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【花のイマージュ】…花のイマージュは、岡田有希子さんの9枚目シングル曲で、1986年5月14日にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からリリースされる予定であった。レコーディングも、ジャケット撮影も完了しており、1986年5月14日発売と予定もされていたが、約一か月前に4月8日、四ツ谷にあるサンミュージック事務所の屋上から投身自〇したとされ、発売を余儀なくされた。初オンエアは、岡田有希子さんが亡くなる前日に、ニッポン放送のラジオ番組『有希子・章子・麻里の夜遊びしナイト!』1986年
🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**今日5月14日は「花のイマージュ」発売予定日でした(1986年5月14日)可愛いピンク、清楚な白、淡い黄色の衣装で歌ったのかなぁと思う今日この頃です(´-`)oO🍀13年の時を得て、1999年3月17日発売の「メモリアルBOX」に初めて収められました🍀1986年5月14日の発売予定日から13年後の嬉しい出来事でした(#^.^#)今年、デビュー40周年㊗️発売予定日から38年の時を得て、念願が叶い、やっと!EPレコードとして、
ブログへの訪問ありがとうございます!もう何日か過ぎましたが、4月8日は、岡田有希子さんの命日なんですよね。人気アイドルであった岡田有希子さん(当時、18歳)が所属事務所のあるビルから飛び降りて亡くなるという衝撃的な出来事があったのは、今から35年前。私は12歳でした。中学の入学式が午後からで、フジテレビのお昼の番組「笑っていいとも」を観ながら制服に着替えていたら、テロップが流れてきました。「えっ⁉️」その衝撃的な内容に戸惑っていたら、次のCM(グリコ?)は岡田有希子さん出演のものでし
昨日のまんが日本昔ばなし同様、わくわく動物ランドも小学生の頃に毎週水曜日に見ていました。放送で登場した動物を当時持っていた動物図鑑と見比べたりしていました。司会は関口宏さん、主な解答者には今年亡くなった小林亜星さんがいましたね。また、爬虫類と両生類に詳しい動物研究者の千石正一先生もこの頃から出演していて、後の動物奇想天外でもすっかりおなじみでした。さて、そんなわくわく動物ランドのスポンサーには、江崎グリコと牛乳石鹸がありました。もうおわかりですね。セシルチョコレートとラブジュシャンプ
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようハワイと聞けば、昭和中期の日本人の憧れの地とも言えますね。貴重映像お借りします!あこがれのハワイ航路/岡晴夫(本人ステージ)この曲が当時ヒットしたため、同名の映画まで作られましたが、その映画では当時は占領下で外国のハワイはおろか、外国航路も占領軍から認められておらず、そのため、その映画では「横浜を出港する外航船」ということにして、港で舷側から手を振って、テープを切っているのが映画のシーンで終わりでした。youtu.be「トリスを
【岡田有希子ALLSONGSREQUEST】…岡田有希子ALLSONGSREQUESTは2002年5月15日にポニーキャニオンからリリースされた岡田有希子さんのアルバムである。1ヵ月の期間限定で、ホームページに作られたリクエスト・ボックスに投票された作品をパッケージした、ファン選出によるベスト。今まで未CD化だった2曲「恋のエチュード」「二人だけのセレモニー(シングルVersion)」も追加収録されている。そして、その2曲以外の収録曲をオフィシャルHP&i-modeでの
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ツレさんに誘われ、映画「青春18×2君へと続く道」を観た。2006年の台湾、そして2024年の日本を舞台に展開するラブストーリー。18年前の台湾。高校卒業間近な18歳の彼は、日本から来たバックパッカーと出会う。天真爛漫で、大好きな絵を描くことにひたむきな4つ歳上の彼女に、恋心を抱く彼。二人の距離が縮まった頃、彼女は突然帰国してしま
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
ユッコさんスッピンでテレビ出演3連打。(YouTubeより画像お借りしました)①わくわくネットワークEXPOスクランブル1985年7月22日(生放送)②とんねるずの子供は寝なさい!?(放送日不明)③TVグラフィティ1985年8月31日(生放送)確証もないのにスッピンと言い切ってます(笑)ただし、③はオヒョイさん(藤村俊二)が「いつも化粧はしないの?」と質問して、ユッコさんが「今朝、時間がなかったんです…」と答えていたのでスッピン確定なのですが、①と②も、お顔の感じ、雰囲気から
