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母が逝去しましたほんのしばらく休憩いたします散々苦労が続いたのに、楽天的に生き抜いた母へ・・・★次回は元気に、又銀座結びについて書きたいです。にほんブログ村←よろしければどれかボタンを慰めと励みになりますにほんブログ村にほんブログ村
今日は、お昼ご飯も食べる暇もなかった………。結局、何とか、◯ちゃんのお迎えまで、間に合って、無事に連れてきた。あとは、息子が来るのを待って、焼き肉を食べに行くだけ。ふぅ~………………やっと、一息………。もう、空腹の向こう側にいったよ。さぞ、焼き肉が美味しいことでしょう………………。疲れた………………。でも、久しぶりに、息子にも会えるし、嬉しい。息子には、なかなか会えないから………。賛否あるとは思いますが、今日は、親子の時間を大切にさせて下さい。母のことは、また、明日、対策
今日は父の病室に泊まる病室に持ち込まれたベッドはフカフカ寝心地よし(๑•̀ㅂ•́)و✧私の趣味は貧乏旅行私の泊まる所より寝心地よし(๑•̀ㅂ•́)و✧父の様子血圧74/48、体温37.3℃、SpO295%、尿も出てます呼吸安定してます酸素飽和度はとても良い呼吸に痰が詰まってゴロゴロ3時間ごとの痰の吸引が辛そう父が、辛そうに手を伸ばす手を握って「もう少しだよ」って、声をかけるあまりにツラソウデ私は辛くないのに涙が出る父の状態は3段階あるようだ①寝ている
今日は、母に会ってモヤモヤしてしまった。なので、そのモヤモヤした感情をひたすら見てみようと意識していた。認知療法的なアプローチとしては、「母の立場に立って考えてみる」ことで、見方を変えてみた。「ありのままで愛されたい」とか「子供のことを支配したい」とか、人間だったら誰でも持っている母の心情に寄り添うことで、母のことをとりあえず頭で理解して私の気持ちは少し落ち着く。でも、「やはりどうしても許せない」「私だったらそんなことはしないのに」という怒りの気持ちについてはとにかくやってくるたびに、完全
母を亡くし、こんなにも「お母さんお母さん」と嘆いている私ですが、私はまさか自分がこんなにも母の死を引きずるなんて思っていませんでした。そもそも母が死ぬ日はもっともっと先の未来に起きる出来事だと思い込んでいたし、看護師として何十人、何百人もの患者さんを看取ってきた私にとっては、その時がきてもきっと冷静に受け入れられると思っていました。それに私たち親子は絵に描いたように仲が良い母と娘の関係というわけではなかったし、自立するのが早かった私は母がいないと生きていけないなんて思ったこともありませんでし
おはようございます………。今日は、精神科の診察日。相談できれば良いのですが。あとは、以前から髪のカットの予約を入れていたので、行きます………。そんな気分じゃないんだけど。キャンセル料取られるし。あとは、昨日、◯ちゃんが、肉の日だから、どうしても肉が食べたい!と言うので、探したのですが、予約取れず…今日なら、焼き肉屋さんが、予約が取れたので、今日、連れて行くことになりました。今日は、予約がいっぱい🤯🤯🤯母のことを考えている暇がありません。こんなに予約が詰まっていると、頭パンクしそ
母が93歳で亡くなりました葬儀を終えて昨日帰って来ました母は中程度の認知症がありましたが自分で動けていたので特に介護も受けずデイサービスに行くのも拒否していたので自宅でのんびりすごしていました同居の弟が食事の世話などしてくれていました朝様子を見に行くと既に亡くなっていたそうですあと数年は長生きしてくれると思っていたので突然の出来事でした11月中旬に会ったのが最後になりましたハー君は毎日LINEで気遣ってくれました無理のない様に…身体大丈
心臓弁膜への感染症のためにひと月半ほど入院していた母が退院して、1ヶ月が経ちました。90歳を目前にした母にとって、50日間の入院は厳しかったようで、呆けや聴力減退、頻尿、歩行力の低下など、一気に進んでしまったようです。車椅子でトイレに行くのだけど、夜中に移動させるのは怖くて、ベッドの横に簡易トイレを設置し済ませるようにしました。10年前、トイレで倒れて、硬膜化血腫で3ヶ月ほど入院したこともあるので、私も慎重になっています。今回の退院の際の検査で、2箇所に胃癌が発見されました。早期段階で
