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◇箱崎文應①(酒井雄哉大阿闍梨)(箱崎文應大阿闍梨)小名浜にある顕彰碑『バカモン!!!お前はこの裏山を歩くような人間になっちゃうんだぞ!!』朝から酒を飲むこの行者はいったい?箱崎文應、俗名を箱崎作次、明治25年4月7日、福島県小名浜村(現・いわき市小名浜)の農家の三男に生まれている。豪僧、怪僧、生身の不動、不死身の鬼行者といわれ、その過激な荒行ぶりは天台宗きっての破天荒な不動行者である。農家といえ小作農、貧しい生活で、兄は日露戦争で戦死、家計を支えようと14歳で東京に出るが、性格に
相応和尚比叡山の千日回峰行は、「此の峰を巡礼し山王の諸祠に詣じて毎日遊行せよ」と、根本中堂の薬師如来の夢告を受けて相応和尚によって始められました。なぜ歩くか。行を始めて最初の700日は、自分のために祈って歩きます。何を祈るか。他人のために祈れる資格を自分が得られるようにと祈るのです。700日目と701日目の間に、千日回峰行中最大の難行「堂入り」があります。自利行(自分のために祈る)から他利行(人のために祈る)に移る節目の行です。9日間、断食、断水、不眠、不臥といい、つまり一切食べ物も水も
京都は盆地で、その周りをグルーっと山々に囲まれております。そこを一周する60kmのトレラン大会です。秋であれば、それはそれは楽しい大会であろう。だがしかし、、、京都一周トレイルグランドトラバースのヤバいところは、それを真夏にやってしまうところ。その日の気温は36℃(゚o゚;;屈強なトレイルランナー達が集まって、なんと今回の完走率は50%ちょいということでした。京都一周トレイルグランドトラバースの完走率過酷ーっ!!果たして月間走行距離50kmで、その他はファストパッキングで遊んでる
カフェを後にして、メインである東塔(とうとう)に向かいます入り口で大人ひとり1000円を支払います一応、「犬はOKですか?」と聞いたところ、「今はまだ大丈夫ですよ」とゆう返答でしたマナーを守ればずっと許可してくれますよねきっと我が家は神聖神様系は、念のために女子はオムツ男子はマナーベルトで入場します地図をみながらくるっと回りましたオッサンを待つ犬達と親指オバサン駐車場はフツーに暑いのですが、入場したらあら不思
6月11日から3日間、当山檀信徒及び近隣寺院のご住職の24名で京都・滋賀の法然上人25霊場に行ってきました🙏✨まずは祖山知恩院🙏お抹茶もいただきました🍵2日目最初は清水寺阿弥陀堂🙏なんと、堂内に上がらせていただき、読経・回向・祈願をさせていただきました✨次は小松谷正林寺✨こちらも法然上人の御前にて読経🙏滋賀の比叡山に移り、法然上人が得度された法然堂へ✨ついに最終日✨大原三千院→勝林院へ✨勝林院でも、皆でお十念🙏続いて京都に戻り、「百さん」の呼称の大本山百万遍知恩寺です✨こ
箱崎文應③(酒井雄哉大阿闍梨)荒れ果ていた飯室谷長寿院に『箱崎阿闍梨』は入った。太平洋戦争が日本に不利になり始めた頃である。田んぼで米を作り、畑を耕す。精力的に箱崎師は動いた。北嶺大行満大阿闍梨となれば比叡山の高僧の仲間入りである。悠々自適の生活を送ることも出来るのだか、現実は厳しい。弟子も居なければ寺の住職として認められてないからであった。(大峯山)日々の生活に追われながらも、一方で再び「回峰行」を始めた。昭和17年、大峯回峰にのぞんでいる。大峯山は女人禁制の修験の根本道場で厳しい
昭和56年の選抜がはじまりました。この大会は、とても記憶に残っています。初出場ながら、秋田経大付の評判が良く、また昨夏甲子園を沸かせた荒木大輔も楽しみだったので、とても集中してみてました。まずは一回戦からです。3月27日第1試合①気まぐれな勝利の女神が微笑むのは?北日大0000000112高松商0010000023三回、高松商は石田がライト線三塁打。寺尾がスクイズを決め先制。投げては石田が北海道日大打線を五回までパーフェクトと完璧な試合運びだった。しかし北海道日大は
『叡山パラダイス』跡地に行きます駅舎すぐの山道を歩きます。昭和12年から昭和18年に営業した旧叡山ホテル跡地です。建築家の村野藤吾氏が設計した建物です。木造2階建てのホテルでした。戦時中に廃業しました。現在残っているのはエントランスに通じていた玄関とコンクリートの基礎のみです。上の部分は展望台でした。当時は「景観日本一」というのが謳い文句だったようです。ケーブルが廃止したことで廃業しました。解体後その材料は三重県鈴鹿市に運ばれ海軍施設の材料として使用されました。そ
みなさまこんにちはホロン168(いろは)のちほです。ブログに遊びに来てくれてありがとうございますホームページご予約・お問合せ最新スケジュールアクセス*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:滋賀県大津市坂本にある律院(りついん)へ両親を連れて行ってきましたNHKで随分前に放送されていた大阿闍梨様の千日回峰行の
下界より涼しくて、人がいないであろう遠くへ行きたい✨✨比叡山延暦寺に定まりました天台宗総本山比叡山延暦寺[HieizanEnryakuji]京都市と滋賀県大津市にまたがる天台宗総本山。「日本仏教の母」としての歴史と現在を紹介。www.hieizan.or.jp今回、我が家は京都東で高速を降りて、田の谷峠料金所から入ります予定田の谷峠(比叡山ドライブウェイ)夢見が丘東塔西塔仰木料金所(奥琵琶湖ドライブウェイ)と、2つのドライブウェイを通行する計画(ド
京都という街は全くもって過去と現世というのか昔から続く行事や習わしが脈々と受け継がれ日常生活に溶け込んでいる数日前明智光秀公の首塚を守っておられる『梅光会』の中心的な役割をされている『餅寅』さんの女将さんが餅寅(東山/和菓子)★★★☆☆3.21■予算(昼):~¥999tabelog.comLABOにいらしてくださり毎年行われる『祇園放生会』が祇園白川巽橋祇園放生会|京都に乾杯www.kyotonikanpai.com6月の第一日曜日に行われるとお聞きしたので
こんにちは。今回の『未知なる扉から』も、以前ご紹介したブログ「江戸の守護神」の挿入話ー特別バージョンのパートⅡです。今回のキーパーソンは天海天海和尚は、天台宗の高僧で、武田信玄や豊臣秀吉にも仕えたと言われていますが、出自に謎が多く、一説には135歳まで生きたという噂のある怪僧です。政治の表舞台には出て来ませんが、三代徳川家ー家康~家光ーに仕えたとも言われており、その存在と影響力は並々ならぬものだったのでしょう。さて天海といえば、風水的魔術によって結界を作り上げるということを、前
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖琵琶の音引用天台宗公式サイト法話集琵琶の音天台宗の四つの伝承法流の一つ玄清法流(げんせいほうりゅう)では琵琶を奏でながらお経を唱え、三宝大荒神や諸仏を祈ります。私たち僧侶が琵琶を弾く理由は「法華経」に由来します。「方便品」に、琵琶や楽器で妙音を奏で仏を供養するならば必ず仏道を成就することができる、と説かれています。つまり「妙音成仏」を目指す修行のよすがとして琵琶を弾奏するのです。琵琶の音色はその時々に変わります。私たちが弾く四弦五柱の琵琶
3日前に第11レモン畑は完成しました。その前日に悪友2人が手伝いに来てくれて、第11レモン畑は95%完成していたので、完成させるのは午前10時までの3時間で完成しました。以下の写真で一番奥に見えるのが第11レモン畑です。朝7時前に比叡山の麓にある本農園に着いて、最初に先日に設置した第11レモン畑の排水路がちゃんと機能していたかをチェックしました。排水路に溜まっていた水は畑の端に二箇所ある地中の排水パイプの中で流れて行き、排水路の地面はほぼ乾いていました。バンザイ❕ちゃんと
☆【外伝】『高倉健と二人の阿闍梨』酒井雄哉阿闍梨と『魂の交流』、、御前様永らく御無沙汰致しました。半年振りに仕事をする事になり今日京都に着き御会い出来るのを楽しみに来ましたが御不在なので残念です。留守中なのに御瀧を受けさて戴きます。御許し下さい。御身体になにかあったのではないかと案じて居ります。近日中に又参ります。その時を楽しみに。六月二十五日夜八時半高倉健この手紙を、ヤッさんがおよそ四十五年ぶりに目にしたのは、健さ
昨日は布教の当番で比叡山へ上がりましたよ帰りの空が美しくて心が震える瞑想の目的は…心を静めること講座の中で受講生に瞑想は何のためにやるのでしょうか…と質問したら未来瞑想…という解答が返って来た。ふむふむそれは間違いではありませんがまずは心を静寂にする心を落ち着かせる思考を止める…ことが目標です未来瞑想をやるとしたならばその次の段階ですね究極はね未来瞑想をやらなくても今この瞬間に意識を集中して深く深くの意識の中に潜れば心が安楽になるから勝手に未来は
阿闍梨に魅せられて、『酒井雄哉大阿闍梨』1日本仏教の母山、比叡山延暦寺。傳教大師最澄が開き、法然、親鸞、日蓮、栄西など今の時代に繋がる伝統仏教教団の始祖を生み、今も若き僧侶が修行に励み多くの人が集う『世界遺産・比叡山』、不滅の法灯が語る延暦寺。様々な荒行(修行)の中で最も過酷といわれる『千日回峰行』を二回満行した稀代の行者『酒井雄哉大阿闍梨』、この行者を知ることになったのは今から10年も前のことであります。様々な文献を読んだ中でこのブログで時には枝を伸ばし脱線しながらその行跡を辿り比
◇昭和の生き仏、(酒井雄哉大阿闍梨)毎日歩く。歩いていると、さまざまな光景と出遭う楽しみがある。酒井阿闍梨にとって、歩くということは「生」の一部であり、「生」の証しとなっているのだ。出峰して一步を踏みだしたとき、全コースの道の状態が鮮やかに脳裡に描きだされるのだろう。「毎日歩いていると、動物とおんなじなの。石ころも道の窪みも、体と足が知ってるというのかなあ。だから、藪のなかの道を歩いたって、足跡はおんなじ所をちゃんと踏んでいるんだ。行者道ってのは、わし一人しか通らない所もあるだろう。草むら
ビールやワインを飲みながら、、、夕食の時間になりました!これが一番の楽しみ!眺めが良いですね!今回は、お箸でいただくカジュアルフレンチという事らしい、、、スタンダードコース、、、品数がすくなそうですが!ちょっと不安?!まず最初に、オマール海老とアーティチョークのバリグール~黒オリーブとアンチョビのソース~が運ばれて来ました!では、いただきます!普段、あまり食べたことの
京都「やんちゃ村」が主催する「京都一周トレイル4分割マラニック」のその2が、6月2日日曜日に行われました。今回は白川通にある東山コースの道標52-1から、叡山電鉄鞍馬駅前の北山コース道標43までの約26kmです。受付&スタート地点は、前回その1のゴールだった東大路今出川に近い飛鳥井児童公園。先月に引き続き、スタッフとして参加してきました。四条大宮駅で他のスタッフにピックアップしてもらい、8時過ぎににスタート会場に到着。受付前にスタッフでブリーフィング。当日の段取りや役割分担などの再
京都洛南方面の観光を終えて、本日のお宿ロテルド比叡さんへ向かいます!ホテルは、比叡山ドライブウェイの中にあります!勿論、通行料はホテル負担になっています!途中で景色を楽しみました!琵琶湖と市街が一望でき、素晴らしいですね!ロテルド比叡旅行会社の最上級Sランク元は星野リゾートでしたが、現在は京阪電鉄グループになっています!【公式】ロテルド比叡(京都市)(hotel-hiei.jp
◇飯室谷にいく、、①(酒井雄哉大阿闍梨護摩行)酒井阿闍梨の千日回峰行は認められた。が、一つ条件がつけられた。これはすでに、酒井阿闍梨が叡山学院研究科を卒業したあと、本山交衆への加入を認めるかどうか、年齢が問題になって一山会議が開かれ、比叡山の規則が変更されたときからついていた「ただし書き」だった。特例を認める代わりに「ただし書き」をつけた。その内容は、「将来は飯室谷(いむろだに)の箱崎文應師のもとで、起居する」というものである。先達会議は、酒井阿闍梨の千日回峰を認めると同時に、この「ただ
