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皆さんは、山鹿素行(やまがそこう)という人物を知っていますか❓山鹿素行は、江戸前期の兵学者であり儒学者です。兵学者とは、戦術・用兵(兵を動かすこと)などを研究する研究者のことです。山鹿素行は儒学の中の「古学派(こがくは)」に属する学者として知られています。古学とは、中国南宋の思想家朱熹(しゅき)が12世紀に大成した朱子学や、中国明代の思想家王陽明(おうようめい)によって提唱された陽明学による解釈を排除し、儒学の開祖である孔
ゴールデンウィークは甲府盆地から出ると、人人人、車車車になるから盆地内で遊ぶ。今日は北杜市の棒道をハイキング。武田信玄が戦の為に造った軍事用道路なんだって。棒のように伸びている道だから棒道らしい。出発。直ぐに「三分一湧水」湧水を平等に使うように三方向に流れるようにした物。棒道には39体の石仏がある。石仏を見るだけでもちょっと楽しい。棒道から外れ「女取湧水」へ。森の中は気持ち良い。キツツキのドラミングがあちらこちらから聞こえてくる。ここまでは人が居なかったので、熊が怖かったが
戦国武将の上杉謙信ゆかりの山形県米沢市で750人余りの市民が参加して「川中島の合戦」を再現する催しが行われ、本番さながらの迫力ある戦いを大勢の観客が見学して楽しんでいました。米沢市は上杉家が13代にわたって治めた地域で、「川中島の合戦」の再現は毎年4月29日の上杉謙信の命日に合わせて開かれる、「上杉まつり」の最終日のメインイベントです。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240503/k10014439871000.html
武田信玄や武田勝頼の時代の甲斐(山梨県)の武田家を記した軍記物語の甲陽軍鑑には国を滅ぼす大将を4タイプあげています。馬鹿な大将。利口な大将。臆病な大将。強すぎる大将。甲陽軍鑑は軍記物語であり、史実としては不確かですが、教訓として読むには良いものです。馬鹿な大将は当然に国を滅ぼします。織田信長のようにわざと馬鹿であるように見せ、敵国を油断させる大将ならば別ですが、本当の馬鹿では国を滅ぼします。自分を馬鹿ではないと自負し、賢ぶる大将も馬鹿な大将と言えましょう。馬鹿ではない大将とは部
昨日4/20(土)、ツレと琴川ダムまで出掛けました。なまった体を少しづつ動けるようにと、ちょっと散策に。乙女高原を散策のつもりでしたが、手前の道路が冬季通行止め。琴川ダム(乙女湖)でノンビリしました(ダムカードをゲット)。昨年登った金峰山も見えました。道の駅みとみで春の山菜を購入。帰りの道中、武田信玄の菩提寺である恵林寺に寄ってここでもノンビリ。暖かくノンビリした1日でした。(琴川ダム)ダム上流から堤体堤体天端から基礎堤体からダム上流堤体前面展望広場
◆夏休み自由研究御朱印の旅甲州長野の旅武田神社を目指します。★武田神社お気付きでしょうか?武田氏館跡に神社があります。武田氏館跡と武田神社はセットです。★神橋神橋が掛かる場所は武田氏館跡の堀です。★門の跡神橋を渡ると門の石垣が左右にあります。神社と言うより城のイメージです。★武田神社鳥居石作りの重厚な鳥居です。武田神社武運が上がりそうです。★お社武田菱の入った大きな盃が左右に配置
大好評(?)かどうかは知らんが、読んでくれている人もいるらしい。進め家康くんの第2話です(・ω・)前回のお話はこちら。『【信長の野望武将風雲録】進め家康くん(・ω・)』信長の野望、武将風雲録も、前回の斎藤道三はクリアしてしまった(・ω・)『【信長の野望武将風雲録】マムシの野望(・ω・)』電車での移動中や空いた時間など…ameblo.jp今川家を滅ぼし、東海3国(三河、遠江、駿河)を手に入れた徳川家康。コツコツと内政を進めて、国力を蓄えていく。旧今川家の家臣
GW名神高速道路渋滞だと思ったらスイスイ前方大きな観光バス行先は”USJ”楽しそうな大型観光バスをビューンと追い越し岐阜へそこには疲れ果てたエースが椅子に座っていた。体を壊し1日4時間しか働くことが出来なくなっていた。その弱ったエースにきつい話をしに行く自分。最低だ。”どうですか体の具合
こんにちは。芙蓉です。武田信玄の言葉で、「実力の差は努力の差,実績の差は責任感の差,人格の差は苦労の差,判断力の差は情報の差,真剣だと知恵が出る,中途半端だと愚痴が出る,いい加減だと言い訳ばかり,本気でするから大抵のことはできる,本気でするから何でも面白い,本気でしているから誰かが助けてくれる」というのがあるのを、ご存知でしたか?今注目の、大谷翔平選手が、高校時代に過ごしていた部屋にこの言葉が掲げてあった、という話を聞きました。真剣だと知恵が出る。中途半端だと
こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回に引き続き、武田信玄のトイレについて武田とみさんとお話しします。美慧:とみさん、前回のお話で、信玄さんのトイレは、六畳の畳敷き、高級旅館のようで、トイレの他にもう一つ機能があった、とおっしゃいましたね?とみ:うん。お話ししたわ。美慧ちゃんは、トイレに入るときに、読書している本をお供にしたことはないかしら?美慧:あ〜若
長野県の史跡の一つ『川中島古戦場跡』戦国時代の有名武将『甲斐の虎』こと武田信玄と『越後の龍』こと上杉謙信が度々激突した戦場があった場所に作られた公園で、市立博物館や神社もあります。https://www.city.nagano.nagano.jp/museum/other/park.html公園さんぽ|長野市立博物館www.city.nagano.nagano.jp歴史好きや戦国好きじゃなくても知っているレベルの武将武田信玄と上杉謙信ゆかりの地ですが、今回が初めて
※山形(懸)地名の由来と山縣塚案内板武田二十四将「最強の赤備え」山県昌景公の墓パート1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年1573年〜天正13年)豊臣政権(秀
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日注目するのは坂上田村麻呂(´Д`)!平安時代初期に征夷大将軍となり、蝦夷征討で活躍した人として有名ですよね。でもでも(´Д`)。坂上田村麻呂は有名だけど、子孫はあまり歴史の表舞台には出てこない気がしませんか?はて(
先日、山梨県の甲府市にある武田神社にお詣りしてきました。武田神社甲斐の国の名将武田信玄公をお祀りしている神社です。甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りにわたって国政を執った「躑躅が崎館跡(武田氏館跡)」に1919(大正8)年に創建されました。武田信玄が住んでいた館に神社を建てたのですね。(たちばな、みかん科)(桜の木)(おひなさまみたいに左右にありました)
2023年10月27日(金)今日紹介するスイーツは?山梨県上野原市「柴商祭や」の手作り信玄焼(小倉あん・クリーム)登山の帰りに寄った日帰り温泉施設で売られてましたこういう手作りの銘菓を見るとすぐ買いたくなるんです小倉あんとクリームがあったので各1個購入表に黄色のシールがあるのがクリームです観光協会のサイトに同商品の詳しい紹介がありました大月市観光協会OtsukiTourismAssociation-買う-【武田信玄】【風林火山】手づくり美味しい信玄
東横イン甲府駅南口2#6085月連休後半、出かける手段は全て🈵満席。車は、深夜から渋滞予想。ということで、大学の講義のあとに中央線かいじでなんとか甲府駅までこれました。ロビーの席数が少ないので、ほとんどの人は、部屋食ですね。ホテルを出ると左に甲府駅で便利です。駅前に武田信玄さん東横イン宿泊が楽しみなのは、柿の種のような、ミックスナッツが自販機にある事です。#東横イン名物ナッツ缶
山梨県甲府市にある武田神社は武田信玄を祀った神社です。この神社は、武田信玄公が戦で連戦連勝を重ねたため「勝運」のご利益があるとして有名です。勝運は勝負事だけではなく「自身の人生に勝つ」「自分自身に勝つ」などという意味も含めての勝運とされています。武田家の館があったこの地は躑躅ヶ崎館と呼ばれていました。信虎公・信玄公・勝頼公の三代が60年余り居住した地です。
「小諸城」(長野県小諸市)の前編のブログでは、「本丸」跡入口辺りまでお届けしました。前編は↓『お城紀行2日目「小諸城」(前編)は、”三の門”と野面積み石垣の共演』8/3(火)~5(木)二泊三日の城巡りツアー2日目です。高崎のホテルで1泊しましたが、夜中に左足ふくろはぎがこむら返り、右足の筋が痙攣という二重苦に襲われ…ameblo.jp「懐古園」案内パンフレット本日は、私が「当城」を歩いた中で最も驚いた「北谷(地獄谷)」からです。そこには「酔月橋」が架かっていますがそ
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
【山梨】山梨県甲府市古府中町の甲斐乃國総鎮護武田神社切り絵作家・百鬼丸さんがデザインしたステキな【御朱印】が平成28年6月よりいただけます(書き置きのみ)【武田神社御朱印】武田信玄公立御姿【武田神社御朱印】武田信玄公座御姿【武田神社御朱印】【武田神社御朱印帳】(小さいサイズ)【拝殿】甲斐の国の名将武田信玄公をお祀りしている神社。
