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病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
おはようございます。お読みいただき感謝しております。昨日はヘルパーさんが初めてのお掃除に来てくれました。毎週月曜11時に来てくれるそうです。時間は1時間。テキパキと掃除機をかけてくれていましたが、ダイソンコードレス掃除機、バッテリーが切れました(笑)来週はコード式の掃除機を出しておいた方が良いのかな😓来てくれた方は契約に来てくれた方。スタッフさんは数人いるらしいのですが、今日来たのは経営者の女性です。自ら現場で率先して働く。偉いと思いますが中々大変なんだな~本やブログを読んでイメー
2023年12月14日明日から抗がん剤点滴2クール目始まります。前日の今日は夕方から娘を見に行く日娘が風邪ひいて今日は学校休んてるとのこと心配なので、14時過ぎにスーパーでバナナとお粥とばら寿司買って娘を見に行く。まさかの娘にお家の中に入ってこんといてと言われる風邪が移ったらあかんからとなんとか買ってきたものだけ置いていくと言い、お家の中に入れてもらって、バナナとお粥、ばら寿司、何でもいいから食べれる時に食べるようにと、本当にしんどくなったら電話してくるように約束するお家出た所
おはようございます黒い影に打ち勝つためにまた今試してるのが松の葉です!これは近くに松の木があればただです!松の葉松の葉ジュースそのままガジガジ日本のお城に松があるのは食料がなくなった際に松を食べてしのぐそうです。山で遭遇した時とか疲れた時などガジガジすると良いと言われてます!アイヌ地方を題材した漫画でも紹介されてるそうですめっちゃ良いと思います!疲れの取れ方がすごいなとあとね体温も上がるらしくて肩こり腰痛がかなり楽ですかなりです!近くにない人
看護師のSさんについて追記しましたので、お手数ですがお読み下さると助かります🙇「あの人は信頼出来るね」と私達が前から話していたチーフ看護師のKさんに廊下でばったり会えたので、私はホッとしたし嬉しくなりましたKさんは男性で入所当日の顔合わせ会と居宅サービス計画の話し合いにも同席していた方です。前にSさんから点滴した方がいいと言われた事について、Kさんは「かえって苦しみを増すから点滴は不要です」と断言してくれて、「ホーム内の看護師の意見が人によって違った為
りこ母の直腸がん闘病年表はじめに日付序章■ブログを書き綴るにあたって■癌が分かるまでの母の私生活直腸がん闘病年表【要約】2017年5月4日~2017年5月16日■母が倒れるなんておかしい!セカンドオピニオンへ!2017年5月23日~2017年5月31日■セカンドオピニオンの結果直腸がん闘病年表【詳細】2017年5月4日火祭りの日の夜中12:30頃、倒れる。後に貧血だったと分かる。■真夜中に倒れた母2017年5月5日【中央病院】CTとレントゲン検査をす
昨日、ダビンチ手術を受ける大病院での初診察に行ってきましたとは言っても、生検を受けた病院に、この大病院の医師が週一で来ておられ、既に一度お会いしている医師なので少し安心です昨日の診察の目的は手術とリスクの説明などがメインと聞いており、家族の同行を求められていましたので、カミさんと2人で出向きました具体的な手術内容や輸血を行う可能性などの説明は説明書も用意されており、説明を尽くそうという姿勢が感じられて好印象でしたが、私は性格的に「ここまで来たら、もうお任せします」という
6日のお昼にソフト食を6割食べたきり、母は次の日の7日になると何をどうしても食べ物を飲み込む事が出来なくなりました。6日夜はメイバランスを125cc飲ませたものの、7日になるとメイバランスさえも飲み込むのが難しくなり、2さじ飲ませるのがやっとでした。つまり、7日から9日までのまる3日、母はずっと絶食状態でほんの少しの水分しか摂れませんでした。水分さえも摂ると喉にひっかかるのかゼロゼロといつまでも音を立てるだけでなく、母はその後必ず消耗するのかアーア
