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コロナ禍に重なり始まった、私の闘病少しずつ思い起こしながら、書いていきたいと思いますリンパの腫れに気付いてから宣告を受けるまでの期間が約3か月宣告から手術までの期間が約10日余りある朝いつものように起きて洗面所に向かい歯磨きをしながらふと鏡を見ると・・・「あれ?首筋のリンパが腫れている。何これ??昨日はなかったのに」枝豆大の腫れを見て直観的に「これは・・・」と思った、忘れられないあの朝でも、もしかしたら感染症や炎症による一時的なものかもしれないそう信じたかった私は
おはようございます😃いつもブログを読んで下さりありがとうございます(^^)ご報告(^^)お陰様で2021.9.8この日の定期検診の血液検査は何の異常もなく安心できました😮💨再再発の可能性ほぼ0!!!大喜びの母から電話での報告がありました(^^)直腸がんの宣告から四年半!!!『命だけは助かって欲しい』それだけを思って過ごしていたあの日が既に懐かしいです。前回お話しした健康食品の乳酸菌抽出液クリアリブとアガリクスを飲み始めてからの母の変化に私はふと気付いた。以
おはようございます、永島恵です。ブログに訪問頂きありがとうございます😊ふと思ったのですが…「おひとり様で乳がん闘病してる」って聞いてどう思いますか?「大変そう」とか「かわいそう」って思うのでしょうか…?まだ放射線治療が残ってますけど抗がん剤治療、手術を経て思うのは、不便だけど不幸じゃないなって事です。おひとり様か否かより、環境や経験、病状の影響の方が大きいと思います。1番は自分の気持ち不便は不便ですよ〜💦病院の方々も「家族ありき」で話しかけますからね。検査や入退院、手術
母のすい臓がんは発覚する1年ほど前から大きくなっていたそうです。発覚が2017年12月だったので、出来始めは2016年12月、はっきりとした自覚症状が出始めたのは2017年9月の終わりくらいだったと思います。私にも食後にみぞおちの上あたりが痛むと相談がしていました。ちょうど季節の変わり目、暑→寒に切り替わる頃だったのでそれが原因と考えました。職場にも母と同年代で似たような症状の人がいるーと軽く返してしまいました。その痛みは座っているとマシだけど、横に寝ると痛むとい
『母にたくさんありがとうを言う(1月6日)』1月4日に私が母の所に行った時と、1月5日に妹が母の所に行った時と、2日連続で母は何度も何度も「今日は家に帰らないで」「今夜はここに泊まって」と私達に頼んだの…ameblo.jp『ほとんど食事が摂れなくなった母(1月7日)』『浅草寺様の朝法要に参列&お酒を奉納する❤』2つ前のブログに書いた通り、観音様の誠に有り難いお導きで浅草寺様との親子三代続く深い御縁にやっと気づく事が出来た…ameblo.jp『妹家族が母と話せた❗&発熱と尿管の変更(1
ガンという病気。ガンで間違いないと言われた日。私は胃カメラ終わりで告知されました。生検にも出してもない胃カメラ終わりでの間違いないガンですと。。涙も出なかった。やっぱりガンなんだと納得してまって。何年も続いた不調。何もないなんてないと思ってたから。ただ最初に告知された時は切れば元気になる、なれると思ってたから。今の私は直ぐ疲れるし常に身体が怠い😓元気な日は1日もない気がする。また定期検査がある。。不安で怖くて仕方ない。どん底に自分がいる様な気持ち。どん底なら這い
食道がんの治療について母のこれまでの食道ガン治療についてはこれからも何回にも分けて書いたりはしないのでこのページと次のページだけに書きますこのブログはあくまで闘病記録ではなくこれからの未来、食道がん自体がもっと認知され早期発見・早期治療が当たり前の病気になるために何か私にも出来ることがないかと始めたブログですいつか必ず国が推奨する5大ガン検診に食道がんも組み込まれるまで頑張ります国が推奨する規定も読んでいるので5+1ぐらいの推奨イメージでも嬉しいな5大検診+食道がんも率先し
2023年12月2日連投すみません🥲抗がん剤点滴した日の夜は眠れない昨日歯朝から夜まで抗がん剤点滴ふくめでお出かけしてたのでしんどくなって23時に寝たが、1時に目が覚め、そこから眠れない眠れなくでも明日は何も無い明日以降もずーっと何も無い嫁さんは勤務予定教えてくれない娘がいつ一人で困ってるかもわからない
癌は怖くない?いいえ、癌はまだまだ怖い病気でした。癌闘病の始まり2023.05.19札幌で一人暮らしをしている母が体調があんまりと聞き、忙しいGW期間中の仕事も一段落したので、顔見に行くがてら東京から札幌へ🛫その日に駅前内科で内視鏡の検査があったので病院で母と待ち合わせ3年前に甲状腺腫瘍の手術をしているので、きっとホルモンバランスとかが良くないんだろうなーと家族みんなが思っていました内視鏡が終わり、診断結果が出るまで「今日はデパ地下で美味しい鰻でも買って一緒に食べよ」などと呑気に
(過去を振り返っています)淡明細胞肉腫は、患者数が極端に少なく治療法も確立していません。他のがん種にある「標準治療」がないような状態ですね。今の時代、ネットという便利な手段のおかげでその数少ない同病さんとも知り合うことが出来て十数名の患者さんやご家族とメールなどで情報交換しましたが治療法はそれぞれ本当にバラバラで私の治療も他のどなたとも違うものでした。それくらい、決まった治療法がなく(現在は違うかもしれませんが)各先生方が試行錯誤しながらその患者さんに良いと思われる道
診断を確定させるため、膵臓の細胞の組織検査をすることになりました。組織検査の実施日は12/26、この日は偶然父の命日でした。その日までまだ日があったので、とにかくお寺や神社に行きまくりました。その時点ではまだガンと断言されていなかったので、とにかく何かの間違いであってほしい、せめてガンでなく、すい臓炎で済ませて欲しいと厄除けやガン封じや、患部を撫でると病気が治る像など、思いつく限り行きました。そしてその日から母と同じ部屋で寝ることにしました。いい
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
3年半も放置してしまったしこりががんだとわかった時、取り返しのつかないことをしたと思いました。淡明細胞肉腫は悪性度が高く初発時に転移していることも多い難治性のがんです。全身検査の結果、幸いなことに転移は見つかりませんでしたが毎日、目に見える場所にあって存在に気付きながら長い期間、放っておいてしまったことはその後も、常に後悔と不安の元になりました。もっと早く二度目の病院に行けば良かった、、と。(注意!以下、淡明細胞肉腫の生存率の記載あり)最近は希少がんの一例としてこの病気に
怒涛の検査ラッシュそして仕事や様々な手続き・・・落ち着かない中で「やっておけばよかった」と反省したことがいくつかあります。まず、一番は歯科治療私は歯が弱く、かぶせてある歯、いわゆる「銀歯」が多いまた、虫歯の治療がそのままになっていたこともすっかり忘れていましたしかし、挿管することもあり術後に放射線治療をすることも想定され開口障害のことも考えると・・・時間のかかる治療を断念しリスクを伴う歯と判断された歯を半分抜歯することになってしまいました(泣)
こんにちは^_^私の地域では昨日くらいから霜が降りお野菜がとても美味しくなってきました!母の実家が農家なので早速ほうれん草の胡麻和えを大量に作って頂きました!母に笑母の作ってくれる料理は何でも美味しい😍本当に元気で居てくれることに感謝です。今回は入院準備が着々と進んで行く!!2017.6.14肝臓のMRI検査のお話です。入院準備となると私も驚くほど沢山の検査をするんですね。『直腸癌』なのになんで違う臓器の検査も今やるの?と不思議に思っていました。『癌』には厄介な転移
2023年12月14日明日から抗がん剤点滴2クール目始まります。前日の今日は夕方から娘を見に行く日娘が風邪ひいて今日は学校休んてるとのこと心配なので、14時過ぎにスーパーでバナナとお粥とばら寿司買って娘を見に行く。まさかの娘にお家の中に入ってこんといてと言われる風邪が移ったらあかんからとなんとか買ってきたものだけ置いていくと言い、お家の中に入れてもらって、バナナとお粥、ばら寿司、何でもいいから食べれる時に食べるようにと、本当にしんどくなったら電話してくるように約束するお家出た所
私の家族は私の夫と息子達もものすご〜く運がいいです🎵夫と息子達の場合はものすごくくじ運が良いです夫と息子の名前で応募するとなぜか懸賞がバンバン当たります❗ブログに書いてませんが部屋で着ているTシャツとかリビングに置いてあるデッカいビーズクッションは、懸賞で当たりました。この3人はジャンケンも強いのですが、実は家族でジャンケンが一番強いのは、私です(←負け知らず)それだけではなく夫はなんだかものすごく間のいい人です。だから私は何かの決断や旅先での行
今日はガン研有明病院の初診の日息子がわざわざ付き添ってくれた。自分では緊張していないつもりでも、昨日は夜何度も目が覚めるし、その後寝付けないし。だから息子が付き合ってくれたのはほんとうに心強かった。知らないうちになんだかよく気がきく優しい、頼もしい大人になったなぁと感心した。今日は何をやるのかなーと思っていたら、前の病院でもやった細胞診と組織診(痛かったし、少し出血した。)をやり、経腟エコーと術前検査のレントゲン、心電図、採血(感染症含む)呼吸機能やって終わりだった。その後息子とお昼を
