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【花のイマージュと荻野目洋子】…「花のイマージュ」は、岡田有希子の楽曲。9枚目のシングル盤に予定されていた。作詞、作曲、編曲ともかしぶち哲郎の手による。既に前作「くちびるNetwork」の次作品として、レコーディングは完了し、ジャケットも完成されていた。本来なら1986年5月14日にキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)から発売予定(品番7A0573)だったが、発売のおよそ一か月前の同年4月8日に岡田が死去したために発売中止となった。このため、前作の「くちびるNetwork」が岡田
一日たってしまいましたが、35年前の昨日、1986年3月3日はユッコさんが高校を卒業した日でした。卒業おめでとう!ユッコさんの制服姿を集めてみました。こうして写真を編集していたら、オバさん思わず感極まってしまった年取ると涙腺弱くなって困るわ(笑)当然ながらステージで歌う姿と違い、制服着ていると普通に学生!って感じですね。(それでもかなりハイスペックですが)特にモノクロの一枚は何だかあどけなさが残ってて、ユッコさんというより佳代ちゃんって呼びたくなります。無事に卒業できてよかったとい
岡田有希子デビュー40周年☆友情企画奏者&歌手で繋ぐユッコSongトリビュートvol.4は、5月5日(日)新宿新巴里にてピアニスト鳴海周平さんに「二人だけのセレモニー」をピアノ演奏して頂きました。鳴海さんは、筆者が撮影で関わったMusicalミス・サイゴン日本キャストのLIVE演奏もなさった繊細なタッチの素晴らしいピアニストさんなのであります。今回まで、三名のベテランピアニストさんと歌い手さんにユッコちゃんSongの演奏と歌唱(弾き語り
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。いまは何を話しても、曖昧な笑みを浮かべるだけになった母。いよいよ独り暮らしが難しくなり、実家じまいを考えなければならなくなりました。そんな中で数十年ぶりに出てきた、古い写真に思い出したことを。半世紀くらい前の、名古屋からすこし西の超デカい湖がどーんとある県の駅前、妹を背負った母と幼いわたし。この駅は当時からモダンな橋上駅舎でした。
XJAPANのhideさんが亡くなって26年が経ちました。当時ニュースで知って、信じられないという気持ちでいっぱいでした。後追い自殺をしたファンが多くいたことでもショッキングな出来事であり、その12年前に起きた岡田有希子ちゃんの悲劇とどうしても重なってしまうのです。ご存知のとおり、hideさんの死因についても有希子ちゃんと同様、自殺であることが既成事実となっています。が、首を引っ張るような運動だったのを、誤って吊った状態になったことで起きた事故死だったのでは?といった見方も多くあり、h
こんばんは。5月に入り早くも6日になりました。今月初めての投稿です。仕事が忙しかったり何だりラジバンダリと色々ありまして更新をサボって空けてしまいました。きっと誰も気づいていないと思うけどね!(*゚∀゚)アハハー!先月は岡田有希子さんのメモリアル月ということで、喜びと悲しみの入り交じった4月でありました。そしてこの5月は!そう、「花のイマージュ月間」でございます。ユッコさんがご存命であれば1986年5月14日に発売される予定でした。発売予定から13年後にようやく世に出る事ができた訳で
✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。投稿が遅くなりましたが、この間、岡田有希子スプリングコンサート「ハートにキッス」のパンフレット、手元に届きました(•ᴗ•)初めてめくってみる、ユッコちゃんのコンサートのパンフレット、いろんな表情の写真の数々、本当に素敵😍全ページ見終わったら、気持ちが穏やかになるんですよねぇ🍀ユッコちゃんの魅力、魔法って不思議(*'ᴗ'*)黄色と白のチェックのブラウスに合わせた、淡い緑のワンピースとても可愛いですね♥いろんな服がお似合い(,,>
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
1985年12月、「おもしろ人間ウオンテッド」という番組に岡田有希子さんがゲスト出演されました。ユッコさんにゆかりのある方を3人の中から当てるというクイズで、正解はユッコさんがデビュー前にレッスンに励んでいた時の演技の先生であった福沢さんという方でした。レッスン内容として声を出す練習で、歌舞伎の「白浪五人男」を演っていたという話になり、司会の生方恵一さんが「有希子ちゃん、覚えているんだったらやってよ!」と無茶振り?をするとユッコさんは「え〜っ?!」と恥ずかしそうなこのリアクション。(かわい
岡田有希子は直観像記憶(カメラアイ)の持ち主だった?佳代(ユッコの本名)が中学生の頃に描いた油絵。直観像記憶とは、映像記憶ともいう特殊能力のひとつで個人差はあるが、パッと見たものを写真で撮ったように記憶し、細部まで正確に思い出すことができるそうだ。ユッコが芸能界に進むために母親から課せられた「3つの条件」の話は有名だがその条件というのは、学内テストで学年一番になる等、勉強に関するもので比較的成績が良かった彼女でも到底達成できないような高いハードルだったらしいのだが、周囲が呆れるよ
