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昨日、お通夜が終わったたくさんの人が来てくれた。たくさん励まされて、たくさん泣いたたくさんの人が妻のために泣いてくれた。お通夜の間、長女はなんども泣きながらまま愛ちゃんと妻を呼んでいた。通夜が終わって、控室で子どもたちと妻と一緒に過ごす。お絵かきして、妻に見せる。寝る前愛ちゃんのそばで、子どもたちとたくさん泣いた。泣きつかれて眠った。今日は本葬
やっと太郎🧒が到着し、一目散にに会いに行き、しばらく号泣していました到着してすぐにに挨拶しなかったからのご機嫌が悪くなりました。🧒が喪主としての打ち合わせに行こうとしたら、に呼び出されてました。「どうしたの?」🧒「【今からかし子ちゃん😈の旦那さんが来るから駐車場まで迎えに行け!】て言われたわ。」「え〜、無理よ、今から決める事いっぱいあるのに。」やっと到着した助っ人にしょうもないこと指示するクソ何もしないけど口👄は出す。【ふるさと納税】<先行予約受付中!2023年11月29日
はじめまして42歳4人男子(21.18.15.10歳)+犬1匹の母です。2021.07月~痛み歩きにくい体幹不自由など色々な病院いくが原因不明2023.08月パーキンソン病と診断薬も効かない良くならない2023.12月多系統萎縮症疑い12月末検査入院しました結果は半々?意味不明何しに入院したの?1月再検査しました結果2月2日多系統萎縮症と診断3月22日甲状腺の検査状腺穿刺吸引細胞診しました結果は大丈夫でした薬はON/OFFのようだ……4月仙台多賀病院で
丸山正董先生のお通夜に参列した。たくさんの弔問人。たくさんの献花。丸山先生の残したもの、作り上げたもの、訴えたもの。改めて全ての大きさ、スケールに圧倒された。そんな偉大な方に、マンツーマンで指導を受け、自分は幸せだったと再認識した。稀に見る長蛇の列。ご遺族の方々。多方面で要職についている丸山家の方々。ど真ん中で祀られている丸山先生。親族のみの葬儀。1500人を想定したお通夜。これから予定される病院葬。色々な風景、色々な雰囲気を感じたのだが、思いがぐるぐる回って
旦那の親戚にはクセ強の人が数名いるその中で母はとても気を遣ったことだろうお茶を出したり本来私がやるべき事を代わりにやってくれた微妙な立場で2階に上がってしまえば気は楽なはずなのに話し合いの時にも話に入るでもなく私の側に離れず居てくれた「お母さんありがとう」そっと肩に寄り添いながら後でこっそり囁いたら「うんうん」とニッコリしてくれたお通夜前に湯灌をした私と次男で順番に旦那のシャンプーをさせてもらった長男は神妙な顔で「オレはいい」と言った喪主の私の
従兄弟とその娘は一旦自宅に戻る為、私達は見送った。親族控室に娘が戻ってきた。「今晩がご家族様4人で過ごされる最後の晩となります。皆様ごゆっくりお嬢様と語りあって下さい。お通夜ですので、遅くに来られる方もいらっしゃるかもしれませんが、控室の前に芳名記録帳をご用意させて頂いておりますので、こちらの方に記帳して頂いて下さい。それと、上階でお休みになられないとおしゃったので、上の布団もこちらのお部屋に移動させておりま
前回の続きのお話です。前回はこちら『葬式の日取り』肝心なお通夜と告別式の日取りを決めた時のこと担当者さんから「コロナ禍で火葬場の一つがコロナ患者専用になっていて、それ以外の遺体を火葬する場が減っており、順番待…ameblo.jpエンバーミングをする事になった夫の亡骸。そもそもエンバーミングとは?エンバーミングとは、遺体に殺菌消毒・防腐・修復・化粧などを施して、故人を生前の姿に近づける処置。日本語では「遺体衛生保全」と訳され、遺体の腐敗や感染症を防いで、衛生的に長期間保存する技術です。エ