2023年12月2日連投すみません🥲抗がん剤点滴した日の夜は眠れない昨日歯朝から夜まで抗がん剤点滴ふくめでお出かけしてたのでしんどくなって23時に寝たが、1時に目が覚め、そこから眠れない眠れなくでも明日は何も無い明日以降もずーっと何も無い嫁さんは勤務予定教えてくれない娘がいつ一人で困ってるかもわからない
動き出すやはり、結論は変わらないステージ4の耳下腺がん術後の病理検査にて確定する私のがんの種類・・・顔面神経は残せず、全て摘出するため麻痺は確定多分、神経の断端は見つからないだろうから移植は無理だろう顔の半分は動かなくなるから、表情もつくれない開口障害や味覚障害、合併症や後遺症を挙げたらきりがないさて、どうする?!悩む時間も選択肢も私には残されていないことはわかってる「手術しか方法はないのです
昔から思っていた事ですが女性は強い方が多い。男は女性には、かなわない。がん治療に関しても言えると思います。がん治療中の女性の方が、仕事へ行ったり、主婦業をこなしているブログを読むと驚きます。治療で辛いのに、食事の用意や、ご主人の世話など多くの男性にはきっとできないと思います。少数派だと思いますが、優しい旦那さんもいらっしゃるようで、尊敬します。優しい旦那さんを持つ女性は恵まれていますね。女性がん患者さんが無理を押して、食事を作っているなど、なんだか悲しくなります。ご本人が
こんばんは今日はなんだか眠れなくて。桜の開花のニュースを聞き春を感じるこの季節2年前のこの時期を思うと、眠れなくなる夜があります耳下腺癌cT2N2bMO第1に唾液腺導管がんを疑いますそんな表記から始まる同意文章でした強そうで、怖そうな、そんな名前・・・既にリンパ節に複数転移しており絵には大きな印が複数ありました全摘、そしてS字切開の説明図私はかなり大きく開かなくてはならず頸部郭清と顔面神経麻痺再建術は可能な状態であればとの注釈付き、気管切開の可能性など様々書
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
はじめまして。私は30代の新米ママやってますなんとびっくり育休中になーんか倦怠感、、モヤモヤと胃カメラから肝臓エコーで調べたところ超巨大腫瘍が肝臓にありましたクリニックから総合病院、そこでも診れませんと人生どん底味わいました最終的に今の病院へ辿り着きましたその時に今の主治医と出会って何だろう、、あ、私頑張れるって勝手に思いました今はイミフィンジという薬で少しでも小さくしていくことを目指していますドン底でしたが、初めて登録したブログで皆さんのブログを拝見しながら、頑張ろうと
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
Aloha🌺いつも訪問、いいねをしてくださりありがとうございます😊また前回の投稿よりしばらく時間が経ってしまいました。『最期のお別れ』Aloha🌺いつも訪問いいねをありがとうございます。『ダンナさんの写真とフレーム選び』Aloha🌴いつもブログを読んでくださり、いいねもありがとうございます。…ameblo.jp先週、子供が日本へ帰国すると同時にわたしは体調を崩してお仕事にも復活しだましだまし行きつつだったのでぶり返しとうとうダウンしていました。今はやっと治りつつあります。ダンナさ
ナーシングホームに来る時妹は布団一式を車に積んで持ってきてくれました。この日、泊まりこむとは思わず何の用意もしないで来てしまった私の為に、妹は飲み物やハミガキなども持って来てくれました。「お姉ちゃん、毎日遠くから来て疲れてるでしょう。ママの事は私が見てるから先に仮眠してていいよ。」と妹が言ってくれたので、「ありがとう。じゃあ、途中で交代するから12時になったら起こして。」と私は言って母のベッドの足元に布団を敷いて9時に寝ることにしました。続きま
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
