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こんにちはアラフィフ管理職ワーママの日日是好日と申します。高所得を言い訳にこれまで散財しまくっていましたが、2023年夏から元手150万円で株投資(と少し貯蓄)を始めました。散財の罪悪感を投資利益で薄めるべく、投資成績と散財を正直に記録します読んでいただけたら嬉しいです『自己紹介です』こんにちは!40代後半フルタイムで働くワーママです。夫と息子の3人家族です。家計管理をしないまま、共働きで頑張っているうちに、世帯年収はどんどん増えて好き勝手…ameblo.jp桜が散って新緑が綺
ゆきこです私は個人セッションで、おひとりおひとりの守護神様のメッセージをお伝えしておりますあなたの幸せをサポートし、幸せな人生に導きます♡本当の自分に気づく!神さまセッション神さまセッションをしている理由(くわしくはこちら)神社仏閣めぐり、旅の写真を掲載しています最近参拝した神社仏閣についてはインスタからどうぞ甲斐国総鎮護武田神社夫の提案で今年のゴールデンウィークは、山梨県に行ってきました甲府といえば武田信玄!と瞬時に思うほど、日本史大
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。読売新聞の独自取材により、武田「八十八将」図の存在が発見されたことがわかりました。現在、横浜市歴史博物館の企画展で展示されているもののようです。【独自】信玄のまわりに家臣88人ずらり…24人が一般的だが「類例のない構図」:エンタメ・文化:ニュース生誕500年を迎えた武田信玄(1521~73年)を中心に、家臣88人が一堂に会する様子を描く江戸期の絵図=写真、横浜市歴史博物
白馬かたくり温泉十郎の湯に到着しました。白馬五竜スキー場いいもりゲレンデ飯森民宿街のほぼ中央にあり裏手には辛夷や桜が咲いていました。暖簾をくぐると右手にカウンターがあって、入浴料700円を払いました。「十郎の湯」の名称は、飯森城主飯森日向守十郎盛春の名に由来しているそうです。飯森城(一夜山山頂)は、武田信玄の家来である山県昌景に攻められ落城し、小谷村平倉山城へ退き武田軍に抵抗したそうです。十郎春の墓所は小谷村中谷の玉泉寺に、夫人の光姫の墓は白馬村長谷寺にあるとの事でした。
こんにちは!ひまわりです🌻GW、前半の3連休が終わりましたね。平日3日間を3連休と4連休で挟むかたち。わたしの仕事は、5/1〜5/5がお休みですが、なんだかんだ、バタバタしそう。あまりゴールデン感ありません(笑)次男27日は、学校や塾、くもんの宿題に取り組みました。あとの時間は自由にダラダラ…28日は、わたしの実家へ。ノー勉強デー。29日は、宿題を進めつつ、武田信玄について掘り下げていました。段ボールでお城を作り始めましたよ。図工は不得意なのに。まとまった時間はこ
信玄様にそっと声をかけようとすると------信玄「・・・・・・」空に浮かぶ月を見上げる横顔が寂しげで、声を呑み込んだ。(信玄様・・・・・・?もしかして、小太郎くんのお母さんのことを考えてるのかな。どんな女性で、どんな関係なんだろう・・・・・・)そう思うよね。。。信玄様のことは、揺るぎなく信じている。それでも、どうしても気になって胸の内側がざわめいた。------数日後------澄んだ青空の下に広がる花の上に、布を敷きお弁当を広げる。「さあ、召し上げれ」天気のよい今日は、小
『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票をして、記念ガチャに地雷をばら撒いた〇〇野郎ども…ameblo.jp『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(2)』『【信長の野暮20XX噺】8周年総選挙(1)』先に記す。愛洲二人組、星4宗滴さん、ニコ生将軍、輝子さんについては吟味の対象外とする。何故って?テキトーな投票を…ameblo.jp『【信長の野望20XX噺】8周年総選挙(3)』『
