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2023年9月に書いた母のがん闘病記録をまとめてみました。(本当は、ここに貼っていない同じ月の家族や他の記事にも母の事を書いています)『T整形外科にMRIの検査結果を聞きに行く』(ここまでのこと)8月8日に母は晴天の霹靂で肺がん末期と告知され、嘆く暇もなく14日からがんセンターでの検査が始まりました。8月16日の夜母が寝ようとしてベッ…ameblo.jp『母のかかりつけのお医者様に感動したこと』22日以降の事を書くために前の日記を見返したところ、もう忘れている事がすでにたくさ
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
コロナ禍で昔のように盛大にはできない"友人の葬儀"に参列。痩せた顔をしてました。ご家族から詳しい話は聞けなかったですが、思うに、骨や内臓への転移が分かっても、積極的な治療はしなかった感じです。彼は、独自の考えで最後まで自力で闘ったと思います。先週月曜日、這うようにして顧問をしている会社に顔を出したようです、、。入社以来46年、互いに競い合いながらそれぞれの道を歩きました。そして最後のご奉公の会社も同業ですし、癌との闘いも競い合っていたようです。参列した部門の先輩、年代の近い人、現役役員も
昔から思っていた事ですが女性は強い方が多い。男は女性には、かなわない。がん治療に関しても言えると思います。がん治療中の女性の方が、仕事へ行ったり、主婦業をこなしているブログを読むと驚きます。治療で辛いのに、食事の用意や、ご主人の世話など多くの男性にはきっとできないと思います。少数派だと思いますが、優しい旦那さんもいらっしゃるようで、尊敬します。優しい旦那さんを持つ女性は恵まれていますね。女性がん患者さんが無理を押して、食事を作っているなど、なんだか悲しくなります。ご本人が
早期発見・早期治療が当たり前に母が食道がんになった時ネットに散見している情報を見てとても怖かったのを思い出しますいざ闘病生活が始まってみたら母の場合水も飲めない、食べれない、呼吸が苦しい、あっという間に人間の生命を維持するための基本が出来なくなりました想像を絶する苦しさです水も飲めない食べれない唾も飲み込めなくなって9ヵ月喉だけは潤してあげたい目標にしてた天ぷらそばを食べさせてあげたかったそんな思いに苦しくはなりますが感傷には浸れないと強く思うのが今後こんな苦
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
上の妹は下の妹に「親の介護は義務じゃない。もうそんな時代じゃない。」ということと、「◯子(下の妹)は自分の自由意志でママを引き取ったのであって私の意志じゃない。だから◯子が自分で面倒を見て当然。」ということと、「それなら、ママの通帳を見せて。」と書いて来たそうです。頭に来た下の妹は上の妹に、「親の介護は子供の養育と同じで、やりたくなければ放棄していいというものではない。」ということと、「●ちゃん(上の妹)が自分は面倒を見られないといったから、私
おはようございます、永島恵です。ブログに訪問頂きありがとうございます😊ふと思ったのですが…「おひとり様で乳がん闘病してる」って聞いてどう思いますか?「大変そう」とか「かわいそう」って思うのでしょうか…?まだ放射線治療が残ってますけど抗がん剤治療、手術を経て思うのは、不便だけど不幸じゃないなって事です。おひとり様か否かより、環境や経験、病状の影響の方が大きいと思います。1番は自分の気持ち不便は不便ですよ〜💦病院の方々も「家族ありき」で話しかけますからね。検査や入退院、手術
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
ふぅ😵💨……私達夫婦は現在、365日休日だけど💦世の中は三連休だったのよね。仕事休みの娘達が孫を連れて……「急に寒くなったら服が無い」と、た、か、り( ̄□ ̄;)!!に来たで、ショッピングモールへ買い物。駐車場もいっぱいで屋上駐車場に停めたら、帰りは駐車場~敷地外に出るのに3時間全く車が動かないもぅ~💥いや。そんな余談は寘いておいて……💦夫が重篤な病、癌になって、わからない事ばかりで毎日が模索の日々。全く知識が乏しい。。【看取り】もそのひとつ。私が得た知識は夫で経験し
りこ母の直腸がん闘病年表はじめに日付序章■ブログを書き綴るにあたって■癌が分かるまでの母の私生活直腸がん闘病年表【要約】2017年5月4日~2017年5月16日■母が倒れるなんておかしい!セカンドオピニオンへ!2017年5月23日~2017年5月31日■セカンドオピニオンの結果直腸がん闘病年表【詳細】2017年5月4日火祭りの日の夜中12:30頃、倒れる。後に貧血だったと分かる。■真夜中に倒れた母2017年5月5日【中央病院】CTとレントゲン検査をす
今日が11/9が11月の診察日だったのでした。(だいぶ前やんw)咳は相変わらず止まらないのですが、咳こんだときに喉の神経を痛めたのでは、とのこと。あとは、数値は落ち着きつつあるとのこと。で、来月が年末のため、イレギュラーなスケジュールになりますよ、とのこと。「まあ、年末ですもんね」と言ったところ、「僕と腐れ茸さんの仲じゃないですか~、宜しくお願いしますよ~」ん?ん??ワケワカメだぞ???まあ、年齢は近いが…ちなみに、私はBBAだが、わけぇオノコが好きだぞい(歳上とはほとんど
動き出すやはり、結論は変わらないステージ4の耳下腺がん術後の病理検査にて確定する私のがんの種類・・・顔面神経は残せず、全て摘出するため麻痺は確定多分、神経の断端は見つからないだろうから移植は無理だろう顔の半分は動かなくなるから、表情もつくれない開口障害や味覚障害、合併症や後遺症を挙げたらきりがないさて、どうする?!悩む時間も選択肢も私には残されていないことはわかってる「手術しか方法はないのです
コロナ禍に重なり始まった、私の闘病少しずつ思い起こしながら、書いていきたいと思いますリンパの腫れに気付いてから宣告を受けるまでの期間が約3か月宣告から手術までの期間が約10日余りある朝いつものように起きて洗面所に向かい歯磨きをしながらふと鏡を見ると・・・「あれ?首筋のリンパが腫れている。何これ??昨日はなかったのに」枝豆大の腫れを見て直観的に「これは・・・」と思った、忘れられないあの朝でも、もしかしたら感染症や炎症による一時的なものかもしれないそう信じたかった私は
癌の治療費だけじゃない出費お金と生活のはなし日本の医療については癌に限らず本当に進歩し続ける時代を私達は生きてます。ありがたいことです医療費も時代を追うごとにどんどん変化してきましたね。母は現在72歳闘病開始は71歳でした。年齢の恩恵でもある高額療養費限度額認定証のお陰で物凄く医療費は助けられました現役世代で癌になった場合の医療費は今の時代でも本当に大変と耳にしましたでも私も母の医療費は助けられたとはいえそれなりに費用はかかっていて、また母の看護につきそうために
2020年から2024年初春約丸3年本当に色々ありすぎました。2019.7父の癌が発覚し2020に私は1人目を出産この頃、父は病状が悪化し腹膜播種に。2022に一度職場復帰。その夏に第二子懐妊と切迫早産のため産休入り。この頃から父の体調が転げ落ちるように悪化。2022年秋、祖父が他界しその2ヶ月後に父は旅立ちました。妊娠中2回も身内の通夜葬儀に参加することに。1人目の育休中は祖父の介護ケア、父の病院付き添いや治療法を調べたり段取りしたりととにかく忙しかったです。そ
今日は「さくらの日」なのですね若干風の強さは残るものの、とても暖かくなって今年も「春」を感じられることにこころから感謝ですさて、思い出すのはあの日のこと。PCR検査を行い、いざ病棟へ・・・手術前日に病院入りをして様々なひとの訪室が終わり夕方近くになった頃術前の準備不足に嘆いたことがありましたうっかりしたけれど、ショックだったことそれは「剃毛」!!手術する側の耳の周りの毛髪をカットし、バリカンで短く短く刈らなければならなかったのですもちろん、施術者は看護師さ
先日、ガン闘病中だった夫が旅立ちました。今までブログを読んでいてくださってた方はえ?どういうこと?と思われると思います。あえて夫の事は書いてきませんでした。その話はまた追々と…最期は自宅で家族に見守られながら静かに息を引きとりました。穏やかな、笑っているようにさえ見える顔でした。遺影の写真は息子くんのウエディングフォトで撮影したものの中から子ども達が選びました。葬儀社の方がいい写真だと褒めてくださいました。今まで30年。いろんな事があったけどありがと
2023年12月2日連投すみません🥲抗がん剤点滴した日の夜は眠れない昨日歯朝から夜まで抗がん剤点滴ふくめでお出かけしてたのでしんどくなって23時に寝たが、1時に目が覚め、そこから眠れない眠れなくでも明日は何も無い明日以降もずーっと何も無い嫁さんは勤務予定教えてくれない娘がいつ一人で困ってるかもわからない
10月から始まった私達が住むマンションの修繕工事。ベランダに洗濯物NGどころか💦ベランダの荷物は各自で撤去(室内へ入れる)しなきゃいけない。窓も開けられないしカーテン閉めてないと外の足場を行き来する職人さん達と目が有ってしまう角部屋の我が家はゴロゴロも着替えも気にしなきゃよりも………┐(´д`)┌うるさーーい!ガチャガチャドンドンガーガー。今は、足場を組み立てる作業中なので、メッチャ騒音でテレビの音も聞こえない!会話も出来ない!まぁまぁ💦音は、そのうち終わるだろうけど、
【10月13日】今日はBCG第2クール2回目膀胱注入日。通算8回目になる。この日に先立ち4年前から脂質異常症で通院している内科クリニックで先月行った採血結果が数日前に出た。結果は腎臓機能の目安になるクレアチニン値が1.15と基準の0.60〜1.08を越えた為、クリニックの先生は経過観察でよいと言われたが少し気になり嫁の助言もあって膀胱がんの担当医師にも報告することにした。私の膀胱がんが発見される時、頻尿や切迫性尿意が出ていたにもかかわらず泌尿器科への初診が遅くなった反省もあるので「気になる
2020年3月2月に久しぶりに帰国してから約3週間、今度は1人でまた緩和にいた父に会いにきた✈️1週間程の滞在で帰る予定だったけど、帰る2日前になって父が高熱を出し、腎盂腎炎になってしまい、すごく苦しそうでとてもそんな状態の父を置いて帰れなかった。そんな中、色々な偶然が重なって都合がついた為、急遽滞在を少し延ばす事にした。そのおかげで、父が寂しくないよう私と入れ替わりで来るはずの兄と5年ぶりに再会した。父も落ち着いてきて、私が今度こそ帰る予定の2日前、兄と私が病院にいたら、父が
リブログ元のブログ主さまに見て頂きたい。『ガンが消えた』『ガン痛が痛くなくなった』などの声が商品レビューで見られます。がんの進行で、ハチミツを食べることが制限されている場合は仕方ないですが、五井野プロシジャーを試したりしてみると良いかもしれません。がんに効果するそうです。医師の許可・監督のもと、ストロングマヌカハニーを試せたら、試してみて頂きたいと思います。https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00WHSJ8NI/ref=cm_cr_arp_mb_bdcrb
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
ずーっとずーっとかゆくてかゆくてしょうがなかったあそこ。それが約一年前(2017年9月)から灼熱感がある痛みを感じるようになりました。腫れている感じもあったし、かき傷からバイ菌が入っちゃって、炎症を起こしたのかなぁ〜…って思いました。もちろん婦人科に行きましたが、抗生物質の飲み薬や塗り薬をもらっても治る気配なし…あまりにも長い間痛みが引かないので、ちゃんと検査をしてみましょうということになり、今年の1月に香港の病院で生体検査を受けました。それで、やっと…本当にやっと、長い間苦
乳がんが見つかり、エコー検査での腫瘍径は約1.8cm、腋窩リンパ2か所にも転移があり、ステージ2Bとなりました。その後すぐに細胞診を行いました。私の乳がん細胞診の結果は・・・まず、乳がん細胞が、エストロゲンの受け皿となるエストロゲンレセプター(受容体)をどのくらいもっているかで「どれだけ女性ホルモンによって増殖する力があるか(=ホルモン依存性)」ということを調べます。エストロゲンが「鍵」、癌細胞がもつレセプターが「鍵穴」といった感じで、これらが結合してしまうと癌が増殖してし
癌は治る時代と言われるようにたくさんの方が寛解を勝ち取っていますねでも寛解が癌のゴールではまだまだないのかなとも思います抗がん剤や放射線治療外科的手術沢山の治療方法があってそれらに挑戦して結果僅かに寿命が延びただけでも癌と闘っただけでも人間としては癌にも死にも抗った最高の人生なんじゃないかな私はそう感じます人間は細胞で出来ている以上癌になるんでしょうねこれからの未来どうなるかなんてわからないけどより良い未来のために何か出来ることを見付けて行動していきた