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第1章からの続きそれまでの長い太平の世の価値観を一変させてしまった「開国」今まで誰も経験したことのない未曾有の事態は誰もが政治的主張をしだす。それらはやがて体制への動揺をもたらし、実質的政権首班の大老・井伊直弼は今まで誰もが経験したことのない苦難を背負うことになったのである。第8章安政の大獄発動結局、徒党を組んでの登城は不埒千万との理由で一橋派大名はことどとく蟄居謹慎に追い込まれると一橋派の工作員たちは更なる奪権闘争を繰り広げる。彼らにとって「渡りに船」であったのが、孝明帝の怒りであ
こんにちは。幕末が大好きなみそしるです。高知県出身の母親を持つ私は、教科書に出てくる坂本龍馬に憧れ、幕末の本をたくさん読みました。その中でも一番心に残ったのが、タイトルに書いた高杉晋作の辞世の句おもしろきこともなき世をおもしろくです。この時代、誰もがみんな辞世の句を残せたわけではありません。多くの志士たちは、辞世の句も詠めずに明治維新の礎となりました。面白くない世の中でも、面白くできるかどうかは自分次第との解釈をするのですが、闘
新撰組は幕末に活躍した侍集団です。10年前、私は彼らと出会いました。新撰組といったら、この旗!こう書くとロマンチックですが、ひらたくいうと取り憑かれただけです取り憑かれている間は、口を開けば新撰組のことしか話せない状態。新撰組内部の抗争のこと。隊士のこと。どんな思いで京都にやってきたのか。当時は自分でもひくくらい本を読みあさり、新撰組のことを語っていました話につきあわせた友人達よ、スマン戊辰戦争を描いた大河ドラマ『八重の桜』で
文久二年(1863)八月二十九日の夕刻のこと。京の都は鴨川の東岸、川端通の二条の辻をやや南に下がったあたりを、ある父娘(おやこ)が歩いていました。※.「文久二年京都細見図」より。父親は名を文吉といい、「猿(ましら)の文吉」の異名を持つ目明かしでした。世に名高い安政の大獄においては島田左近に従い、時の大老井伊直弼に反目する水戸派の検挙に功績をなし、その報奨金(※)を元に高利貸しをはじめて莫大な冨を得ていたことなどから、尊王攘夷の志士は無論、京の町の人々にもひどく憎まれていました
この画像は、だいぶ前に私が脚本を書いたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、「るろうに剣心追憶編」の一場面である。幕末の京都で、「人斬り抜刀斎」と呼ばれ佐幕派から恐れられる主人公・緋村剣心が、今まさにその「人斬り」をしたばかりのシーンだ。自分の、しかもかなり前の作品を話題にするなど、脚本家としては棺桶に半分片足を突っ込んだも同然なのだが(笑)、この作品は十数年前の発売以来、お陰様で多くの方々に愛され、海外にもいまだファンが多く、つい最近もネットで期間限定の無料配信があったりし
※.本文にグロテスクな内容が含まれます。ご注意ください。朱雀操の死についてはいくつか疑問点があります。ひとつは所持していた刀(兼元)の刃だけでなく、裏側の峰にも無数の傷があること。これは、たとえば彼が刀を落として、慌てて拾い上げたものの無我夢中であったので峰打ちのまま切り合ったというのならば、あり得ない話ではないと思われます。しかし、実際には朱雀の方が優勢で中井弘蔵を押しており、ついには中井は袴を足に絡ませて尻餅をついてしまったというので、朱雀が刀を落としたというのは考えにくいと
アメリカ人同僚と空港で搭乗を待ってた時、近くのアメリカ人同士が些細な事から殴り合いの喧嘩を始めたので同僚に「何であんな些細な事で喧嘩すんだろね?」と聞いたら「簡単さ。今、彼らはお互い銃を持ってないと分かってるからだよhaha」と言われ、笑えないし銃社会怖過ぎだし核抑止力論だ…と思った—山口慶明🇺🇸で何とか生きてる(@girlmeetsNG)October14,2021↑この投稿を見て思い出した事があります。幕府が町人の帯刀を規制しようとするのに対して、「皆が脇差を
