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俳優チョン・スンジェ、脳出血で倒れ3ヶ月間意識不明の状態か…「神と共に2」など人気作に出演TVREPORT2024年05月16日18時36分写真=チョン・スンジェInstagram韓国で多数の人気作に出演した俳優のチョン・スンジェが、脳出血で倒れた後、意識を取り戻せずにいると報じられた。16日、ある韓国メディアによると、チョン・スンジェが脳出血で倒れた後、約3ヶ月も意識を回復していないという。彼はKBS2TV大河ドラマ「高麗契丹戦争」の撮影待機中に脳出血で倒れ、すぐに病院に搬送され
ご訪問ありがとうございます母の意識がもどったとホッとしたのも束の間、先生から呼ばれて、母が危険な状況だと伝えられて、面会が特別に許可されました。続きです。前回の話はこちら⬇️『危険な状態』ご訪問ありがとうございます意識不明だった母ですが、娘の呼びかけの甲斐あって、何とか意識を取り戻しました。続きです。前回の話はこちら⬇️『声をかけ続けて』ご訪問…ameblo.jp看護師長さんを待つ間も、絶望のどん底だ。せっかく面会できるというのに、もう意識なく横たわる母との面会だと思うと、現実を見るのが
ご訪問ありがとうございます母が危ない状況なので今のうちにと特別に面会が許されて、子どもたちが1人ずつ面会に行きましたが...続きです。前回の話はこちら⬇️『なんだか...』ご訪問ありがとうございます母の容体を気にしながらも無事に義母の葬儀に参列することができた私たちでした。続きです。前回の話はこちら⬇️『義母の葬儀』ご訪問ありが…ameblo.jp面会が許された話しはこちら⬇️『危険な状態』ご訪問ありがとうございます意識不明だった母ですが、娘の呼びかけの甲斐あって、何とか意識を
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・グレード5「搬入時既に昏睡状態、瞳孔散大、呼吸停止に至っているグレードVの患者さんの場合救命自体が困難」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、いう状態のようだ。入院していた最初の頃は、その病院の脳神経外科の入院患者の中で最も重症患者に位置付けられていたときいた。今での自分が本当にそこまでに至っていたのか信じられない。私は息を吹き返したし、言語障害も高次機能障害も大きくは残って
おはようございます。今日はクリスマス🤶🎄ですね。20日に息子が退院して、色々と失敗しながらも何とか生活が出来ていました。昨日は寒かったので、買い物から帰って来て『外は寒いよホラッ』と言って、手のひらを頬に当てたら『冷たい』って発語した息子。15時過ぎに5分弱の痙攣を起こし、落ち着きを取り戻したのですが、夜再び痙攣。5分では治りませんでした。すぐに救急隊を呼びますが、119番通じない。何度目だったか、やっと通じて痙攣5分で治らずと要請。救急隊が来てもなお止まる様子はない。苦しそうな息子。
こんばんは。今日は寒いです週末如何お過ごしですか??11月21日火曜日救急搬送された国立病院への受診。入院先から外出という事で、検査などは退院後受診際だね。と先生。お薬の指示などは、今いる病院の担当医へ書いてくれました。先生は麻痺してる息子の腕を伸ばしたり、曲げたり痛そう。痛いよね〜先生は痙縮の治療の対象になるよ。手もくっ付いてしまって、指の間も開きづらいから、どーしても不潔になっちゃうしね。体が前に倒れて来てしまうのも、良くなるし。ボトックスを打つには範囲が広すぎるから
今日は節分ですね。恵方巻きを買おうとスーパーへいったけど、結構お高くて結局買わずに帰ってきました。代わりにまるごとバナナを買ってきた(私はまるごとイチゴです)形状似てないですか??北北西(あってる?)向いて黙ってたべよ。かなりテキトウな母ですーーーーーーーー気になっていたこと。昨日娘に聞いてみた。娘は(息子も)お葬式でも、その前も、その後も、全然泣いたりしていなかった。私が泣かないから?(うるっとすることは何度もあったけど…泣けない)「お母さん、お父さんの借金の話
