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〜2022年10月5日〜4時55分母に最後のラインを送ってから私の心臓は止まった早朝で、産婦人科の先生はベテランの人が1名、新人が1名のみ助産師さん、看護師さんたちも必死に蘇生の為に動いてくれたそうだ私の心臓は停止から12分後に再開した心肺停止から1分以内に蘇生されれば95%救命されるが、5分経過すると救命率は25%になり、8分が経過すると救命の可能性は極めて低くなる。そんな中、奇跡だったしかし、心拍再開しても娘はお腹の中、私の出血も止まらない帝王切開は母体優先で
先週末まさに先週の今頃、夜中留守番電話を聞きかけ直す。警察へ。息子が今病院に居ると。身元確認出来るものを持っていなかった為、病院から探して欲しいと言われたと。病院から電話あるので待ってて下さい。ん??病院?交通事故?病院から電話。『息子さんですか?意識不明で見つかり、命に関わるので、こちらの判断で手術をしています。』どうやら階段から堕ちて、見つかるまで半日位経ってたらしい。頭蓋骨骨折、硬膜外血腫、脳挫傷。。。かなり厳しい。今は病院に待機することもできず、手術後息子に会える訳でもなく帰宅。
私のブログにお越しくださりありがとうございます。次の記事は退院後のつもりでしたが、退院が決まらないので、今回何が起きて入院に至ったか、病気になるまでのことを記します。昨年の8月から児童相談所との約束で、婿さん(三女の夫)が居ない時間は、私が孫の面倒をみていました。朝一番のミルクを飲ませて婿さんが出勤しますので、10時の離乳食の時間までに娘宅に行って、婿さんが帰宅するまで孫の世話をする…そんな生活です。孫が可愛いのでお世話をすることは嫌ではありませんでしたが、自
息子が倒れて、もうすぐ6年当時とてもほしくなったものがありました(;'∀')息子が生死を彷徨っている頃赤信号で停車したとき、隣の車がそれを飾っているのが見えました。よく笑う息子がそこにいたように思えました。それはだいぶ前に流行った「ひだまりの民」これです↓息子に似てる!そう思いました。もう販売されていなくてプレミア価格で販売されているものを買いましたかわいい
一日数回、栄養を鼻からチューブで入れている。口がたまに動く。何かはいってきてるってわかるのかな…。ふと見ると、父が口からあわをふいていた…。その姿にショックをうけ、すぐにはっと、きっと呼吸苦しいよね、危ない。ちょっとびっくりしたが、キレイに拭き取ったら落ち着いた。栄養入れると、痰もでやすくなり、苦しそうになる…。まだ私には、元気な父が鮮明すぎて、日々こういう姿を見ていくってことが、受け入れられてない…。何もできないとは、寝ているだけの姿を想像していたけど、こういうことか、、父をみ
ロサンゼルスのサンペドロにて意識不明の20代男性が発見され、身元がわからないそうです。黒いリュックの中に日本円が入った財布、旅行サイズの洗面用品をもっていたそう。身長177cm、体重71キロくらい。下のインフォメーションの病院にいるそうです。顔が腫れていて、分かりずらいですが、ご連絡が取れないご家族や友達に早くこの写真に気づいて貰えますように。拡散希望します。
今から5年前のてんかん発作をおこして入院したムスコのことを書いています前回の続き→午前中にER(救命救急室)に入るが、会話もできていて、落ち着いてきたので、小児科病棟に移る。わたしは一旦自宅に戻る。次の日、病棟に面会したら昨日と様子が違っていました。舌をベロベロ出して、目はうつろ、何かとても居ても立っても居られないような辛さを感じました。看護師さんはこの様子が変だと気づかないのか!と怒りの気持ちが込み上げて「ムスコの様子がおかしいんです!!」と怒鳴ってしまった記憶がありま
