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坂本龍一さんの訃報が入ってから今日で2日になります。世界的に有名な坂本さんでありますが、岡田有希子さんにシングル・アルバム合わせて3曲提供して頂いた方でもあります。『くちびるNetwork』が発表された当時、アイドル歌手に曲を書くというイメージが全然なかったので、とても意外に思ったものです。アルバム「ヴィーナス誕生」では、『WONDERTRIPLOVER』と『眠れぬ夜のAQUARIUS』の作曲を手掛けています。坂本さんを偲ぶ意味も込めまして、『WONDERTRIPLOVER』をバ
【最後のコンサート・ハートジャック】…Springツアー86'『HeartJack』は、全国を巡るコンサート予定だった。4月5日(土)は東京渋谷公会堂(2回)、亡くなる2日前、4月6日(日)に故郷・名古屋市民会館(1回)でのコンサートが最後のステージとなる。『HeartJack』ツアーは、東京・名古屋・豊橋・鶴岡・大阪の全5都市公演予定で、4/5(土)渋谷公会堂(2回)・4/6(日)名古屋市民会館(1回)の計3回公演で中止となりました。ライブ映像の商品化にあたっては、当時のどのアーティ
昨日「スッキリ」に松本伊代さんが出てたー。センチメンタル・ジャーニーを熱唱。(あと新曲も)♪伊代はまだ16だから〜永遠の16歳最近CDを出されたみたいで、歌手活動を精力的にされてるようですね。当時見ていた80年代アイドルが現在も活躍しているのは嬉しい限りです。バリバリアイドル時代の伊代ちゃん。懐かしいです。中3の時に伊代さんのコンサートを観に行きました。半券をいまだ大事に保管地元(田舎)のホールで行われ、友達と一緒に行きました。物販で伊代ちゃんグッズを買ったら握手ができるという
う〜ん、まだまだスゴいのが出てきますねえ・・・岡田有希子さんの『恋のエチュード』、生歌唱のラジオでの音源は拝聴した事ありますが、まさか生歌唱の映像もあったとは!岡田有希子恋のエチュードLive1986年3月8日youtu.beしかしながら、この映像に関しては色々と謎。(個人の感想です)まず場所がホテルの会場っぽいですね。何かのイベントでしょうか?テロップが入っているのでテレビ放送があったのでしょうか?「岡田有希子(キャニオン)」と名前のあとにレコード会社名が入っているのはレコード
ユッコフレンズの皆さん、こんばんは。前回のブログでご紹介をした「#ユッコ美術部」ですが、Xでユッコファンの皆さまから多くの作品の出展がありました。『新企画!「ユッコ部活動」始動!!』ユッコフレンズの皆さま、こんばんは。岡田有希子さんのデビュー40周年の記念日まであと2ヶ月となりました。皆さまはこの日のために何をされるのかもうお考えでしょう…ameblo.jp好評につき、来月の岡田有希子さんのデビュー40周年記念日にXでユッコ美術部のポスト会を企画しました。題して「ユッコ
4月8日、今年も岡田有希子ちゃんの命日を迎えました。私のブログも今日でちょうど開設して1年です。あっという間に2年目に入りました。あの悲劇から36年。今も生きていてくれたなら、と思わずにいられません。命日だからこそ、この曲で有希子ちゃんを追悼します。何度も載せますが、スピッツのアイドル(4・8)を聴きながら有希子ちゃんの写真を見つめたいです。【歌詞】臆病者の僕にしか理解できないことがある写真の中の君が言う「僕は僕でしかない」秘めたあの場所にここに来ている毛布の中にくるまってる
かつてある雑誌のインタビューで岡田有希子さんが「アイドルという存在」について語っていました。大好きな河合奈保子さんの名前を出しながら繰り広げる話はユッコさん流の“アイドル論”とも言えるのではないでしょうか。その部分を抜粋しました。「写真を見て“ニタッ“とするんですけどね」のくだりに現在の自分はものすごく共感できます。アイドルに関心があった中高生の頃は「広く、浅く」興味を持ち続けていました。そのうちアイドルへの関心もかなり薄れ、30年以上眠っていたオバさんが突然ひとりのア
恋愛経験が皆無に等しく、男性とのお付き合いもした事がないという話をしていた18歳間近のユッコさん。さらにはもっと際どい発言もあって良くも悪くも昭和のおおらかさを感じずにはいられません(苦笑)好きな人ができて、追いかけても相手がいざ振り向いてくれると冷めてしまうのだそうで…つかみどころのない子だな(笑)ユッコファンなら知らない方はたぶんいないであろうユッコさんの「年上好み」。常々最低でも10歳以上年が離れていて、優しくて包容力がある人が好きだと話しています。今だったら「おじ専」とか「老け専