何を忘れていたかと言うと、岡田有希子のラジオ番組を聴く事を忘れていました。北の大地の人からメッセージを貰って、あ!土曜日だって・・・。SDRで聴いても良かったのですが・・・。今日は静岡まで移動運用に行ったので、IC―705が手元に!で、FMで聴いてみました。いや、FMは疲れるので、AMで聴くか!おっ、TVドアホンが鳴りました。名鉄の人身事故は復旧したと!しかし、北の大地の人は京都からアクセスしている事になっているなと・・・。スマートフォンだから、仕方が無いか・・・。と言う事はr
東京都新宿区四谷4丁目にある大木戸ビルにはかつて、ユッコこと岡田有希子が所属していた事務所があった。先日、所用でたまたま近くを通りかかったので初めて、このビルをスマホのカメラに収めた。(現在、事務所は隣町の左門町に移転している)1986年4月8日、午前中に一人暮らしの自室で手首を浅く切り、ガス栓をひねって自殺未遂を図ったユッコは、病院に駆けつけた事務所の専務とスタッフに付き添われ、人目を避けつつこのビルの6階にあった社長室に入った。(社長は外出中、担当マネージャーは休みで、
【ユッコ「堀越高等学校卒業式」】…1986年(昭和60年)3月3日は岡田有希子さんの「堀越高等学校卒業式」が行われた日。中野サンプラザにある「堀越高等学校卒業式」では眼鏡に制服姿の岡田有希子さんが堀越のクラスメイトと一緒に最後の卒業式を迎えます。エピソードとしては先生に「もしかしたら卒業できないかも知れないぞ!」ってこう言われてあーやだな留年かなあなんてねちょっと心配してたことを語っておりギリギリ最後の二カ月位で頑張って学校に行って卒業させてもらったことをSpringツアー86
日常で役立つ哲学の教えは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこの歳になってからでも、アイドルを好きになるということ。そして、その対象のアイドルから癒やしや日々の活力、さらには妄想する力を享受しているということ。byangelyuki18岡田有希子嬢
中森明菜さんと岡田有希子さん、それに加えてWinkの歌は、ほぼ全曲B面まで歌えます。明菜さんは私の5つ上、岡田有希子さんは多分3つ上ですが、彼女達のデビューが私が小学生、中学生でしたので、随分年上に感じます。10代前半までのこれ位の年の差は大きいですが、Winkのデビューは私が18歳の時ですから、2つ上の相田翔子ちゃんや、3つ上の鈴木早智子さんは、まさに同世代の女の子。Winkに関しては、英語バージョンのラジカセテープまで買い(歌っていたのは誰か不明だが英語母国語の発音)、英訳にも感動しまし
🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀。・゚♡゚・。🎀先日、とても嬉しい事がありました😊ユッコちゃんの名曲「恋はじめまして」の通常盤でしょうか♥最寄りの駅から2駅、町田市の中古のレコード屋「レコードPAM」さんで見つけました(*^^*)即買いました🩷中古のレコードだけど、ジャケットも円盤も綺麗でいい音です😍赤外線の機械で磨いてあるそうですここのレコード屋は夫婦でしょかね?昔からの名店である事を、昨年雑誌の記事で知って行きつけになってます(*'ᵕ')☆また直ぐに行きたいと思
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。すっかり忘れていたのです。ブログで以前、自分がこんなことを書いていたのも。宅浪中だった18の夏、ラ講の英語講師に書いて貰った言葉がどうしても思い出せない。記憶力抜群だったユッコこと岡田有希子さんだったら、くっきりと「思い描く」ことができたかもしれないのに。けさ起きて、皆さんのブログを読んでいたとき。なぜか遠い日の記憶が引っ張り
岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
36年前の今日、1984(昭和59)年12月31日は岡田有希子さんがレコード大賞最優秀新人賞を受賞した日であります。先日にも触れたお話ですが、動画を見ててもブーイングが飛んでて腹立たしい限りでしたが、見事新人の頂点に立った有希子さんは涙ぐみながらもしっかりと歌い上げていました。有希子さんに票を入れた審査員の方たちはその理由として、皆さん口を揃えて「将来性」を買って一票を投じたと話していました。目に見える数字(レコードのセールス等)も大事だけど、一年を通しての頑張りや、この先の可能性の広がりもき
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。駅前のスーパーがこの春、これまであったレジの大部分を減らした。代わって10台のセルフレジを5台づつ向かい合わせに並べ、一人の店員さんが客を案内していた。レジの数はそれまでの倍近くになった。これだけあれば、たいてい精算で待つことはない。だけど慣れない客は残った二つの有人レジにこぞって並び、長い行列をつくっている。〝生き残る者は強い者で
🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸🌙🌸**¨*•.¸¸⋆**🌸2024.4.8になりました🌸今日は岡田有希子さんのメモリアルデー「佳桜忌」ですね🌸小学4年生の秋「恋はじめまして」を歌唱してる時、大ファンになって以来ずっとに憧れ(ˊo̴̶̷̤⌄o̴̶̷̤ˋ)これからも永遠に憧れでいさせてくださいね😌💗🍀今までも、これからも、ユッコちゃんを思いながら1日1日を大切に過ごしていきます貴方は、私たちの心の中で永遠に生き続けます🌸X(旧Twitter)Instagram、ア
A019<岡田有希子さんからのメッセージ>2019年歓談あきらめないでいただきたいのです夢は1回限りではなく何度も何度も新しい扉を開けるように諦めずに何度も挑戦することこそが本当の夢を作ると言うことになります。私はまだ愚かで浅はかでした私の中には全てが終わったと思ったので・・・ただあの苦い思い出は今生かされてあの時はどうすることもできなかった私の中でできた最善の方法がそれだったからただ今思えばそれが美しい行為だったとは思えない生き
岡田有希子ちゃんが亡くなるまでの最後の1年をみると、かなり深刻なうつ病を発症していたことが伺えます。歌番組のリハーサルで泣き崩れたり、表情が乏しくなってきたり、笑顔が強張ってきたりと何らかのサインが出ています。有希子ちゃんについて、サンミュージックなどの関係者たちはよく「躁うつの波がある」だとか「感情の起伏が激しい」といったような躁うつ病だったような言い方をしているようですが、私は違うと思います。そもそも、有希子ちゃんはうつの状態ではあっても躁の状態ではなかったからです。躁の状態というの
『SummerBeach』(ザ・ベストテン)初登場の日1985年5月9日は先月頃4月17日にリリースとなる5枚目のシングル曲『SummerBeach』ザ・ベストテン(TBS系)で第7位初登場となる日。これまでは最初のシングル曲『ファースト・デイト』から3枚目となるシングル曲『リトルプリンセス』までデビュー曲候補である、「学園恋愛三部作」および「ティ-ンエイジ・ラブ」をテーマとした竹内まりやさんの楽曲提供3部作(作詞/作曲)といわれた楽曲で構成された。4枚目のシングル曲からはが
また、しょうもない事を見つけてしまった〜(笑)よかったらどうかお付き合い下さい。これ、場所同じよね?↓(YouTubeより)こちら、岡田有希子さん。対するこちら、岡村有希子さん。岡田有希子さん。岡村有希子さん。間違いないね(笑)岡村有希子さんのほうは、おはようスタジオという番組だと確認できましたが、ユッコさんのほうも時間からして同じ番組でしょう。岡村有希子さんの動画にこんなコメントがありました。確かに(笑)私も同じ事思いました。こんな物陰で…「ちょっと顔貸しな」って怖い先輩
前回、ユッコさんの高校卒業について書かせていただきました。卒業は、別れだったり、恩師への感謝だったり、次の新しい環境や新生活に向けての希望や不安だったりと様々な感情がうず巻くときであろうかと思います。しかし、これらの思いは青春の1ページとして各々の心に刻まれるのではないでしょうか。(なんか言ってる事がクサいな)そこで、筆者が勝手に選んだ青春ソングを勝手にお届けします。今回のランキングはnotyukkoです。ご了承下さいませ。(ユッコ記事でない時にはnotyukkoってワード使って
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。よろしければこちらもどうぞ!前回すこし書き足りなかったので、ぼっちのミッドナイトスイーパーの頃のことをもう少し。ユッコこと岡田有希子さんが、突然いなくなった翌年の春。それを意識することもないわたしは、北関東にある高校を卒業して進学も就職もしない宙ぶらりん状態。なくなってしまった身分証明書のかわりに、校則のせいで取得していなかった原付免許を取ることにしました。でも周囲の連中は
♡ͯ·̩͙·。*.·゚✧.·。*.·゚♡ͯ·̩͙.·。*.·゚✧.·。*.·゚♡ͯ·今日4月21日は、ユッコちゃんが竹内まりやさん作詞・作曲のシングル「ファースト・デイト」で、歌手デビューして40周年記念日🎉ユッコちゃんおめでとう🎊竹内まりやさん、多くの名曲を作詞・作曲して下さりありがとうございます(*^^*)ユッコちゃんの素敵な人柄、笑顔、歌声永遠に憧れであり、尊敬しています🎶(,,>᎑<,,)♡✨これからも永遠に憧れでいさせてくださいね(*ᴗ
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ふと目にした、小さな訃報。その名前は、再びわたしを53歳の冬から18歳の夏に引き戻したのでした。「大学受験ラジオ講座」の英語講師だった、御園和夫先生。昨年暮れに、80歳にして不慮の事故で世を去られたとのこと。心からお悔やみ申し上げます。ーーーーーーーーーーーーー北関東の高校を卒業した年の夏、三年間一度も口をきいたことがな