マリウシュ・パレジ監督によるポーランドのファンタジー映画。出演はドミニク・コヴァルチック、エヴァ・ブラシュチック、マグダレーナ・ニエク。<あらすじ>母親と二人で暮らす少年ルーカスは、ある日、母親が運転する車で事故に遭う。母親は意識不明になり、足を負傷したルーカスは初めて会う変わり者の叔母アガタに引き取られた。新しい生活は田舎にある古びた屋敷で始まった。「ドアを開けるときは2度ノックしろ」と叔母に忠告されたルーカス。ある日、青いドアを叩き続けると、不思議な現象が起こりドアの向
画像見たとき、知識のない私が見ても驚くほどの出血量だった。左被殻出血。さらに、右被殻出血…。高血圧によるものだと言う。出血量で脳が圧迫され脳の中心がずれていた。今回の開頭手術後、1ヶ月後に、左頭蓋骨を戻す手術を行うとのこと。それまで頭蓋骨は、お腹の脂肪のなかに入れていると。手術はあくまでも救命のため。予後のことを不安に感じていた私たち家族に、医師は、まずは意識回復すること、それが目標です。と…。
先月中旬に、青森県東津軽郡の80代女性が、フグを食べて食中毒事故を起こしました。知人からもらったフグを自宅でさばき、フグの身と卵巣が入った汁物を食べたところ、めまいやろれつが回らないという症状が出たので、その後意識不明の重体で病院に緊急搬送されました。女性の胃の中や尿から、フグ毒のテトロドトキシンが検出されたので、青森県は、フグ毒による食中毒と断定しています。家庭でのフグ食中毒は、釣ってきたフグや拾ってきたフグによるものがこれまでも多く報告されていま
今年1月末に介護申請した結果、介護認定が3/7に届いた。父の意識不明で目も開かない状態から、家族が予測していなかった結果でした。介護認定には、特に理由もなく、認定結果だけなので、納得できる理由が見当たりませんでした。再度申請をすることにしました。病院にいると、まわりの患者の方にスーツを着た若い審査の方が話しかけているのを目にした。面談したソーシャルワーカーの方が案内していた。父のところにも、こうして、家族が誰もいない時に来たんだな。
3/4ソーシャルワーカーより電話くる。二日前の面談後、ひとつだけしか候補のなかったリハビリ病院へソーシャルワーカーの方が連絡していただき、リハビリ病院との面談に進むことになった。面談日についは、リハビリ病院に直接電話をして決めてくださいとのこと。面談は早くしてくださいとのこと。空きベットがうまるかもしれないとのこと。そう、焦らされる。うまるかもしれないのに、面談するのだろうか…。空きベットの数以上の人数と面談するのだろうか…。そう思ったがのみこんだ。まだ、リハビリ病院に電話する前で
保険証など、父の荷物をいろいろ見る、探すことが、とても嫌だった。こんな日がくるなんて…。あらためて父が見えないところまで几帳面な人だと知った。すべてひとつのところにあった。保険証券などもすべてひとつのところにあった。私は何かととっておき、不用な書類も結構ためてしまうほうだ。だが、父は不用な書類がなく、見つけやすく、探しやすかった。すぐに、見習った。自分に何かあったら、ここにすべてあると夫に伝えた。もっているクレジットカードもすぐ解約できるよう、わかりやすくまとめた。保険、クレジットカ
今年1月20日、左右両方の脳出血で倒れ、緊急手術をした父。開頭手術をし、頭蓋骨はお腹の脂肪のなかに入れた。2月19日、お腹のなかに入れていた頭蓋骨を取り出し、頭に戻す手術をおこなった。もう1ヶ月もたつんだ。術前の頭は、べこっとへこんでいて違和感ある頭でした。もとに戻るんだ、嬉しい。術後、またも包帯ぐるぐる巻きの頭。そして、4-5日間は顔も腫れあがった。これまで健康で手術の経験がなかった父、この1ヶ月で、頭を2回、お腹も20㎝ほどを2回きり、気管切開、肺、と、大変な1ヶ月を送った。体力