京都府の形は…海から顔を出し、「きょとん」としているシュモクザメ。覚え方は…「きょとん、京都」さらにいろいろ覚えよう!・目がたんこぶのように出っ張ってるね。「丹後半島(たんごはんとう)」・「天橋立(あまのはしだて)」があるのは、あたまのはし(頭の端)だって。・背びれでターンをバーンとするよ。「丹波高地(たんばこうち)」・ヒレにあるからひれい、ひえい、「比叡山(ひえいざん)」・体のうしろにあるのが「宇治市(うじし)」と「宇治川(うじがわ)」・比叡山と宇治市の間にあるのが県庁所
こんにちは黒田です先日、京都の旅という事で食べ物載せていましたが実は旅のメインは延暦寺✨滋賀県に他に用事ないので京都に宿泊して京都ぶらりしていざ延暦寺へ🚗何やら看板見えてきて景色も綺麗でそこからが遠いっ💦山道をひたすらくねくね対向車が少なくて若干心配てな感じでしたが、到着すると観光バスもいっぱいで修学旅行生や、ツアーのお客さんもちらほら全く予習せずに行ったのですがめちゃくちゃ広いんですね私がいったのは東塔エリアなんですが全部まわろうとすると車移動じゃないと
一回戦に登場した中で、会心の勝ち方を見せたのは、東の横綱・早実でした。対する西の横綱・池田は力強さはあるものの、雑さが目につきました。その他ではなんといっても佐賀商・新谷。評判の高かった中京は打線が湿ってましたがどう立て直すでしょう。また二回戦から登場の中にも注目チームがあります。見どころある二回戦をどうぞ。8月11日第4試合益田対帯広農④語り継がれる4アウト事件!益田1000210015帯広農1000000102九回表、三死一塁でさらに打席に打者が立つ、と
こんばんは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。比叡山は、滋賀県大津市と、京都府左京区に、またがるようにそびえ立つ標高848メートルの霊山で、山のほとんどが延暦寺の聖域ですここは、伝教大師最澄が、延暦4年(785)に、開山して以来、1200年余りも法灯を守ってきた天台宗の総本山です。そ
前々から長野のパワースポット「戸隠神社」に行きたいと思っておりました旅行社のバスツアーなら簡単に行けるので探しておりましたがこのコロナ禍全く無いのでグーグルマップを検索しマイカーで出掛けました朝6時出発高速を乗り継ぎSAで休憩しながら約4時間掛かり「戸隠神社」平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏習合のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。江戸時代には徳
6月初めに滋賀、京都旅行をしてきたのですが、なかなか時間が取れず書けなかったので、時間を見つけてちょこちょこ書いていこうと思います。まずは初日の比叡山と周辺訪問から。InearlyJune,IvisitedShigaandKyoto,butIdidn'thavetimetopost.Iwillstartwritinglittlebylittle.FirstI'llstartfromHieimountainandaround.京都
【滋賀】滋賀県大津市坂本本町の天台宗総本山比叡山延暦寺【比叡山延暦寺御朱印帳】【比叡山延暦寺御朱印帳】(大判サイズ)【比叡山延暦寺御朱印帳】【比叡山延暦寺御朱印帳】(大判サイズ)【比叡山延暦寺御朱印帳】延暦寺会館でいただきました【星峯稲荷社御朱印】根本中堂納経所でいただきました【星峯稲荷社】星峯稲荷社裏手からの眺め御本尊の荼枳尼天は六道(地獄・餓鬼・畜生修羅・人・天上)の衆生を救ってくださる辰狐王菩薩さま
◇不動明王朝の会、、(酒井雄哉大阿闍梨)二回目の堂入りから出堂した、酒井阿闍梨の姿を見て、思わず土の上野に座り込んで礼拝する中年の女性もいた。「昭和の生き仏」の姿に、真言はますます高まるばかりだ。阿闍梨の顔は憔悴して頬がこけ、眼窩は落ちくぼんでいたが、瞳は澄み、表情には人間の顔を超越したような不思議な輝きと静謐さがあった。酒井阿闍梨は、堂入りがすんだ翌昭和六十年三月二十八日から赤山苦行に入った。今度は足の怪我もなく、雲母坂を一気に駆け下り、駆け上り、七月五日に千八百日を満行した。そして六十