8月に母が末期がんを告知されてから母が亡くなるまでずっと、毎週日曜は私が母の所へ行く担当でした。葬儀から1週間たった今日は半年ぶりに、母の所へ行く事がないなんにも用事がない日曜日です。初不動の日だから成田山へでも行けばいいのに、私は何だかなんにもやる気が起きなくてどこへも行く気が起きなくて家でただただぼんやりとしています。車椅子の母を押して11月5日に夫と成田山へ行ったのが、母との最後のお出かけになってしまいました。いつも会えばいつも話しかけれ
よくガンの方は特有の臭いがするようになると言われますが、母の場合もそうでした。失礼ですが、大体年配の方は口から臭いがするようになります。母の臭いも加齢のせいだと思っていました。その臭いは母の母、死んだ祖母の臭いにそっくりでした。やっぱり親子だから加齢で同じ臭いになるのかと、そうやく母にも老いが始まったのか(母は年齢よりかなり若く見えた)と思いました。最初はなんとなくでしたが、ガン発覚前はかなり口臭がするようになり、歯周病用のうがい薬を渡したりしていましたが全くの見当
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
母に関わってくれた病院と先生のお話病院の先生って治療になかなか前向きになれない患者に怒りを感じてるなってちょっと感じることがあってそれは数えきれない生死の瞬間を見たからこそ生きることへの執着を持って欲しいんだろうなぁと思ったり※(これはとても良いお医者さんの場合ですね、母の主治医はそういう人でした)東京で最後に紹介された病院で主治医になる先生が母に治療方針を説明したとき弱気の発言ばかりする母に一発渇をいれてくれたんです(笑)私はその場にいなかったんですが姉から聞いたら
もうすぐお迎えがくるころだろう。吐き気が止めどなくやってくる…休日ということもあり、古い古い邦画が流れている。たまたまだが、地方公務員が公園を建てる話だ。(調べたところ、黒澤明監督の「生きる」だった)私の父は公務員、町内の公園を設立していたがそんな篩話はどうでもいい。そして、医者の見立てでは、そろそろおむかえがくるころなのだ。そうだね、担当医の悲しげな顔を見てから、3年くらい経つのだもの。何故だか腹の底から笑いがでるくらい、辛いのが、滑稽なのだ。そう、腹の底から気持ち悪い癖に
こんにちは本日は受診の日血液検査して、問題なければ明日からまた抗がん剤内服開始です結果は腫瘍マーカー、CEAもCA19-9も基準値内いつもながらドキドキしますが、、、明日からまたUFTユーゼル療法4クール目開始ですUFTユーゼルは4週間内服、1週間休薬ですが、、、4週目あたりに前回吐き気がでて、1日お休みしたのですが、職場の上司から今の状態を主治医に診断書書いてもらえと、、、まぁ、結局、無理して働かして何かあった時に責任問題になるのが嫌だからなんだろうけど診断書代だってかかる
母は、今90歳。そして、8年目に入った、母の肺ガン闘病。昨日、母に、「お母さん、もう癌では死なないよ~。老衰だね(笑)」と言うと、「エリちゃんのおかげ。」と、嬉しそうに手をあわせました^^90歳で、入院することもなく、よく眠り、ご飯も美味しく食べて、好きな時に受付で座って自由に過ごす。私が見ても、母は本当に幸せだなぁ~と思う。その陰で、とんでもない苦労をしょってる私がいるんですけどね(笑)先日、3年ぶりにアメリカに
昨日10日は母は1日中寝ていて全く目が覚めなかったので、今日は母が起きていたらいいなと私は願いながら部屋に入りましたが、残念なことにこの日も母はこんこんと眠っていました。ナーシングホームは24時間暖房がついていて乾燥しているので、私は母に声をかけながらいつものように母の顔と手に保湿クリームを塗り、唇にリップを塗りました。私は母が緩和ケア病棟に入院した時から空調で乾燥して粉を吹いた母の顔と手が気になって仕方なく、面会する度にクリームを塗ってあげていまし
癌の治療費だけじゃない出費お金と生活のはなし日本の医療については癌に限らず本当に進歩し続ける時代を私達は生きてます。ありがたいことです医療費も時代を追うごとにどんどん変化してきましたね。母は現在72歳闘病開始は71歳でした。年齢の恩恵でもある高額療養費限度額認定証のお陰で物凄く医療費は助けられました現役世代で癌になった場合の医療費は今の時代でも本当に大変と耳にしましたでも私も母の医療費は助けられたとはいえそれなりに費用はかかっていて、また母の看護につきそうために
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