どういうわけか、父の年齢が、実年齢より10歳若い57歳と書かれていた。ベッドにも。父の手首バンドにも。気がついたのは、1月20日に倒れ、そのまま開頭手術となってから、確か2~3日後のことだ。どういう経緯かわからないが、他人から見たら、50代でも違和感がないのかもしれない。背が高くて恰幅がよく、シワもまだないし、白髪も目立たない父。開頭手術する際、本人にはかなりの負担がかかる。その判断のひとつに、患者の年齢もあるのではないだろうか…。もし、57歳ではなく、67歳と理解していたら、何か違っ
3/3日、父が倒れて43日目。意識はもどっていない。日中は人工呼吸器もとり、酸素も送っていない。自発呼吸で頑張っていた。ここ最近は、ただ寝てるかのような表情だったのに、この日はちがった。眉間にシワをよせ、苦しそうだった。呼吸音が大きく聞こえ、身体も大きく呼吸で上下していた。苦しそうなので声をかけるのをひかえ、じっと様子を見ていた。一瞬、苦しそうな表情から違う表情にかわった。涙はでていないが、明らかに泣き顔。号泣するかのような表情。私はとっさに、お父さん!何かわかるの?ツラいの
1月21日少しの時間ならICUに入ることが許されていた。必死に生きている父。まだ意識はない。でもまだ少し麻酔を入れていると言われ安心した。ポロポロ涙を流しながら、じっと見つめて立つだけの私を見て、声をかけても大丈夫ですよという声をかけられた。でも、かけられなかった…。目を覚ましてほしい気持ちはあったが、現実が辛すぎるからだ。顔を見てたえられず、2、3分でICUをでた。声をだして泣きながら駅まで歩いた。スーパームーンがパワーをくれたらいいな。そう願った。
倒れて、もうすぐ6年。今日、初めてうちに民生委員さんがやってきました。障害を負って、在宅になって地域の民生委員さんとか来るのかな?と思っていたけれど、全然来なかった。民生委員一人でかなりの数を担当するとニュースとかで聞いているから特に連絡でもしないかぎり訪問することはないんだな、と思ってました。訪問看護師さんとかに相談とかしているから特に困っていることもないしまあそんなもんなんだなあ.
病院到着すると父は緊急手術をうけていた。開頭手術病院についてやっと脳出血だと理解した。開頭手術…恐ろしい…そんな大変な手術を…でも手術すれば大丈夫!絶対大丈夫!父なら大丈夫!そんな自信がなぜかわいてきた。手術が終わり、ICUに入った父。少しの時間だけICUに入ることが許された。人工呼吸器がついた父。信じたくない父の姿があった。麻酔がまだ効いているとのこと。
脳出血で倒れた父。目も開かず意識不明が続いている。それでも、顔を真っ赤にして苦しい顔をする時がある。苦しさで身体も動く。ピンコンピンコン、機械音も鳴る。最初はすごく驚いた。原因は痰がつまっているのだ。意識不明でも苦しいのか…。看護師の方が痰吸引してくださる。口からは人工呼吸器がつながれているので、鼻からチューブを入れ、吸引する。それが、すごく苦しいという。顔が真っ赤になり、身体全体で苦しさを伝えている。数分のことだが、見ていられない。そんなことが1時間おきにやってくる…。生き
意識不明の父はオムツをしている。意識不明でも便がでてる。便意を感じてるのだろうか。少なくても、りきむ力が必要のはず…。なんか、嬉しくなった。
顔の腫れがひどい。腫れというより、顔の大きさが二まわりも三まわりも大きくなっていると言える。もう、父の顔とはわからなかった。そして、呼吸が苦しそうでもう死んでしまうかもしれないと恐怖を感じた。痰がつまっているようだ。右肺が真っ白だった。気管支鏡で針を刺した。苦しそうで、痛々しくて、可愛そうで、切なくて、信じたくなくて、見ていられなかった。辛すぎる…。
