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先日、twitterで「どうやったら平家は滅びずに生き残ることができたのだろう?」という、歴史のif話があがりました。『平清盛』放送から9年。こうした話題がネットで見かけるようになったの、大河ドラマの影響があるに違いないと。それ以前ではほとんど見かけなかったネット世界を知っているので、ワタクシは確信しています(←ただ信者なだけ?ごもっとも・笑)元暦2年3月24日(1185年)。「壇ノ浦の戦い」によって平家滅亡。「平家にあらずんば人にあらず」とまで、この世の栄華を謳歌
建久一〇(一一九九)年一月の源頼朝の死の知らせは京都を混迷に陥らせたらしく、特に土御門通親への反発は強かったようで土御門通親は二二日に後鳥羽院のもとに避難せざるを得なくなっている。現在と違ってこの時代の庶民に参政権など存在しないが、だからといって政治に無関心だなどということはない。いつの時代でも人は多かれ少なかれ政治的な意思や意見を持っており、その意思や意見に基づいて行動している。庶民が政治と無縁であると考えているのは民主主義での敗者だけだ。自分の暮らしへの危機感を強めれば強めるほど、政治
『光る君へ』の公式サイトを見てみたら、なんと藤原惟成(これしげ)のキャスティングが新たに発表されておりました。大河ドラマ「光る君へ」第4回の相関図・キャスト(外部リンク)⇒★藤原惟成@吉田亮さん2024年大河ドラマ『光る君へ』より「藤原惟成って誰…?」というと、リンク先の人物紹介でも書かれている通り、師貞親王の乳母子(乳母兄弟)乳母の役目はオッパイ与えるだけなんて考えていたら、大間違い。幼児のころは皇子の成長を見守り、大きくなってからは教育までやらねばならない。
吉田山荘での月一回の百人一首の会に参加してきました。昨日は青空が広がり最高気温は24度、爽やかな風の通る良い日でした。早く着いたので、吉田山荘の隣の宗忠神社にお詣りしました。↓人のいない静かな境内で、新緑を楽しめました。右上に見えるのは大文字山です本日の百人一首の歌の詠み手は、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔の女性たちで、一条天皇の后、定子と彰子の時代を生きた人たちです。「光る君へ」は、これから定子の運命が一族と共に傾いていく局面に入ります。やすらはで寝なましもの
陰陽師Ø観てきました!陰陽師Ø大ヒット上映中!映画『陰陽師0』公式サイト大ヒット上映中!実在した《最強の呪術師》安倍晴明。呪術は、ここから始まる―。原作・夢枕獏#陰陽師0wwws.warnerbros.co.jp夢枕漠の原作を読んだことなくまっさらな感じで鑑賞しました。純粋に面白かったです!奈緒さん美しかったです🎶大河《光る君へ》など最近、平安時代の作品が多いけれど当時のことを知れば知るほど面白いです!
平安時代を偲ぶ平安神宮私は個別指導塾で講師をしています講師の左右に生徒さんが座って、交互に教えるスタイルです(個別指導塾にありがちなことで、担当科目や学年は、すっかり決定した後に講師に知らされるので大変なんです)ある曜日の一コマでは、高3の女子高生二人の古典を教えています二人とも大学受験を控えた子たちです来週の期末試験の結果如何で指定校推薦の内申点にまで達するかどうか決まるため、今がまさに正念場です(年配の方には違和感があるかもしれませんが、今の大学
いつも私の独り言にお付き合いくださりありがとうございます🤗💕✨今年の桜は、あまりに開花が早くて桜の花の並木を求めて例年人気の神社へ行ってみたら、すでに咲き終わった後でした。この頃、平安時代に関するコラムが多くてついついネットで拾い読みをしていたら一週間があっという間に過ぎていました。さて、今回のお話しはなんと言ってもまひろがさわとの絆を取り戻せたことが一番良かったと思いました💖✨🥰平安時代に、まひろは、疫病に感染しながら命拾