ご訪問ありがとうございます夫の母が救急搬送され、そして、結局、母もまた救急搬送となりました。また大学病院の薄暗い廊下で祈る思いで待つ私たちでした。続きです。前回の話はこちら⬇️『母もまた...』ご訪問ありがとうございます夫の母が救急搬送されたとの連絡を受けて慌てて関西にもどった夫から、誤嚥性肺炎だったが、今は抗生剤で落ち着いたという報告を受けてホッと…ameblo.jp大学病院の救急の廊下は相変わらず忙しく、そして悲喜交々。厳しい状況を説明されて泣き崩れる家族の様子を見ると、こ
息子の体の動きのことを書こうと思います。当時はコロナとかなく、面会も制限がなかったので付き添える限り、ずっとそばにいることができました。最初は全然動きませんでした。目も開きません。薄目が開いているような感じもします。弛緩麻痺なので、だらんとしています。拘縮は全くありません。マリオネットのような感じ...かな。そういう表現をあまりしたくはないけれど...そんな息子でしたが2か月ほどして、右親指がぴくぴく動きました。ずっと傍らにいないと見逃がしそうなかすかな動きです。
少しだけ静かになった救命センターの夜眠れない私に看護師さんが付き合ってくれて私が意識不明中のできごとをポツリポツリと話してくれた。「お姉さんが面会に来られたの覚えてます?」えっ・・・・・?????なんですと!!!!!!覚えてない。知らない。「やっぱりそうですか。。ご実家の方からお姉さんが来られたんです。ご主人とお姉さんに、先生からご説明させていただいて。ここは通常でもそう
こんばんは。今日は比較的暖かい日で助かりましたー☀️前回息子がミトンされて、紐で繋がれてストレスを感じている様だとお話ししました。娘の勤務先でもありますし、悩みに悩んで、転院の時の介護タクシーの手配の件もあり、患者サポートセンターの看護師さんに連絡しました。そこでちょっとだけご相談良いですか?と。『息子は右手は麻痺があり、ナースコール押せません。今オムツ外しをすると言うことで、ミトンをして紐で繋がれて居ます。ナースコールが側に置いてあるのですが。。。押せないんです。尿意も便意もあり、気持
週一度のリハビリ見学。1ヶ月前にリハビリ病院へ転院してから、毎週通ったリハビリ見学。初めと比べると顔つきまで変わっている。国立病院の時は目を閉じて眠ってた息子。今は車椅子に座って、リハビリ以外は過ごせる様になった様子。先週はお昼ご飯の見学。お粥やムース食。完食しました。その日のお昼は鼻からの栄養はなしで大丈夫との事。もうビックリ‼️することだらけ。今日は2回目の面談。朝ごはんも始まったと言われて本当にビックリです。自発的な言葉はまだないけれど、こちらが言ったことに対して『うん』『いや
ご訪問ありがとうがざいます意識不明で危険な状況のため、特別に面会が許された私でしたが、涙に暮れて行ってみると、母は意識が朝からもどっていて、私と少しですが会話もできました。続きです。前回の話はこちら⬇️『え?どういうこと?!』ご訪問ありがとうございます母の意識がもどったとホッとしたのも束の間、先生から呼ばれて、母が危険な状況だと伝えられて、面会が特別に許可されました。続きです。前回…ameblo.jpキツネにつままれたような気持ちで帰宅の道で、取り急ぎ夫に連絡のラインを打つ。夫も戸惑い
丁度1年前の今日、警察から連絡来たのは日付け変わった明日になりますが、息子が階段から転落した日。あの日私は息子へラインしたけど、返信がない事にちょっと違和感はありました。何故なら、いつもラインすると必ず既読になり、返信が来たので。息子が発見されたのは、ゲガをした1年前の今朝の9時頃から、遥かに遅い22時過ぎ。もうほぼ23時。あの日もっと早くに発見されていたら、予後は格別に違うものになっていたのが、本当に悔やまれる階段から転落し、意識が無くなるまでの間、苦しんだと思われる形跡は、息子の指
この間から今までの経過をざっくり書いて表にもしてみましたここまでの道のり①|ゆっくり歩こう、たまちゃんと☘️遷延性意識障害の息子と生きる☘️(ameblo.jp)これをさらにまとめたら、こんな感じです↓ほんと、ざっくりしたまとめです💦さっきから〈ざっくり〉とばかり書いてますね。そう、私はざっくりした性格ですそれはさておき...だんだん、入院が減りいろんなサービスを受けられるようになりました今