徳川軍の危機の歴史。「祝田(ほうだ)の旧坂」。旧姫街道の三方原から細江の谷へ下る道。(静岡県浜松市北区細江町中川)駐車場なし。トイレ・自販機なし。この坂に向かっていた武田軍。多勢に無勢で挑む徳川軍はこの坂を下る武田軍に攻撃する作戦で武田軍を追います。この狭い坂をある程度武田軍に下らせて背後から攻撃すれば一気に武田軍と戦うことを避けることができるから。当時荒れ野であった三方原の台地から谷へと下る道はあちこち何処にでもある訳ではなく戦略上重要なポイント
もうすぐでバレンタイン。まぁバレンタインよりバランタインの方が嬉しいけどねーーー武田信玄水門破り第六天魔王かなり良い感じ!大阪東大阪彫師和彫り刺青tattooタトゥー
神呪寺に行ったら、やはり鷲林寺は外せないのでは…と思い車を走らせました。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~鷲林寺は、淳和天皇の勅願にて空海さまにより開創されたお寺です。観音霊場を開こうと、空海さまはその地を求め旅をしていました。廣田神社に宿泊していた時、夢に仙人が現れてこの地を示されます。それに従い入山したところ、この地を支配する『ソランジン』というものが大鷲に姿を変え、激しく火炎を吹き、空海さまの邪魔をしました。空海さまは木の枝を切り、涌き出る清水に浸し、
朝SRXで出かける積りが車両に不具合ありデプコン系パテで修理直ぐには乗れないため武田信玄縁の黒川金山跡までハイキングすることにしてマジェスティSで自宅11時過ぎ出発宮ケ瀬〜道志道〜藤野〜小菅〜丹波山経由で柳沢峠方面へ登山口の三條橋まで三条橋渡った所の駐車場から1440登山に出発出発するには時間が相当遅いが軽いハイキングの積りでした今回の金山跡へのコース図単独で遅い時間で危険なのでYAMAPの地図ダウンロードし使いました。最初は沢伝いの林道を歩きますが3箇所も林道
誰もが楽に結果をだしたがり、全てが自分の思い通りになることを望む。でも、現実は楽に結果が出ることも、全てが思い通りになることはない。ビギナーズラックのような一時的にうまくいくことはあっても、継続することは難しい。「物事がうまくいかない」「思い通りにならない」「失敗ばかり繰り返す」「思い通りの結果が出ない」こんな時の心の支えとなる言葉が正範語録(せいはんごろく)目次[非表示]■成功の心得⚫︎正範語録(せいはんごろく)とは?⚫︎「風林火山」は孫子の兵法の一節■努力の先にある
全国各地にたつ戦国武将像の中でも、カッコイイ戦国武将像はド観光地に集中しがちです。春休み・GWも近づいてきましたので、数ある名作をまとめていきたいと思います。今回は東日本編でお願いします。【最上義光(山形城跡・霞城公園)】山形市のど真ん中・山形城跡・霞城公園にある武将騎馬像です。この大きさとこのバランス、騎馬像の最高峰かと思います。山形城跡の近くでいただける御朱印は、、、(光禅寺)最上義光さんの菩提寺です。立派なお庭がステキです。大河ドラマ「独眼竜政宗」では、原田芳雄さ
諏訪大社に行った友だちと、武田信玄の話題になり、そこから諏訪御料人の話になりました。私は旧甲州街道を辿るにあたって、新田次郎の『武田信玄』『武田三代』を読んだし、はるか昔に井上靖の『風林火山』を読んでいたので、諏訪のお姫さまと呼ばれる彼女のことは知っていました。諏訪御料人とは信玄の側室で、武田勝頼の母でもあります。歴史的な資料としては否定される『甲陽軍鑑』によれば、1545年に14歳で当時武田氏と同盟関係にあった諏訪氏から輿入れしたものの、のちに武田氏と諏訪氏は敵対し、彼女の父諏訪頼重は戦
【長野】長野県上田市下之郷中池西の生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)【生島足嶋神社限定御朱印帳】【生島足嶋神社限定御朱印帳】【生島足嶋神社限定御朱印】【生島足嶋神社限定御朱印】以前お受けした【生島足嶋神社御朱印帳】【生島足嶋神社御朱印帳】【生島足島神社御朱印】【御神橋】生島足嶋神社御本社(上宮)【御祭神】生島大神足島大神平安初期にまとめられた延喜式にその
⚾️BBC1827⚾️おはようございます☀やると本気で決める!達成するまでやり続ける!ワクワク楽しみながら!感謝を忘れず!結果を出す!野球を通して活躍できる人財を増やす!メンタルコーチの藤田泰士です。みはさんにライバルはいますか?ここでいうライバルというのは、自分を高めてくれる存在のことです。「好敵手」や「宿敵」なんていう言葉で表現されますが、その関係の奥底には信頼や尊敬など相手を認める気持ちが存在するものかもしれません。徳川家康は、武田信玄に挑むものの大敗を
☆信州松代(まつしろ)物語今、話題の城下町にUFO?(長野市)松代城(武田信玄の海津城)から白いアルプスが!この「松代(まつしろ)」が歴史に登場するのは、*武田信玄×上杉謙信善光寺支配を巻き込んだ10年間の戦=川中島合戦(戦国時代)*その信玄の”橋頭保=海津城(かいづじょう)”を改築し”松代10万石”の初代藩主についたのは、「真田信幸(真田幸村の兄)」(江戸時代初期)*時
今回はノスタルジーの旅。念願の高天神城に行ってきました。実に30年ぶりの攻城となります。私が覚えていることは、神社に行く階段の途中にお稲荷さんがあってそこでお祈りしたら宝くじが1万円当たったということ。あと牢を見た覚えがあります。昔大河ドラマの武田信玄に出てきていたのを見て連れて行ってもらいました。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われ、今川⇒徳川⇒武田⇒徳川といったように持ち主がじゃんじゃん変わります。武田信玄をもってしても攻め落とせなかった(無理攻めしな
本栖湖から甲府へ向かいました甲府ブドウ園が途中多く見られました~山梨ワイナリーと武田信玄さまの武田神社へ行くはずでしたが・・武田神社だけ無事参拝出来ました神社へ渡る朱色の橋が緑の木々に映えて綺麗です~武田神社の鳥居、ずっと先に輪くぐりの茅の輪が用意されていました厄除けのやり方が書いてあり、上手く出来たと思います社務所で御朱印を頂き、信玄公にお会い出来ました(笑)能舞台でしょうか?一度は能を見てみたくなりました旅につきものの、
我が家のファミリーネーム「雨宮」。ルーツの始まりが、千曲市にある『雨宮座日吉神社(あめのみやにますひよしじんじゃ)であることは前編に詳しく書きましたが、戦国時代になると、歴史に少しばかり雨宮が登場するようになります。中でも最も活躍したのが、戦国時代の武将の一人であり信濃村上の家臣だった、雨宮刑部(雨宮正利)です。もともとは信濃・鞍骨城主である清野信秀の子として生まれ、雨宮昌秀(雨宮摂津守)の養子に入り、信濃・唐崎城の城主となります。唐崎城があった唐崎山。この時、信濃村上氏の当主は猛将、
三河雑兵心得(3)-足軽小頭仁義(双葉文庫)Amazon(アマゾン)三河百姓上がりの雑兵の出世物語である通称“足軽仁義”シリーズの第三弾です。本田平八郎忠勝の配下の茂兵衛は、槍足軽隊10人を率いる長である足軽小頭に出世します。しかし、そんな嬉しい知らせと裏腹に綾女に振られしかも綾女は、遠江の自分よりも格上の武将の嫁となってしまいます。どうにもならない失意の中でひょんなキッカケで綾女の旦那である武将に茂兵衛は、対面します。怒りと悲しみの気持ちを抑えつつ相手にあった彼は、