手術を受けるためにはたくさんの検査や説明を受けたり、同意書のサインなどなど事前にすることがたくさんあるんですね~💦今までありがたいことに病気知らずでインフルエンザにかかったこともありませんでした。それがいかに奇跡みたいなことかがんになって初めて知りましたさて。手術前に受けた検査の数々。血液検査造影CTMRI心電図レントゲン肺活量(尿検査もしたかな?)あとアレルギーとかせき喘息があるから、呼吸器内科の診察を受けたり。MRIは工事みたいな大きい音がする
2020年3月2月に久しぶりに帰国してから約3週間、今度は1人でまた緩和にいた父に会いにきた✈️1週間程の滞在で帰る予定だったけど、帰る2日前になって父が高熱を出し、腎盂腎炎になってしまい、すごく苦しそうでとてもそんな状態の父を置いて帰れなかった。そんな中、色々な偶然が重なって都合がついた為、急遽滞在を少し延ばす事にした。そのおかげで、父が寂しくないよう私と入れ替わりで来るはずの兄と5年ぶりに再会した。父も落ち着いてきて、私が今度こそ帰る予定の2日前、兄と私が病院にいたら、父が
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
今回は残念ながら悪性の乳がんと判明し、私も旦那も無知なので、告知された後は「じゃあ、早く手術して、治療を始めよう!」と言う感じでしが、、そんなにトントン拍子では進められないのが現実でした。まずは、癌のタイプを調べたり、他に転移している所が無いかを調べたり、遺伝子を調べたり、治療法を話し合ったり。その間、約1週間と数日、大忙しで1日1日があっという間に過ぎては行くものの、体内に腫瘍があるのに、何もしないで放っておく事に最早、恐怖でしかありませんでした。この間に、どんどん腫瘍が大きくなって
皆さま♡こんにちは!お立ち寄り頂きありがとうございます◡̈⃝˖*•─────❋─────•今までの治療記録●20229月腹痛と排尿痛で泌尿器科を受診回復が見込めず紹介で総合病院を受診病理診断のため腹腔鏡手術&入院リンパ鼠径部に遠隔転移腹水からガン細胞発覚腹膜播種ありで高異型漿液性癌ステージⅣbと診断●10月化学療法スタートTC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)2クール目よりアバスチン追加●11月TC療法3クール後CT
コロナ禍に重なり始まった、私の闘病少しずつ思い起こしながら、書いていきたいと思いますリンパの腫れに気付いてから宣告を受けるまでの期間が約3か月宣告から手術までの期間が約10日余りある朝いつものように起きて洗面所に向かい歯磨きをしながらふと鏡を見ると・・・「あれ?首筋のリンパが腫れている。何これ??昨日はなかったのに」枝豆大の腫れを見て直観的に「これは・・・」と思った、忘れられないあの朝でも、もしかしたら感染症や炎症による一時的なものかもしれないそう信じたかった私は
大腸ガンが発見されてS字結腸癌と判明、1ヶ月後に手術、次の月に転移が判明、ただいま抗がん剤治療中のブログです前回の受診から2週間後。またまた大腸の内視鏡の日が…前日から検査食。お腹が空いて仕方ないので、ネットで内視鏡前日にでも食べられる消化の良いものを検索🔍バナナ、りんご、カステラ、白身の魚、うどん、お粥なんかは食べて良さげ。私はひたすらバナナを頬張ってましたちなみに病院は我が家から電車で1時間。都心の都心にある病院なので遠いの🚃検査の日は朝に1錠の下剤を飲んで病院へ…受付を
食事療法のために、これまで小麦粉製品、甘いもの、豚肉、牛肉はシャットアウトしていました。特にすい臓がんは甘いものは黒砂糖、蜂蜜を含め厳禁と本に書いてありました。糖分の分解は膵臓が行うからでしょうね。しかし母が元気を取り戻して、欲しいというものを止めることは出来ませんでした。いや、止めましたが私の発言権はあまりに弱かったです。がん発覚する前は、我が家では毎朝食パンにバナナやナッツやチーズ、はちみつを盛ったトーストを食べていました。(通称母パン)発覚後は禁じて
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに