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5月の最終日に駅までの道すがら今年も「5月の金平糖」を見ることができた。お菓子の金平糖ではなく遅咲きの紫陽花だ。遅咲きの花には何故かエールを送りたくなる。何年ぶりかで渋谷から井の頭線に乗車した。明大前駅に近づくにつれて車内から線路際に咲く紫陽花を堪能できた。まだまだ満開には程遠いけれと・・・帰宅すると編集者の方から書籍か届いていた。付箋が貼られている心遣いが有り難い。記念すべき岡田有希子デビュー40周年イヤーに元同事務所にいた人間として筆者にしかできないスペシャル企画の準
今回は5ヶ月ぶりの麗しのユッコをお送りしたいと思います。これまで24回もやってきて、長いこと間を置いてしまうと何だか出てきちゃうんですよ。何が出てくるのかというと、禁断症状が(笑)ここしばらくユッコさんのグラビアと戯れていなかったから、見たいという欲望がどうにもとまらなくなった訳です。そんなこんなでまたペタペタと貼り付けましたので、よろしかったらお付き合い頂けたら幸いです。ユッコさん、どこにいるか探してみてね。1986年度、かぁ…当然ながら事務所は新しい子を次々取るよね。「事務所を背
1980年代アイドル全盛時代、数多くの歌番組がありました。生放送の番組も多く、生ならではのハプニングもいろいろありました。その中で印象に残っているハプニングのひとつが、ザ・トップテンで堀ちえみさんが『稲妻パラダイス』歌唱中に靴をふっ飛ばしてしまった事ですね。これはリアルタイムで観ていて、よく覚えています。正確な日にちはわからないけど、1984年の5~6月頃でしょうか?ちなみにレコード発売日は1984年4月21日。ユッコさんのデビュー曲『ファースト・デイト』の発売日と同じ日だったのですね。
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
2024年4月8日。この日はユッコこと岡田有希子さんがいなくなってから、38年目の命日でした。そしてわたしは初めて、当日の四谷四丁目交差点に向かいました。『#276巡る日の心に咲くは君が花』4月8日。あなたのファンになってから、この日が近づくたびに心が騒ぎます。昼下がりの空の色は、あの日あなたが見ていた空と同じでしょうか。『#94YUKIKO…ameblo.jpここに毎年、ファンの方々が集い彼女を偲んでいることは知っていました。だけどわたしはこれまで、命日に訪れたことは
私、ふと思った事が有るそれは私はお酒も飲まないし煙草も吸わないだから気が紛れることが出来ないと思いましたお酒を飲める人だったら少しは違ってたのかもしれないと思った。この連休初めて出掛けてみたえっちゃんのお花を買いにこのお花はホームセンターで買いましたこのホームセンターの近くに川崎大師があるんです生前えっちゃんが「私(えっちゃん)が元気なったら川崎大師に行きたい」と言っていたのを思い出したので行ってみることにしました。この川崎大師には初詣でよく
あなたにとって天使のような存在はだれ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういやん(*´ェ`*)ポッそれ、2年連続で言わす気?(実は言いたくて仕方ない)そりゃ、もう岡田有希子さんでございますよ。それなりに長く生きていますが、これほどまでに純真無垢な方に出逢った事はありませんでした。あっという間に彼女の魅力に惹き込まれて、今や忘れられない存在となりました。ここに書くのはたぶん初めてだと思うのですが…私のブログネーム「angelyuki18」はユッコさんに由来し
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ユッコこと岡田有希子(本名・佐藤佳代)さんの母・孝子さんの手記には、幼かった娘のこんなエピソードが綴られていました。二歳何カ月ごろのことです。主人が日曜日にどこかへ連れて行ってやろうと約束をしていて(中略)急に取り止めにしたことがありました。さぁ、そうなると佳代はもう、ものすごくやんちゃを言う。「約束したんだから連れてって」と言って、
ユッコさんって何だか不思議な子だな。ユッコスマイルと言われた可憐な笑顔と相反する物憂げで寂しげな表情。この二つが渾然一体となり、ユッコさん独特の魅力を醸し出す。そんなところが今も昔も皆の心を捉える秘密なのかなと思ったりするのです。この若さで「憂い」とか「寂しさ」が似合う人も珍しいと思います。ユッコさんの持つ繊細さや鋭敏な感受性が自ずと外見にも滲み出てくるのでしょう。表情と言えば、ユッコさんはくちびるNetworkを歌う頃から表情が暗くなったとか、顔つきが変わったなどと言われていますが、表
何か毎月のように同じ事を言っているような気がしますが・・・↓↓↓早くも6月ですね。1年の折り返し地点に突入です。思えば5月は自分にとってより一層速いスピードで過ぎ去ったような気がします。ブログ投稿もあまりしなかったな〜っと思い、投稿数を確認すると・・!6件!!ろくけん・・・ロッケン・・・ロッケンロール!とまあ、オバハンジョークもまったく冴えない訳です。いやはや、5月の投稿は少なかったという実感というか自覚はあったものの、ここまでとは。と同時に、ひと月6件は自分史上最低の
5月は、全く時間が取れず行けなくてずっと気になっていた写真家時代の師匠武藤義氏のお墓参りに行ってきました。お天気に恵まれて良かったけれど…「3週間遅れで申し訳ありません🙏」とお参りしていると爽やかな風が吹いてきました。1980年に聖子さん(松田聖子)と同期入社で、事務所に入る時には、集英社明星カメラマン林秀次郎氏が、師匠的存在だった筆者だったが、林氏は、紙媒体カメラマンとして何人もの歌手を担当されてあちこち撮影で飛び回ってらした為半ば独学で事務所所属のタレントさんの撮
日常で役立つ哲学の教えは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこの歳になってからでも、アイドルを好きになるということ。そして、その対象のアイドルから癒やしや日々の活力、さらには妄想する力を享受しているということ。byangelyuki18岡田有希子嬢
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
う〜ん、まだまだスゴいのが出てきますねえ・・・岡田有希子さんの『恋のエチュード』、生歌唱のラジオでの音源は拝聴した事ありますが、まさか生歌唱の映像もあったとは!岡田有希子恋のエチュードLive1986年3月8日youtu.beしかしながら、この映像に関しては色々と謎。(個人の感想です)まず場所がホテルの会場っぽいですね。何かのイベントでしょうか?テロップが入っているのでテレビ放送があったのでしょうか?「岡田有希子(キャニオン)」と名前のあとにレコード会社名が入っているのはレコード
岡田有希子さんが18歳で亡くなった時、私は17歳。高校3年生でした。当時特にファンではなかった私にとっても、人気の高かった現役アイドルの死という前代未聞の事態に衝撃を受けました。私の手元に、一冊の週刊誌があります。事件後に発売されたフォーカス1986年4月18日号です。ユッコさんの死後、このフォーカスを含め何度か週刊誌を購入して読んでいた記憶がありますが、読んだ後はすべて処分してしまっています。しかし、このフォーカスだけはどうしても捨てる気になれず、35年たった今も保管しています。ご存
1986年4月5日・東京、1986年4月6日・名古屋において岡田有希子さんのコンサート『HeartJack』が開催されました。結果的に最後のコンサートとなってしまいましたが、当時参加された方はきっと心に深く刻み込まれていることと思います。HeartJackのコンサートパンフレットです。私が唯一所有しているユッコさんのコンサートパンフになります。ぐんと大人っぽくなったユッコさんの写真がふんだんに掲載されていて、まるで写真集でも見ているような気分になります。ほんの一部ですが載せておきます
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。その日は女子校ならではの、華道の授業があったらしい。大きな生け花の束を抱えて下校したわが子は、駅でひとりの外国人男性に声をかけられた。「Hello!」…インバウンドな人がなにか困っているようだ、いよいよ英検準二級の実力を試す日が来た!と思ったという。でもすぐに、その人は日本語OKなのだと悟った…その言葉は「Hello!」でも「Pa
風街散歩愛を知る県⑥数年前から一度はお墓参り訪問したいと思っていました岡田有希子さん(1967年8月22日-1986年4月8日)生存していたらこの8月で49歳を迎えていました日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤佳代(さとうかよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm。愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひ
先日、武藤義氏撮影の松田聖子、岡田有希子レコードジャケットのエピソードブログを寄稿したが、武藤氏といえば、筆者が写真家になる前から桜田淳子、岩崎宏美、ピンク・レディーのレコードジャケットを撮影しておられたのだ。70年代のトップアイドルだったピンク・レディーは、ハードスケジュールで楽屋やテレビ局の廊下で、僅か20分ほどで撮影したりが、ザラだったという。スタジオ撮影の場合に構図が、シングルジャケットに適している場合は、ボードの色を変えたりして
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
7/31投稿記事の続きです。先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。(詳細な内容は割愛します)淡谷先生、懐かしい。1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演され
今日のユッコレは、自分の中では「珍品」と位置付けているこちらをご紹介します。ファンクラブ会員向けの「岡田有希子ナマ写真申し込み書」です。会員に発送されるファンクラブ会報に同封されていたもので、第1回〜第7回まで行われたようです。私が所有しているのは、第6回と第7回の2枚になります。1枚を大きく写してみました。一組5枚セットでAタイプ・Bタイプがあり、希望の写真と住所・氏名等の必要事項を記入し緑色の部分を切り取って封筒状にして写真代金を添えて送ると、写真をこの封筒に入れてファンの元に返送さ
健康のために意識してることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあー、今日は体調悪くて仕事休んでしまいました。朝起きたら、なんかフワフワしてて立ち上がったらよろける始末。おまけに少し気持ち悪い。普段から血圧の薬を飲んでいるのですが、今日は自分にとっては血圧がいつもより低め。薬が効きすぎているのかしら?そんなこんなで、今日は休養に徹しようと横になりしばらくは皆さんのブログを見ていたのですが、何となく目の焦点が合わない感じだったので目をつぶって岡田有希子嬢の曲を聴く
デビュー以来、ユッコスマイルと呼ばれた笑顔でファンを魅了したユッコさんですが、ある時期からそんな笑顔も徐々に消えて来たなんて言われていますね。確かに動画なんかを見ても「哀しい予感」あたりから少し変わってきたなって感じがします。もちろんこの曲はニコニコしながら歌う曲ではないのですが、それを差し引いても影を感じるようになったなって思うのです。その頃と前後して、雑誌に「最近、情緒不安定気味の有希子としては今すっごく寂しいって感じる時があるの一人で居ると気が狂うんじゃないかって思って泣いちゃった
2008年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんが23日に死去したとのニュースを先ほど見ました。益川さんは、名古屋市立向陽高校の出身で、ユッコさんの先輩にあたります。今朝、たまたまユッコさんと向陽高校の話を書きましたが、そこからの益川さんの訃報…。ご冥福をお祈り申し上げます。※益川さんの茶目っ気たっぷりの写真を載せてみました。
私がユッコファンになって間もなく、有希子さんの情報をむさぼるようにネット検索をしていた時に見つけました。当時のレコーディングディレクターの方のインタビュー記事です。有希子さんの気質や仕事に対する姿勢、そして才能を改めて感じさせるお話をされています。興味のある方はぜひ一読してみて下さい。https://mora.jp/topics/interview/takumi08/「匠の記憶」第8回岡田有希子担当ディレクター国吉美織さん||moraトピックス「太く短い」人生を地で行った
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようハワイと聞けば、昭和中期の日本人の憧れの地とも言えますね。貴重映像お借りします!あこがれのハワイ航路/岡晴夫(本人ステージ)この曲が当時ヒットしたため、同名の映画まで作られましたが、その映画では当時は占領下で外国のハワイはおろか、外国航路も占領軍から認められておらず、そのため、その映画では「横浜を出港する外航船」ということにして、港で舷側から手を振って、テープを切っているのが映画のシーンで終わりでした。youtu.be「トリスを
【花のイマージュ】…花のイマージュは、岡田有希子さんの9枚目シングル曲で、1986年5月14日にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からリリースされる予定であった。レコーディングも、ジャケット撮影も完了しており、1986年5月14日発売と予定もされていたが、約一か月前に4月8日、四ツ谷にあるサンミュージック事務所の屋上から投身自〇したとされ、発売を余儀なくされた。初オンエアは、岡田有希子さんが亡くなる前日に、ニッポン放送のラジオ番組『有希子・章子・麻里の夜遊びしナイト!』1986年
XJAPANのhideさんが亡くなって26年が経ちました。当時ニュースで知って、信じられないという気持ちでいっぱいでした。後追い自殺をしたファンが多くいたことでもショッキングな出来事であり、その12年前に起きた岡田有希子ちゃんの悲劇とどうしても重なってしまうのです。ご存知のとおり、hideさんの死因についても有希子ちゃんと同様、自殺であることが既成事実となっています。が、首を引っ張るような運動だったのを、誤って吊った状態になったことで起きた事故死だったのでは?といった見方も多くあり、h