ご訪問ありがとうございます救急搬送された母でしたが、状態が悪く、意識もありません。私と娘が必死に声かけするも、反応はなく...私は心折れてしまって。そんな私を叱咤激励しながら、娘は声かけを続けました。続きです。前回の話はこちら⬇️『意識のない母』ご訪問ありがとうございます夫の母が救急搬送され、そして、結局、母もまた救急搬送となりました。また大学病院の薄暗い廊下で祈る思いで待つ私たちでした。続きです。前…ameblo.jp娘の声かけむなしく、母に反応はなかった。私は何度めかの呼び
昨日は息子に会ってきました。期間を切開しました。自発呼吸が出てきて、人工呼吸器は外れていました。凄い進歩。でも未だまだ意識は戻らず。呼びかけても、まだ反応はしない。。。目を開けて欲しい。14年前に離婚をして、3人の子供、そして今では老犬のお爺ちゃん犬を、無我夢中で育ててきて、何か私が悪いことをしてきてしまったのか?何がいけなかったのか?考えてしまう。今迄の自分の人生で1番悲しく、辛い。病院から携帯が鳴るたび、足が震えて、声も震えてしまう。自分は弱虫だなと改めて感じたりもしてしまう。。。今
皆様暑いですが、如何お過ごしですか?しかし暑すぎて。。。わーっ💦もう休みに入って3日も経ってる😫残り3日は☔️予報💦今日は母のお墓参りに行き、息子を助けてくれてありがとうね😊もう少し力を貸してね〜と。余りの暑さで墓石が可哀想な位の熱さ💦お水を沢山沢山、周りのお墓の石にも暑いものねーとかけて来ました♪帰りに無縁仏とペットのお墓にもお線香をあげて、息子を見守って下さい。もう少し皆様の力を貸してほしいとお願いしてきました。(都合が良いかな。。)お参りを終えたら気持ちはスッキリ⭐️⭐️⭐️そ
だいぶ前に新聞で知りました。その時「こんなことあり得るんですか?」と、うちに来た訪問看護師さんに記事を見せたのをよく覚えています。息子の場合、誰かのせいとかではなくてそれでもこんなに辛いのに普通に治療したら退院できそうな病名のお子さんがこんなことになるなんて...そんな...言葉にならない思いでした。しかも、ブログを読ませていただいていた方だったとは...本当に良く
ご訪問ありがとうございます母が危ないからと面会が許された日の夜、夫にも夫の母が危篤だと連絡が入り、夫はあわてて義母の病院に向かいました。私は祈る思いで夫からの連絡を待ちました。続きです。前回の話はこちら⬇️『義母も危篤』ご訪問ありがとうがざいます意識不明で危険な状況のため、特別に面会が許された私でしたが、涙に暮れて行ってみると、母は意識が朝からもどっていて、私と少しですが会話…ameblo.jpしばらくして夫からラインが入った。👱🏻♂️「待っていてくれました」👩🏻「お母様は?!」
3/3日、父が倒れて43日目。意識はもどっていない。日中は人工呼吸器もとり、酸素も送っていない。自発呼吸で頑張っていた。ここ最近は、ただ寝てるかのような表情だったのに、この日はちがった。眉間にシワをよせ、苦しそうだった。呼吸音が大きく聞こえ、身体も大きく呼吸で上下していた。苦しそうなので声をかけるのをひかえ、じっと様子を見ていた。一瞬、苦しそうな表情から違う表情にかわった。涙はでていないが、明らかに泣き顔。号泣するかのような表情。私はとっさに、お父さん!何かわかるの?ツラいの
リハビリテーション病院の面談を電話にて終えたのが4月。意識レベルが悪い息子を受け入れてくれる病院はなく、ことごとく断られながらも、受け入れても良いと言ってくれた病院も見つかりました。部屋が空くのをひたすらまだかまだかと待っていましたが、病院からの電話で急遽転院できる事になりました😊転院が決まる2日前、息子の気管切開してるカニューレが、スピーチカニューレに変わり、どうやら声が出せるみたい‼️朝処置をした看護師さんに(恐らく名前を呼ばれたのか?)『ハイ』と発声したとの事。飛び跳ねる位の嬉しい報
3/7に最初の介護認定を受け、その後再申請をした結果が4/17に届いた。結果は、初回結果と変わらず。要介護4私達家族は、介護認定結果を要介護5だと予測していた。理由は、父は意識不明で認知能力、身体能力がないからだ。そこから、家族が理解できる理由を見つけたくて、インターネットで厚生労働省の資料を見ると、父の場合は、食事の介助時間はないので、そういった理由なのだと理解ができました。介護認定結果について、少しの説明文章や、説明を聞ける機会があるといいのにと感じました。これまでの人生にまった
まだ病院から連絡がない為、息子の今の様子が全く分からずで色々想像してみたり、明日は電話があるはずと思ってみたり、中々落ち着かない数日を過ごしていますリハビリ病院は退院が後ろにズレることはないと、初めの面談で言われているので、このまま行けば再来月には退院になる嬉しいのは勿論のこと、それなりに不安もあり、息子の障害認定(手続き中)それによりどれだけのサービスが使えるのか私は正社員として勤務。朝早出の時は7時半に家を出て、帰宅は早くて18時半。今の勤務体制では先ず息子を見れないそれと並行して家
息子の担当医から電話がありました。3週間息子に面会は出来ていませんでした。緩和されつつも、病状説明、病院からの物品の依頼などの時は、面会する事は許されていたので。(その前は生命の危険があったので特例で、週一度だけ行けました。)先生に、今の息子の様子を尋ねてみた。先生からは私達も24歳の若さだから、諦めたくない。お母さんの気持ちも分かります。でも非常に厳しい状況です。と。。。。。私が奇跡を起こすんだ‼️先生に面会したいと申し出てみた。後に看護師さんから連絡が来て、『ご本人の刺激を促す
我が家の息子は、少しずつ目を開ける様になりました。病院へ行く度変化を感じるこの1か月。ある日次男を連れて病室に行くと、両目を開けていました。まだまだ朦朧としている中、弟の顔を見た途端目を見開きました。首を弟の方に向けたのです。私はビックリ‼️‼️‼️しました。体を持ち上げようとしています。すごく嬉しかったです。もしかしたら話す事は分からないかもしれないと、スケッチブックに書いて見せたら、しっかり追視していて。。。『お母さんと一緒に帰ろう』と言うとうんと頷く仕草。なんて事‼️‼️分かって
先日病院からスタッフの方が、家屋調査に来ました。息子が帰ってきたら、ベットはもう一回のリビングに置くしかないか。。。。2階はちょっと無理そうだし。と不安はいっぱい。先々週病院へ行った時には、水分をどう摂るかが課題だと。朝、昼と口から食事を摂るようになったけれど、水分か。。。『赤ちゃんが使うマグマグみたいなのはどーですか?買って来ましょうか?』そーですね。何とか自分で水分を摂れないと、経管が外せないとの事。そして先週仕事が半日で終わり、そのまま病院へ。リハビリをする所でした。歩く練習🚶エ
救命センターのICUで過ごす夜はとても長くて心細くて看護師さんも忙しいのを分かっていながら付き合ってほしくて、なんとなく居て欲しいオーラを出していた。看護師さんが少しでもベッドを離れるときは必死にナースコールのボタンを探して握りしめた。モゾモゾしていると、看護師さんが戻ってきて言った。「○○さん、歯を磨いてみます?」は?歯??「気分がスッキリするかな、と思って。」
あれこれぐるぐる考えていたら眠れなかった…翌日、病院に電話したら「このような時期なので面会は、入院時、退院時、急変時しかできない」と。もうそれは仕方ない。いつも利用者さんにも、「コロナ禍で入院したら、家族にも会えなくなるので、入院するような病気や怪我をしないように気をつけてね」そう言っていた。自分の身にふりかかる。夫は数年前、会社員をやめて一人で仕事を始めた。おおまかにしか内容も知らない。仕事関係の連絡先が(今、どこと仕事しているかすら)わからない。全て夫の携帯と
本当は姉のドナーになるはずがわたしが肝臓もらう側になってしまった。8年前の話。今から10年前姉が肝硬変になり肝性脳症を起こし意識不明になった事がある。姉夫婦には子供はいなかった。兄弟姉妹はわたしと弟。その時から姉のドナーになると決めていた。脂肪肝はあったが毎日ウオーキングをし1年かけて正常値にもどした。そしていつでもドナーになれるように準備していた。わたしが54歳の時、義兄から緊急の連絡がきた。姉が倒れたと…姉は体調をなんども壊していたのでいつでも長期に帰省する