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岡田有希子さんの命日を去年に続き今年もファンの方達と一緒に四ッ谷に立たせて頂きました。有希子さんファンの間では命日は佳桜忌と呼ばれていて、いつも多くの方に見守られ愛され続けています。去年の可愛かずみさんの27回忌を家族の方にもお寺の方にも相談をさせて頂いて行うことが出来たことも去年、有希子さんの佳桜忌で見せて頂いたユッコフレンズさん達の変わらない愛を見せて頂き勇気を貰うことが出来ました。ほんとにあの時は背中を押してくれるようなそんな気持ちになっていました。当初、かずみ
【花のイマージュ】…花のイマージュは、岡田有希子さんの9枚目シングル曲で、1986年5月14日にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からリリースされる予定であった。レコーディングも、ジャケット撮影も完了しており、1986年5月14日発売と予定もされていたが、約一か月前に4月8日、四ツ谷にあるサンミュージック事務所の屋上から投身自〇したとされ、発売を余儀なくされた。初オンエアは、岡田有希子さんが亡くなる前日に、ニッポン放送のラジオ番組『有希子・章子・麻里の夜遊びしナイト!』1986年
岡田有希子ちゃんが後輩の酒井法子さんと一緒に写ったときの写真といえばこの雑誌記事でしょうか。ちょうど有希子ちゃんが下宿先のサンミュージック社長宅からマンションに引っ越すあたり。法子さんと入れ替わるときですね。写真を見ると笑顔とはいえ、有希子ちゃんの表情がかなり疲れきっている、憔悴しきっているのがわかります。隣にいる法子さんに有希子ちゃんは何を思っていたのだろうか。ご存じのとおり、マンションに引っ越して程なくして有希子ちゃんは帰らぬ人となってしまいます。もし有希子ちゃんが、しばらくは社長
岡田有希子ちゃんが亡くなるまでの最後の1年をみると、かなり深刻なうつ病を発症していたことが伺えます。歌番組のリハーサルで泣き崩れたり、表情が乏しくなってきたり、笑顔が強張ってきたりと何らかのサインが出ています。有希子ちゃんについて、サンミュージックなどの関係者たちはよく「躁うつの波がある」だとか「感情の起伏が激しい」といったような躁うつ病だったような言い方をしているようですが、私は違うと思います。そもそも、有希子ちゃんはうつの状態ではあっても躁の状態ではなかったからです。躁の状態というの
38年前、まだLPレコードだった時代にサンプル盤で受け取っていたこのアルバムが、歴史的な名盤になるとは…正直思っていなかった。筆者の写真家時代の師匠であり悩み事も相談していた写真家武藤義氏撮影のこの素晴らしきジャケ写を見ながら良き昭和の歴史を繙こうと思う。令和のCDを聴きながら・・・確かに岡田有希子の歌唱力は、女性アイドルの中でも当時、群を抜いていたと思う。それは、デビュー前から古巣での岡田有希子を知る筆者とて忖度無しに言い切れるのだ。だからこそ完成度の高いサードアルバ
昨日のまんが日本昔ばなし同様、わくわく動物ランドも小学生の頃に毎週水曜日に見ていました。放送で登場した動物を当時持っていた動物図鑑と見比べたりしていました。司会は関口宏さん、主な解答者には今年亡くなった小林亜星さんがいましたね。また、爬虫類と両生類に詳しい動物研究者の千石正一先生もこの頃から出演していて、後の動物奇想天外でもすっかりおなじみでした。さて、そんなわくわく動物ランドのスポンサーには、江崎グリコと牛乳石鹸がありました。もうおわかりですね。セシルチョコレートとラブジュシャンプ
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ふと目にした、小さな訃報。その名前は、再びわたしを53歳の冬から18歳の夏に引き戻したのでした。「大学受験ラジオ講座」の英語講師だった、御園和夫先生。昨年暮れに、80歳にして不慮の事故で世を去られたとのこと。心からお悔やみ申し上げます。ーーーーーーーーーーーーー北関東の高校を卒業した年の夏、三年間一度も口をきいたことがな
今年の漢字に選ばれた「密」。密といえば岡田有希子さんのスケジュール。密というより過密だ。今回はユッコさんのスケジュールのお話を書きたくなりました。※私はまだまだ人間ができていないので、時折こうしたネガティブな話もしたくなります。でも、これらの事もユッコさんを弱らせてしまった一因と考えているため、この場を借りて私の思いをぶつけさせてもらってます。拙い文章ですがお付き合いいただける方は最後まで読んで頂けると幸いです※ユッコファンの方が作ったHPを見つけまして、(結構前のものですが今も残されて
こんばんは。5月に入り早くも6日になりました。今月初めての投稿です。仕事が忙しかったり何だりラジバンダリと色々ありまして更新をサボって空けてしまいました。きっと誰も気づいていないと思うけどね!(*゚∀゚)アハハー!先月は岡田有希子さんのメモリアル月ということで、喜びと悲しみの入り交じった4月でありました。そしてこの5月は!そう、「花のイマージュ月間」でございます。ユッコさんがご存命であれば1986年5月14日に発売される予定でした。発売予定から13年後にようやく世に出る事ができた訳で
少し前に、僕の中で約30年封印していた「くちびるネットワーク」を聞いたら涙が出そうになった。確か沢口靖子さんが出ている、カネボウのCMソングでしたね。これはお墓参りに行くしかない・・・と、鈴鹿の帰りに寄ってきました。場所等はネットで公表してる通りです。東名阪自動車道の弥富インターを下りて、約5分の成満寺にあります。(お墓等の写真を載せるので、気分を害される方はココでストップを・・・)この日は、僕の前に少し年上の男性が一人、僕が帰るころには少し年上のご夫婦が有希子さんの墓参
1984年8月15日は、写真集「岡田有希子special」が近代映画より別冊近代映画として発刊されました。写真集「岡田有希子Special」別冊近代映画は39周年記念を迎えます。近代映画からは1985年6月25日の写真集『岡田有希子あなたとふたりきり…』がデラックス近代映画から初刊発行され、他に雑誌の表紙で起用される。今回は64枚の写真集の中から一部を各3回に分け記事投稿しました。◉写真集「岡田有希子Special」2/おとぎの国は愛いっぱい!おとぎの国は愛い
さて、月曜日ハードな手術をやり切りました外科医として28年目の春です38年前の1986年の今日、大好きだったアイドル、岡田有希子さんが自殺しました私の高校の入学式その日でしたようやく受験を突破し、これから充実の高校生活を頑張るぞ!コンサートにも行くぞ!と意気揚々だった4月8日の昼過ぎ、、、親友の同じく彼女の大ファンが泣きながら話しかけてきました彼女が亡くなったと、、、テレビの中の流れ出た血の映像、、、目の前が真っ暗になり、、、あまりに強烈な映像にショックを受けたことは今でも鮮明
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。〝心に秘めて、それらしいそぶりも見せない〟そんな意味の「おくびにも出さない」という言葉がある。この「おくび」は噯気と書き、ゲップのことなんだそうだ。ゲップは生理現象だから自分の意思で我慢するのが難しい、それでも出さずに腹の中に仕舞っておく…ということから来ているらしい。知らなかった。たぶん胃腸が変調を来しているのだろう、最近ゲップ
⬛️女性芸能人たちの自殺の原因2020年7月18日付の当ブログ「俳優三浦春馬の死、珍しくない俳優の自殺」、2020年7月23日付の当ブログ「三浦春馬自殺分析」では、俳優三浦春馬の「自殺」をベースに、「自殺」に進むストーリーを描いてきた。自殺をした「女性芸能人」も少なくはない。理由については、「「三浦春馬自殺分析」」でも書いたが非常に複雑である。「殺される場合」は、「殺し手側」の身勝手な理由が主である為、「殺される側」の知る由はない。ただ、フリーアナウンサーであった川田亜子の死
この岡田有希子さんの動画、めちゃくちゃ可愛くて初めて見た時から萌え萌えキュン(きもちわるいな)で、今までずっとこらえていたんですがとうとう我慢できなくなってブログに貼ってしまいました。【HD】岡田有希子ファースト・デイト1984年8月8日OkadaYukiko・FirstDateyoutu.be座った状態での歌唱動画はあまり見た事がないですね。結構珍しいのではないでしょうか?いかがでしょうか?この澄んだ瞳。心の綺麗さがそのまま表れていると私は強く主張したいです。振り付けをし
🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**今日5月14日は「花のイマージュ」発売予定日でした(1986年5月14日)可愛いピンク、清楚な白、淡い黄色の衣装で歌ったのかなぁと思う今日この頃です(´-`)oO🍀13年の時を得て、1999年3月17日発売の「メモリアルBOX」に初めて収められました🍀1986年5月14日の発売予定日から13年後の嬉しい出来事でした(#^.^#)今年、デビュー40周年㊗️発売予定日から38年の時を得て、念願が叶い、やっと!EPレコードとして、
7/31投稿記事の続きです。先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。(詳細な内容は割愛します)淡谷先生、懐かしい。1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演され
「月刊明星」1986年6月号。ユッコさん明星最後の登場となった号です。以前から探していたところ最近になって古書店さん(ネット)で見つけ、購入する事ができました。3月31日に取材をしたという通常記事の前ページに、これまでに撮影された写真を載せた追悼ページが綴じ込まれています。この号は当時にも購入しました。ユッコさんのページを開いた時、誌面がエアメール風のふちどりだったりとか、記事を見て思い出した部分もところどころあり、35年前に時が戻ったようでした。(記事は横浜を訪問したり、スイスでの撮影の
今日は、4月21日。岡田有希子さんがデビューして40年を迎えました。しかしひと口に40年と言っても、色々と振り返ってみるとやはりとてつもない年月が流れたなあと感じます。いい歳になってからユッコさんにハマり、日々こうしてメロメロブログ(笑)を書いているなんて彼女がデビューした当時は想像すらしてなかったですよ。でも、どうしてもいつも思ってしまう事。リアルタイムで彼女を感じてみたかった。リアルタイムで彼女を応援してみたかった。あんなにキラキラしていたユッコさんに当時気付かなかったのは本当
1986年4月8日、高校3年になった私はこの日始業式でした。午前中で学校は終わりなので、友人と学校帰り遊びに出かけ、帰宅したのは夕方近くになっていました。帰るなり、母から「岡田有希子が自殺したよ」と聞かされ、一瞬「えっ?」となり固まりました。もちろん岡田有希子さんの事は知っていますが、1980年代当時はアイドル全盛時代。私にとって彼女はそんな数多くのアイドルの中の一人という認識でしかなく、特に興味があったというわけではありませんでした。彼女は当時高校を卒業したばかりの18歳、興味がなか
★3月1日は中山美穂さんのお誕生日です。"愛称ミポリン"で親しまれ、1985年1月8日、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。1985年12月14日には、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』が劇場公開されて大ヒット。#世界中の誰よりきっとなどのヒット曲で知られるトップ80年代アイドルで、#アイドル四天王の1人にも名を連ねる、#中山美穂さんの54歳のお誕生日です。中山美穂さんお誕生日おめでとうございます。🎉🎂今回は、姉妹
1986年4月4日。岡田有希子さんが生前最後のテレビ番組(収録)に出演された日です。2年ぶりにブログに取り上げます。ブログを始めてから2021年、2022年と4月4日の日付に合わせて投稿をしていましたが、昨年は飛ばしてしまいました。もちろん忘れていたわけではなかったのですが、今思えばその史実に少し目を背けてしまったというか、避けたような気がします。というのも、ファンになって以降は気持ちが入りすぎるとやや情緒不安定といいますか(表現がちょっと大げさですが)、心が揺さぶられザワザワするような
4月4日になりました。35年前の今日はユッコさんが生前最後のテレビ出演をされた日でもあります。改めて動画を見てみました。どうしても先入観ありで見てしまうからなんだけど、元気がなさげ。と言うか表情が寂しそうなんだよね。かと言って何かに深く悩んでいるっていう感じにはそれほど見えない。いや、あえて見せないようにしていたのかも知れないけど。いずれにしても、このわずか4日後に突然この世を去るなんてどう見ても考えられないです。もしかしたら当のユッコさんもそんな事は考えていなかったのでは?それほどあの
再び「愛をください」より。佳代さん誕生時のお母さんの話。昭和42年に佳代が生まれました。辺縁性胎盤という異常出産で、あとで聞くと、ふつうは帝王切開をするのだそうですが、陣痛の起こる注射を打って、切開せずに生みました。未熟児で体重は2700グラム、身長47センチしかありませんでした。三歳児検診のときに、「よくまぁ無事に生まれましたね。ふつうなら死産か障害児として生まれるケースです」と先生に驚かれ、かえって私のほうがびっくりしたくらいです。お母さん、よくぞ無事に産んでくださいました。娘さんはみ
今年も4月8日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって38年。私がこのブログを始めて丸3年となります。有希子ちゃんのあまりにも若すぎる死を決して忘れてはならないのは言うまでもありません。一方で有希子ちゃんのことについて、残念ながら誤解されていることや、あり得ない噂話などが未だに付いて回っているのも現実としてあります。まず何より、有希子ちゃんの直接的な死因が飛び降り自殺であるということが既成事実となっていることが非常に残念ですし納得がいきません。数時間前に自殺未遂をしたからといって、自
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。本当は素直になって心を開きたいけれど、否定されて傷つくのが怖い。だから、思いを伝えることに慣れていない。本音をこぼしてしまった瞬間には、恥ずかしくて赤面してしまう。思い描いた理想に近づこうと、全てのことに努力を惜しまない。そして人との関係も完璧でありたいがため、自分にも相手にも甘えることができない。「私は平気」、強がってプライドを積み
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
衝撃スクープ神田沙也加は石原裕次郎と松田聖子の隠し子?がnoteでずっとよく読まれてるので、こちらにも再アップします顔は嘘をつきません神田沙也加は石原裕次郎に似てますね?松田聖子が裕次郎の子を妊娠したので同じ石原プロの神田正輝に松田聖子と結婚させて、神田沙也加を産ませたと言う事らしいですhttps://rapt-plusalpha.com/28721/【神田沙也加の死の謎に迫る】神田沙也加は石原裕次郎・慎太郎一族の大スキャンダルを闇に葬るために殺害された可能性大ここ最近、
【ドラマ『禁じられたマリコ』総集編第9話-第12話(最終回)】✦ドラマ「禁じられたマリコ」第12話(最終回)までの記事を読んで頂きありがとうございます。今回は前週掲載終了となったドラマ『禁じられたマリコ』第12話(最終回)までの記事第9話から第12話(最終回)までのあらすじをまとめて総集編にしてみました。ドラマ「禁じられたマリコ」ドラマ編】…ドラマ「禁じられたマリコ」第12話(最終回)までの記事をリンクupしました。(2023/1.9~1.28-第9話から第12話(最
🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀ユッコちゃんのいつまでも色褪せない名曲恋はじめまして🩷この曲を、白の衣装で歌唱してる歌番組を見て大ファンになりました😊1984年小学4年生の秋の事でした(*'ᴗ'*)まだ小学生🎒だった私の目にプリンセスのように👸映った事を昨日の事のように覚えてます❁⃘*.゚その日から、今までもこれからも永遠に憧れのユッコちゃん🩷(*'ᴗ'*)いつも素敵な笑顔、歌声、人柄etc見続けたい&聴き続けたいです🎶今年はデビューして40周年🎉と言う事でユ