私、発見しました。多分、これ、上と下の写真は同じ場所です。麻布古川橋のあたりから麻布三の橋を写している写真です。上が幕末にフェリックス・ベアトが撮った写真で、下が明治前期の写真です。下は石黒コレクションの写真です。雪で覆われていますが、確かにただの河原に新田が出来ていますね。青山八郎右衛門が開拓した八郎右衛門新田です。
これまで、坂本龍馬の長州での新史跡(既知史跡の招賢閣跡等は除く)としては、柳井市の浦靱負(ゆきえ)邸跡、上関町の中沼家跡、防府市の藤村屋跡等を各コーナーで解説してまいりましたが、長州の脱藩の道沿いでは、防府市の次の伝承地としては、下関市長府まで新史跡はありません。長府で最初に現れる新史跡は去年、「坂本龍馬の飯椀はお龍が割った」の記事で解説した長府藩士・日原素平邸跡ですが、その手前に「既知史跡」の白石正一郎邸の移築された浜門があります。個人宅のため、市販本では詳細な場所が解説されること
昨夜の続きです(人´∀`).☆.。.:*・゚魂の約束16話==幕末の長州藩士の史実==#幕末#天皇#拡散希望#歴史は、忘れてしまったら終わってしまいます。#長州で命をかけて、#倒幕のために縁の下を支え準備した人たちがたくさんいます。その史実を集めて、動画を作成しています。倒幕を支えた向山文庫の保存活動をしています。倒壊する前に、復興したく歴史をどうぞご覧になってください。#山口県#明治...youtu.be吉田松陰先生や高杉晋作さん等に注目されがちですが長州藩には、この
昨日も休みだったが、親父の入院先に行くだけで特に用事が無かった。朝からHuluやDVDで映画4本立てで時間を潰して身体を壊してしまう(笑)だるくなっただけなんだけどね。「御法度」、「壬生義士伝」、「座頭市」、「燃えよ剣」の幕末の4本。座頭市は幕末じゃ無いか!で、朝になるとこうなってる・・・会社やだなぁ~。そんな休日に面白い動画を見つけました。予定のネタをやめて、こっちを載せます。夢グループ×FDAコラボCM-YouTubeFDA(エフ・
谷干城ら、坂本龍馬や中岡慎太郎と関係の深かった土佐藩の人々は、坂本・中岡を殺害したのは新選組だと信じ、新政府軍に投降した近藤勇の首を刎ねました。同時に元新選組の大石鍬次郎を捕えるのですが、取り調べに対し大石は意外な供述をします。刑部省口書一橋家来大石捨二郎(「伜」脱か)元新選組大石鍬次郎口上年三十二歳(前略)その節、伊豆太郎(※.加納鷲雄)より相尋ね候にて、京師に於いて土州藩坂本龍馬殺害に及び候も私共の所業にこれ有るべし。その証は、場所に新選組原田左之助差料の刀鞘落
4月30日(火)神戸市立博物館。「ColorfulJAPAN-幕末・明治手彩色てさいしき写真への旅」を見に行きました。なんだか不気味なポスター。どうしてこういう怪しげな人物写真が出来上がるのか不思議でなりません。館内はフォトスポットが点在。その効果もあってか、大学生ぐらいの層が目立ちました。それでは展覧会の内容です。以下の文章は神戸市立博物館のHPからの引用しました。概要日本の開国後、幕末から明治時代にかけて、これまで交流のなかった諸外国の人々
芹沢鴨・近藤勇らと共に京都に残留することになり、壬生浪士組の創設メンバーの一人となった粕谷新五郎ですが、永倉新八は彼を同志として認めていなかったようです。『浪士文久報国記事』には十四人の姓名芹沢鴨近藤勇新見錦山南敬助土方歳三沖田総司永倉新八藤堂平助原田左之助平山五郎野口健次井上源三郎斎藤一平間重助とあり、壬生浪士組の創設メンバーはこの14人であるとしている他、板橋の供養塔にも粕谷新五郎の名はなく、「同志連名記」にも最後に「遺稿中各記録より抜抄せる左記人名は
近藤勇狙撃事件を思い浮かべながら、墨染付近を歩いてみました。まずは藤森神社の前を通過します。西村兼文の『新選組始末記』では御陵衛士はこの藤森神社の北と南に二手に分かれて近藤勇一行を待ち伏せたとあります。ただ、この付近で襲撃したとすれば「墨染」とする新選組側の証言と若干食い違うのかも知れません。藤森神社の前を通って南に少し行くと墨染に入ります。下の写真の交差点、信号の先の道がちょっとずれているのがわかると思いますが、実はこの交差点の先の道は明治以降に作られたもので、墨染以北の伏見
『近畿評論』の騒動から更に時を経て大正四年(1915)のこと。大阪朝日新聞8月5日号に近江屋事件に関する記事が掲載されました。それはこの年に亡くなった元京都見廻組の渡辺篤が、生前に愛弟子の飯田岩太郎と実弟の渡辺安平の二人に語り残したとされるもので、坂本龍馬を斬ったのは自分だったと告白する内容であり、『坂本龍馬を殺害した老剣客=悔恨の情に責められて逝く=』と題されていました。しかし、この記事で述べられた渡辺の“告白“内容は、それまでに確認されていた「事実」と異なる点が多々あったこ
今日は...ちょっと趣向を変えて...ロマンチックなお話しをご紹介しよう。女子萌え胸キュン・ストーリー。第14代将軍、徳川家茂。NHK大河ドラマでも描かれているが、気品ある年若い将軍様だ。彼が愛した妻・和宮とのロマンスは様々に語られているが、本当に仲の良い夫婦だったらしい。家茂の父は第13代紀州藩藩主・徳川斉順。一橋家同様、将軍を出す権利を有していた清水徳川家から養子として紀州藩に迎えられ、藩主となった人物だ。父は第十一代将軍徳川家斉。紀州藩主であった期間は21年間と言うか
♪宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じゃいなトコトンヤレトンヤレナあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないかトコトンヤレトンヤレナこの唄をご存じないという方は、少なくともこのブログを読んでいただいている歴史好きの方の中には、おそらくいないのではないでしょうか。『トンヤレ節』もしくは『宮さん宮さん』のタイトルで知られるこの唄は、戊辰戦争の際に作られたもので、日本最初の軍歌と言われています。「とことんやれ」という囃子(はやし)言葉から、旧幕
慶応三年(1867)九月初旬の某日のことです。洛北下鴨村の西川左衛門なる人物の屋敷に下宿していた阿波徳島脱藩の士12人のうち、南薫風(みなみくんぷう)という人物が単身、早朝から出かけて行きました。行く先は御霊馬場町に住む眼科医で、有栖川宮家の家来で勤王家の藤井少進の屋敷でした。おそらく藤井らが進めていた倒幕挙兵計画について話し合いに行ったのだろうと思われます。ところが、その南薫風が昼を過ぎても帰って来ません。藤井少進の屋敷は下鴨からわずか1kmほどしか離れておらず、それでな
前回の続きです(≧∇≦)ノ魂の約束14話長州藩幕末の真実の物語#幕末#天皇#拡散希望#歴史は、忘れてしまったら終わってしまいます。#長州で命をかけて、#倒幕のために縁の下を支え準備した人たちがたくさんいます。その史実を集めて、動画を作成しています。倒幕を支えた向山文庫の保存活動をしています。倒壊する前に、復興したく歴史をどうぞご覧になってください。#山口県#明治...youtu.beこれが世にいう七卿落ちです(´・ω・`)ショボー
2000年代の「おんな」大河、最初にして現在のところ最後の成功作である『篤姫』。脚本家としては最悪レベルの評判を持つかの田淵久美子が、初めて大河ドラマにおいてクローズアップされた作品、そして歴代の大河ドラマを通じて、幕末大河最大のヒット作となった作品…『篤姫』には制作・放送から9年経過した現在でも、多種多様なる評価がついてまわる。2000年代に制作された大河ドラマの中でも、やはり宮崎あおいの演じた篤姫の卓越した演技力、美しさ…これらは目を見張るモノがあったし、他ならぬ宮崎あおいの存
近江屋を襲撃したとされる京都見廻組隊士として、まず今井信郎が供述した今井信郎本人と、佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎の七人が挙げられます。そして渡辺篤の告白によって、更に渡辺篤自身と世良敏郎の二人の名前が挙がるのですが、今井が二人の名前を供述しなかったことについて、菊地明先生は『龍馬暗殺最後の謎』の中で今井の刑部省における供述によると、刺客は今井のほかに、佐々木只三郎、渡辺吉太郎、桂早之助、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の計七名だっ
慶応三年(1867)十一月十五日の夜、河原町四条上ル(蛸薬師通下ル)塩屋町の醤油商近江屋新助方二階に潜伏していた、土佐藩士で海援隊長の坂本龍馬(31)と、その龍馬をたまたま訪ねて来ていた、同じく土佐藩士で陸援隊長の中岡慎太郎(29)が襲われ、龍馬の家来で元力士の藤吉共々に殺害されました。世に名高い近江屋事件です。現在、塩屋町330番地の最近までかっぱ寿司があった建物の前に事件の跡地であることを示す石碑と案内板などが立っています。しかし、これには少し事情があって、実際に近江屋があったのは
実は恥ずかしながらまだ一度も読んだ事のなかった『新選組一番組長沖田総司の生涯』(菊池明・新人物文庫)をようやく手に入れる事が出来ました。新選組一番組長沖田総司の生涯(新人物往来社文庫)792円Amazonそうしたら、なんと“あの”沖田総司の肖像画のモデルになったという沖田要さん(総司の姉ミツのお孫さん)の写真があるではないですか!ちなみに、その肖像画はこちら。“あの”沖田総司肖像画この肖像画について菊地先生はこれは昭
どうも、みけねこです。(※愚痴多め。気になる方はブラウザバック!!)(※愚痴多め。気になる方はブラウザバック!!)(※愚痴多め。気になる方はブラウザバック!!)(※愚痴多め。気になる方はブラウザバック!!)(※愚痴多め。気になる方はブラウザバック!!)「なぁ、これどう思う?」超忍の刀:沢村の愛刀。【龍の一族】なる忍者の一門が代々受け継いできたものを、沢村が譲り受けたらしい。かつて宿していた真の力は失われているそうだ。「あぁ、やっぱ…」「頭防具といい…この忍者は…【幕末☆ブサ
天気は、雨今度の4月6日から学校体育館が使える。「ほっと」する。4月は、バレーボール関係の総会がある。読書日本史を語ろうを読む。幕末から明治へ将来の日本を考えた幕末の人物等を知る。今の政治に結び付けると当時の人たちは新しい国家を考えていたことを知る。今の政治家も歴史をふりかえってほしい。幕末から明治にかけて興味がうまれた。内田康夫著名探偵浅見光彦短編集を読む。今や名探偵として名前がうれてきた。歴史関係の本を読むと今の時代にないものを感じ取る
前回の記事『沖田要氏』の最後に書きましたとおり、沖田要さんの写真をもとに沖田総司のコラージュ写真を作成してみました。あれ?イケメンじゃね?(笑)どうでしょう。『新選組一番組長沖田総司の生涯』掲載の沖田要さんの写真の顔部分を切り取り、ドラマ『新選組血風録』の1シーンから島田順司さん演じる沖田総司の顔に貼り付けてみました。本当は著作権のない古写真を使用したかったのですが、文庫本の写真はドット(点)で出来ているので貼り合わせるとどうしても不自然になってしまうため、色味が
青嵐の旅人青嵐の旅人:/最終回天童荒太高杉千明・画|毎日新聞明王院のはからいでジンソの集落の者が、霊泉に入る事が叶(かな)った。救吉が皆を案内し、太助と兄の千次、アオたち山の者、包源や笙安ら修験者たちも同じ湯に入った。「新しい世になれば、人の差別など少しずつなくなっていくはずだ」と院主が語った。mainichi.jp↑有料記事です^^;1年以上前から毎日新聞で連載されてました。ネット購読を続けていたのはこの小説を読みたかったから4月で終わる予定で
後醍醐天皇が倒幕の軍を起こした時、鎌倉幕府は「天皇、御謀叛」と言った、といいます。謀叛というのは、下の者が植えに対して逆らうことを言うわけだから。つまり、幕府の執権ほうが、天皇よりも偉かった、ってことなのか?違います。天皇が「御謀反」したのは、執権に対してでも幕府に対してでもありません、「日本国」に対して、です。後醍醐は国家秩序を脅かしたんです。どんな帝王でも、従わなければならない「天の節理」ってものがあります。ときの天皇個人よりも、日本国が長年の間に築き上げてきた国家秩序のほうが、
どうも、みけねこです。「それで?ローニンの方は…」「どこまで進んだの?」「横浜編のラストイベント【桜田門外の変】で井伊直弼+青鬼と殺りあって…」「で、なんやかんやあって」「大久保利通や勝海舟等と知り合って」「そんで、徳川/江戸幕府と戦ってるってとこ」「ふ~ん…」「つーか、井伊直弼の剣術…」「見てると草生えるんですよね」「どうして?」「必死だったから、断言はできないが」「【パッと見幕末バージル】。これで伝わるだろ?」「あぁ、そりゃ草生えますわ」「戦国無双のキャラかな