ブログ記事1,492件
ガンになってからよく言う言葉。「おまけの人生」まだ医療の発達していない時代だったら、ガンになっても治療もできず、寿命として亡くなっていたわけでしょ。わたしの場合40歳だね。運良く検診でガンが見つかり、転移はしていたけど小さなガンのうちに取り切れて、抗がん剤の副作用も乗り越え、今元気に暮らしている。わたしは今「おまけの人生」を生きている。だから欲張っちゃいけないし、傲慢になってもいけない。元々ワガママだからまた最近ちょっとそっち寄りになっていたから(夫に対してだけ)少し反省。生きてるだ
2024年2月22日術後7年たちました。最近では毎日常に不安になる事はありません。でも検診で採血結果やCTの結果を聞く時は不安になります。子宮頸がんの中でも稀な小細胞癌。リンパに転移もしていました。1センチのガンなのに5年生存率は50%だと言われました。ある日突然自分が死と隣り合わせになった告知された日の事はまだ鮮明に覚えています。告知された日から7年以上経ち、すごく老けました。老いることができるって幸せだなぁと、白髪やシミを見ながら平凡な毎日を過ごしています。アメブロで知り合
いつもの副作用期間より1日早く抜けてるような気がする。これが本調子かわからんけどかなり楽になってきた。水分いっぱい摂ったからかな。ただ、これまでよりダルくてキツかった印象。起き上がるのもきつくてずっと寝てたな。やっぱりクールを重ねるごとに副作用はキツくなってるのがよくわかる。後、前回から筋肉痛みたいに体が痛くなるのがまだ続いてる。やだやだ。珍しく私の真横で寛ぐ美しいマイケル。何見てんのかな。綺麗なお目々。私と一緒に寝倒してくれたくうちゃん。たまに感じるくうちゃんのぬくもりが
私は2ヶ月前に子宮頸がんの中でも予後の悪い「希少がん」を宣告されました。(小細胞がん&腺癌)なんで私がこんなハズレを引いたんだろうなんで一般的ながんじゃなかったんだろうなんで...なんで私が...と思ってしまう日々でした。宣告されたことを打ち明けた親族からも「子宮頸がんは治りやすいから!」と励ましてもらっても、いや、私のは違うんだよなぁ...と心の中でぼやいてましたでも!録画していたガイアの夜明けで、サービスエ
「思考は現実化する」というのは、アメリカの啓発作家ナポレオン・ヒルの著作で彼の座右の銘でもあります。初版発行は1937年でカーネギーが見込んだ500人の成功過程をインタビューして作られたベストセラー本としてとても有名ですから、ご存知の方は多いはず。難しい話は省略して、目標を明確に設定できる人は成功するという考え方だという認識でお話します。ビジネスの成功哲学で知らない人は少ないと思いますが、実際に私がお会いした成功している経営者やトップセールスの方たちに大いに当てはまります。彼らの共通点は「ネガ
手術してから抗がん剤治療をする間から始めたセルフケアは3つ・3.3kmジョギングとウォーキング(毎日交互)・丸山ワクチン(週3)・温熱器でセルフ温熱ジョギングとウォーキングだけはがんになる少し前から習慣化していました。丸山ワクチンと温熱器は、アメブロで知り合ったお友達から知りました。勧められたわけじゃなく、私が勝手にブログを読んで「2つともやってみたい!」と思い自分で選びました。丸山ワクチンについては近所でワクチ
放射線照射するも完全奏効には至らずしょんぼりするのはやめて、次のことを考えなければ今やっている化学療法はパクリタキセル、ノギテカン(本来はアバスチンもだけど諸事情で使用ナシ)こちらはもう11クール目が終了、期間でいうと8ヶ月目に突入こちらのレジメン、子宮頸がんの小細胞がんを対象とした場合、奏効期間の中央値が8.7ヶ月チキンレースに入ってきたあ今のところ幸いにも遠隔転移せずに経過しているのだけれども、次の画像検査までに増悪して、遠隔転移した状態で見つかるかもしれないこわすぎる根治の
夫は前立腺癌の中でも希な「小細胞癌」に罹患している。前立腺癌は、ほぼ「腺癌」に属するらしく「小細胞癌」は希なケースで標準治療のガイドラインはなく、小細胞肺癌と同じ治療をするとの事。治療の指針が無いというのも不安だけど、私達は治療を主治医におまかせするしかない。最善を尽くして治療に当たっていただいていると信頼し身を委ねているネットで検索すると余命は平均9.8か月、転移ありで7.3か月、転移なしでも13.2か月。こんな数字を見てしまうと、今は元気な夫で想像もつかないけど、
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。もうすぐ抗がん剤治療が始まりますが、がんになる前の自分を振り返っています。前回は仕事を振り返りました↓がんになるまでの仕事のやり方(馬車馬)今回は家族との関係を振り返ってみます。母との関係現在両親は離婚しているので、私の病気は別々に話す必要がありました。(みんな別々に住んでいます)母とは離婚後からは特に仲が悪くて、
はじめまして。これから、父の闘病のこと、家族の気持ちを忘れないように綴っていこうと思います。2023.9.27私は准看護師として、病院で働いています。夜勤の夕食の休憩中にケータイを見ると母から何度か着信がありました。この電話が全ての始まりです。母に電話を掛け直すと、「お父さんの再検査の結果悪かった。」と。どーいう事か聞いても言葉を濁します。「悪かったって、癌ってこと?」と聞くと「うん。」と。夜勤中の為、明日の朝仕事が終わったら連絡するように伝えました。父は毎年会社で負担して
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術と卵巣摘出とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。それからは体に色んな変化がありますが、最近ちょっと気になり出したのは体臭最初は手術してすぐだし、身体も色々ストレスかかるよね〜と軽く考えていましたが、最近やっぱりちょっと気になる。制汗剤を使えば問題ないですが、以前はしっかり毎日汗をかいていれば全然気になりませんでした。(特大級のストレ
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。もうすぐ抗がん剤治療が始まりますが、がんになる前の自分を振り返っています。仕事と両親の関係の振り返り↓がんになるまでの仕事のやり方(馬車馬)がんになるまでの両親との関係(不仲)とにかく文句多め完全リモートワークで家に引きこもって仕事をしていましたが、お客様に聞こえないのをいいことにとにかく声に出して文句言ってました。
3クール目4日目。また鉄火巻とカップラーメン食べたくなって買いに走った。副作用中はこれ食べたい!と思ったらこれしか食べたくないというワガママ胃袋。昨日はクリームシチューいっぱい作ってご飯と食べたので今日の夜はグラタンにするか、クリームシチュー&パンにするか迷い中。豚キムチ丼も食べたい。後スーパーでキウイが安くて買って正解。ちょうど良い酸味がスッキリ。副作用中はすごくすごく疲れやすくて、ちょっとの買い物もヒーヒー言うてる。階段とか地獄でしかない。これまでと違うのは、寝返りだけでク
昨日父から電話があって、丸山ワクチンのことを伝えました。・AとBを2日に1回打つこと・最低でも5年は続けることこれを聞いて「高額になる」と思った父は夜にLINEを送ってきました。「ワクチンの費用は全部出すからね。お金にのことは気にしないでどんな治療でも気の済むまで受けてね」これを読んだとき、お金というよりもそう言ってくれる気持ちが嬉しくて、自然と号泣していました。こんな風に親に言わせて申し訳ない気持ちにもなりますが、
1クール目の抗がん剤から1週間後の今日、血液検査に行ってきました。これによって抗がん剤に耐えられるか、今後も予定通りに進めていけるかが決まる大事な検査うぇ〜ドキドキするぅ...鉄分入りラブレも毎日飲んだ!しっかり食べた!便秘も改善した!丸山ワクチンも打った!しっかり寝た!やれることはやったぞ!血液検査の結果は...白血球2990Neu絶対数問題なし白血球は抗がん剤前は5240だったので、下がってはいるも
