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4月の「グリーフケアの会」は無事に終了した。高橋さんが、会員の皆さんの要望を聞いて、施設でのボランティアやパート勤務を進めてきたので、皆さん以前より少し活気があった。新入会員さんも増えて、少しずつ会としての存在が、市民の間で認知されてきているようだった。健太は、世話人の市川さんに、母親の君江がグループホームに入所したので、これからはもう少しお手伝い出来ますと伝えた。市川さんは、会員も増えてきたので、もう一人、世話人を頼めると良いですねと言っていた。
今、ふと思い出したことを書こうと思います。裁判を始める前、弁護士に相談に行ったのが、こどもが亡くなって、初めての月命日の日でした。2017年11月20日生まれ2017年11月21日死亡2017年12月21日東京の弁護士(依頼した弁護士)2017年12月25日京都の弁護士2017年12月27日ドクターカーで搬送してくれた病院2017年12月27日搬送先の亡くなった病院へ訪ねています。初めての月命日から約1週間の間に、これだけの場所に出向き、息子の死について向き合
太郎君は、両親と3人暮らしの男の子です。ある日突然、お父さんが亡くなってしまいました。お母さんと太郎君は、行き場のない悲しみに暮れています。太郎君の友達は、かわいそうな太郎君を一生懸命に慰めようとします。おもちゃをくれたり、お菓子をくれたり、一緒に遊ぼうと誘ってくれたりします。時には、元気を出して!と勇気づけてくれます。それはもちろん、ありがたいことで、一時的には太郎君も笑顔を作ろ
グリーフケアって言葉を聞いたことある?グリーフとは大切な家族や友人との死別やその人にとって大切なものを喪失した時に起こる様々な身体的、心理的、社会的反応のことを言うんだけど喪失を体験した人の悲しみや痛みに寄り添って立ち直りや自立できるようにケアやサポートをすることをグリーフケアっていうのさ。
かわいいガラス仏具で大切な人の思い出を彩る専門店Bee-S(ビース)の住吉です。赤ちゃんの棺抱っこできる棺®まゆのゆりかご®赤ちゃんを迎える女の子かな男の子かな未来を想像して心が温かくなる時ですその未来が描けなくなるそこで時間が止まってしまったような私だけ取り残されちゃったようなそんな気持ちになってしまうかもしれません赤ちゃんにしてあげたかった想いの何千、何万、何億分の一くらいしかできないかもしれないけど火葬お別れの時まで何かしてあげ
暫くぶりに神谷美恵子さんの「生きがいについて」を読み返しています。「自己に与えられた生命をどのように用いて生きていくかというその生き方そのものが、何よりも独自な創造」。(神谷美恵子著「生きがいについて」91頁)以前は気付かなかった神谷さんのこの文章。特別なことをしても、しなくても、生きるそのこと自体がその人の独自な創造なのだと、最近つくづく思っています。「みんな違ってみんないい」と、感じることが多いのです。初めて
こんばんはいつもありがとうございます結構前の話しですが駐車場のあるロイヤルホストでランチをした時に関係性はわからないけど70代くらいの男女が、おばあちゃんをようやく席から立たせて両サイドから二人で抱えながら駐車場に歩いていく。ふらふらしているから途中で足がでなくなったりしている。そんな姿を窓側でみていた70代くらいの男女のグループがあんなに歩けないのに可哀想だわ。車椅子乗せてあげたらいいのにね。等話していた。私は、歩かせたい気持ちがわかるなあ家族はギリ
☆私なりの気持ちで書いています。不愉快に感じる方がいたら、申し訳ありません。少し、ひねくれた内容になるかもしれませんこんにちは今日で、死産してから1週間が経ちました👼🏻亡くなった日からの計算では無く、誕生死(死産)から初七日になります。本来なら生まれた時間と言うけど、流産した時刻は、お昼の12時49分です。1週間前の今頃、赤ちゃんは静かに下りて来ている頃でした🤰🏻̖́不妊治療中の1週間はすごく長く感じるのに、この1週間は、とてつもなく早く感じました🗓今はまだ、文面から元気そ
~2024年5月14日の日記「日々のささやき」~いま、子どもの最期の「医療者の配慮」について意見を集めていて、何人かのお母さんと話した。難しいと思うこととして「延命治療を望みますか?」と尋ねられて返事しなければならないこと。えっ!なんてこと言うの!?というくらい衝撃を受ける人がいる。ここを、よく考えなければいけない。子どもが最重度で、いつ心臓が止まるかわからないという状況にあったとしてもそういうこと聞かれるとショックを受けるのが親。でも、医療者は確認しな
ご訪問ありがとうございます山本さくらですプロフィールはこちら大切な人が地上を離れても自分自身はこの世での時間を過ごさなければならない…朝日が昇れば重い身体を起こす味がわからなくなった食べ物を少しだけ口に入れる仕事もしなければならない笑顔になれないけれど人と話す必要もある大切な人が地上を離れても自分のこの世での時間を過ごすためにたくさんのことをギリギリの気持ちで頑張っている…***愛する大切な人が肉体を離れてからも同じよ
書こう書こうと思っては手が止まり書けず。気づけばどんどん時間が過ぎていき我が家の周辺も桜満開です。こんなにも切なくこんなにも苦しくこんなにも悲しいこんな桜があるとは。さえに会いたい。苦しくなるほどに。さえを抱きしめたい。1年前は入学式でした。小学校卒業は難しいかな…なんて少しは現実を覚悟してた。でも…2年生も難しいなんてね…朝、さえを抱えてバギーまで移動する時さえがちょっと嫌そうな顔をして私をチラ見。さえちゃん学校だよーと言うとふんっというかちっ…
2017年2月に、私は左肺全摘除の手術を控えていました。自身が学生時代に患った病気治療の後遺症で、風邪をひくたびに重たい肺炎を繰り返すこと20回近く、次に肺炎を起こせば命とりになりかねない、体力があるうちに元凶の左肺は全摘除したほうがよいと医師に言われ、予定していたわけです。しかし手術前の1月に、我が子の突然の自死。『いしょ』と題した手紙の最後のほうには大きめの文字で『マミーの肺の手術が成功することを願っています』と書いてありました。あの子自身思い悩んでいた最中(
1994年に北野たけしさんが交通事故をおこされました。スクーターを運転していたたけしさんがスピードの出しすぎによる電柱激突で、かなり大きな事故だったよう。顔面が麻痺したままの毒舌の復帰会見を覚えている方も多いかもしれません。実際、事故の現場は血の川(さすがに海ではなかったようです)のようだったと新聞には書かれていました。救急隊員や病院の医療者たちは「これはとても助からないのでは」と内心思われていたようですが、携帯物から「たいへん!この人、北野武だ!」となり、大騒ぎになったとか。正
若葉の季節、新緑や空の色、パステルグリーンやパステルブルーはあの子が好きな色でした。富士山の散策コースで、家族でわいわいプチハイキングをしたときに撮ったこの写真を見ると、あの日のやわらかい陽射し、澄んだ空気、風に揺れる木々の優しい葉音を思い出し、元気に走り回っていた子供たちの姿も一気に甦ってきます。しかし、よくある家族の、よくある思い出アルバムの『ヒトコマ』になるはずだった写真が、そうではなくなりました。この写真も、ある意味『遺影』なのです。ある日、私は『自死
小旅行中、長男の見た景色朝がすこぶる苦手だった長男。亡くなる1ヶ月くらい前から突然私より早く起きて暖かい飲み物を飲んで私が起きた時に『おはよ、コーヒーかお茶どっちにする?』って毎朝暖かいの入れてくれてたな。電車が好きだった長男亡くなる1週間くらい前ふと思いついたかのように泊まりがけで見たい電車があると初めてひとりでの、小旅行を計画。ホテルを予約するのも私に全て確認して予約。前日体調悪くてぐったりしてたけど当日は早く出てしっかり楽しんできて、写真を何枚か送ってきてくれて
夫は末期の胃癌だった身長180㎝体重70㎏の健康体で40代になる頃には禁煙してて趣味はジョギング。お酒は結構飲む方だったが、滅多に風邪もひかない元気な人だった。2018年の5月の連休が過ぎたあたりだったか何となく体調が悪そうで、帰宅してからも無口で。毎晩の楽しみだった晩酌もせずに寝室に引き上げるようになり。休みの日に走りにも行かなくなり。それでも暢気な私は仕事で疲れが溜まってるんだわーくらいに考えてて。梅雨が明け7月の声を聞く頃「お母さん、夏バテかなぁお弁当が全部食
普段生活している上で極めて近しい者の自死(自殺)は、理由はどうあれ、その行為自体がとてつもない破壊力を持って周囲の人たちに影響を及ぼすことは確かです。我が子が先立った直後、涙を拭うことも忘れ、半ば放心状態の夫が声をしゃくり上げながら言い放った言葉が忘れられません。「これまで築いてきたものを〇〇ちゃんが全て壊した……」本当に、本当にそうだと思いました。その衝撃たるや、大動脈をいきなり切り付けられたショック状態に近いものであり、また『築いてきたもの』とは家屋や財産などでは
こんばんは。あなたのココロに灯りを。母ロスヒーラーかのんです。愛する人を失うと現実が見えなくなる。こんなことも出来なかった。あんなことも出来なかった。本当はもっとこうしたかったのに。本当はもっとああしたかったのに。あのときこうしていたら。あのときああしていたら。私がいけないんだ。私がダメなんだ。そんな想いがとめどなく溢れてくる。出口の見えない迷路のように次から次へと溢れてくる。でもね。それって本当?愛する人にしてあげたかったのに出来なかっ
7年前の今日。2017年4月17日、月曜日。その日の朝早く、母は膵臓がんで76歳で亡くなりました。10日以上私は病院に泊まり込んでいました。病室がなんとなくバタバタしているので、目が覚めたら、もう母は生きているのか死んでしまったのか分からない状態でした。サヨナラもなにもなく、泊まり込んでいたのに、いつ逝ったのか分からなかったです。私は14年前に未婚で息子を生みましたが、典型的な厳しい昭和の母でしたが、なぜか未婚で子を生むことに怒ることも、反対することもなく、息子を
18日に通夜、19日に葬儀と、無事に史織を見送る事ができました。史織の事を想って、祈って下さっていた皆様、心よりお礼申し上げます。葬儀の日は、史織の涙なのか、皆さんの涙なのか、大阪は朝から雨が降っていましたが、最期、見送る時間には雨は止んでいました。ありがとうございました。14日に息を引き取り、お葬式まで5日間もあったので、家で一緒に過ごせる時間もありましたし、その間にも、沢山お友達が会いに来てくれました。そして、お葬式の準備もしっかり出来る時間もありました。史織は、きっと、
こんにちは😃ご訪問ありがとうございます😊アメブロ初心者の私が、皆さんに「グリーフケア」を知っていただきたくて始めた、連載投稿。題して、『グリーフケアの風』「大人が親と死別するかなしみ」をテーマにしばらく綴って参ります。さて、今日のテーマは…=====================『グリーフケアの風』その28「娘さんのお母さんロス」=====================昨日から、「大人が親と死別するかなしみ」をテーマにお届けしております。今日は「娘さんのお母さ
今年の連休は、パートと母の介護。今日、母を施設に送ってきました。母は、痩せてしまって、歩くのもやっとになってしまいました。もうダメだ〜って、泣きそうなんです。今までできていたことが出来なくなるのは、悲しいことなんだと思います。私も悲しんでる母を見るのが悲しいです。でもね、我が子を失うことは人生で一番つらいことだと思う、、母は精神薬を何個も飲んでいます。それを飲み込むのも辛そうで…生きるって大変なのだと感じます。息子みたいに若くして還ってしまう命もある。人生を考えちゃいま
今を生きよとよく言うよね。未来を案じて不安でいっぱいになったり、過去に囚われて嫌なシーンをなんども頭の中で反芻して、怒ったり悲しみつづけたり、今起こっていることじゃないことに心を支配されることは意味のないことだと。たしかにその通り。この言葉を知った時は衝撃だったし、人生観が変わった。我が子が染色体異常だとわかったときも、何十年も先の未来のことまで案じ、不安でいっぱいになり、産むことができなかった。産まれたら、常に今を生きていれば、思ったほどの不安は起こらないかもしれないのにね。
でしたね。今日。買いに行きたかったけど行けず。6年前にさえとお世話になったドナルド・マクドナルド・ハウス。知らない人にもハウスのことを知ってもらってハウスを必要とする人がいることを知ってもらってハウスを必要とする人たちはどんな人たちなのかも知ってもらってその人たちの気持ちに思いを寄せてもらえたらと、そんなふうに思います。ハウスを利用する人たちの理由は様々。でもとても必要な、貴重な場所だと思います。去年の記事も見てもらえるとわかりやすいかなと。当時のことを思い返すのは今は
数日前、同じ闘病仲間で、同じように我が子を亡くしたお友達のお母さんお二人が、会いに来てくれました。娘が初発の時、同じぐらいの年齢で、同じお部屋で一緒に頑張ってきたお母さんたち。そのお友達二人は、約5年前に娘より先にお空に旅立ってしまいました。そのうちの一人のお友達は、娘と1ヶ月違いで入院していて、同じ病気で、同じ治療を、同じようなタイミングでしてきました。だからこそ、励まし合って、子どもたちが寝たあと、夜な夜な悩みを相談したり、親子でとっても仲良くさせてもらっていました。入院して、
5月1日水曜日21時から無料の公開ミディアムシップをおこないます。前回も80名近い方がご参加くださいました。『昨日の公開ミディアムシップ』昨日は公開ミディアムシップでした。有志のミディアムが集まって、亡くなった方からのメッセージを参加者のみなさまにお届けします。はじめて参加してくれた私の友人も…ameblo.jp毎回たくさんの驚きと感動、そして愛のエネルギーが降り注ぐ会です。わたし達は肉体だけの存在ではなく、肉体を離れた大切な人たちとつながっていることを体験していただく。
動物が終末期に苦しまずに穏やかに眠るように旅立つことは理想だけど実際に実行するのはなかなか勇気と根性と忍耐と努力がいる。飼主さんの心の葛藤や不安、恐怖、後悔、心配など日々の悩みは尽きないと思う。今までの常識か
*自己紹介と私の人生を変えた2年間の時系列記事はコチラ**上記時系列記事を、死産/うつ病経験のまとめでテーマ別に再整理しました**天使ママ・パパの為の自助グループリスト(地域別)を作成しましたのでご活用下さい⇒その①、その②**読書記録を「学び」のテーマでまとめています**天使ママのメモリアルグッズをまとめています*★天使ママ・パパさんのための『メモリアルグッズ』『天使グッズ』紹介★その⑨私が購入したもの、天使ママさん達のブログやSNSで紹介されていて素敵だなと思った
こんばんはいつもありがとうございますマンションのお庭はトトロの森🌳ベンチもあるのミヨ子さんと尚さん時々元義兄さんとおうちカフェをしました。車椅子の尚さんとボール投げやミヨ子さんとはシャボン玉もしたなあ。生きていたら二人とも95才だったね。そんなこと考えながらベンチで空を見上げてひとりでカフェ最近はロイヤルホストのパラダイステイーがお気に入り空見上げ、鼻歌唄って色々想いにひたっていたら目の前をワンチャン連れたおじさんが目👀があう。笑ってるワンチャンも
死産で一番辛かったこと2022年8月26日午後妊婦23週5日赤ちゃんの心拍停止を宣告された。子宮内胎児死亡私の中で、最愛の娘は亡くなってしまった。その事実は、本当に辛く、悲しく、絶望だけが残った。しかし、実際にもっとも辛かったのは、死産をして娘と離れ離れになった瞬間からだった。最後まで親孝行な娘だった2022年8月28日午前11時06分妊娠24週0日最愛の娘を死産した原因は臍帯過捻転だった。入院後ラミナリア挿入、翌日から子宮収縮剤の点滴が始まり、翌々日には子宮収縮剤の増