今回は5ヶ月ぶりの麗しのユッコをお送りしたいと思います。これまで24回もやってきて、長いこと間を置いてしまうと何だか出てきちゃうんですよ。何が出てくるのかというと、禁断症状が(笑)ここしばらくユッコさんのグラビアと戯れていなかったから、見たいという欲望がどうにもとまらなくなった訳です。そんなこんなでまたペタペタと貼り付けましたので、よろしかったらお付き合い頂けたら幸いです。ユッコさん、どこにいるか探してみてね。1986年度、かぁ…当然ながら事務所は新しい子を次々取るよね。「事務所を背
今年の漢字に選ばれた「密」。密といえば岡田有希子さんのスケジュール。密というより過密だ。今回はユッコさんのスケジュールのお話を書きたくなりました。※私はまだまだ人間ができていないので、時折こうしたネガティブな話もしたくなります。でも、これらの事もユッコさんを弱らせてしまった一因と考えているため、この場を借りて私の思いをぶつけさせてもらってます。拙い文章ですがお付き合いいただける方は最後まで読んで頂けると幸いです※ユッコファンの方が作ったHPを見つけまして、(結構前のものですが今も残されて
★3月1日は中山美穂さんのお誕生日です。"愛称ミポリン"で親しまれ、1985年1月8日、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。1985年12月14日には、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』が劇場公開されて大ヒット。#世界中の誰よりきっとなどのヒット曲で知られるトップ80年代アイドルで、#アイドル四天王の1人にも名を連ねる、#中山美穂さんの54歳のお誕生日です。中山美穂さんお誕生日おめでとうございます。🎉🎂今回は、姉妹
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
何とかバス乗り場に到着!迷ったのではなく、駅に寄って土産をまた買っていました。そう、可愛い土産を買わないと!札幌のしぶちんに敬意を表すため、月寒あんぱんを買いました。う~ん、クロネコヤマトを使うには微妙!小分けの袋は5枚って訳です。4311円の浪費!そんなこんなで、無事に到着!ニッセイの前だったので、マリアに伝えました。マリアと北の大地の土産の交換会です。あっ、来ました。何と特等席でした。いや、左側の方が眺めはサイコーかな?コンセントはACタイプ!スマートフォンも引っ
桜の季節が終わり…ツツジの季節が終わり紫陽花の季節になる前に2月からずっと寝込んだままの旧友に代わり頼まれた賃貸物件を見つけて来てあげなければと頑張った。複数の病と闘う旧友は突然、別人格のように物事に激怒し筆者に対して暴言を浴びせる為何であれ安心を与えてあげねば筆者の身も保たなくなるのだ。その甲斐あって旧友が闘病する転居先は紫陽花が満開になる前に見つけるミッションは完了した。しかし喜びは筆者に皆無な現実。人に頼まれたことを人の為にすることは幼少期から得意でありそれ
38年前、まだLPレコードだった時代にサンプル盤で受け取っていたこのアルバムが、歴史的な名盤になるとは…正直思っていなかった。筆者の写真家時代の師匠であり悩み事も相談していた写真家武藤義氏撮影のこの素晴らしきジャケ写を見ながら良き昭和の歴史を繙こうと思う。令和のCDを聴きながら・・・確かに岡田有希子の歌唱力は、女性アイドルの中でも当時、群を抜いていたと思う。それは、デビュー前から古巣での岡田有希子を知る筆者とて忖度無しに言い切れるのだ。だからこそ完成度の高いサードアルバ
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮
✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️യꕤ𓂃𓈒𓏸𓋜.*✨️今回の投票は平成14年3月1日~3月31日までの1ヶ月間ポニーキャニオンのホームページ内で行われました。その結果1位に選ばれたのはデビュー曲の「ファースト・デイト」でした。彼女のオリジナル中でいちばん長い期間、皆さんと過ごした歌だからでしょう。(上記は歌詞カードの11ページに記載してあります)昨日、5月15日は「ALLSONGSREQUEST」が、発売から22年でしたね(2002.5.15日)新潟に住んで
7/31投稿記事の続きです。先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。(詳細な内容は割愛します)淡谷先生、懐かしい。1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演され