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を先月告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を受けました。このブログを読んでくれている方は、・すでにがんになった方・ご家族ががんになった方だと思うので、私の気持ちを残しておきます。私は30代前半に2つ自分でがん保険に入りました。1つは「がんと診断されたら100万円」いただけるもの。1つは「抗がん剤治療中は月額20万円」いただけるもの。たまたま通りがかった「ほけんの窓口」で
病気とようやく向き合って色々と自分なりに調べた結果、丸山ワクチンを試してみたいと強く思いました。私は主治医の先生を信頼しているからこそちゃんと伝えてからやりたかった。なので怖かったけど言いました。丸山ワクチンを試したいです先生は私と向き合って自分の意見を話してくれました。「もちろん丸山ワクチンは知っています。効果があるのかもしれない。でも本音を言えば、これから抗がん剤を始める時に不安材料を入れたくない。抗がん剤を6クール
子宮頸がんで小細胞がんと言うのはすごく珍しいらしく、バイオバンクとは別で病院の先生から「腫瘍をホルマリン漬けにして今後の研究に使わせて欲しい」と頼まれた。私は迷いもなく「ぜひ使ってください」と言った。国内例が少なくどの治療が適しているかも分からないため全摘出、抗がん剤、放射線治療をがんが消えるまで私は全てをやらなければいけない。私の腫瘍で良い研究結果が出れば、適してる治療が分かれば今後同じ病気になった人は全ての治療をしなくて済むかもしれないと思った。普通に学校に行って遊んでいた17歳の私
最近、というより夏頃からずっとなんですが…おりものの調子が安定しません。術後、同じ症状に悩まれてる方いらっしゃいますか?潤滑剤を使用している関係もあるかもしれませんが、性行為の際に白いおりものが出てきます何度も検査をしていますが、カンジダ陰性、大腸菌陰性(夏にはじめて検査したときは大腸菌陽性でこれが原因でした)、悪玉菌や善玉菌などもそこまでバランスは悪くない、とでます。性病のリスクはない?と先生にきかれ、彼との性行為しかないし、彼は問題なさそうですが…すると先生…『頚管がないか
私の血縁親族は祖父母が肺癌、姉が乳癌、私が子宮頸部小細胞癌、伯母が脳腫瘍でしたが、誰も抗がん剤をしてなかったことに、指摘を受けて気が付きました。祖母:治療不可、祖父:抗がん剤どころか治療拒否、姉:医師の見解で再発防止なし、伯母:治療辞退、私:治療辞退という状況です。自分が辞退した時は大きな声では言えないと思いましたが、親族の誰も抗がん剤治療を受けていませんでした。念のためお伝えすると、特定の思想とは一切関係ありません。そういうことを考えながら闘病日記を読み返した時、お客様のお父様がお医者
善本考香さんと杉浦貴之さんのトーク&ライブに行ってきました善本考香『なにがあっても大丈夫!!in東京』ご訪問ありがとうございます子宮頸がん1b2期から再発転移を繰り返し余命3ヶ月生存率0%から生還した月日を書き綴っています。カテゴリーから見てい…ameblo.jpまさに「涙あり笑いあり」のイベントで、率直な感想を書いていきたいと思います。杉浦貴之さんの歌で号泣しっぱなしトークの時は笑いありの中、治療法や生き方・メンタルを保つ方法などためになるお話だ
息子はてんかんの点滴で少し落ち着いたようだった。「お父さんは朝一の飛行機で行くから、それまでひとりで頑張って欲しい」と伝えた。頭のできものが良性のようだと、言われ、ひとまず安心はしたが、かなり大きい為、1日でも早く除去して欲しかった。夫は翌日13日昼頃到着、その後次の病院が決まるまで10日程息子のマンションから病院に通ってくれた。その間、息子の会社の人や友人達がひっきりなしにお見舞いに来てくれる。お見舞いの品も溜まる一方で、病院の看護師さんなどにお裾分けをさせていただいた。病院は地元の
リ・フラウメニの人は放射線被曝で、癌の発症率が高くなると言われています。長男は脳腫瘍摘出手術の後、放射線治療をしています。リ・フラウメニとわかったのは、遺伝子パネル検査をした後なので、わかるまでに半年程かかりました。その為、標準治療である放射線を60グレイも当てていました。次男の皮膚癌は2度の手術ですみ、放射線治療はなかったので、再発等をしなかったのではと考えています。また、夫が旅行好きだった為、幼少期に年1の海外旅行と国内旅行でかなり飛行機に乗って(多少の被曝がある)いました。主治医に
息子の元気だった頃ばかり思い出す。19才から病気で倒れる28才まで、他県で一人暮らし。大学の友人や会社の上司、同僚に恵まれ、実家には年に一度しか帰省して来なかった。経済や金融が大好きな息子は受験勉強もそこそこに高校時代からそんな本ばかり読んでいた。竹中平蔵先生が大好きで、竹中先生の大学を受験対策もせずに、新聞だけ読んで受験。当然不合格。でも補欠落ちだったのには驚いた。翌年、再度、先生の学部を受験。入学した。息子の大学は歴史があり、入学式や卒業式に私も出席できて嬉しかった。在学中も息子の大
がんが発覚する直前。趣味でバイクの増車を考えていたので、お目当てのバイクを色々見に行ってました。そんな中でのがん告知。あれよあれよという間に入院手術。そして抗がん剤。バイクのことなんか一気に吹き飛んでがん治療一色になってた2ヶ月間。でもね。やっぱりバイクに乗りたい。(しかも大型)術後すぐ先生に聞いたのは「いつからバイクに乗れますか?」でした。先生は驚きながらも「1ヶ月後に診察してから決めようね」と優しく言ってくれたので、それを目標に病院内をウロウロと歩き回り、
今はちょうど術後1ヶ月が経過して先生に「軽いジョギングならOK!」と言ってもらえました。走りながら涙が止まらない大雨が降ってましたが晴れてきたのでさっそく公園でジョギングしてきました。・1ヶ月前は術後すぐで意識が朦朧としていたこと・父と主人が涙ぐみながら駆け寄ってきたこと・主人が毎日お見舞いに来てくれたこと・管が入る身体でのお風呂は辛かったこと・病院でたまに夜1人で泣いていたこと・退院してすぐは500m歩いたら辛かったこと走っていると1ヶ月の出
4日目がないのは、病院側でコロナ対策で主治医の許可がない限りは面会が一切できないらしい。こんな時にもコロナで会えないとは。さて、5日目は朝から脳MRIから始まり、新たにCT撮影をしてとあらゆる検査を行い、18時に主治医から治療方針や診断結果の説明を受ける。妻の状態はすでに右目が閉じている状態。後で聞いたが、両頬に痺れがあり、右目の視野も二重に見えていたとか。何よりも辛かったのは、元気だった妻が少しずつ病に冒され目に見えて悪くなるのを見てることでした。本人も自分の命はここまでで死んでし
放射線の治療方針と準備のために来院。治療について説明を受けていると、始めて「小細胞癌」という単語を聞かされる。それは何ですかと尋ねると、「細かい説明と診断は婦人科の主治医からするよ」と言われる。治療はリニアック4週位(外部照射)とラルス4回(腔内照射)の組み合わせ。位置決めという作業(おなかにマジックで書くのです)を済ませたら、「採血終わりましたか?」と聞かれました。実は同じ日に3回、採血終わったかと尋ねられたので、どうして何回も聞かれるのか気味悪いなと思っていました。理由は後
昨日のブログの続きです。丸山ワクチンを試したいと伝えた時の主治医の反応主治医の先生にワクチンを試したいと伝えた↓抗がん剤が終わってからを推奨される↓どうしてもやってみたいと伝える↓再度抗がん剤が終わってからを推奨される↓やっぱりやってみたくて悩む(今ここ)丸山ワクチンを打ってくれる病院に相談するそもそも主治医の先生に相談する前に、近所のワクチンを打ってくれる病院を先に見つけていました(電話して確認済)というのも、主治医の先生がOKでも注射を打ってくれ
いや〜待った。いや、まだ待ってる。9時半に血液検査、10時半検診、11時半骨密度検査の予定が、9時半血液検査、12時検診、骨密度検査を今待っているところ(12時52分)◾️NSE8.8(上限値16.3)◾️CEA0.7(上限値5)今回も無事クリア。次回は来年5月にCTです。3回連続アレルギー反応が出たので次回から単純CTになりました。そして今回、新しい主治医の初めての検診。丁寧で良さそうな先生。まぁだから待ち時間長いのかな?13時20分ごろ、会計や次回のCTの予約確認を終