今回は5ヶ月ぶりの麗しのユッコをお送りしたいと思います。これまで24回もやってきて、長いこと間を置いてしまうと何だか出てきちゃうんですよ。何が出てくるのかというと、禁断症状が(笑)ここしばらくユッコさんのグラビアと戯れていなかったから、見たいという欲望がどうにもとまらなくなった訳です。そんなこんなでまたペタペタと貼り付けましたので、よろしかったらお付き合い頂けたら幸いです。ユッコさん、どこにいるか探してみてね。1986年度、かぁ…当然ながら事務所は新しい子を次々取るよね。「事務所を背
初心者さま向け爪を痛めずにいつまでもセルフジェルネイルを楽しめる少人数制・じっくり2日間オーガニックセルフネイル講座詳しくはこちらをクリックこんにちは、爪を痛めずにずっとネイルを続けることができるオーガニックネイルサロンnailchouchou(ネイルシュシュ)ネイリストの岡田有希子です。C様がネイルチェンジに来て下さいました♡いつもお仕事が終わってから、遠くから通ってきてくれているC様。ありがとうございます♡私も毎回C様にお会い
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
私、ふと思った事が有るそれは私はお酒も飲まないし煙草も吸わないだから気が紛れることが出来ないと思いましたお酒を飲める人だったら少しは違ってたのかもしれないと思った。この連休初めて出掛けてみたえっちゃんのお花を買いにこのお花はホームセンターで買いましたこのホームセンターの近くに川崎大師があるんです生前えっちゃんが「私(えっちゃん)が元気なったら川崎大師に行きたい」と言っていたのを思い出したので行ってみることにしました。この川崎大師には初詣でよく
ユッコさんが1年生の一学期だけ通った地元名古屋の向陽高校。デビュー後初めて高校を訪ねたときの写真です。親友の同級生お二人とのこんなひとコマも。こうやってじゃれついているユッコさん、なんか嬉しそう。岡田有希子から佐藤佳代に戻った瞬間かな?向陽高校時代はサッカー部に入り、マネージャーとして活動していました。また、入学後間もなく芸能界デビューも決まったので他のクラスの生徒がたびたび見に来ていたそうな。(見に行った生徒、あまりの可愛さにビックリしたんじゃないか?笑)「愛をください」の中で、お母
夢を売る仕事なんてよく言いますけど、アイドルだって一人の人間だし、体調が悪い時もあれば、気持ちがのらない日だってあると思うのです。ところが、「アイドル」という人たちはそんなところを見せる事は決して好ましい事ではなく、いつもにこやかでいなくてはならない。そんな中でもユッコさんは「愛想笑いが苦手」「朝早くから撮影で[笑って〜]って言われても笑えないよ〜」などの気骨ある言葉を残しています(笑)ユッコさんに限らず、同じように思うアイドルは他にもいたとは思いますが、皆いろいろあっても割り切って仕事を
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ユッコこと岡田有希子さんが、まだ空の下にいた頃。音楽雑誌にこんな新譜紹介が小さく載った。〝思わず口ずさみたくなる軽快なメロディー、でも実は…重いテーマに思わずドキッ!〟それは1985年、シンガーソングライター松尾清憲のファーストアルバムに収録された「5月のSUICIDE」(作詞・秋元康)。高二のわたしは〝SUICIDE〟がなにを
今日のユッコレは、自分の中では「珍品」と位置付けているこちらをご紹介します。ファンクラブ会員向けの「岡田有希子ナマ写真申し込み書」です。会員に発送されるファンクラブ会報に同封されていたもので、第1回〜第7回まで行われたようです。私が所有しているのは、第6回と第7回の2枚になります。1枚を大きく写してみました。一組5枚セットでAタイプ・Bタイプがあり、希望の写真と住所・氏名等の必要事項を記入し緑色の部分を切り取って封筒状にして写真代金を添えて送ると、写真をこの封筒に入れてファンの元に返送さ
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。最近、フォローさせていただいている方のブログで、昔のマクドナルドのバイトの話を読みました。じつはわたしも国鉄がJRになった年の夏に、マックで当時存在した、徹夜で店舗掃除をする「メンテ」というバイトをしていました。とても懐かしかったです。ユッコこと岡田有希子さんが突然いなくなって、2度目の夏。当時18歳のわたしはそれを意識することもなく、大学受験に失敗し宅浪中という現実から目を背けるように、深夜一人だけで働
風街散歩愛を知る県⑥数年前から一度はお墓参り訪問したいと思っていました岡田有希子さん(1967年8月22日-1986年4月8日)生存していたらこの8月で49歳を迎えていました日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤佳代(さとうかよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm。愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひ