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「愚痴は今日のうちに……」と言いながら、昨日の愚痴を……。昨日は、以前書いた苦手なスタッフさんと相勤。現在のあたし、だーりんのがん闘病や実家の父や叔母たちの世話もあり、心友である上司に相談して勤務スタイルを融通してもらっている状態……。他のスタッフさん達にも事情も話し、理解して頂いているつもり……。もちろん疑問に思うスタッフさんがいれば、事情を個人的に話している。昨日、苦手なスタッフさんからもその話になり、自分なりに事情を説明。説明したけど、納得いかなかったご様子。自分の持論や正論
元日の午前中のことは上のブログに書いたことがすべてですので、よろしければお読み下さい。元日の午後から雪崩を打って母は容態が刻々と悪くなりました。母のがんがわかってから母が亡くなるまでの日々は、日々というよりも瞬間瞬間が、母と私と妹にとってはもっとも苦しくもっとも悲しく、それなのにもっとも幸せでもっとも掛け替えがなくて、なんだか神々しいような尊い時間でした。あの日々を私は一生忘れません。もっとも恐ろしい試練は誠に不思議な事に至高の恩寵でもあったので
【10月13日】今日はBCG第2クール2回目膀胱注入日。通算8回目になる。この日に先立ち4年前から脂質異常症で通院している内科クリニックで先月行った採血結果が数日前に出た。結果は腎臓機能の目安になるクレアチニン値が1.15と基準の0.60〜1.08を越えた為、クリニックの先生は経過観察でよいと言われたが少し気になり嫁の助言もあって膀胱がんの担当医師にも報告することにした。私の膀胱がんが発見される時、頻尿や切迫性尿意が出ていたにもかかわらず泌尿器科への初診が遅くなった反省もあるので「気になる
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
あのユーチューバーカップルさん、本来、「がんとの闘病」でとりあげあげられるべきですが、今度は、誹謗中傷者の「開示請求」?「訴訟」?なにか、騒動を起こして、動画の再生数に結び付けようとされているのでしょうか。がん、特にすい臓がん患者さんは、術後1年も経たない段階では、とにかく「再発」に警戒、おびえるのが普通ですが、常軌を逸しているというしかありません。ヤフーニュースさんも、なぜとりあげるのか?関心のない人の目にも触れさせてしまい、「がん闘病はたいしたことない」などという、まちがったメ
リブログ元のブログ主さまに見て頂きたい。『ガンが消えた』『ガン痛が痛くなくなった』などの声が商品レビューで見られます。がんの進行で、ハチミツを食べることが制限されている場合は仕方ないですが、五井野プロシジャーを試したりしてみると良いかもしれません。がんに効果するそうです。医師の許可・監督のもと、ストロングマヌカハニーを試せたら、試してみて頂きたいと思います。https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00WHSJ8NI/ref=cm_cr_arp_mb_bdcrb
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
動き出すやはり、結論は変わらないステージ4の耳下腺がん術後の病理検査にて確定する私のがんの種類・・・顔面神経は残せず、全て摘出するため麻痺は確定多分、神経の断端は見つからないだろうから移植は無理だろう顔の半分は動かなくなるから、表情もつくれない開口障害や味覚障害、合併症や後遺症を挙げたらきりがないさて、どうする?!悩む時間も選択肢も私には残されていないことはわかってる「手術しか方法はないのです
母の介護がらみで上の妹夫婦と私達のこれまでのいきさつを10月に書いていますが、ここには貼っておりません。もしも記録をお読みになって話がわかりにくい場合はそちらも併せてお読み下さい。『8月末の母と、私達の状況』人と人にはこれまでの関係性の長い道のりがあって今があります。しばらくの間3年前に遡ってこれまでの経緯をかいつまんで書いて来たのは、いきなり私が今回の事を書いて…ameblo.jp『母の介護負担について話し合う』がん告知された翌週に母が右脚の付け根を骨折してしまって以
今日はガン研有明病院の初診の日息子がわざわざ付き添ってくれた。自分では緊張していないつもりでも、昨日は夜何度も目が覚めるし、その後寝付けないし。だから息子が付き合ってくれたのはほんとうに心強かった。知らないうちになんだかよく気がきく優しい、頼もしい大人になったなぁと感心した。今日は何をやるのかなーと思っていたら、前の病院でもやった細胞診と組織診(痛かったし、少し出血した。)をやり、経腟エコーと術前検査のレントゲン、心電図、採血(感染症含む)呼吸機能やって終わりだった。その後息子とお昼を
2015年夏紹介状の病院の「腹腔鏡の☆先生」の診察を受けました。クリニックからの内視鏡画像を見て、「腹腔鏡対峙の範囲外」的なご説明を頂き、直ちに終了。「大腸外科」へ送られました。次第に、「これは現実なんだ」と思えるようになりました。「大腸外科」では。「斬るべし」「斬るべし」「斬るべし」の解説を頂いた。「列は(手術順)3か月が最後尾です。並んでいないと、手術室へ行くのが遅くなります」私は重症?重篤?もしかしてまずいやつ?
アメブロさんで日記を何年も書いているので、後から探しやすいようにいつもジャンル分けしています。どこに入れたらいいか迷う事も多いです。今日の話も迷ったあげくに母の話にしましたが、不思議な話に入るのかもしれません。突然ですがテレパシーって、みなさんもありますか❔私は日常的にちょくちょくあります。その人の事をなぜか考えていたらその人から電話が来たり、会議や研修で次は当てられる❗と感じて本当に当てられたり、この人次にこう言うのでは❔と思ったら本当に言ったり
2015年冬S状結腸のがん部分を20CM切除がん部分周りのリンパ節39個+を除去の手術後7日目には自宅で横たわっていました食事⇒消化⇒排泄が、どうにもよろしくありません(このようなお声は多いことを知り自分だけではないと。異常なことではないと。がんで不具合なのに安堵。変です)食事について本を読むようになりました何しろ食物が停滞したり、決壊のごとく流れたり・・・薬を飲めば痛いし・・・ところで、味覚嗅覚も変わったようです一言でいうと、”鈍くなった”です
楽しかった事や幸せな事をたくさんブログに書いたら、母の事を思い出して書くエネルギーがやっとチャージされたので、続きを書いてみます❗またしんどくなったら中断しながら書きますので、ご了承下さいね。母が緩和ケア病棟を退院する日とナーシングホームに入所する日は同じ12月22日でした。それまで緩和ケア病棟では1日15分しか母と面会出来なかったので、ナーシングホームに入所すればクリスマスもお正月もずっと一緒に過ごせるね❤と私達は母と一緒に喜んでいました。この時点では
2015年春頃会社従業員が受ける健康診断がありました。診断結果の中に「要再検」とあった。それでも全く気にしていませんでした。だって、体調が悪いって感じたことがないのだから。何年もネグレクトしていました。再検査をしたのはそれから数か月後。大腸カメラ検査の結果、「小さいポリープならここでとるのだけれど。」と、いうことで病院の紹介状を持たされました。そこには、「がんセンター。腹腔鏡外科☆先生」宛。ここで初めて「がん」なんだと知りました。衝撃はじわじわじわじわと胃の付
母との最期の日々を思い出しながら書くのが段々しんどくなって来ましたが、書かないと一番哀切で一番掛け替えがなかった大切だった母との日々をどんどん忘れてしまうので、泣きながらでも少しずつでも、私は必ず書き上げます。1月4日は訪問診療のO先生に点滴について電話で確認して看護師のSさんとは真逆の回答を聞いて混乱したり、母が初めて誤嚥を起こして喉と鼻の吸引をしたりと、私にとっては混乱する事やショックな事が色々続きました。4日の母は食事の時以外はほぼ1日中
おはようございます。お読みいただき感謝しております。昨日はヘルパーさんが初めてのお掃除に来てくれました。毎週月曜11時に来てくれるそうです。時間は1時間。テキパキと掃除機をかけてくれていましたが、ダイソンコードレス掃除機、バッテリーが切れました(笑)来週はコード式の掃除機を出しておいた方が良いのかな😓来てくれた方は契約に来てくれた方。スタッフさんは数人いるらしいのですが、今日来たのは経営者の女性です。自ら現場で率先して働く。偉いと思いますが中々大変なんだな~本やブログを読んでイメー
癌は怖くない?いいえ、癌はまだまだ怖い病気でした。癌闘病の始まり2023.05.19札幌で一人暮らしをしている母が体調があんまりと聞き、忙しいGW期間中の仕事も一段落したので、顔見に行くがてら東京から札幌へ🛫その日に駅前内科で内視鏡の検査があったので病院で母と待ち合わせ3年前に甲状腺腫瘍の手術をしているので、きっとホルモンバランスとかが良くないんだろうなーと家族みんなが思っていました内視鏡が終わり、診断結果が出るまで「今日はデパ地下で美味しい鰻でも買って一緒に食べよ」などと呑気に
私は戦災や天災のニュースや悲しいドラマや怖い映画が、非常に苦手です感情を激しく揺さぶられて体の具合まで悪くなってしまうのです私は子供の頃から少しでも良くない言葉や行いや思いを持たないよう、後ろの人から厳しく戒められて来ました。自分の事だけでなく人が辛い思いをしているのを見聞きすることも、私は胸が塞がれて苦しくなります。私の体と精神は健康そのものだけれど、私の心は感じやすくて全然タフではありません。だから私は粗野なものや恐ろしいものはなるべく目や耳に入
最近は母のことを思い出して泣くことは大分なくなりましたが、折に触れて心の中で母に語りかけています。元々、朝はお茶を供えてご先祖様や祖父母や父の冥福を祈った後、近況をこまごまと報告していました。そこに今は母が加わりました。昼間とか夜に母にふと電話したりラインしたりしたくなった時には、今は心の中で話しかけています。元々父には心の中でずっと語りかけていましたから、今は語りかける対象が増えた感じですね昨年の12月22日に母はナーシングホームに入所しまし
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
初孫誕生!|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」これまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」②~「放射線治療」の副作用で辛さと苦しさの極み~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」③~喉が痛い…味覚障害…手足の痺れ…冷え性…束の間の安心~|あんべさん♪
私も事前に知っていたら参加したかったこのイベントは誰でも参加できたのかな?また次の開催があれば行きたいな
先日、ガン闘病中だった夫が旅立ちました。今までブログを読んでいてくださってた方はえ?どういうこと?と思われると思います。あえて夫の事は書いてきませんでした。その話はまた追々と…最期は自宅で家族に見守られながら静かに息を引きとりました。穏やかな、笑っているようにさえ見える顔でした。遺影の写真は息子くんのウエディングフォトで撮影したものの中から子ども達が選びました。葬儀社の方がいい写真だと褒めてくださいました。今まで30年。いろんな事があったけどありがと
11月から1月は悲しい事や苦しい事もありましたが、8月から10月の母との日々は、今思い返してもとても楽しかったし幸せでした😢『祖父が護摩祈祷を修法していた事を母から聞く』母の実家のお寺は江戸時代に成田家が私のふるさとに転封した際、成田家の勅願寺として創建された寺院です。成田家が別の土地に転封した後明治時代に住職不在になり、檀家…ameblo.jp『9月中旬から下旬の母の経過』がんの確定診断後の9月中旬から下旬は、母は痛みのコントロールは麻薬性の痛み止めや他の痛み止めとの組み
昨日は、アメーバトピックスに掲載され、沢山の方に「告知から5年」のブログを読んでいただいたよう。沢山の「いいね」、ありがとうございました。思えば、2018年10月から、がん闘病について書き始めました。がん闘病という言葉を使いましたが、好きになれない言葉です。病気と闘うということは、勝つか負けるかみたいで・・・2016年1月の喉に違和感の件から、書き始めたブログ。ようやく2018年7月の日々を今書いています。2年7か月の出来事を、約3年かけてブログにし
しばらくブログお休みしてすみません。8月2日19時38分姉が永眠しました。享年54歳。仕事の休憩中にたまたま電話が鳴り、『かなり脈が弱っていて、今朝から熱が出ていて、今夜が危ないかも』という夜勤交代の看護師から電話でした。職場の方に早退させてくださいと伝えて、姉の病院まで職場から近いので、タクシーで向かいました。母と旦那に連絡して、みんな乗せて病院来て!と。着いて、すぐ、あーもう意識が朦朧として、目は半開きで、呼吸も、、浅い。看護師さんが『
おはようございます。今日はちょっと寒いですかね。天気があまり良くありません。やはり晴れた方が気持ちが良いですね。これを書き終えたらスーパーに行って来ようと思っていますが後は予定なし。痛みを我慢しなくてよくなりそれだけで良いとも思っていますが、欲は出てくるもの、何か物足りなく感じています。食欲が無いうえ、歯も治療中。食べる事が出来ないので、今までのように外食で気晴らしが出来ません。最近は慣れましたが、悲しいドラマを観たり辛いニュース、がん患者さんのブログを読みますと涙が止まらない事が多くあり
妹の会社は毎月1日〜10日がとても仕事が忙しいです。けれど、1月5日は私は病院の予約が元々入っていた為、妹に母のホームに行ってもらう事になっていました。忙しい妹は当初5日は姪っ子に母のお世話を頼んでいて、段取りを把握してもらう為にあらかじめホームに姪っ子を連れて来て、赤ちゃんや子供のお世話も全くした事がない姪っ子に妹が食事を介助する様子を見てもらったりして、備えていました。ところが、4日に母が誤嚥を起こした為、もしも5日に母の容態が急変するような突