実は去年の年末くらいから清少納言の「枕草子」にはまっておりまして時間のある時にちょこちょこと読んでおります清少納言のどストレートな色んな物事に対するスキ、キライ彼女の感覚がはっきりしすぎてて、気持ちいい好きすぎる!分かる、分かる、私も!と共感できるものもあれば、え、そこまで言う?!というものもあり、けど不思議なことに悪口を書いていても嫌な気は全然しないのが清少納言のすごいところなんか嫌味がないというか許せるというかあ、けど紫式部は
前回の大河ドラマ「光る君へ」は、「放たれた矢」という題だったが、当時は関白藤原道隆が亡くなり、その弟の道兼が関白となるが、その後すぐに亡くなってしまい、七日関白といわれた。そのために朝廷権力の空白が生じ、周囲の公家たちが、関白藤原道隆の子伊周(これちか)(当時内大臣)につくか、それともまだ権大納言にすぎなかったが年長で経験のある道長につくかで様子見する様が描かれていて、本当に面白い。そのなかで前回は、藤原公任が、斉信(ただのぶ)らと将来の出世について話をしなが
彌生です…ワタクシの夫は完全な理数系ワタクシはアホの文系…たまに「コイツはドアホだな」そう思う時があります…今日2人で「光るの君へ」を観ていたら…本当に久しぶりに観たら…悲劇の藤原定子が出ていて…定子を寵愛する一条天皇が訪れて、定子と手を取り合い奥の間へ…やったんだな…💢下品なんだよ!!!!アンタ歴史勉強したんでしょ?あれが定子に仕える清少納言だよ💢💢💢💢💢清少納言てだれ?ʕʘ‿ʘʔアホか💢
NHK文化センター講座続いています今年は節分に開催次回夏休み企画はこちら↓8月3日(土)NHK文化センター千葉教室にて【こどもと楽しむ雅な十二単講座】開催!NHK文化センター千葉教室NHK文化センター千葉教室:8/3こどもと楽しむ雅な「十二単」講座〜着装の解説と装束の羽織り体験〜日本の伝統装束「十二単」は、平安時代の中期に完成したと言われる女房装束の儀服です。「晴れの装い」として受け継がれ現代の着物の原点と言われています。歴史や、重ね色目、伝統文様の解説を交えながら、実際
本記事は、2016年7月に投稿した記事の補訂版です。藤原行成は藤原伊尹の子義孝の長男です。伊尹は藤原兼家の長兄で、父義孝は道長の従兄に当たります。行成は3歳のときに父義孝を失ったため、外祖父源保光の下で育てられました。永観2年(984年)に花山天皇(母は伊尹の娘懐子)が即位すると、義孝の弟義懐が花山の外叔父として権勢を揮いますが、寛和2年(986年)に兼家の謀略により花山が出家してしまい、義懐も花山に従って出家したため(寛和の変)、以後伊尹の一族は政界の主流から外れてしまい、行成も位階こそ
本記事は、2016年8月に投稿した記事の補訂版です。藤原公任は関白頼忠の子で、道長とは同い年の再従兄弟同士となります。幼時から優秀で、兼家が、息子の道隆・道兼・道長兄弟を前に「お前たちは公任には遠く及ばないな。これでは公任の影を踏むことすらできまい」と嘆息したところ、道隆と道兼はうつむいていたのに対し、道長は「影を踏むことはできないかもしれませんが、いずれ奴のツラを踏んづけてやりますよ」と昂然と言い放ったという有名なエピソード(『大鏡』による。ただし、後世になって創作されたものであって、史
あらすじ一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。その頃、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・伊周(三浦翔平)が関白に準ずる職につけるよう一条天皇(塩野瑛久)に働きかける。対する詮子(吉田羊)は…。そんな中、意外な人物がまひろを訪ねてくる。感想たねの両親をはじめ多くの人の命を奪ったこの流行り病は疱瘡(天然痘)でしょ
本日も『藤原氏の本流は長男ではないことが多かった』企画をやります。今回で第4弾。藤原北家の祖・房前から数えて5代目(玄孫)にあたる良房(よしふさ)を取りあげます。良房は冬嗣の次男として生まれました。長兄は、長良(ながら)。802年生まれなので、良房(804年生まれ)とは2歳差。どちらも、母は藤原美津子(藤原南家・真作の娘)なので、同母兄弟にあたります。前回は脱線してしまいましたが、今回こそ、良房が兄を差し置いて藤原氏本流になっていったのは何故なのか…について、迫って