スーパーボウルのリベンジができてご機嫌なマダムです。しかし、最後の最後までわかんない試合って相変わらずシーホークスらしいね~。こちら。お昼は前日のスシロールの残りを。さすがに飽きるね。アメリカでの初葬儀参加でちょっと気分もDepressed。何もする気がおきなかったので「アメリカでの葬儀」についてちょっと調べてみました。ちょっと前にバイデン副大統領の長男が脳腫瘍かなんかで亡くなった。副大統領と夫人は黒。でも未亡人と子供たち・・・ちょっとしたパーティに行けちゃうような装いですよね
娘から離婚を勧められた次の日。その日はお通夜でした。夕方からお客さんがいっぱい来るので、少し忙しく用意をしていました。そんななか兄が汗でYシャツが汚れたので買い物行くついでに買ってきてと私に頼みました。それを聞いていた夫が「俺が行ってきますよ~。」などと言ってそそくさと出掛けて行きました。なんだか逆に気持ちが悪い……。一時間ほどして戻ってきた夫はご機嫌に「兄ちゃん、どうぞ。これでいいっすか?中に着るシャツも一緒に買ってきたっす!」「……あ、ありがとう。あ、お金……」「いやいや、い
知的障害の娘を育てています。子育てがやっと一段落…と思ったところ、孫の自閉症がわかりました。2人と家族の忙しい日々を綴ります。『悲しいこと。』知的障害の娘を育てています。子育てがやっと一段落…と思ったところ、孫の自閉症がわかりました。2人と家族の忙しい日々を綴ります。…ameblo.jp続きです。先月29歳のお誕生日を迎えたBくん。入院中で、家族に会えず、大好きなママやお姉ちゃんにも
同じ班内の長老の方が亡くなった。昔は班の人が亡くなったらお通夜告別式等に、とにかくお手伝いに行ったらしい。今は葬儀屋さんが全てやってくれるのでお手伝いは不要なのだ。実際、義父が亡くなった時は家族葬だったしご近所の方にも告別式まで終わってからお知らせをした。義母は「𓏸𓏸さんが亡くなったからお手伝いの連絡くるから行ってね」と朝からなんだか1人でバタバタしていた。私は「連絡がくれば行くよ。きっとお手伝いもないよね」と仕事に行く準備をしながら返事した。それでも義母は帰らず「𓏸𓏸さんちは由緒あ
父が入院してから、毎日毎日『たこ焼き持ってきてくれるか』食べたいものを聞くと、『たこやきっっ』『たこやき10個なっ』10個も食べられへんやんって言うと、ちょっと怒って、『なんでやねんわし食べるよ。』『”持って来てー”言うたら持ってきたらええねん』とか、『食べられへんでも、置いといてくれたらええねん』とか、大人しく10個は諦めたかと思うと、『ほな”6個”でいいわ』一つも食べれないのに、”たこ焼き”食べたい欲望がす
先日、ママ友が亡くなったというお知らせをもらった。下の娘Nの小学校の時の同級生のママだから、ずいぶん前のつながり。男の子のママだし、今も同じ大学に通っているとはいえ、子供同士の付き合いが全く無いので、お通夜に伺わなくても家からお別れすれば良いかな…と漠然と考えていた。最近太っちゃって、喪服も入らなくなっちゃったし…でも、何となく引っかかって、まぁ、今後も必要なものだから…と昨日、喪服を調達しに出かけた。で、とりあえず、買うことは出来て。でも、今朝起きたら頭は痛いし、寒気はするし、これ
娘婿の弁護士から、娘の弁護士に連絡がきたとメールが旦那に届いた。14時12分の、FAX履歴が付いた”ご連絡”と、言う文面が、娘の弁護士に届いた。○○氏によると〇月〇日○○時頃、突然、我が旦那氏が娘婿氏の自宅を訪問し、通夜及び葬儀式の案内されたほか、娘の父親氏の訪問を当職へ報告するな、不貞慰謝料請求事件について原告代理人の助言を得て解決すること、我が旦那氏が故娘氏の遺産について相続放棄すること、を要求されたとの事です。
父は御焼香を済ませ椅子に座った私は喪主の席に戻ったしばらくすると母が動いた!父に近づき挨拶をした!(えぇーーーーっ!!!うそぉ)父はなんだかとても他人行儀ににこやかに挨拶をしていたが「初めましてですよね?」とマスク姿の母に言った(えぇーーーーーっ!!!うそぉ)母がフルネームを名乗るとやっと分かったようでお互いに爆笑長男に「これは、お母さんあそこに行くべきだよね?」と聞くと長男は笑いながら頷いた私はたまらず喪主の席から2人のところに駆け寄ったたぶんそ
