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〈Bー7初めての入院〉一回目の入院から、二か月後、今度は、もっとひどい状態での、入院となりました。前回の入院時に、処方された利尿剤は、もう、効き目がなくなり、大きく膨張したお腹への、次の策として、アルブミン投与という、治療が行われました。けれども、腹水は、前回のようには抜けず、大きなお腹のまま、二回目の退院となりました。腹水が、溜まるので、足は、くぼみがなくなり、まるで、ゾウのよう。お腹は、カエルのよう。外見から、それと分かるほど、夫
行きは、大ぶりの雨でしたが、帰りの赤いミニ列車が、奥大井湖上駅から、始発駅の千頭まで、行きとおなじルートで戻る頃には、天気は、雨から一気に晴れへ。2022年秋の、大規模な土砂災害で、不通区間となっている、大井川本線の、千頭(せんず)~家山(いえやま)の間は、電車に乗れないので、日に数本運行している、町営バスに乗って、やれやれやっと、家山駅に帰り着きました。「あとは、大井川本線の電車に乗れば、スタート地点の金谷(かなや)駅に戻れる」と、ここまで、予定通りの日
〈Fー3最後の賭け〉「馬鹿なことを言っちゃいけません。ご主人の今の状態では、空港にすら行けませんよ。仮に、行けたとしても、飛行機に、絶対搭乗させてもらえません。私だって、外国で治療を受けさせて、患者を連れ帰ったことが、あるんですよ。可能ならそうしますが、無理です」「でも、そうするしかありません。このまま死を待つことは、できません」「奥さん、ほとんど全ての方が、移植を待ちながら、亡くなっている。それが現状なんですよ」…未成年ドナーは駄目。海外移
諦めきれずに、駅の時刻表をずっと見ていても、あるはずだった時刻の、列車運行は無く、次の列車は、2時間待ち…代替手段の、バスやSL列車もありません。年末年始ダイヤで、消されてしまったのか、直近のダイヤ改正で、運行列車が減らされたのか、はたまた、私のチェックミスなのか…「あ~あ、ショック、ショック」と言いながらも、どうすることも出来ません。~飲食店もなさそうだし、あっても、お正月だし、どこか参拝するところはないかな?~と、駅舎の横にある、『家山案内図』
すると、皮膚科医は、「白人に多い乾癬の一種ですね」と、事もなげに言って、病名が刻まれているスタンプを、カルテに押し、塗り薬を処方したそうです。その一連の診察の様子を、夫から聞いた私は、「よくある皮膚病で、塗り薬で治るんだ」と安堵しました。ですが、その赤紫色の斑点は、いったんは消えても、別の所に新たに出現しました。薬を塗っても塗っても、それをあざ笑うかのように、頭皮をはじめ、全身のアチコチに再発し、決して治ることはありませんでした。この全身に広がる赤
当時の人々、それも、診療所すらない田舎に住む人々にとっては、富山の薬箱は、なくてはならない、セーフティーネットだったのでしょう。富山の隣の県に住んでいたこともあり、私にも、富山の薬売りのオジサン(と言っても、きちんとジャケットを着たオジサン)が、毎年決まった頃に、各家庭を巡回していたという、はるか昔の記憶があります。我が家にオジサンが立ち寄ると、オジサンは、薬箱の中身を点検して、使った分だけ、薬代として回収し、新たに薬を補てんしていきました。その様子を眺
「熊の胆(くまのい)」は、熊の姿がリアルに描かれた、パッケージだったので、子ども心に、その存在は、しっかりと記憶していますし、お腹が痛くなると、『富山の薬箱』を勝手に開けては、熊のパッケージの薬を、躊躇することなく飲んでいました。子どもの頃、「お腹が痛い」という症状が出た時に、いつも服用していた「熊の胆」…実は、この生薬を、化学的に合成したものが、〈ウルソ〉という肝臓薬だと知ったのは、夫の肝移植手術のドナーとなった私が、退院時に、40日間服用するようにと指
肝臓は、人間の身体の中で、最も大きな臓器ですし、消化器官としても、絶えず機能しなければならないので、常に、十分な血流が必要だと、言われています。健常人なら、立っていようが座っていようが、肝臓に、十分な血液が、流れるのでしょうが、当時の夫の肝臓は、肝硬変の中でも、5段階のレベル4くらいの、お手上げ状態でしたから、横になると、やっと少し血液が流れてラクになる…そんな感じだったのでしょう。入院すれば、ずっとベッド上で、横になって過ごすことが出来ますが、それ
さて、肝臓の薬として、よく知られている〈ウルソ〉とは、どのような薬なのでしょうか?【ウルソとは】ウルソの正式名称は、ウルソデオキシコール酸。肝臓で作られる胆汁分泌の、促進作用により、胆汁の流れを改善し、肝臓の血流を良くして、肝細胞の障害を軽減したり、肝機能を守る作用がある。もともと、熊の胆汁から作られる、生薬「熊胆(ゆうたん)」を、起源としている。「熊胆(ゆうたん)」は、江戸時代には、既に万能薬として、庶民の間でも広まっていたが、1927年に、国内で
お久しぶりです肝がん再発のブログを書いてから半年が経ちました。あれから2ヶ月に一回、癌の経過を見るため検査を受けています。主人は腎臓の数値が悪いのでこれ以上、腎数値を悪化させないために造影剤CTの検査が出来ません。なので私も詳しくは分かりませんが造影剤CTよりも精密差が落ちる種類のCT?と超音波エコーでの検査になります。あれから半年で3回ほど検査して先生の診断結果は…先生【癌とは言い切れない】私【えっ、なんですか?癌じゃないの?】先生【癌ではないとは
この旅行では…都会ではありえない、長い時間、次の電車やバスを待ちました。小銭を握りしめて、寒風の中、電車やバスを待っていました。ボーっと何も考えず、ひたすら、眼前の風景を眺める時間を、何度も過ごしました。「効率の良さ」ってそんなにも、人を幸せにすることなのかなあ?そんな、今更ながらの疑問や気付きを、お土産として、持ち帰ってきました。中でも、若き車掌くんの仕事ぶりは、忘れることができません。一番印象に残ったのは、彼の仕事のモチベーション、~大井川鐵道へ
奥大井湖上駅周辺で、一番見晴らしが良かったのは、(枯れ草が生い茂った展望所ではなく)駅のすぐ後ろにある階段を、上ったところにある、ログハウス風の休憩所でした。私たちと同時に、湖上駅に降り立ったほとんどの乗客は、更に終点を目指して、次の電車に乗っていったので、残ったのは、わずか数人。数人しかいない休憩所で、帰りのミニ列車が来るまでの、小一時間、ボンヤリと、湖上駅の風景を眺め続けていました。快晴ではなかったけれど、小雨降る冷気の中で、南アルプス
雨はすごいし、こんな急な階段、踏み外さないかなあ。…心の中は、あとずさり状態なのですが、ここまで来たら、途中でやめるわけにもいかず、恐る恐る、鉄板階段を上り続け、やっと上り切ると、今度は、木の根っこが浮き出た、土の道に…雨で濡れた木の根っこは、スベる~スベる~キャーキャー言いながら、何とか転ばずに通過すると、その先すぐに、展望所がありました。展望所には、誰もいませんでしたが、我々より遅れること5分…こちらに向かう、ガサゴソした人の気配を感じたので、拍手
それにしても…井川線始発の千頭(せんず)駅から乗車した、時代遅れの赤いミニ列車と、車窓に広がる風景は、ゆったりとした時間の流れとも相まって、色々な落とし物に、気付かせてくれました。「お手軽ですよ」「効率ナンバーワン」「座っているだけで、スイッチをポンと押せば、それで完了」なんていうセールストークが、花ざかりの現代ですが、それどころか、それが更に進化して、「スマホがあれば、何でもできる時代」が、近々、到来しそうです。それは同時に、「スマホがなければ、何も
その日、夫は、意外なほどルンルン状態で、近所の内科医院から戻ってきました。夫と、初対面のヤブ医者との会話と言えば…「肝臓が硬いようなのですが」と、夫が自己申告しても、「そんなに硬くはないよ」「白目が少し黄色っぽいようなのですが」と、これまた自己申告しても、「そうかな、フツーだよ」との返答。そして、持ち帰った薬が、ウルソ錠という、胆汁の分泌を良くして、肝臓の働きを高めるという、基礎的でポピュラーな肝臓薬。このベーシックな薬を、毎食後、たった一錠ず
せっかく体重落ちてきたのに今日は良くない物を買って即完食しました。いけませんねぇ💦でも1週間で2.4kg減量はちとやり過ぎたので、また明日から食生活を見直します💦
そして、とうとう、秘境駅と呼ばれる、〈奥大井湖上駅〉に到着。湖の上の赤い橋(レインボーブリッジ)のすぐ脇に、駅の表示板がポツンとあるだけの駅。赤いミニ列車と車掌くんとは、ここでサヨナラです。青いベンチコートを着て、車掌帽をかぶり、ザーザー降りの雨の中を走り回る、若き車掌くん。列車を降り、いよいよお別れという時に、どうしてもひと言、彼に伝えずにはいられませんでした。「観光ガイド、とっても楽しめました。どうもありがとう!」すると車掌くんは、驚いた顔で、
それとは異なり、日本で絶えず話題になる、若者の就職先ランキングでは、『経済面での待遇の良さ』や『福利厚生』といった、要は、『給料が高くて手厚い生活支援のある』就職先が、人気のマトです。確かに、お金が無ければ、生活は苦しく、心も荒んでしまいがちです。それゆえに、我々は疑問も持たずに、『効率良く仕事をして給料やボーナスを少しでも多く貰えるようになる』ことが、幸せへの原動力になるのだと、信じ、立ち止まって考えることもなく、その価値観を、受け入れ続けてきたのかもしれま
〈Aー1はじめに〉「ダブル移植の語り部」、このタイトルを見て、「どういうこと?」と思われる方が、ほとんどでしょう。「ダブル移植」には、二重の意味があります。一つは、臓器移植を受ける、レシピエントと呼ばれる人が、異なる二つの臓器の移植を、受けているということ。もう一つは、臓器の提供者、ドナーが、異なる二つの臓器を、提供しているということです。実は、私たち夫婦は、ダブル移植のレシピエントとドナーです。夫は、肝臓と腎臓の生体移植、二つの臓器の移植
(昨日の続き…)(3)移植した肝臓は、その後、敗血症を乗り越え、機能するようになったものの、敗血症によって、突然、急性腎不全になった夫の、2つの腎臓は、その後回復することはなく、腎機能がダメになってしまった夫は、人工透析生活を、余儀なくされるようになりました。↓(4)「夫を何とか人工透析生活から離脱させてあげたい」という、私の思いや学びや行動が、実を結び、肝臓に続いて、2度目の臓器移植手術である、「生体腎移植手術」を、受けることが出来ました。
精密検査の結果、病名が判明しました。~肝硬変(非代償期)~もはや元に戻ることの出来ない時期に、入ってしまった、肝硬変でした。翌日、初めての入院。この時は、投与された利尿剤が、よく効き、腹水が体内から無くなり、めでたく退院したものですから、夫も私も、この病状は改善するものだと、信じてしまいました。現実は、そんなに甘いものではなく、ほどなく、消えたはずの腹水で、夫の身体は膨張するようになりました。『沈黙の臓器』と呼ばれる肝臓も、さすがに耐え切れずに、沈黙を
【万波誠先生を送る会】(宇和島)11月28日付愛媛新聞記事宇和島市の病院で、数多くの腎移植手術を手掛け、10月に81歳で死去した、万波誠氏を「送る会」が、27日、同市住吉町の葬儀場であった。万波氏が執刀した患者や、親交のあった病院関係者らが、全国から訪れ、功績や人柄をしのんだ。式典は実施せず、参列者は、祭壇の前で手を合わせ、会場に飾られた、万波氏の生い立ちや白衣姿の写真に、静かに見入っていた。16年前に、万波氏の執刀で腎移植手術を受けた、
〈Bー1初めての入院〉夫の初めての入院は、平成25年9月。このころ、夫は、北関東の酒類販売会社の経営者として、休みなく働き続ける日々を、送っていました。そんな夫の体のあちこちに、入院の一年ほど前から、赤い大小さまざまな斑点が、出てくるようになり、皮膚科を受診しました。その日、私は夫とともに、皮膚科の待合室にいました。ふと、横に座っている夫の顔を見て、「あれっ、白目が黄色くなってる」と、驚いた声を出しました。夫は日ごろから、「目が黄色くなってい