今年1月20日に脳出血で倒れ、2月5日、一般病棟に移った。父の意識は戻らない。目も開かない。人工呼吸器がついている。その状態でも一般病棟なのは不安に思うが、仕方ない。ICUやHCUには、日々、救命のために、次々と運びこまれてくる。
悲しんでいるところにも、病院からいろいろな質問事項に答える。父の身長体重からはじまり、普段飲んでいる薬や、生活習慣のこと、便や尿のことまで。家族でも、知っていることのほうが少ない…。お薬手帳、大事です。記入する書類も次々と手術同意書、入院手続き、レンタル申請や、今後に関するアンケートなど。病院以外では高額医療、介護申請、保険、すぐ書けて提出できればいいが、説明書類読んで、必要書類をとり、役所と病院と出向き、母だけでは体力的に無理だと感じました。
父が今年67歳となった1月17日。後から考えたら、倒れる3日前のこと。私は父にメールを送りました。おめでとう。最後に送ったメールとなった。その後父からの返信メールはなく、父から最後に届いたメールは、1月13日待ち合わせした時、今バスに乗ったよ。でした。誕生日、メールですませず、会えばよかった…会っておめでとうって伝えたかった…会っていらたら、運命は変わっていたかもしれないと後悔が押し寄せる。
病院の先生から連絡を貰い、今後についての話しを聞きに行って来ました。面会に行き、この前は目を開け瞬きをして、手を動かした息子。反射と言われても、信じ難い🥲今日は足をマッサージして、足裏をくすぐったら足を引っ込める様な動きをしたし、手も動かした。先生からは本人の意思疎通が出来ないので、リハビリはかなり厳しく、リハビリ病院の方でも断られている現状。それでも若いし、可能性が0ではないのなら、リハビリをしてもらいたいとお願いして来ました。今日は私の気持ちも全部、先生にぶつけて来ました。勿論失礼のな
今年1月20日に倒れてから約10日ほどで、ICUからHCUに移った。顔の腫れは落ち着いてきたが、父の意識はまだ戻らない。人工呼吸器もまだついている…。熱が出やすくて、からだのまわりにアイスを置いている。冷たそうだ。
リハビリ病院までの所要時間は埼玉県の実家より1時間20分。私が住む横浜からは1時間50分ほど。面談は、父のことや家族のこと、病院の話、リハビリの話などした。病院には、父と同じように病気と戦う方々、リハビリをしている方々が沢山入院されていた。名前の書かれた経鼻栄養の袋が沢山ぶら下がっているのを目にし、衝撃を受けた。こんなにも大変な方々が…。病院はとてもいい印象で、入院できたらいいなとおもった。と同時に、入院できなかった場合、どうするかの不安が押し寄せる。
今年1月20日に脳出血で倒れ、意識不明が続いている父。2月13日、気管切開手術をした。麻酔がきいているというが、見た目にはわからない。大きな管がとれ、父が少しでも楽になったと思うと嬉しい。今まで鼻からチューブを入れていた痰吸引は、気管切開したところから痰吸引する。それは、変わらず苦しいみたい。意識回復したときは、声がでなくてびっくりしちゃうよな。
まだ意識不明のなか、3/1抜糸した。大きな大きな傷に、かなりの数がホチキスのようにおおっていたもの。抜糸された。頭と、頭蓋骨を入れていたお腹、同時に抜糸。1月20日、開頭手術、お腹に頭蓋骨入れる2月19日、お腹から頭蓋骨取り出し、頭蓋骨戻す手術をした傷跡同じく3月1日、送っていた酸素をとめた。自発呼吸。たまに、苦しそうに大きく息を吸い込む父。心配…。どうにか酸素を父の口元に集められないかと思ってしまう。夜はまた酸素を送ってくれるそうなので、日中は側にいた。