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岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
岡田有希子さん、お誕生日おめでとうございますぅぅ!🎂🎉コンサート「ハートにキッス」のひとコマ。雑誌記事より。同じ「ハートにキッス」の記事より。お得意のアッカンベーが炸裂こちらも同記事から。コール虎の巻です。私もこれ見ながらファースト・デイトをかけてコールやっちゃいました。3回も(笑)さすがに家で大声は張れませんでしたが今度車の中でやってみるかな♪楽しい思い出がいっぱいの堀越の修学旅行。なに食べてるのかな?とうきびに見えるんだけど🤔ちなみに北海道のほとんどの地域ではとうもろこ
ハッピー傘診断っていうのをやってみたら、出ました。むらさき。「秘めた才能が輝く予感!ひらめいたことを試してみよう」もはや秘めた才能なんて輝く予感もないです。あっ、でもひらめきっていうか単なる衝動買いなのですが・・・先日、ダイソーでおもちゃのドラムセットを買いました。何だか面白そうと思ったので…。さて、果たして秘めた才能が輝くでしょうか?おいらはドラマー(嵐を呼ぶオバハン)になれるでしょうか?まだ開封していないのでまずは組み立てなくてはなりませんねピンクの傘とレインブーツが可愛い
不定期に皆様のお耳汚しにお送りしている下手っぴバンブラですが、このところ停滞気味でございます・・・現在作成中の曲は、岡田有希子さんの2ndアルバム「FAIRY」の収録曲、『ストライプのジェラシー』です。次の投稿に備えるべく、鋭意制作中!と言いたいところなのですが、全く捗っていません(;´д`)どうも最近は楽譜の小さい文字や音符を見ていると目が疲れやすくて〜(言い訳)そして、これまでにも何度かあった事ですが、あまりにも凝り過ぎてしまう時があるのです。細かいところを出来る限り表現しようなどと
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
今も雑誌を開けば逢える岡田有希子さんのはじけるような笑顔や、ふとした表情。40年も前から彼女のこんな表情に魅了されてきた人が数多くいる訳で、私も遅ればせながら魅入られてしまった一人であります。そこで今回は、ユッコさん他界後の追悼特集(一部)を載せたいと思います。「Beppin(ベッピン)」1986年6月号より。ページ右下にユッコファンの方が書かれた詩が掲載されているのですが、皆さんにも読んで頂けたらいいなと思いブログで取り上げた次第です。−−−−−−−−−−−キミの流した涙と僕達の流
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・前から欲しかった、ユッコちゃんの写真集「岡田有希子special」を買いました🥰今から40年前の写真集です(,,>᎑<,,)♡中古なので、表紙の端に線がありますが中の写真と記事は綺麗です手元に有るだけで満足♥️☺️デビューして3ヶ月の頃に発売したので、ユッコちゃんの魅力を多くの人に知ってもらいたくてかな?(*^^*)数々の写真、ご家族の事、故郷の事など見どころ満載です
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。久しぶりにいつものコースを走りました。家を出たのは午前8時前。しまった、出遅れた。もう陽が高くて暑いのもキツイけど、ルート途中にある高校の通学ピークと被っちゃうなあ。…と思ったのだけど路上に生徒たちの姿はなく、そこでいまは夏休み中だと気付きました。ユッコこと岡田有希子さんの母・佐藤孝子さんは、娘・佳代さんの高校1年の夏休みをこのように
皆さんこんにちは。私の住む北海道にも、ユッコゆかりの地はあちこちにあるんですが、そのなかでもやっぱり一番は、ユッコの修学旅行ではないでしょうか。当時、堀越高校の3年生だったユッコは、1985年の6月5日から修学旅行で北海道を訪れていました。修学旅行は1週間の予定でしたが、ユッコはスイスでのビデオ撮影のお仕事があるため、最後まで参加出来なかったそうです。でも、修学旅行の写真を見ると、ユッコはどの写真も本当にいい笑顔で写っています。学校に行く暇もないくらい忙しかっ
リブログさせていただきます。アイドル#岡田有希子の37回目の命日です。12時15分、四谷四丁目交差点で黙祷してきました。毎年、4月8日に必ずこの場所へ来て手を合わせています。今年も大勢の方がいらっしゃっていました。岡田有希子さんの魂が安らかでありますように。アイドルというジャンルがよきものでありますように…pic.twitter.com/P0mRygdG8p—中森明夫☆新作小説「TRY48」(@a_i_jp)April8,2023『くちびるネットワーク』岡田有希
2024年4月8日。この日はユッコこと岡田有希子さんがいなくなってから、38年目の命日でした。そしてわたしは初めて、当日の四谷四丁目交差点に向かいました。『#276巡る日の心に咲くは君が花』4月8日。あなたのファンになってから、この日が近づくたびに心が騒ぎます。昼下がりの空の色は、あの日あなたが見ていた空と同じでしょうか。『#94YUKIKO…ameblo.jpここに毎年、ファンの方々が集い彼女を偲んでいることは知っていました。だけどわたしはこれまで、命日に訪れたことは