それからもうひとつ…読者の方々に私たちのリアルな体験を、知って頂きたい、という思いと同時に、私たち当事者にとっても、2014年4月に行われた、生体肝移植手術から、丸10年という節目を迎える現在、今一度、激動の2014~2015を、振り返りたいという、熱い思いがあります。現在、私たちは2人とも、健康で幸せな生活を、送ることが出来ています。それは、とにもかくにも、夫の体内の移植肝臓と移植腎臓が、順調に機能してくれているからなのですが、ともすれば、それを忘れてし
〈Bー4初めての入院〉▼次男から、入院中の夫に届いたメッセージ病状を聞いたよ。重度の肝硬変らしいね。父は、仕事とも病気とも、青二才の自分には理解できないほど、つらい目に遭いながら、奮闘しているのに、苦労もしないで、タダ飯を食っている自分が、情けない…病状が、厳しくなったならば、いつでも自分が、肝移植のドナーになるからね。父には、長生きして欲しいし、おいしいものも、もっと食べて欲しいから、肝移植は、そのうち絶対に受けてもらうよ。早死
このように、全身の皮膚に出現した赤紫の斑点や、お腹周りの膨張、そして、食欲不振の常態化、ゴロリと横たわる回数の増加、など、今にして思えば、元凶はすべて、肝臓の極度の機能低下によるものだったのですが、それに気付かないまま、漠然とした不安を抱えながらも、それを打ち消すように、我慢強い夫は、仕事に没頭していましたから、私はそんな夫を見て、危機感を募らせることは、ありませんでした。(本当は、かなりしんどかったのだと、夫は後述していましたが…)そんな膠着状態が一変し
〈Bー6初めての入院〉ペッタンコになったお腹が、再び、ふくれるようになったのは、退院してから、二週間後。「また、お腹が出てきた」という夫の言葉は、ショックでした。口にするものは、チョコレートやジュースくらいで、エネルギー的にも、立ち上がれるわけがありません。それでも、ふらふらと起き上がって、車を運転して、会社に行き、必要最低限の仕事や指示をして、自宅に戻り、ひたすら横になるという生活を、約一か月、続けました。何度も、「病院に行こう」と、
削っても削っても、減らない様子を見かねた、野村さんが、「ご本人だと、思い出や文章に、愛着があって、なかなか削れないでしょうから、私がお手伝いしましょう」と、申し出て下さいました。そのおかげで、なんとか2020年3月に、究極のダイジェスト版として、まとめ上がり、「命の贈りものPart3」という、タイトルで、出版にこぎ着けることが、出来ました。(ちなみに、野村さんは、愛媛新聞社勤務だったので、文章校正には強い方で助かりました)そして今、ブログ開設時から、7年
〈Bー2初めての入院〉全身に赤いボツボツが出現して以降、夫は暇さえあれば、ゴロゴロと横になるようになりました。昼食の休憩時間には、会社から自宅に戻り、昼食もろくに食べずに、ひたすらゴロンと横になり、また仕事に戻る、という日々。そんな状態でも、夫は頑なに、精密検査を拒み続けました。「悪いと分かっているから、病状告知が怖い」「入院、治療となれば、会社が立ち行かなくなる」という心理が、病院行きを妨げていました。黄疸とともに、夫のお腹が少しずつ、
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」(箱根馬子唄)大井川は、かつて徳川家康が隠居していた、駿府城の西の守りとして、機能しており、橋を架けることはもちろん、渡し舟も禁止されていた。その代わりに、人の肩車や輿(こし)に乗せて河を渡る、川越(かわごし)制度が設けられ、川会所(かわかいしょ)で川越銭を払い、大井川を渡った。洪水の際には、川留め(通行禁止)となったため、大井川周辺の宿は、大変賑わったという。明治時代に入ると、江戸時代の川越制度は廃止