平安期の貴族は通い婚で基本貧しい出の妻でもない限り最初は共棲みしません。正室となるほどの妻の家なら婿の生活をまかないます。豪勢な屋敷に夫を迎え、快適に過ごしてもらい、夫に良い衣服を常に用意して夫に恥をかかせません貧しい家の出の女は夫の家に引き取られて生活の面倒を見てもらうので正室にはなれないのです。また生活に窮して夫に養ってもらうための共棲みは恥でありました。男は今後も夫婦として通って来るつもりなのか、その場だけの曖昧な関係か正室にせよ、側室にせよ意思表示をして誠意を見せるのかどうか
「光る君へ」平安貴族と黒魔術今年のNHK大河ドラマは、珍しく平安朝「光る君へ」です。紫式部や藤原道長が生きた平安中期の史実をもとに、虚実おりまぜたドラマ仕立てになっています。さて、先日放送分の14回で道長の妻、源明子が義父である藤原兼家を呪詛するシーンがあり視聴者に戦慄が走りました。藤原兼家は、陰陽師・安部清明に依頼して、花山天皇の女御・藤原よし子をお腹の子供もろとも呪殺した過去があります。そうして自分の娘の生んだ皇子(一条天皇)を帝にたてて、関白に成り上がったのでした
本記事は、2016年8月に投稿した記事の補訂版です。藤原実資は斉敏の子で、道長の再従兄です。祖父実頼(斉敏の父)の養子となり、小野宮流の嫡流としてその膨大な家領と故実の記録を受け継ぎました。有職故実に精通し、また高い識見を有していたことから「賢人右府」と称され、道長も一目置く存在でした。筋を通す性格で、その日記『小右記』で道長の専横ぶりを厳しく批判していますが、他方で道長の能力自体は評価しており、決定的な対立は回避して一定の距離を保ちながらあくまで公正な態度で接していました(道長の「この世
今日は、「即答キーワード」で答える歴史人物『藤原道長』編です。【藤原道長よく出る説明文】・1016年に,摂政となって摂関政治の全盛期を築いた。・3人目の娘が天皇のきさきに決まったとき,「この世をばわが世とぞ思ふもち月の欠けたることもなしと思へば」と満足気な歌をよんだ。・4人の娘を天皇のきさきにし,生まれた3人の孫を天皇に即位させて,政治の実権を握った。・藤原頼通の父親。・一条天皇の妻(きさき)である彰子の父親。藤原道長の即答キーワードは『「この世を
藤原妍子は、道長と倫子の次女。寛弘7年(1010年)皇太子居貞親王に入内し、寛弘8年(1011年)居貞が皇位に就くと(三条天皇)、長和元年(1012年)中宮に冊立され、その翌年に三条の皇女禎子内親王を産みました。当時、三条天皇と道長の関係が悪化しており、妍子が皇子を産むことで三条との関係が修復されることを期待していた道長は、皇女誕生に露骨に不機嫌な顔をしたそうです(これに対し、実資は「天の為すところ如何せん」と嘆息している)。三条との間に儲けたのは禎子のみで、皇子を産むことはありませんでしたが、
まずはお知らせから8月3日(土)NHK文化センター千葉教室にて【こどもと楽しむ雅な十二単講座】開催!NHK文化センター千葉教室NHK文化センター千葉教室:8/3こどもと楽しむ雅な「十二単」講座〜着装の解説と装束の羽織り体験〜日本の伝統装束「十二単」は、平安時代の中期に完成したと言われる女房装束の儀服です。「晴れの装い」として受け継がれ現代の着物の原点と言われています。歴史や、重ね色目、伝統文様の解説を交えながら、実際に十二単のお服上げ(着装)をご覧頂きます。また、お髪の話、装束を
と、いもうとにはさらりといわれました。SNSでもその美貌が話題になっていたようであっきー一条帝、白の引き直衣姿を見たときはこれぞ源氏物語に描かれた冷泉帝のくつろいだ引き直衣姿の具現化なのねと大興奮。友人にもドン引きされるし...そうなの、この話題を共有できる相手がほとんど皆無なので(泣)「知らないんだけど(この俳優)」「帝のことなんてわからん」「そこまでマニアックなこと言われてもわからん」等々冷たく言われてしまう私、今期の大河で一番きたキャスティングなんですけれど