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。来月、わが子が英語の短期留学に行くことになった。初めてひとり海を渡るわが子に、もしもに備えてカードを持たせたいとツレさんがいう。キャッシュカードと異なり銀行口座から即時引き落とし、未成年も使えるデビットカード。超がつく円安のいま、海外の物価高を思うと本当に滅入ってしまう。だけどわたしには若い頃から貯めてきた、虎の子の外貨預金があった
ひと月ぐらい前に初めて入ってみた某リサイクルショップで出逢いました・・ユッコ!(TДT)こっ、これはまぎれもなくリンナイのユッコ…結構大きい箱なのね。小柄なユッコさんならスポッと入れそうだ・・・・・もしかして中には本当にユッコさんがいるのか?実は38年前からずっと“かくれんぼ”が続いているのか?またしても妄想モードに入るアタシ。あるいはマジシャンに生まれ変わって、この箱から大脱出が始まる?じゃ~ん!!てな感じでこれはプリンセス・テンコーならぬ、イリュージョニストプリ
1986年4月4日。岡田有希子さんが生前最後のテレビ番組(収録)に出演された日です。2年ぶりにブログに取り上げます。ブログを始めてから2021年、2022年と4月4日の日付に合わせて投稿をしていましたが、昨年は飛ばしてしまいました。もちろん忘れていたわけではなかったのですが、今思えばその史実に少し目を背けてしまったというか、避けたような気がします。というのも、ファンになって以降は気持ちが入りすぎるとやや情緒不安定といいますか(表現がちょっと大げさですが)、心が揺さぶられザワザワするような
1984年の9月5日は岡田有希子さんの記念すべきファーストアルバム「シンデレラ」の発売日でした。38年前の事になります。もう2日経ってしまいましたが、私も遅ればせながら祝意を表したいと思います。このアルバムについては、これまでにも何度か書かせて頂いていますので特別真新しい話も出てこなくて恐縮です。昨日、仕事の行き帰りの車の中でしっかり聴きましたよ何度聴いても瑞々しくて耳に心地よい歌声に癒されるばかりです。初めてのアルバムレコーディングはきっと緊張したと思うけど、念願の歌手になれた喜びを噛
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。少し前に、オンラインでスマホを買い替えたことを書いた。実は2020年春に購入した2台のiPhone7のうち片方は、わが子の都合でその後もしばらく使っていた。今月ようやく買い替えることになったけど、前の経験もあるし今度は楽勝だ!と思っていたのに。apple.comには、iPhone購入時の下取りサービスがある。SE(第3世代)を再度
岡田有希子さん9枚目のニューシングルとして1986年5月14日発売予定だった『花のイマージュ』。この日からもう少しで37年になります。予定通りリリースされる事はありませんでしたので、「幻のシングル」などとも言われています。花のイマージュについては、これまでにも何度かブログに書かせて頂いていますので、今回は(私が勝手につけた)共通のキーワードを用い、少し趣旨を変えた話題でいってみようと思います。そのキーワードとは…「お蔵入り」。花のイマージュに関しては、1999年に発売された「メモリアル
今日のユッコレは、自分の中では「珍品」と位置付けているこちらをご紹介します。ファンクラブ会員向けの「岡田有希子ナマ写真申し込み書」です。会員に発送されるファンクラブ会報に同封されていたもので、第1回〜第7回まで行われたようです。私が所有しているのは、第6回と第7回の2枚になります。1枚を大きく写してみました。一組5枚セットでAタイプ・Bタイプがあり、希望の写真と住所・氏名等の必要事項を記入し緑色の部分を切り取って封筒状にして写真代金を添えて送ると、写真をこの封筒に入れてファンの元に返送さ
1983年8月25日。芸能界デビューに向けて東京へ旅立った日。夢が叶い邁進への一歩を踏み出した日。16歳の誕生日を迎えた3日後、ユッコさんは家族や友人達に見送られ、東京行きの新幹線に乗り込みました。「愛をください」の中のお母さんの手記には、出発当日の様子や東京へ着いてから電話や手紙が来たことが書かれていますので、一部抜粋させて頂きます。8月25日、佳代は東京へ旅立ちました。私、主人、祖父母に別れを告げるとき、佳代はやはり、少し寂しそうに見えました。「一学期に一度でいいから、手紙たのむ
月刊明星1985年12月号の記事より。結構自分の胸に刺さる記事で、時々読み返してしまいます。これまでにはちょっとなかった大人っぽい雰囲気の写真、そしてどこか文学的で洒落た本文。と同時に、当時のユッコさんの揺れ動いている心境がうかがえる事もできるのです。以前にも写真だけを載せたこともあったのですが、今回全ページ、全文を抜粋させて頂きました。北ホテルにて・・・岡田有希子日常に忙殺されることは、無意味ではない。なぜなら、ホテルの小部屋で空想に戯れる時を、より高価で貴重なものにするから。有
