋っちゃうし。は〜おうち帰ってこれてほんと良かった。娘たち見てると幸せな気持ちになります。他の人の闘病体験記を読んで怖くなってしまうこともありますが、余計なことはもう考えないことにした!!少しでも長くこの幸せが続き
とうとう手術日の朝を迎えました。快晴なり。窓から富士山が見えて縁起がいい。点滴も3回失敗されて無事完了。点滴、変な場所だな汗。1年前、切迫早産で2ヶ月半入院してた時は24時間点滴生活でした。また点滴生活に逆戻りだなんて。そして帝王切開の手術からまだ1年も経ってないのにまた手術って。この前は入院生活のゴールが見えたのと、新しい命の誕生に手術日の朝はテンション高くて楽しくて仕方なかった。今回は‥‥未だに癌なこと、手術なこと、喉の一部を切ること信じられない。受け止められてない。
■2023/11/5(日)夫の弟は片道1時間半〜2時間かけて、面会に来てくれた。夫は地方出身で実家には18歳迄しか住んでおらず、弟は結婚後も実家近くに住んでいて、地域の集まりにも父親と参加していて、実質跡取り。夫は、私に『なんで弟に連絡したの?(大げさだよ)』と言いながらも、2人兄弟の弟と久しぶり再会の時間を楽しく過ごしたようでした。私から夫へは『緊急連絡先2人必要な為、連絡したよ』と言って、病気が深刻だから連絡したことは黙っていた。弟は、入院したこと両親に伝えてよいか?と本人に確認
忘れもしない2年前のこの日は金曜日で仏滅。また大学時代の恩師の95歳の誕生日🎂だった。恩師がこの世に生を受けた1927年も同じく13日の金曜日の仏滅だったという奇遇。何故この日を受診したのか…特に意味はなし。単に都合の良い日がこの日だっただけの話😅さて受診する数日前に受け取った検診結果のハガキ。送られてきた際は個人情報保護のシールが貼られていたとはいえ、このハガキが届くまでは同居する家族に見つかるまいと、届く郵便物を誰よりも先にチェックするようにしていました。クリニックを訪れた際は
手術になっても放射線治療になってもしばらくは今みたいに元気に生活できないでしょう。今やりたい事1、家族写真を撮るだってこれからどんどんやつれるかもしれないし笑。綺麗なママを残しておきたい。2、旅行に行く娘たちにママとの思い出を作りたくて。0歳の次女は無理として、3歳の長女には記憶に残るかな。3、幼稚園準備の手作りグッズを完成させる退院後の体調がわからないから絶対完成させなきゃ!主人にプレゼン。あっという間に写真スタジオと旅行の予約をしてくれた。ほんとありがとう。優し