武田信玄や武田勝頼の時代の甲斐(山梨県)の武田家を記した軍記物語の甲陽軍鑑には国を滅ぼす大将を4タイプあげています。馬鹿な大将。利口な大将。臆病な大将。強すぎる大将。甲陽軍鑑は軍記物語であり、史実としては不確かですが、教訓として読むには良いものです。馬鹿な大将は当然に国を滅ぼします。織田信長のようにわざと馬鹿であるように見せ、敵国を油断させる大将ならば別ですが、本当の馬鹿では国を滅ぼします。自分を馬鹿ではないと自負し、賢ぶる大将も馬鹿な大将と言えましょう。馬鹿ではない大将とは部
電車での移動中や空いた時間などに、僕は、よくスマホでゲームをする。今日は、「信長の野望武将風雲録」のプレイレポートを書いてみたい。信長の野望シリーズは、コーエー(現在はコーエーテクモ)のシブサワコウシリーズで、三國志シリーズと並ぶ歴史シミュレーションゲームの代表的なものである。ちなみに、昔は、信長の野望、三國志に加えて、「元朝秘史蒼き狼と白き牝鹿」というチンギスハーンの時代のユーラシア大陸を舞台にした壮大なゲームがあって、「コーエー歴史三部作」と呼ばれていた時代
甲斐武田家では、重大な決定をするときに棟梁が家宝の「御旗」と「楯無」に誓約したのだそうです。その時に発せられた言葉が「御旗楯無御照覧あれ」。「御旗」(みはた)は、河内源氏二代棟梁の源頼義が1056年(天喜4年)に後冷泉天皇より下賜されたものと伝えられる日の丸の旗。頼義の三男で甲斐武田氏の祖新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものといわれています。「御旗」は、甲州市の雲峰寺に所蔵されています。「楯無」(たてなし)は、「御旗」と同じく新羅三郎義光から武田家に相伝されてきた鎧(「源氏八領」
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
宗秀斎です。10月から制作を始めた武田信玄の居館、躑躅ヶ崎館再現ジオラマが完成。実のところ先週で完成していたのですが、一先ずツイッターで完成画像を掲載、改めて詳細をブログでまとめたいと考えておりました。グログの更新頻度が鈍くなっているのも師走の通り仕事やら新年早々、新居へ引越準備などなど…多忙を極め、なかなか記事にする時間がなく…(汗)そんなこんなで、今年も残す所あと僅かとなりました。本当はもう一作品完成させたかったのですが、時間的に厳しいので今年はこの躑躅ヶ崎館ジオラマと年を
武田節の意味を考えてみよう!武田節…我らの演舞によく使われる歌武田節…我らが剣舞で舞っている曲武田節…詩吟の部分が難しい(by.歌乂隊)武田節…1961年の民謡調歌謡曲武田節…むかしの流行歌なんだって武田節…レコード売上ミリオンセラー記録武田節…NHKうたコンにて福田こうへいさんの後ろであのパパイヤ鈴木殿に何十回もご指導いただきバックダンサーとして舞った曲武田節1甲斐の山々陽に映えてわれ出陣にうれいなしおのおの馬は飼いたるや妻子(つまこ)につつがあら
◎このブログの目次はこちら琵琶湖サイクリングで、滋賀県大津市の瀬田の唐橋を通りました。ビワイチ出発の地のモニュメント(2021年6月に瀬田ライオンズクラブが大津市に寄贈)瀬田の唐橋は、琵琶湖の南端から瀬田川が流れ出す場所の、少し下流にあります。全長223.7メートル(大橋約172m、小橋約52m)、滋賀県道2号線(大津能登川長浜線)が通るこの橋は、ことわざ「急がば回れ」の語源になりました。かつて、東から京都に向かうには必ず通らなければいけない交通の要衝地だったため、歴史
◆古戦場跡の八幡様へ川中島古戦場で殉死した人々を祀る八幡様川中島古戦場公園内に有ります。★川中島古戦場八幡社武田信玄vs上杉謙信の激闘が繰り広げられた古戦場で英霊を祀る神社です。★控えめな鳥居背の低い控えめな鳥居です。鳥居の色は「黒」(未塗装なのかな?)良い感じの佇まいです。★武田信玄vs上杉謙信古戦場跡なので、川中島での戦闘史跡がたくさんあります。有名な上杉謙信中央突破「信玄一騎打ち」の銅像がありました。★執念の石