健康のために意識してることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあー、今日は体調悪くて仕事休んでしまいました。朝起きたら、なんかフワフワしてて立ち上がったらよろける始末。おまけに少し気持ち悪い。普段から血圧の薬を飲んでいるのですが、今日は自分にとっては血圧がいつもより低め。薬が効きすぎているのかしら?そんなこんなで、今日は休養に徹しようと横になりしばらくは皆さんのブログを見ていたのですが、何となく目の焦点が合わない感じだったので目をつぶって岡田有希子嬢の曲を聴く
5月の最終日に駅までの道すがら今年も「5月の金平糖」を見ることができた。お菓子の金平糖ではなく遅咲きの紫陽花だ。遅咲きの花には何故かエールを送りたくなる。何年ぶりかで渋谷から井の頭線に乗車した。明大前駅に近づくにつれて車内から線路際に咲く紫陽花を堪能できた。まだまだ満開には程遠いけれと・・・帰宅すると編集者の方から書籍か届いていた。付箋が貼られている心遣いが有り難い。記念すべき岡田有希子デビュー40周年イヤーに元同事務所にいた人間として筆者にしかできないスペシャル企画の準
今日は、4月21日。岡田有希子さんがデビューして40年を迎えました。しかしひと口に40年と言っても、色々と振り返ってみるとやはりとてつもない年月が流れたなあと感じます。いい歳になってからユッコさんにハマり、日々こうしてメロメロブログ(笑)を書いているなんて彼女がデビューした当時は想像すらしてなかったですよ。でも、どうしてもいつも思ってしまう事。リアルタイムで彼女を感じてみたかった。リアルタイムで彼女を応援してみたかった。あんなにキラキラしていたユッコさんに当時気付かなかったのは本当
ヤンヤン歌うスタジオとは、テレビ東京で1977年から1987年の10年間にわたり放送されていた音楽バラエティ番組である。アイドル歌手がコントに出たり、楽屋でのトークなども放送されていた。ユッコこと岡田有希子は、歌手として正式にデビューする前に番組内のドラマに端役で出演し、それがテレビでの初仕事となった。デビュー後もよく出演していたようで、コントに出た時の動画も残っている。そんな縁のある番組なだけに、ユッコが亡くなってすぐ、追悼という形で特番が組まれたようだ。これがそのオープニング画
1980年代。「ユッコ」と呼ばれて親しまれたアイドルがいた。岡田有希子。本名佐藤佳代。1967年の8月に生まれて、1986年の4月に自ら命を絶った。18歳と7ヶ月と十数日の短い一生。しかし、ユッコは生前「細く長い人生じゃなくてもいい。短い人生でもいいから、自分の思うことをしたい」と母親に言ったそうだ。歌手としてデビューする前から彼女は絵を描くだけでなく、ものを書くのも好きだったらしい。デビュー後も、毎日ではないが、当時流行っていた丸文字で日記を書いたり時には走り書き
恋愛経験が皆無に等しく、男性とのお付き合いもした事がないという話をしていた18歳間近のユッコさん。さらにはもっと際どい発言もあって良くも悪くも昭和のおおらかさを感じずにはいられません(苦笑)好きな人ができて、追いかけても相手がいざ振り向いてくれると冷めてしまうのだそうで…つかみどころのない子だな(笑)ユッコファンなら知らない方はたぶんいないであろうユッコさんの「年上好み」。常々最低でも10歳以上年が離れていて、優しくて包容力がある人が好きだと話しています。今だったら「おじ専」とか「老け専
昭和の水着美人(#^.^#)山口百恵さん風吹ジュンさん松田聖子さん岡田有希子さん寺尾友美さん新垣結衣さん中山美穂さん斉藤由貴さん森尾由美さん河合奈保子さん松本伊代さん青木優子さん木之内みどりさんアグネスチャンさん田村英里子さん伊藤美紀さんいとうまい子さん森尾由美さん三原じゅん子さん山口百恵/いい日旅立ちYouTube从*´ヮ`)ノ◇☆。:゜◎::O
一昨年の4月、時間が出来た日に自転車で、1984年〜4年間住んでいたマンションの付近を通りかかった。34年の時が過ぎて当時のマンションは建て替えられて新しい建物になっていた。1984年...筆者が引越して来てから程なくしてユッコちゃん(岡田有希子)がデビューして事務所や当時はまだ河田町にあったフジテレビ等でユッコちゃんとも顔を合わせていた。武藤義氏とも長電話していた時代だったのだ。photoby武藤義夜のヒットスタジオでの通訳パトリック氏と外タレさんの撮影で、疋
ユッコファンになって彼女の事を色々調べるようになり、生い立ちやエピソードなど様々な事を知っていくにつれて、色んな思いや感情がこんこんと湧き上がってくるようになりました。不快に思う方もいるかも知れませんが、ユッコさんを語る上であの悲しい出来事はやはり外す事ができないので書かせていただきます。岡田有希子本名佐藤佳代1967(昭和42)年8月22日生まれ1986(昭和61)年4月8日逝去享年満18歳これは私の勝手な推測なのだが、自殺未遂の時点では、彼女は本気で死ぬつもりはなかったので