はい、始まりました、ふてパンダ(4コマ漫画)の概要欄の時間です。最近、大河ドラマを観て日本の歴史を勉強しています。特に戦国時代と幕末が大好きで、それ以外(今の大河ドラマとか)の戦いがない時代は全然興味が湧きません。今回の武田信玄ですが、玄人筋では日本一強い武将らしいです。黒澤明の映画「影武者」でも、そんなエピソードが盛り込まれていてとても面白かったです。ただ本編の信玄は仲代達也でしたが、(交代前の)イメージ通りの勝新太郎で観たかったなぁ。【大事なお知らせ】作者のセコイタローです。創作の励
信玄ミュージアムを見学して、目の前にある武田神社に参拝しました。それにしても、暑い暑い。気温は猛暑日の一歩手前。武田神社には、三葉の松があります。普通の松葉は二つ。三葉の松は、黄金色になって落葉し財布に入れると金運アップがあるとか…見つけました、三葉の松。三葉の松高野山から種子が飛んできたそうです。高野山の三葉の松は、三鈷の松と言われています。高野山を開山した、弘法大師空海上人が遣隋使の留学生で日本に帰国する船上で、三鈷を密教有緑の地に行って我を待てと天に放り投げる。帰国
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
英傑の日本史風林火山編(角川文庫)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}英傑の日本史風林火山編井沢元彦あらすじ戦にも民政にも才を発揮した武田信玄、長く存在を否定されてきた軍師・山本勘助、父の仇に嫁した諏訪御料人――。戦国最強と謳われた武田軍団の野望と人間ドラマから、謀略渦巻く戦国史の襞に分け入る!グッときたポイント井沢元彦氏の『英傑の日本史』シリーズ。今回は戦国最強との呼び名も高い、武田信玄を中心に日本史を読み解く。今回も井沢節は健在だ
戦国無双5真・本能寺の変のミッションは下記の8つメインミッション一覧・三傑との激戦・中央橋突破阻止・盟友現る・本能寺に集え・死地を脱す・三傑のと死闘・術者の影を追ってサブミッション一覧・忠臣たちの奮戦・矢の雨を抜けて・鬼神たちの活躍・武田騎馬隊突撃メインは進行通りに進めばうまくいくのでサブだけ説明します。その前に注意事項として織田信長をキャラクター選択してください忠臣たちの奮戦このサブ
武田神社から移動しまして、恵林寺へ武田信玄の菩提寺で、1330年京都の天竜寺などを開いた夢窓疎石による開山三門武田氏滅亡後、信長によって寺は焼き討ちにあい、住職の快川和尚が火炙りになったのがこの門「心頭滅却すれば火もまた涼し」はこの時の和尚の言葉庫裡夢窓疎石による庭園本尊の武田不動尊は信玄の姿を写したものとされる信玄のお墓は月命日の12日のみ公開なので見られず
「川中島古戦場史跡公園」武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いがあったところに作られた公園今はのどかな場所ですが、ここで何度も戦ったんですね。武田信玄と上杉謙信、一騎討ちの銅像本当に一騎討ちがあったのかどうかには諸説ありますが、武田信玄も上杉謙信も今に至るまでとても人気がある武将である事には変わりがありません。天と地とAmazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02
本多平八郎と本田宗一郎、どこか似ている響きを持った名前です。本田宗一郎の名前が、家康と信玄との「一言坂の戦い」で名を馳せた、徳川四天王のひとり本多平八郎と繋がっているのです。と、思い込んでいるのは、たぶん私だけだと思いますが、案外見当違いではないのです。今回の書き込みは、この夢のある話題としました。宗一郎さんの生家と、私の生家は300メートルしか離れていません。磐田郡光明村船明→天竜市船明→(現)浜松市天竜区船明となります。本田宗一郎さんと私は同じ光明村船明出身であり
※こちら記事は、令和2年5月24日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「実生活に活かす戦国合戦術」第18弾として「長篠(ながしの)の合戦」について書きます。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回長良川の合戦第6回桶狭間の合戦第7回稲葉山城の合戦第8回金ヶ崎城の合戦第9回姉川の合戦第10回二俣城の合戦第11回一言坂の合戦第1
先日。。久しぶりの友人が訪ねてきてくれましたーお土産もいただいちゃいましたよ!この包みは!「信玄餅!」わーい!こんな感じになってます!風呂敷きをあけると!もうこのままパコっとひっくり返します〜蜜をかけていただきます〜うんうん!これこれ!このお味!とろりと黒蜜と独特の風味。。そして不思議な食感これぞ安定のおいしさ〜青さん!ありがとう〜しあわせになりましたよー感謝です!ところで山梨のお土産で有名な「信玄餅」この名前の由来を調べてみましたよー「信玄餅」の名前の