朝の8時半。来望はお着替えと化粧など皆さんをお迎えするための準備をする為に車に乗って出かけて行きました。エンバーミングです。エンバーミングとは、専門の資格をもったエンバーマーによって、ご遺体を衛生的に修復保全することで長期保存を可能とする技術です。土葬が主流のアメリカやカナダでは、エンバーミングが一般的ですが、生前のお姿に近い形で心ゆくまでお別れできると言った理由で、火葬が主流の日本でも近年注目されるようになりました葬儀屋さんに勧められてお
医師に御臨終ですと告げられた途端、私は怖くなり離れて暮らす子供2人、主人の母、姉、妹、私の両親、妹、と手当たり次第泣きながら電話をかけた。皆、予想もしない連絡にしばし茫然。それもそうだろう年末年始に会ったり電話で元気に話をしたばかりだったのだから連絡を受け子供たち、私の両親が駆けつけた。主人の母、姉妹、私の妹も駆けつけると連絡をくれたが商売をしていたり小さい子供がいたり来るのに高速で3時間以上かかる場所に住んでいたりするので今後の予定がはっきりするまで無理しないでくれと伝えた。が、主人
おはようございます。ただの自分の独白です。ここで書かさせてください。私の中に刺として残っていることの一つです。妻が亡くなった時に、妻の従姉妹達、甥、姪にはきちんとお別れをさせてあげれませんでした。顔を見せてあげることが出来なかったのです。化粧をしてあげることも出来ませんでした。私とお義父さん、兄弟、従姉妹の年長者、叔父さんは顔を見てお別れをしました。私自身放心状態だったので、なぜその時に抱き締めてあげれなかったのかと、今にして後悔だらけです。亡くなった日、眠れないまま身体が震
葬儀屋さんにかけて欲しい曲はありますかと聞かれていた旦那は玉置浩二の「あなたに」と言う曲を聞いて「染みるぅ~」と涙していたことがあった病気前にも病気後にも会場には「あなたに」が流れたメモリアルコーナーには祭りの笛を並べてもらった家族旅行の写真や動物園チャレンジをした時の写真など楽しい思いでの写真をたくさんスクリーンに流してもらった遺影の写真はスタジオで家族写真を撮った時の物にした家族に囲まれていい笑顔の写真会場が旦那一色だったお通夜が終り皆が帰ったあと
2023年7月18日(火)今日のこと今日も外は暑くていいお天気でした。3連休が終わり、家は静まり返っていた。朝はゆっくり起き、息子にお線香を上げて、花の水を変える。供えていた夕飯のお肉が乾いている。チョコパンの消費期限も切れている。減らないお供え物を見て、悲しくなるけれど仕方がないね。スーパーにも行きたいけど、何を作ればいいのか何を買えばいいのか分からない。1人で外に出る勇気がまだ出ない。いつも息子のリクエストでご飯を作っていた。パート帰りにLINEをして、「スー
友人のお姉さんが、今朝、出勤途中に倒れ、亡くなったと連絡がきました。49歳。死因を調べたところ、卵巣癌。ステージ4。卵巣破裂で倒れたらしい。相当痛かったんじゃないだろうか。他にも転移があったのか。7月、スーパーで偶然友人に会い、私の癌の話やあれこれ話している時、お姉さんも1ヶ月生理が止まらないと言っていた。お姉さんは『更年期なんだわ〜』と言っていたそう。乳がんも含め、子宮も検診行った方がいいよーって話したけど…お姉さんは病院に行かなかったのだろうか?あれ
国立中高や公立中高一貫校は警報が出るとお休み。三女ちゃんは華の女子高生、警報が出ると思ってわくわくしている。7時を過ぎ、7時半を過ぎ、タイムリミットが近づいてくるとだんだんブルーになっていく。👨そんなに学校に行きたくないの?👩びしょぬれになるのが嫌なの。あと、電車に乗ってる途中、とか到着する直前、とかに休みがわかるのも嫌。ま、頑張ってくれ。今日は叔父のお通夜だ。
GW最終日皆さまはどんな休日を過ごされましたか私は、家族(夫抜き)や友人と過ごしました夫はGW中は家に居たのですがそんなのはお構いなしに私は私の約束を優先しました夫はまたいつもの如く家族で外食しよう、と誘って来ましたが(夫のルーティンであり単なる自己満足)私は「うん」と言ったきりで予約もしませんでしたそんな一回の外食で禊ぎを果たしたと思われたくもないしまた、お通夜のような無言のままの外食に何の意味があるのかさっぱりわからないので…夫は夫私は私もうここまで来ると