浄土宗の開祖である法然(1133-1212)は、平安時代末期、疫病、貧困など、苦難に満ちた激動の時代を生きました。法然は浄土教教理研究の意味と方向とを転換した人物であるといえます。「浄土宗」という独自の学派を立てたのです。東京国立博物館特別展「法然と極楽浄土」が開催されています。合掌
「源氏物語書いたくらい頭のいい人のはずなのに、この人バカなの?」と、我が家ではツッコミ入りまくり。バカその1家族が職を失ったことに上司に直談判...って現代で言えば就職試験に落ちた息子のことを頼みに行くようなものバカその2「北の方にしてくれるの?」発言まひろの経済力で公達に恥をかかせない支度はできるのかは相当なお花畑脳でない限り自明の理ではバカその1については脚本家が面白いと思って書いたんでしょう。普段一の字も読めないような顔をしていた紫式部がそんな事したとは思えず
『光る君へ』感想あらすじレビュー第17回「うつろい」悲...bushoojapan.com昔の人の病名のネーミングセンスってすごいと思うよと言うのはこの日一緒に観ていた臨床検査技師の資格を持つ我が息子でありました糖尿病は飲水病インフルエンザは咳逆病あれはよくよく観察していないと思いつかない名前だと思うと言うのでしたまあもっとも昔は観察以外にできることがほとんどなかったが故に目を皿のようにして見つめた
大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。『大河ドラマ『光る君へ』“勝手に”解説!~はじめに』はじめに大河ドラマ『光る君へ』が予想以上に私の好みでビックリしました!時代考証が倉本先生なので、そうおかしくはならないだろうな~とは思っていたのですが、…ameblo.jp【第一回】799年までに押さえておきたい人物(1)源高明と安和の変『光る君
本記事は、2016年7月に投稿した記事の補訂版です。源俊賢は源高明の子で、母は藤原師輔の娘(兼家の姉妹)。道長とは従兄弟同士であり、かつ道長の第二夫人源明子の異母兄でもあります。権大納言に昇り、一条朝で四納言と称された能吏四人衆の一人として道長政権を支えました(その一方で、自らを蔵人頭に抜擢してくれた道隆に対する恩義を忘れず、道長政権下にあっても中関白家との良好な関係を維持した)。四納言の一人藤原行成とはとりわけ親交があり、長徳元年(995年)、俊賢が蔵人頭から参議に昇進した際、後任の蔵人
歴史連載物語『暴れん坊を頼れ』各話をクリックすると、そのページが開くよ雪降る鎌倉より第1話荒れる源氏第2話為義腐る第3話夜空の遊女第4話八郎誕生第5話わんぱく八郎第6話八郎の初恋第7話牛車を倒せ第8話蔵の外の声第9話帰ってきた武士第10話打ちのめされる八郎第11話強訴を見る第12話暴れ清盛第13話藤原摂関家の争い第14話親子喧嘩第15話為義の対抗第16話八郎追放第17話八郎元服第18話為朝出発第19話安芸国の夜第
神様は死にません。一度生まれたら、何千年も存在しています。でも、神様は人間の信仰がなくなったら、消えてしまうのだそうです。消えたら、同じ神様はよみがえりません。(この仕組みは、黒石稲荷神社に限ったことではないそうです。)黒石稲荷神社は街の小さな神社です。信仰してくれる母集団がそもそも小さいのです。この神社は平安時代からあります。令和まで神様が消えていないのは、時代を超えて信仰のバトンが繋がれて来たからです。1200年間繋がれた、大切なバトンです。平成で一度途切れそうになったの
10月14日、前回の記事で書いた「高月観音まつり」の前日、学友と東近江市にある瓦屋禅寺と石馬寺に行きましたどちらも秘仏公開中です(これも学友の計画なので、もう彼女に足を向けて寝られません)会いに行ったのは、こんな仏像たち↓瓦屋禅寺十一面千手千眼観音菩薩立像(重文)瓦屋禅寺HP特別大開帳情報|瓦屋禅寺のホームページwww.kawarayaji.com石馬寺特別大開帳ポスターこちらは通常も公開の石馬寺阿弥陀如来坐像(重文)石馬寺HP石馬寺