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※※※このブログは2021年4月〜6月の振り返りの妊娠記録になります。※※※この先の話は、NIPT(出生前診断)や人工死産(中期中絶)等の話題を含み、非常にセンシティブなことを書いています。ご留意ください。また、不快に思われる方は閲覧をお控えくださるようお願いいたします。画像はさみます↓【火葬の日の記録】人工死産をした日から3日後が、火葬の日でした。前日に、夫と二人でお花を買いに行きました。紫陽花とトルコキキョウ。夫と二人で、わが子に名前をつけたのてすが、紫陽花にゆか
※注意※妊娠6ヶ月で中期中絶という選択をしました。その記録となります。どうしてブログに記録するのか不安·不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、これ以下についてはご自身で、読み進めるかのご判断をして頂ければと思います。入院2日目の続きです。22:00少し前急に、お尻から出てくる感覚が来ました。丁度助産師さんがおらず、ナースコールを押したら何人かがすぐやって来ました。
こんばんはあれからどうやって病院を出たのか…手元にはかまちょんの診断結果と中絶の資料。それを見たらこれが現実なんだと突きつけられた。結局その場では中絶をいつするか決められなくて保留にしました。頭ではもう選択肢がないことはわかってるのに考えたくなくて、帰り道は2人共無言でした。次の日も仕事でしたが、凡そ行ける状態ではなかったのと上司が非常に心配してくれていたので、会社に連絡をしました。つらくて認めたくなくて、禄に説明もできず、泣きながら支離滅裂な話になってしまいました。でも、上司は無
はじめまして30代OLのりぃと申します。40代旦那のぷーさんとの年の差夫婦です不妊治療を始めて2年目現在体外受精(顕微授精)にて妊活中です。自分の為の妊活記録として、また亡くした娘を忘れない為ブログを始めました。時々、年の差夫婦の日常なども書いていこうと思います今年は激動の1年だったので、記憶があやふやになる前に色々書いていこうと思いますよろしくお願いします
入院予定のクリニックからはパジャマを持ってくるように言われただけで、特に他に用意は要らないようでした。今回の出産ではもちろん産後の授乳はないけれど、なんとなく前あきのパジャマの方が便利かな?と思ったので事前に一着購入したくらい。産褥ショーツやお産パッドなどは病院で用意してくれるそうで、自分では買いませんでした。他に準備したものと言えば、赤ちゃんに着せるお洋服でした。『天使のブティック』さんの存在を知り、HPを見てメールで連絡すると、すぐに返信してくださいました。私は
※注意※「死産」「赤ちゃんのお見送り」だけで辿り着いた方がいるかもしれません。私は中期中絶の選択をした者です。今回の投稿は、赤ちゃんのお見送りについて纏めています(なので、あまり中絶という表現はしないようにしています。)これ以前の投稿は、人によっては不安·不快な思いをさせてしまうかも知れません。下記以外、他の投稿に飛ぶ場合は、ご注意下さい。どうしてブログに記録するのか★今回は死産後、火葬までどうしたらいいのか。…と、言っても私は葬儀屋さんに色々お願いしたのでやって貰ったこと
夫はかなり不器用で、シャイな人だ。2人でデートした時に写真を撮ろうとすると、恥ずかしがってしまう。もちろん自ら一緒に写真を撮ろうと提案して来たこともない。何が起きても感情を出さずに、淡々と物事を進めるタイプ。淡白な表現にイラついたり傷ついたりする事もあるけど、それは彼の不器用さゆえだと思っていて、そんなところも嫌いではない。ただ、妊娠中にお腹の子に対してどう思ってるのか、いまいち分からないところがあった。彼は、「僕は妊娠していないから、お腹への子の気持ちは、100%ウメ子と同じ気持
あっという間の出産でした。そして主人も間に合わず。主治医「陣痛、痛くなかったの??」私「生理痛の重い時くらいだったので、まさか陣痛とは思わなくて……」主治医「痛みに強い!」どうやら、生理痛が重いのに慣れていると痛みに耐えられるのかもしれません。※個人差あると思いますが自分の体質をここで知らされるとは思いもよらず。9:00主人到着。間に合わなくてごめんね。そんな顔で入ってきました。私こそ、間に合わせてあげられなくてごめんね。あまりのスピード展開に立ち会いしても
朝は6時に起床。途中でうとうとはした気がするけど、眠れなくて頭がぼーっとしていた。検温と血圧測定をして、朝ごはんを食べた。お腹の子と一緒に食べる、最後の朝ごはんだ。頑張ってしっかり食べた。変な話かもしれないけど、最後まで栄養を届けたくてサプリもずっと続けて、気休め程度だけど発育不全用に果糖も沢山摂っていた。妊娠継続を諦める事がを決まっても、なんだかやめられなかった。しばらくして主治医による診察が始まった。昨日の夜に入れた物を取り出し、陣痛を誘発させる膣剤を入れた。どうやら子宮口が
ラミナリア挿入が終わり、背中のチューブはそのままでパジャマに着替えたあと、やっと部屋(個室)に入れることに。移動するときに、まだ下半身に麻酔が残っていて足元がおぼつかなかったので車椅子で運んでもらいました。部屋は角部屋でした。同じ病院で中期中絶をした方のブログでも読みましたが、もしかしたら病院側が考慮してくれて角部屋だったのかもしれないです。娘とパパは先にキッズスペースから部屋に移動してました。ホテルのようなきれいな個室で、ソファやテレビもあり、専用のトイレや洗面台(アメニティ付)もあり
※注意※「死産」「赤ちゃんのお見送り」だけで辿り着いた方がいるかもしれません。私は中期中絶の選択をした者です。これ以前の投稿は、人によっては不安·不快な思いをさせてしまうかも知れません。下記以外、他の投稿に飛ぶ場合は、ご注意下さい。どうしてブログに記録するのか★時が経つのは早いですね。もう、2020年になって1ヶ月経とうとしています。年末の帰省の際、新幹線から虹が見えて。結構な時間、新幹線がずっと虹を追い掛けるような形
それから日を改めて、紹介状に書かれた総合病院へと向かった。紹介状持って【中期中絶】の為の診察。最初に看護師さんからのヒアリングで、今回の結論に至った経緯をNT(胎児浮腫)から話し始めた。状況を丁寧に聞いてもらいその後しばらく待った後先生に呼ばれた。経膣エコーの後先生より『胎盤の位置はこれから上がる可能性があるから、今の所見る限り低地胎盤だね。12週以降は分娩になるので、普通の産院だと難しいから大体こういう病院になるね。まぁ、出血とか
※この記録は自分がこの日のことを忘れないようにという思いと、私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いで書いております。『妖精サイズの赤ちゃん』※この記録は自分がこの日のことを忘れないようにという思いと、私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いで書いております。「産まれたよ」と、LINEで連絡し…ameblo.jp病院では、亡くなった状態で産まれた赤ちゃんを、生きている子と同じように扱ってもらえました。助産師さんや看護士さんに同情の言葉や表情はありませんでした。それが救いになり
夫が病院に到着した日。コロナ対策のため普段は面会禁止ですが、特別に部屋を用意してくれて15分ほど、夫と赤ちゃんが初めて対面しました。夫は言葉なくじっと赤ちゃんを見つめて涙ぐんでいました。パパの顔だと思いました。面会時間はすぐ終わってしまったけど、死産の手続き前に会わせてもらう配慮をしてもらえて本当に良かったです。夫は死産証書を受け取り、病院のある市の市役所に持って行ってくれました。市役所から埋葬許可証をもらって、病院に提出しました。次の日が退院。病室で納棺をしました。
こんばんはかまちょんのこと、義実家にはぷーさんから電話してもらいました。やっと先週妊娠したことを報告したばかりなのに、1週間後にはこんな悲しい報告をしないといけないなんて…私は横でお義父さんと話すぷーさんを見つめてました。辛い報告だけど、ちゃんと話すぷーさん…そう言えばぷーさん泣いてへんな…電話はお義母さんに代わったようで、スマホから漏れ聞こえるお義母さんの声は本当に私の心配ばかりしてくれてた。義両親は世の中こんな良い人いる?ってぐらい本当に尊敬できる、優しい人達です。りぃちゃんのこと
実家でお世話になってるからか普通に過ごせてます。子供達もいるからそんなにゆっくりもできない。でも毎朝いろちゃんに線香をあげる度に思う。『会いたい。会いたい。会いたい。』ぺたんこになったお腹を触りながらもうここにいろちゃんは居ない。お腹がぽこっとなる度に腸が動いてるだけなんだと。この葛藤としばらく向き合っていかなきゃなんないんだな…。※中期中絶。人工死産。の話なので不快に思う方やこれから妊娠を望む方、順調な妊娠をされている方はきっと不安になると思うのでここで読むのやめてくださいね(人・
入院前日、実母が来てくれました。上の子のお世話を託しました。さらに、兄弟も仕事終わりに自宅に来てくれることになり上の子のサポート体制は整いました。そして入院1日目。主人とともに10:00病棟へ。個室に通されました。大部屋でもいいと思っていました。誰か側にいたら悲しみに耐えられるそう思っていました。とはいえ、病院側からすれば私はセンシティブな患者だと思います。そういう意味もあり、看護師さんたちの導線などもありで、個室にしていただけたのかと思います。(個室のありがた
+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+2019年冬、妊娠6ヶ月で中期中絶の選択をしました。その時の記録やその後の日々を綴っています。人によっては不安·不快な思いをさせてしまうかも知れません。過去の記録等をお読みいただく際は、ご注意下さい。★どうしてブログに記録するのか★+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+最近あったことをダラダラと。★コロナの影響で延期し
※妊娠15週で死産しました。これからの日常の中で、人と比べたりしてどうしようもなく辛くなった時に思い出したいことを、書き留めておきます。私はこの子の母親だから。よその子やよその母親と比べて落ち込むなんて、頑張ったこの子に失礼すぎる。この子はお空に帰ってしまったけれど、命をかけて私を守ってくれた。私を救うために生きてくれた。私はこの子が誇らしい。私はこの子に感謝している。生きて産まれることだけが素晴らしいわけではないよね。死んでしまっても、お腹の中に命を宿して生きてくれた、
これからの記事を妊娠記録のカテゴリで続けるべきか迷いました。妊娠記録として付けている以上は妊婦さんも見るでしょうし、偶然目にした方にとっては胎教に響くのではないかと思ったからです。でも、これが妊娠自体の記録である事に間違いはないので、このまま記録させていただきたいと思います。不快に思われた方がいらしたら申し訳ありません。重たい内容の記事が続きます。ついに入院の日が来てしまった。朝から病院に行きたくないとひたすら泣いていた。何もしようとしない私に、夫はトースターでパンをあたため、いつも飲ん
※中期中絶。人工死産。の話なので不快に思う方やこれから妊娠を望む方、順調な妊娠をされている方はきっと不安になると思うのでここで読むのやめてくださいね(人・_・)入院して1回目のダイラパンを入れご飯も食べ、22時の消灯前に何だかお股からチョロチョロ出てる様な感覚。見てみるが出血ではない。横になるもやっぱりチョロチョロ…。嫌な予感…。息子の時、高位破水でお股からチョロチョロ出てきたのを思い出した。。消灯しに看護師さんが来たがなぜか言えず、もう一度確かめようと立ったらパジャマが濡れていた。
※注意※妊娠6ヶ月で中期中絶という選択をしました。その記録となります。どうしてブログに記録するのか不安·不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、これ以下についてはご自身で、読み進めるかのご判断をして頂ければと思います。12月8日21w2d入院1日目。この日は、前処置をするという事でした。※ここからは私がお世話になった病院での事になります。私も、色んな方の中期中絶等のブログを読んできま
↓これまでの経緯はこちら『今回の妊娠のまとめ』今でも何が起きたのかまだポカーンとしているので、心の整理のために、不妊治療から現在までの流れをまとめました。出生前診断で陰性だったのに、人工死産に至った一例で…ameblo.jpせっかくブログのカテゴリを変えたのに、一発目の投稿が人工死産に関する内容になってしまった…今朝はとても体調が良くて、なんだかやる気満々で、身体が軽い。この感じなら…今なら…保険金の請求の電話を掛けられる…!本当は退院してか
〝中期中絶〟の為に動く準備は出来て後は結果を待つばかり。〝もしも〟結果が陽性だったら週末挟んですぐ総合病院に向かい、入院という運びになる。陽性が出たらすぐ気持ちを切り替えないといけない。思った以上に結果が出て日にちが無いことを知らされた。もし、私と同じように羊水検査の結果次第で動こうと思っている方が居るのであれば思った以上に時間が無いので、【陽性】が出た場合はどうするのか真剣に話し合う必要があります。そして中期中絶する場合、確定診断をしてくれた産院で可能であれ
※※※このブログは2021年4月〜6月の振り返りの妊娠記録になります。※※※この先の話は、NIPT(出生前診断)や人工死産(中期中絶)等の話題を含み、非常にセンシティブなことを書いています。ご留意ください。また、不快に思われる方は閲覧をお控えくださるようお願いいたします。画像をはさみます↓今回の記事は、NIPT(新型出生前診断)を受けてから参考にしたサイト・ウエブの話です。自分自身、時間がないなかで、ウエブ情報にはとても助けられました。●アスクドクターズ(オンライン医療相談)
2019/12/19羊水検査結果[朝9時]昭和大学江東豊洲病院婦人科外来へ家をでる時に姉から「一人で病院いくの?大丈夫?」とLINEが。本当は彼についてきて欲しかったけど、年末で客先への挨拶周りで忙しいため一人で聞きにいくことになりました。受付を済ましてすぐに診察室へ先生から検査結果の紙を見せられ、そこにはResults:47,XY,+21とありました。通常46染色体のところ21番目に1本多いため合計で47本XYは、男の子21トリソミーは、3種類
1回目の陣痛促進剤を投与してから特に変化なく、時間だけ過ぎていきました。助産師さんのアドバイスで、尿意はないけど(麻酔が効いてるので)一応トイレに行ってみたりする。麻酔の量がまだ少しなので、分娩台の昇り降りも自力でできたし、トイレまでも車椅子なしで行けました。トイレから戻っても特に変化はなし。助産師さんは両隣のお産に忙しそうでした。たまに声をかけに来てくれるけど、基本は一人。お隣さんのお産が聞こえてくるので「無事に産まれますように」と陰ながら応援しつつ、思わず一緒に呼吸を合わせたり、
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2019/12/25入院3日目&いよいよ分娩③(昭和大学江東豊洲病院)〜〜入院3日目&いよいよ分娩②の続き〜〜[19時]看護師さんが診察に来ましたベッドに横になったままショーツおむつの中を見てもらい出血状態をチェックそんなに出血はなく容態は安定してました[19時半]パパをお見送り明日の退院時はパパはお仕事で病院に来れないためタオルや暇つぶしに読もうと思っていた本など少しだけ荷物を持って帰ってもらうことにパパが帰り、ひとりになったので荷物をまとめたり健斗の棺に入
夫はここ2日間、仕事から帰ってくるなり、すぐに息子の話をする。以前の記事にも書いたように、少し前から、夫に少しずつ変化があったんだけど、今回の死産を期に、本当に変わってしまった。というか、私が彼のそんな所を知らなかっただけかもしれないけど、、、、表面化したのは、まちがいなく死産前後だ。昨日は、9時頃に、私の好きなモンブランと、イチゴ、息子用のお菓子を買って帰ってきた。それからご飯を炊き、味噌汁をつくり、豚肉と野菜を炒め、海藻サラダを作ってくれた。私の体調が戻らないので、退院してから毎