【2023年2月14日〜17日の出来事】娘を家に連れて帰り、すぐに決めないといけない事がありました。それは、葬儀の事。悲しんでいる時間もなく、急いで葬儀場の手配をしないといけませんでした。家から割と近くで、それなりに広いところがいい。と、思っていたので、候補にあった中から、ある葬儀場にお願いしました。早速、自宅に来てくださり、ドライアイスを持ってきてくれました。そして、担当の方から、『今、予約がいっぱいで葬儀が立て続けにありまして、早くても葬儀が19日の日曜日になります。すみま
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫は友人が少ない(と本人が言っていた)年賀状のやり取りもそれほどなく葬儀は火葬のみでほぼ親族亡くなった知らせは喪中はがきその知らせで連絡を下さる方もいらっしゃった名前だけは知ってるけどお話したことがない方もお電話い
2024年5月28日(火)朝、お線香をあげに行く前に義母から電話がありました。義母の体調が悪いのかと思ったら、近所の親しくしていた奥さんが亡くなったと電話があったそうです。私もその奥さんとは顔を合わせれば、挨拶してちょっと立ち話をしたりしてたので、びっくりして義母の所へすぐ行きました。お通夜や告別式はまだ決まってないみたいなので、とりあえず話を聞きに行ってみるというので、私も一緒に行きました。ご主人が出てこられて、お風呂場で亡くなっていたとか。病気はあったけれど、死に関わるような病気
皆様お疲れ様です先週の月命日に息子が地上波で帰ってきたという話を息子の友達にしたんですけどそうしたらえ!?実は来週俺もその番組出るんすよ!ってすっごい偶然!そもそも2人ともテレビに出るような人達じゃないしねお前ら持ってんなーって勝手に2人の運命を感じてた私です笑さて、今回は告別式の出棺時の挨拶について書いていこうかなと思います。出棺の時に挨拶があるそういうものがあるということはもちろん知ってます。知ってはいたのですがなにぶん息子は急に亡くなったものですか
アメトピ掲載ありがとうございます『敢えて言わない死別シングル』夫がもう亡くなっている事を知っている人は私の周囲にはほんの一握り。それどころか人によっては私が既婚者なのか知らない人もいるし、離別シングルじゃないのかって思っ…ameblo.jpパートナーの癌闘病ってわざわざ言いたくないんだけど、聞いて、聞いての人もいたなぁ『#ブログを始めたきっかけそして誰にも言えなくなった』私がブログを始めたきっかけは誰にも言えず夫の闘病生活を背負う日々に限界を感じたから…です。夫の病気発覚から手
2日がお通夜、3日が告別式で時間はまだ未定でした。2日の朝、9時から打ち合わせがあるので🧓と急いで家を出発しました。9時ギリギリに到着したら、葬儀場の方が控室の前で待っていました。「もうすぐお寺さんが枕経あげに来てくださるんです。」部屋にはジジイがいるのにやっぱりヤバイとわかったみたいです。お寺さんが来られるまで、部屋で打ち合わせする事になりました。いろいろ決めてる隣で大きな音でテレビ見るは独りぼっちで寝かされてました。間もなくお寺さんが来られて枕経が始まりました。枕経が始ま
20日、お昼前に母のところへ。天気は雨。【湯灌】のため‥母の大切な友人1人と、私と妹で立ち会った。一緒に立ち会ってくれた母の友人は、入院中、1日も欠かさず病院へ来てくれた。「よく、髪洗わされたよね‥。」「きちんと乾かさないと怒られるよね。」と母の友人と話をした。身体を洗ってもらって、髪を洗ってもらって、母らしい服装に着替えさせてもらい、軽く化粧をしてもらった。化粧をした後に、「少しお顔整えますね‥」と言われ、母の鼻や口に大量の詰め物をした。妹はその光景が辛かったよ