母が救急車に運ばれる前多分入院になるだろうと思い準備していたら動くと息ができなくなる母が髪を整え軽く化粧をし出したのでビックリしました💄元々かなりの薄化粧の母なので短時間で仕上がるのですがそれでも命の心配してる時に身支度する母をみて親娘だなあ〜と思いました。私が出産した日🏥夜中にお腹が痛くなり病院に行き🚕医師に「直ぐに入院!点滴!」と言われ病室に向かう途中お腹をおさえながら「看護婦さんすみませんクレンジングさせて下さい🙏」と言って笑われ(その30分後生まれたのですが👶)母は
こんにちは☺︎5歳&1歳の兄妹を子育て中のアラフォー主婦miori*です❤︎子供の成長記録や育児の中で感じたこと、貯蓄&投資などについても書いています☺︎兄妹の成長記録→♡♡♡貯蓄と投資→♡♡♡実両親に対するもやもやと産後の関係性についてのお話です愚痴多めなのでご注意ください息子が産まれて5年4か月、娘が産まれて1年1か月が経ちました子育てって目の前にいる子どもたちを育て見守ることはもちろんですが子どもを通して自分がどのように育
私の母は定年まで高校の教員をしていました。数年前に喜寿を迎えていますが、あの年代で田舎から一人暮らしで東京の私大に行き、定年までフルタイムで働いてきたというのは、相当に先駆的だったと言えるかも知れません。そんなわけで、私は小1からずっと「鍵っ子」で育ちました。学童もなかったので、一人で過ごす時間が結構多かったです。小学生の頃、なんとなくいつも心に不安な気持ちがあったのは、きっとそのためなのだろうと、今振り返ると思います。こんなことを書いてしまうとかわいそうと思う人がいたり
やっぱり、母に会いたくなる気持ちが定期的にやってきます。でも、思い出したらダメな気がして。なるべく母への思いは封印するようにして過ごしています。母がいなくなった現実にいる自分と向き合うのさえ辛いです。何もなかったかのようなふりをしながら生きていますが、時々、「私、こんな世界で何のために生きてるのかなー。」なんて思ったりしています。でも、前にも書きましたが、ただ、生きていくしかなくて。生きているというより生かされてますよね、本当に。生きてる意味がいまだにわからなくなり自分の気持ち
11/24受診の結果、緊急入院した母は、神経内科の病棟にいた。面会、メール、電話の中で母から検査の報告があった。血液検査はもちろん心電図、心エコー、腹部CT、骨髄検査など。他にはF病院から取り寄せた胃カメラのときにとった細胞の細胞診など・・。なかなか結果がでず、医師からの病状説明も結果待ちのためなく、母の病状というものの客観的な情報がありませんでした。このS病院も下着は持ち帰って洗濯のシステムだったため3日1回は面会に行って交換していました。このころの母は体が思う
ご訪問ありがとうございます特養の施設長の電話で、却って特養への不信感が膨らみ、不愉快になった私でした😞続きです。前回の話はこちら⬇️『特養の施設長からの電話』ご訪問ありがとうございます母の事故の届出を出していなかったのは、施設長でした。区役所から厳しく注意されて、私の所へも区役所に言われて電話をかけてきました。続き…ameblo.jp施設長の電話で、もう何やかんやで張り詰めていた糸がプツンと切れてしまって、気持ちだけでなく、体の方もガクッとしてしまい、1日、久々に寝込んでしまった私。
思春期を過ぎても、父のことは大嫌いでした。でも、母のことは好きだった。毒親なのに、なぜ?そう思いますよね。でも、私は実母が毒親だということに本当に気付いてなかったのです。母が毒だと気付くまでは、「母だけなら将来同居してもいいかな」なんて思っていたくらい。もちろん(?)今は同居なんて御免です。今回は、実母が毒親だと気付いたときのことを記事にしていきます。よろしければお付き合いくださいませ突然のフラッシュバックあれは、2人目の子どもが生まれてす
低体重にて入院した娘。入院してまもなく5ヶ月が経ちます娘の入院中、私は病院の医師、看護師さん、臨床心理士さん、いろいろな方とお話をさせて頂きました。病院とは別に、個人的にカウンセラーさんにもお世話になり、私自身のことを見つめ直すこととなりました。私が小さな頃、両親は忙しく働いており、比較的慌ただしい生活の中で育てられました。そうは言っても愛情はしっかりと受け、私のことも両親でよく話し合って考えながら育ててくれたと思います🙂ただ忙しそうな両親を見て、困らせてはいけないと
退院が決まったとはいえ体調万全での退院ではなかった母。退院日、当日も嘔吐し、点滴を打ってからの退院となりました。実家に戻った事がとてもうれしかったようでその日は退院祝いに用意したお寿司を5巻も食べたと仕事で退院に付き添えなかった私に電話がありました。その日から母の自宅療養が始まりました。顔と上肢、腹部から足までの浮腫がとても強く顔色も悪いまま。今思うと、低栄養、貧血が酷かったんだと思われます。リビングに寝床を作ったものの母はトイレ以外はそこから動くことが出来
12/28昨日、誤投薬の医療事故があり、母の様子も心配のため、S病院に行く。担当医の一人N先生より、昨日の誤投薬の経緯と母の様子の説明あり。(医師がチーム制のため、担当医が8人ほどいて、主に診てくれているのがN先生とA先生だった)昨日の誤投薬は医師のオーダーを、看護師が薬剤部に依頼するときに、間違った薬剤を依頼。薬剤部から来た薬剤を処方箋と読み上げ確認したが、思い込みがあり、見落とし、日中分を誤投薬。夕方の分を用意した看護師が間違いに気づいたとのこと。本日の血液検査では異常は
今回病気のことではなく家族のこと母のことは以前少し書きまして疎遠になってしまった時期もありますが今は近い家に住んでよく連絡し合い今回の病気でもいろいろ協力してくれてとても感謝しています1人親でよく育てて貰ったなと思うし面倒みる側の私が今はずいぶん面倒見て貰ってて情けない限り母は、10年前、60歳で25歳から35年やっていた飲食店を閉めましたそのあと、なんとパートナーの大工の仕事を手伝い始め逞しい筋肉質の母になりました60歳からの再チャレンジが大工でびっくり本人はペンキ
こんばんはおけいです今日は暑かったですね💦今日、実家へ行きました。今、住んでいるところのクローゼットが狭いのでと言うか服の数が多いので(^_^;)冬物は実家のクローゼットに収納しに行くのです。季節の変わり目のお仕事です。私は断捨離が苦手でなかなか捨てられないもう何年も着てない服をいつか着るかも〜これ高かったから〜と思ってついつい取っておいてしまうユニク
私の実家側の家族はちょっとだけ複雑。母と今の父は、私が20歳の時に再婚をしました。私はある理由があって家をでて、寮生活中でした。母からある日、突然「この人と再婚します」と告げられてその一週間後には結婚式が決まっていて。結婚に対する意見も言えずに2人の結婚は決定事項になっていました。結婚の決め手は何だったのか、いまだに理由を聞いていないのでわかりません。20才の私は「私達姉妹も大きくなっていて、母としての人生より一人の女としての幸せを考えても仕方ないな
ご訪問ありがとうございます。ショートステイ中、転倒して大腿骨頸部骨折で入院し(10/22)、誤嚥性肺炎、コロナ陽性を経て、1ヶ月後(11/22)にやっと人工関節の手術を受けた父。現在リハビリ入院中。さてさて、入院している父の事は進捗もないので、2019年11月89歳にうっ血性心不全(死亡診断書)で亡くなった母の忘備録で、【母のこと】の続きです。10/25に歩けなくなり、かかりつけ医から総合病院の脳神経外科へ入院。10/26から関東から関西の実家に帰り、毎日母の様子
こんにちは、まみーです夫50代、妻30代16歳差夫婦長女6歳2016.2生まれ軽度の知的を伴う発達障害持ち次女1歳2021.1産まれ分娩台乗って30分で誕生同居の母70代ややこしい波乱万丈4人の田舎暮らし。自分の母親が苦手です。小さい頃から母の存在が重荷で大人になってからは見習いたい所よりおかしいと思う所が圧倒的に多くて一緒にいるのが苦痛です。あと数年、もう少し我慢…と呪文のように唱えて死ぬ日を待っています。早く死んでほしいと思っています。縁を切ろう
GWももう少しですね。どうして過ごしてますか?私は帰省中です。今年は母のことがあるので遠出はせずに過ごしています。でも田舎に長くいることも最近はあまりなかったので親戚や幼馴染や同級生に会ったり妹や弟とたくさん話したりちびっこ達と遊んだりパパと餃子作ったり…w(父に少しの家事とPCを覚えてもらいたくて頑張ってますw)ママがくれたゆっくりした時間かなと…思っています。曲はブラジルのバンドリン奏者のアミルトンがナシメントのpontadeareia(砂の
久々に投稿です。脳動脈瘤のコイル経過は、良好のまま、2年?たつのかな。半年ち一回の検査を続けています。新しくできてる瘤もなく、順調。仕事も適度に忙しく、昨年一年は遊びも仕事も、充実していたきがします。施設にいる母に休みのときは面会にいってますが、ほぼ寝たきり、話もできず、いつもおもうのは、今の私の歳からお風呂も一人ではいれなくなったよなぁーとか、仕事もできなくなり、一人で出かけることもできなくなり。そんな母のことを考えると、自分はとても幸せだとつくづく思い感謝しかないです。離婚して、
3年拗ねてる長いなあ〜これ、私が母のことを話した時に言われた言葉どストライクに突き刺さった。3年?いや、もっとかもしれないなんで弟ばかり男ばかり跡継ぎばかり優遇されなきゃいけないんだ!なんで手伝いは私だけ!なんで頼んだことはしてくれない!なのに頼むことは山ほど言われる!なんで子どもをバカにしてマウントとる?まだまだキリがない、山盛りあるこのハハだけど、娘である私は愛が欲しかったんだよなあ〜「ありがとう」とか「助かるわ〜」とかムギュっとハグしてくれるとか(昭和の時代
保冷バッグ大容量クーラーバッグ折りたたみ保温バッグお弁当自転車カゴトートエコバッグレジバッグお買い物バッグトートバッグ軽量大型ソフト保冷おしゃれファスナー大きめシンプルバッグ2way楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}ずっと母が欲しがっていて3月ごろ破れた保冷エコバッグ。大容量で折たたむとポシェットサイズになってちょうどバッグの上部ファスナーが片付けるときにグルーっと中央に寄ってコンパクトになるタイプだった。
先日、久し振りに家族と近所の中華料理屋さんへいつものお姉さん、顔を見るなり「わぁ〜久し振りだね☺️お元気でしたか?」と話しかけてくれた。元気と伝えると、「お母さんもお元気?いつも気になってて」と言ってくれた。あっったかいなぁ家族を亡くしたことを知ってくれているので母のことも気にかけてくれたことは安易に想像出来て有り難くて仕方がなかった。そしてこの日は寒かった。オーダーしていないティーポットがきて「?」となっていると、「寒かったでしょう、プレゼントです☺️🧉」だ
面会のあと叔父と父の3人でお茶をしました叔父は母の調子の良い姿を見て『脳のMRIのことは心配しなくてももう回復するんじゃないか?』と気分上々です私もそう思う気持ちがある反面どうせまたすぐ期待は裏切られるという冷めた気持ちもあります母の調子を線で表すとしたらこんな感じ→ずっと同じ振れ幅で上下を繰り返し…上下を繰り返しながら少しずつ上向いているという感じもありませんそして父は母の調子の良い様子をここ数日、目の前で見れていなくて気持ちが下がり気味ですそんな中で叔
いつもご訪問頂きありがとうございます。そしてご無沙汰しております。*Ritsuko*ですお元気にされてましたか?567も5月から5類感染症になり、色んな爪痕を残しましたが3年ほど前の生活が戻って来ましたね。私はと言えば、自ら望んで大枚はたいて『べき・ねば』ガッチガチの昭和時代のシステムそのもののようなところへ所属しておりました。いやぁ、しんどかったですね私って筋金入りのドMなんでしょうか?さて。